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06

 ノウマードの歌は続く。


 〈魔王〉アルマナセルの、王女レヴァンダに対する求婚は、まずは戦が終わってからとなった。

 王子イーレクスは、まず自軍をフルトゥナとの国境へと向けた。派手派手しく進軍し、騎馬兵と小競り合いを幾つか起こす。

 地形を知り尽くし、風のように襲撃しては離脱するというフルトゥナの戦法に苦戦しつつ、それでもじりじりと前線を先へと進めていた。

 一方、〈魔王〉アルマナセルはカタラクタ王国へと向かっていた。

 冬の山を越えることはない、まして、他国を通過してくることなど考えもしなかったフルトゥナは完全に裏をかかれた。

 カタラクタの黙認の元、僅かな手勢で身を隠しながらフルトゥナへ侵入した〈魔王〉アルマナセルは、一夜にして王国の辺境地帯を壊滅させる。

 ただでさえこちら側は護りが手薄だったこともあり、抵抗はほぼ無意味だった。

 その知らせが届き、王子イーレクスと闘っているフルトゥナ軍も徐々に浮き足立つ。

 このまま、いとも容易くこの地を掌握できるかと思われた。


 しかし、風竜王の高位の巫子は、最期に草原へと呪いをかけた。

 ただ一人として、この地に留まることはできないという呪いを。

 崩壊する竜王宮の中、巫子は息絶えるまで呪詛を叫び続けていたという。


 イグニシア王国軍も、フルトゥナの民も、皆が共に国境を目指し、走った。

 その後ろで、草原は見る間に枯れ果て、川は干上がり、逃げ遅れた人々は全て死に絶えた。

 邪悪なる巫子の呪いは、誰も踏みこめない大地に、三百年を経た今もなお変わらずに蠢いている。


 凱旋(がいせん)した王子イーレクスは、やがて王となってイグニシアを平和に統治した。

 その傍らには、常に〈魔王〉アルマナセルとその妻レヴァンダの姿があったという。




 リュートを背負ったノウマードが天幕を訪れたのは、食事がほぼ終わった辺りだった。

 優雅さすら感じられる仕草で右手を胸に当て、一礼する。

「お呼びだそうで」

 あからさまに不快感を顔に出したテナークスが席を立つ。

 なんとなくその後姿を見送ってから、アルマはノウマードに視線を向けた。

「向こうで歌っててくれたんだって? 悪いな」

「いや、これからしばらくお世話になるんだしね。ロマにとって、歌うのは別に苦でもない。気遣いは必要ないよ、アルマナセル様」

 呼びかけだけ敬称をつけて、にこやかに笑ってくる。

 その辺りは無視して、先に用意させていた椅子を勧め、ワインをその前に置かせる。

「気前がいいねぇ」

 グラスに手をつけず、ノウマードはもの問いたげにじっと見つめてきた。

「いや、頼みがあるだけだ。彼女に、何か歌を聞かせてやってくれないか」

 青年は、ちょっと驚いたようにペルルに視線を向ける。期待に目を輝かせている少女に、楽しそうに小さく笑った。

「いいとも。では、『薔薇の姫君と騎士』でもお聞かせ致しましょうか、姫巫女」

 一口だけワインで喉を潤すと、ノウマードは慣れた手つきでリュートを胸に抱いた。





 翌朝、アルマは酷く不機嫌なエスタと顔を合わせた。

「……どうした?」

「おはようございます。昨日のことですが」

「昨日?」

 昨日は色々ありすぎたな、と思いつつ、用意された洗面器で顔を洗う。

「例のロマが、兵士たちの前で歌っていた、フルトゥナの戦いの歌のことです。ラスタディウス版の亜流だったと」

 タオルを受けとり、起きぬけの頭でしばらく考える。

「ラスタ……ディウス?」

 タオルから覗いた顔は、おそらく引き攣っていたに違いない。眉間に皺を寄せ、エスタが無言で頷く。

 先の大戦には、酷くドラマチックな要素が多かったこともあり、この三百年で多数の作家や作曲家が物語を作っている。

 ラスタディウスという作曲家が作った歌劇は、その中でも殊更に〈魔王〉と王女のロマンスを全面に押し出したものだった。

 一度つき合いで観劇したことはあったが、二人の恋の駆け引きがずっと続いていたことしか覚えていない。正直、行軍中に恋文を出す演出など、隠密行動をしていた筈の〈魔王〉は頭がおかしいとしか思えなかった。

「……うわぁ……」

「どうしようもないとは思いますが、まあ、心構えだけでもと」

 呻きながら、椅子に座りこむ。寝癖のついた髪を整えながら、エスタは続けた。

「一体どうしてあんな男を拾ってきたんですか?」

 混乱したままの頭で、色々と理由を考える。

「……成り行き?」

「自業自得ですね」




 天幕を出て野営地を抜けている間に、忙しく立ち働いている兵士たちと何人も顔を合わせる。

 ……普段よりも彼らの顔つきが笑みに満ちていることは、おそらく気のせいだ。絶対に。

 拳を握り締めると、ぎし、と手袋が軋む。

 この十六年の人生で何度目になるか、自分の生まれを呪いながら、馬車の傍、自分の馬が繋がれている場所まで辿りついた。

「やあ、いい朝だね、アルマナセル」

「……何でお前がここにいるんだよ!」

 馬上から、しれっと挨拶してきたノウマードに、腹の底から怒鳴りつける。

「えー。君や姫巫女が退屈かと思って、道中お慰めするために来たんじゃないか」

「心底余計な世話だ!」

 一度大きく呼吸して、青年の飾り気のないマントを引いた。身を屈めてくるノウマードに、低く囁く。

「お前。昨夜のこと、わざとなんだろう」

「え? わざとってそんな。彼らの話を聞いて、多分潤いに欠けてるんだろうなぁと思ったから、恋愛要素の濃いものにしたんだけど」

「何についてかは言ってねぇのによく判ってるじゃねぇか」

 だが、アルマが引っ掛けるつもりだったことさえ、青年には予測のうちだったらしい。にこりと笑んで、言葉を続ける。

「これで、兵隊さんたちからの君に対する好感度がぐんと上がるってものだろう?」

「やかましい!」

 間髪を容れずに怒声を上げる。初めて、ノウマードが僅かに傷ついたような表情を浮かべた。その落差に、一瞬怯む。

「あ、いや……」

「ああ、救国の英雄、〈魔王〉アルマナセルの子孫、誇り高きレヴァンダル大公子が、生命(いのち)の恩人に対してまさかこんな恩知らずな言葉を口にするだなんて!」

「あああ斬り捨ててぇ……」

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら呻く。

 芝居がかった仕草で非難の声を上げていたノウマードが、姿勢を正した。穏やかな笑みを湛えて、アルマナセルの背後を見つめている。

「おはようございます、姫巫女」

 慌てて、少年が背後を振り向いた。

 汚れ一つない巫女のローブを着て、ペルルが立っていた。

 前日、自らの民を思い、行動したことで幾らか気持ちも沈んでいるように見えていたが、それも今は落ち着いたようでにこやかに微笑んでいる。

「おはようございます。アルマナセル様、ノウマード」

「おはようございます」

 アルマが進み出て、手を取った。御者を務める兵士が扉を開けている馬車に近づく。

「ご気分はいかがですか」

 小声で尋ねる。少女は僅かに眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべた。

「もう大丈夫です。我が儘を申し上げてしまって、申し訳ありません」

「とんでもない」

 二人の侍女が乗りこむのを確認して、一礼する。そのまま自分の馬に身軽に跨った。

 進軍の号令をかけるのを、面白そうな目でノウマードが見つめていた。



 だが、それから数日は予想したほどの混乱は起こらなかった。

 勿論、ノウマードがアルマをからかう機会を見逃していた訳ではない。

 それでも順調に行軍は進み、副官の態度も次第に和らぎ、吟遊詩人は求められては多種多様の歌を披露した。

「お前よく両手を離して馬に乗っていられるよなぁ」

 ある日アルマの発した、呆れ半分、感心半分の言葉に、リュートを鳴らす傍らで青年が笑う。

「並足ならさほど難しいことじゃない。ロマは騎馬の裔だしね」

 流石に駆足は無理だけど、と続けて、ノウマードは器用に膝だけで馬を操って見せた。


 そして、街道は中規模の都市、オスフールへと辿り着いた。




 オスフールは、平地の街だ。

 街をぐるりと囲むように街壁が廻っている。その中央を東西に街道が抜け、両端には巨大な扉が作られていた。

 攻城戦の間ならともかく、現在、人々の出入りを全て拒んでいては街が立ちいかない。当然のことながら、今そこを護っているのは、イグニシア王国軍だった。

 アルマの隊がオスフールに近づいているのはとっくに知れている。

 城門を抜け、大通りを整然と進む。騒ぎを起こさないようにだろう、駐屯している兵士が前もって市民たちを道から遠ざけていた。制止する兵士の向こう側から見つめてくる住人たちは、疲れ、不安を抱えているように見える。

 馬車の内側に下ろされたカーテンが、小さく揺れた。あえてそちらに視線を向けず、アルマは真っ直ぐに前を見据えている。

 ノウマードが訳知り顔で大袈裟に眉を上げた。


 領主の屋敷は、駐屯軍の指揮官が居住していた。

 車寄せとしても広大な前庭に、兵士たちを整列させる。アルマは、テナークスと共に先頭へと進んだ。

 でっぷりとした身体を軍服に包み、男が待っていた。駐屯軍の指揮官、アゴラ大佐だ。

 身軽に馬を下り、手を差しのべる。

「ご無沙汰しております、アルマナセル殿」

「こちらこそ。しばらくお世話になります、アゴラ殿」

 儀礼的に握手を交わす。アゴラは、ちらりと視線を馬車へと向けた。

「そちらが……?」

 含みのある言葉に、頷く。馬車の扉が開き、ペルルが優雅に降りてきた。

「お初にお目にかかります、アゴラ大佐」

 少女は指先で純白のローブを摘み、軽く会釈をする。

「いやいや、長旅でお疲れだったことでしょう。今すぐお部屋へ案内させます」

 途端に媚びるような声になって、大佐は先に立って屋敷へと入っていった。ペルルの手を取り、アルマもそれに続く。この後、簡単に会議があるためにテナークスもついてきた。

 前庭では、分隊長と駐屯軍の少佐とが会話を交わしている。この街には数日滞在することになるので、その間、兵士の宿泊所として屋敷の裏庭を使用することになっていた。その打ち合わせだ。行軍の後で、できるなら兵士たちを粗末であっても寝台で寝かせてやりたいところだったが、オスフール占領後にめぼしい宿は既に徴用されている。二百五十人もの人数分を数日だけ空ける、というのは手間ばかりかかってしまう。

「ノウマード」

 興味深げにそれらを眺めていた青年に声をかけたのは、エスタだ。

「お前の部屋はこちらだ。くれぐれも、はぐれないようについてこい」

 必要な言葉だけを告げ、踵を返す。

「おや。お坊ちゃんのお世話以外に仕事があったのかい?」

 ノウマードの軽口にも、一切反応しない。軽く肩を竦め、青年は汚れたブーツのままで無遠慮に屋敷へと踏みこんだ。



 アルマとペルル、テナークスにその他数人は、この屋敷に滞在する。ペルルは到着後すぐに部屋へと案内されていた。

 続いて行われた会議は、本当に簡単なものだった。

 滞在する間の兵士たちに関する諸々、今後必要になる食料その他の手配と荷車に積みこむ日程、滞在中の予定など。

 それらは、大体のところは軍によってマニュアル化されており、充分に熟知しているアゴラによって既に計画されていた。それが妥当かどうかはテナークスが判断できる。よって、アルマは二人が確認した事項を認可するだけだった。

 夕食までの間に、入浴と着替えをやんわりと勧められ、アルマは部屋へと案内された。

「お疲れ様でした」

 エスタが部屋の前で待っていた。既に中を改めてあるのだろう。

 ざっくりと見て回る。応接間に居間、寝室。こじんまりとした客間ではあるが、贅沢は言えまい。共同ではなく、客間一つに浴室がついているのは純粋にありがたい。

 湯船にはもう温かな湯が満たされている。

「のんびりしていないで、早く脱いでください。ここにいる間に、できるだけの服を洗っておきたいですから」

「お前、段々所帯じみてきてないか?」

 文句を言いながら、椅子に腰掛ける。ブーツを脱がせるための木枠を手に、エスタが床に跪いた。

「ハウスメイドを従軍させる訳にはいかないんですから、仕方ないでしょう。まあ、屋敷の使用人は引き続き仕事をしているらしいですから、そちらに任せることになりますけどね」

 木枠に空いている穴にブーツの踵を引っかけ、足を引き抜く。もう一方の足も脱がせると、室内履きを揃えて足元に置いた。

「こちらには何日?」

「五日ってところだ。アゴラも長居をされたら迷惑だろうし、こちらものんびりする理由はないからな」

 襟をくつろげて、一息つく。

「急いでくださいってば。身支度を終えたら、皆様で会食でしょう。お待たせする訳にはいきません」

「女性の身支度よりは段違いで早く済むさ。少しぐらいゆっくりさせてくれ」

 エスタの、どうしようもないと言いたげな視線を、アルマは慣れた様子であしらった。


 結果として、幸いアルマはさほど会食に遅れずに済んだ。


 食事はまずまずのものだった。

 彼らはまだ定期的に食料を供給することができる状況ではあるが、それでも数日も行軍すれば、特に肉や魚は新鮮さを失う。出発前にフリーギドゥムで仕入れてきたそれらは、オスフールに着くまでぎりぎり保った。街に着くまでもっと日数がかかる場合、やがて食卓に上るのは干し肉や薫製肉などになるだろう。

 しかし街の、しかも指揮官の屋敷であれば、料理には最上の食材が使われる。

 食後に季節の果物まで振る舞われ、ペルルは嬉しそうに見えた。

 どことなく、その表情に陰が窺えたとしても。




「……軍隊が、戻ってきましたね」

 ゆったりと放たれた言葉は、しかし確実に相手を動揺させた。

「イグニシアは、確実に水竜王の高位の巫女を連れ去ろうとする。私の申し上げた通りだったでしょう?」

「それは……」

 苦々しげな反論は、しかし続けられることはない。

「私は姫巫女を拝見したことはありませんが、まだお若く、可憐な少女であらせられるとか。そのようなお方が、北方の蛮族に連れていかれて、どのようなお辛い目に逢われることか……」

 ぎり、と奥歯が軋む音が、微かに漏れる。

「姫巫女をお救いできるのは、現状、貴方だけなのですよ。彼女も、竜王も、貴方に深く感謝するでしょう」

 ゆっくりと注がれる言葉が、男を揺らがせる。

「……本当に、高位の巫女は安全でいられるのだろうな?」

「勿論ですとも。私の主人が保護することができれば、他の誰にも指一本触れさせないことを明言しましょう」

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