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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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65/252

01

「もう一柱の、竜王……?」

 誰からともなく、戸惑った声が漏れる。

 皆が惑うのも、無理はない。

 竜王というものは、火と水、そして風の具現者であり、自然はこの三竜王によって循環している、と考えられている。

 世界を構成する要素はそれで全てであって、そこに更に一つ、という考えは一切なかった。

 故に、もう一柱、竜王が存在するなど、それこそ世界を揺るがせる事態なのだ。

「知らないのも当然だ。僕も、辺境の地で見つかった古文書でそのくだりを目にしたのが唯一の根拠だ。だが、それにはかなりの信憑性があると踏んでいる」

 真剣な眼で、グランは全員を一瞥した。


「それが起きたのは、一万年前、と言われている。まあ、この場合の一万年とは、酷く昔のことだという表現だろうから、さほど気にする数字じゃない。

 その頃は、人間は大陸の各地で幾らか寄り集まり、集落を作っていたかどうかという状況で、まだ国として纏まってはいなかった。当然、竜王も信仰する民を持っていた訳ではない。人と竜王を繋ぐ者としての巫子もいない。竜王は世界を(あらわ)し、統べるものたちとしてのみ、存在していた。

 そして、この世界に、龍神ベラ・ラフマが現れたんだ」

 その名前に、ぞくりと背筋が冷える。

「龍神、というものをどうして僕がここまで忌避するのか、不審に思っている者もいるかと思う。

 龍神の最終的な目的は、この世界を我が物とすることだ。

 そのために明らかに邪魔になるのは竜王たちであり、奴は顕現以来、竜王を滅し、それが無理ならばせめて封印するべく動いている。

 火竜王は封印こそされてはいないが、その民であるイグニシアは、ほぼ奴の影響下にある。風竜王が龍神の呪いでつい数日前まで封じられていたのは皆知っているだろう。そして、今回のカタラクタ侵攻で、水竜王が危機に瀕していた」

 ペルルが顔を青褪めさせている。

「……だから、グラン様は私をイグニシアへ呼び寄せたのですか?」

「僕が呼んだのは、高位の巫女を保護するためと、協力を要請するためだ。王宮の方もそれに呼応して、貴女を横取りするべく画策していたが。奴らを出し抜けたのは幸運だった」

 あっさりとグランが認める。

 王宮にペルルの身柄が渡っていたら一体どうなっていたのか。イフテカールを思い出して、アルマは密かに拳を握った。

「まあ、竜王とそれに仕える僕たちが龍神を忌避する理由はある。しかし、それとは直接関わりのない民にとっても、これは放置できない問題なのだ」

 壁にだらしなくもたれかかり、話を聞いていたクセロが、小さく眉を動かした。

「龍神の特性の一つが、残虐性だ。自然の巡りとしての調和を重んじ、信仰する民への加護と繁栄をもたらす竜王とは、真逆の。奴が世界を支配すれば、人は奴隷の生活すら生易しい状況へと落されるだろう。家畜のように生まれ、家畜のように生かされ、家畜のように繁殖し、そして虫のように殺される。人々の絶望と嘆きに、奴らは心地よく浸るだろう。

 また、世界そのものが変わることとなる。龍神が元々いたところは、なんと言うか……、それこそ地獄のような環境だったらしい。しかし奴にとっては、それが最適の世界だ。僕らの世界をベラ・ラフマが支配すれば、地獄に似たものへ変貌させることは、目に見えている。それを阻害する存在として、竜王が邪魔だ、ということでもあるのだ」

 グランが言葉を切ると、室内が静寂に満たされた。

 イェティスが、小さく咳払いをする。

「その……、貴方は、どうしてそう具体的に語ることができるのですか?」

 幼い巫子は、小さく笑みを浮かべた。

「全て僕の妄想だとでも思いたそうだな。生憎だが、僕はこの三百年、龍神の下僕やその信望者たちとやりあってきた。脅し文句を吐かれるのなんて、しょっちゅうだ。

 それに、〈魔王〉アルマナセルとはそれなりに親しくしていたからな。あいつは、龍神とは同郷みたいなものだと話していたよ」

 がたん、と椅子が鳴った。視線を向けると、オーリが腰を浮かしかけている。

「あ……ああ、ごめん。何でもない」

 青年は小声で謝ると、再び腰掛ける。数秒間それを見つめて、グランは口を開いた。

「一万年前に話を戻そう。この世界に顕現した龍神は、すぐさま世界を変貌させようとしたらしい。何も考えずに、ただ力押しで。

 それを押し留めたのが、大地を司る地竜王だ」


「……地竜王」

 聞き慣れない名前を繰り返す。

 ぎし、とグランが椅子の背に体重をかけた。

「考えてみれば、不審に思ってもよかった筈だ。火竜王と水竜王は、対を成している。ならば風竜王と対になる竜王がいて当然だった」

「ニネミアと?」

 不愉快なような、不安なような微妙な表情で、オーリが呟く。

 それに関しては何を言うこともなく、グランが続ける。

「既に大陸のかなりの面積を地獄へ変貌させていた龍神を、地竜王が阻んだ。両者の戦いは七日七晩続き、河は沸き立ち、大地は落ち窪み、山は抉られた。空から炎が降り注ぎ、岩のような雹が落下し、地平線の端から端まで落雷が襲ってきたという。

 そして、とうとう、龍神ベラ・ラフマは封印された。

 しかし、極度に消耗した地竜王も、深い眠りについた。

 龍神が再びこの世界に現れた時に、今度こそそれを滅するために地竜王は蘇るだろう、と古文書は予言している」

 一同が、それぞれ考えこむように、眉間に皺を寄せていた。

 グランが発現させた赤黒い炎の中に見えた、鎖で戒められた龍神。

 あれを見た時の、本能的に感じた忌まわしさを思い出す。

「……聞いたことが、あるような気がする」

 やがて、ぽつりとオーリが呟く。

「本当か?」

 グランが問いかける。この話の根拠といえば、唯一つの古文書だけだ。他に類似の話があれば説得力が増す。

「ああ。……先代の高位の巫子は、歌が好きでね。それも忘れかけられているような、古い歌がお気に入りだった。よく、草原中に散らばった民を追って旅をしていたよ。彼らが伝える歌を聴いて、残していくのだと言っていた。私がまだ若かった頃は、彼のお供についていったものだ。

 どの部族だったか、年老いた長老が、祖母から教えられた、と言ってそれを歌ってくれたんだ。

 ただ、龍神じゃない。確か、善き竜王と悪しき竜王との戦いだった。……私は、竜王に悪いものなどいるわけがないと思っていて、それで今まで忘れていたんだな。龍神、と歌われていれば、もっと早く思い出せもしたろうに」

「なるほど。興味深いな」

 満足そうに、グランが言う。

 青年が額を抑えて、俯く。

「オリヴィニス様?」

 気遣わしげに、背後からイェティスが声をかけた。

「私は、知っていたのに。三百年前、あの戦乱が始まる前から知っていた筈なのに、どうしてそれを防げなかった……?」

 軋むような声を絞り出す。

「竜王と龍神を言い替えていたとしても、フルトゥナ侵攻時に、龍神は全く表立って動いていなかった。お前が関連づけられる要素などない」

 ばっさりとグランが断じるが、オーリは顔を上げようとしない。

「あの」

 意を決したように、イェティスがグランを見つめた。火竜王の巫子に見返されるが、怯まない。

「やはり、ただの言い伝えではないでしょうか。……その、一万年前とはいえ、現在、この大陸のどこにもそのような地獄へ変貌させられたような地はありませんし、地竜王が龍神と闘った場所も」

「奴らの鉤爪の痕なら、まだ地上にも見ることができる。クレプスクルム山脈が、ペルデル湖畔で、ばっさりと断ち切られているだろう」

 オーリの苦悩を減らそうと、そう言いだしたのだろうが、グランはそれに淡々と答えた。

 確かに、あの山脈は、湖の際で断崖を晒している。なだらかに形成されるでもないその姿は、思えば酷く異様だ。

「しかし、それでも」

 更に言い募ろうとしたイェティスが、ぴたりと口を閉ざした。

 静かに、グランが続ける。

「そうだ。地獄へと変貌されかけ、地竜王と龍神とが死闘を繰り広げて落ち窪んだ大地は、その後長い時間をかけて水が溜まり、湖となった。……つまり、この湖底に、地竜王が眠っていると僕は思っている」


 呆然として、卓に広げられている地図を見つめる。

 ペルデル湖。

 大陸の中央にある巨大な内陸湖であり、その面積は大陸の四分の一近くを占める。

 それだけの範囲に影響を与えるとは、一体どれほどの威力なのか。

 自分の持てる力と比べて考えただけで、アルマは眩暈がした。

 イェティスは、もう反論もできず、無言でその場に立っている。

 彼の巫子は、まだ顔を上げられていない。

 数十秒考えこんでいたグランが、無造作に口を開く。

「そろそろ自分を哀れむのはよせ、オリヴィニス。今更昔のことを悔やんで何になる。お前には三百年も好きに使える時間があっただろうが」

 その言葉に、イェティスが弾かれるように視線を向けた。

「貴方は……!」

 この風竜王宮親衛隊隊長には、グランに対する免疫がない。その場にいる一同が、流石に彼を気の毒に思ったところで、力ない声が上がった。

「よせ、イェティス」

 オーリが顔を上げ、片手でやんわりと非公認の部下を制している。

「しかし……」

「いいんだ。ありがとう」

 短く礼を言われて、イェティスは驚いたように黙りこんだ。

 そのまま、風竜王の巫子は顔を火竜王の巫子へと向けた。その視線は、ここしばらくはなかったほどに冷たい。

「それで? 君は私に、一体何をさせたいんだ?」

 一ヶ月ほどのつきあいではあるが、こちらはよく相手を知っている。

 グランは勿論それに気圧されることなどなく、薄く笑みを浮かべた。

先刻(さっき)言っていた、歌だ。覚えているな?」

「え? それはまあ、大体のところは」

 応じられた内容が意外だったのか、きょとんとした風で答える。

「よし。後で、一度聴かせてくれ。竜王、というところを地竜王と龍神にそれぞれ置き換えてみよう。それから、イェティス」

 幼い巫子は全く何の感慨もなく、未だ敵意を露わにしている青年を見返す。

「お前の拠点には、この冬、どれほどの民が帰ってきそうだ?」

 しかしその台詞に、イェティスはあからさまに狼狽えた。

「……イェティス?」

 不思議そうに、オーリが見上げる。

「何のことをおっしゃっているのか、さっぱりですね」

 露骨に視線を逸らせて、親衛隊隊長が呟く。

 笑みを湛えたまま、グランがひらりと片手を振った。

「僕たちを間抜け扱いしないでくれ。騎馬の民だということを考えても、あの村には厩が多すぎる。僕たちを泊めても、客室はまだ余っていたな。普段は誰も住んでいないような建物も幾つかあった。岩山の間に作られているのに、空地も多い。あれだけの土地を切り開くのにどれだけの労力を費やした? あの立地では、村人たちが食べていける程度の農耕と遊牧でやっとだろう。それにしては、グラスの造りがやたらと美しかったな。職人が作ったように。何より、プリムラが子供と接触した時に、全く物怖じしなかったそうじゃないか。彼らは、外から人が訪ねてくるのに慣れている。違うか?」

 次々と並べ立てられる言葉に、唖然として聞きいる。

 イェティスは固い表情で、口を引き結んでいた。

「別に、お前たちを責めるつもりはない。故郷の一端にでも触れたいものだろう。安心して過ごせる土地が一つは欲しいだろう。ただ、訊きたいだけだ。今後、どれほどの民が戻ってくる?」

 呆けたように、オーリはイェティスを見上げている。

「……今年はカタラクタへ移動できないようですし、通年よりは多くなるでしょう。と言っても、五十家族には届かないと思いますが」

「充分だな」

 ロマの一家族は人数が多い。ざっと三百人ほどにはなるだろう。あの村は、人口が倍に膨れ上がることになる。

「……無茶なことをしている。イグニシアは、ロマが集結することについて未だ神経を尖らせているのに」

 事態を飲みこみ、呆れたような口調でオーリが呟いた。

「お怒りではないのですか。その……、お知らせしていなかったことを」

 戸惑った風で、イェティスが返した。

「私には何を言う権利もないよ。グランが言ったように、お前たちの気持ちは判る。……で、君は、彼らに何をさせたいのかな?」

 再度、グランへ向き直る。その態度からは、もう捨て鉢な様子は一掃され、油断は見られない。

「歌の調整ができたら、お前の部下に教えこめ。それからそいつらをあの拠点に帰して、帰郷してきた民へと伝えろ。そしてイグニシアに戻って、広く披露してきて欲しい」

 グランが、卓に広げていた地図に、ざっと指を走らせた。

「この厳しい冬に、あの地へ戻れというのは酷だろう。そこを推して、頼む。火竜王宮には、ロマへできる限りの支援をするように伝えておく。冬のイグニシアには、娯楽がない。それなりに迎え入れられる筈だ」

 腕を組んで、オーリが考えこむ。

「龍神は、今まで徹底的に存在を隠していた。それが広まれば、動きにくくなるか」

「奴らにとっては、信望者を増やすことも大切だ。心酔するような人間は減らせはしないだろうが、手足となる程度の者なら、数を削れる。お前の覚えていた歌で、地竜王の勇猛さと、龍神の極悪非道を広く民に知らしめようじゃないか」

 不敵に笑うグランに、青年も応じて薄く笑う。

「イェティス。頼めるか?」

「貴方のご命令でしたら、我が巫子」

 丁重に一礼して、答える。それに対してオーリは何か言おうとしたが、思い直したか、短く頼む、とだけ伝えた。




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