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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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62/252

17

 遥か上空から、火の粉と灰が舞い落ちる。

 そのただ中に立ち、血に染まった衣から灰をはたき落していた巫子が、顔を歪めた。

「……ちっ」

「おおおおおお前なっ! 流石に今のはやばいだろ!」

 小さく舌打ちされて、アルマが怒鳴る。

 あの瞬間、咄嗟にエスタを引き摺り出し、グランとの間に防御壁を築きながら、地に伏せたのだ。

 ぎりぎり無事だと言える状況だが、ほんの少し遅れれば生命(いのち)は危うかったに違いない。

「当たり前だ。殺す気でやっている」

 しかし冷えた目で見下ろしながら、グランははっきりと言い切った。

「……何を言ってるんだ、お前……」

「それは、既に龍神の下僕と契約を結んでいる。〈魔王〉の血と力を、奴にむざむざ渡す訳にはいかん。今、この場で、魂の一片すら残さずに燃やし尽くす」

 魂の一片すら、残さずに。

 その言葉に、何故かぞくりと腹の底が冷える。

「仮にもお前の剣だった男だ。お前に手を下せとは言わん。僕がやる。そこを退け」

 淡々と、グランが告げる。

 それは、優しさと言うには余りにも、酷薄だ。

「本当、なのか? エスタ……」

 恐々と、背後に視線を向ける。

 しかし、大地に座して、エスタは俯いたままだ。

「エスタ」

 再度尋ねると、ようやく青年は口を開いた。

「……貴方は、結局、竜王宮を選ぶのですね」


 その言葉が繋がらなくて、眉を寄せる。

「何を……」

「もう、いいのです。もう沢山だ」

 ゆらり、とエスタが立ち上がる。

「グラナティスを殺し、貴方を殺し、旦那様を殺して、私が〈魔王〉の遺志を継ぐ」

 暗く、座った眼でそう宣言する。

 グランが鼻で笑う。

「〈魔王〉〈魔王〉と、やたらと拘る男だな。自身に力も誇りも持てないから、祖先の名に縋ろうというのが見え見えだ。言っておくが、〈魔王〉アルマナセルは、貴様が思うような人物ではなかったぞ」

「……黙れ」

 軋むような声を、漏らす。

「あれは文字通り〈魔王〉だ。人ではない。人の血が混じった、お前たちとも違う。人の愛情も人の友情も、全く理解の外だった。価値観が違う。美意識が違う。そもそも魂の造りが違う。俗悪で卑小で尊大で醜悪だった、我らが……」

「黙れ! アルマナセル様を侮辱するな!」

 全身で、グランの言葉を否定する。

 ……その名は、もう、自分のことではない。

 この十年間、一体幾度、自分は自分の名で彼に呼ばれていたのだろう。

 呆然と、怒りに打ち震える青年を見上げる。

「やれやれ。修羅場にもほどがあるんじゃないか?」

 呆れたような声が、横合いからかけられた。


 ふらり、とロマのマントに身を包んだ青年がこちらへ歩み寄ってくる。

 昨日砦に着いて、血に塗れた服は着替えた筈だが、今の彼は再び血と泥に汚れてしまっていた。

 その後ろに、数歩遅れてペルルがついてきている。

「お前、何でこっちに来てるんだよ!」

 反射的に怒声を上げる。

「ああ心配しなくても、腕は一応嵌めてから来たよ」

 オーリが軽く右手を振ってみせる。

「そんなことは一切心配してねぇよ!」

「……それは流石に酷くないか……?」

 正気ではなかったとはいえ、腕を外した張本人の言葉に、僅かに傷ついたような顔をする。

 ちょっとばかり心が痛まないではないが、そもそもアルマはペルルをここから引き離しておきたかったのだ。

 それを考えると、彼女と同行しているオーリのことはひたすら腹立たしい。

「まあ、それなら、心配の種をちゃんと護りに来たらどうなんだ? 私もそろそろ体力の限界だしね」

 あっさりと告げられて、悪態をつきながら立ち上がる。

 エスタはこちらへ一切視線を向けもしなかった。視界の端にちらりと入ったグランが小さく笑みを浮かべている。

 この二人の間にいるアルマを退かせようと、オーリが甘言を弄したのだろう。

 僅かな罪悪感を感じたが、とりあえずペルルに軽く駆け寄る。

「お怪我はありませんか、アルマ」

 心配そうに見つめてくるのに、小さく笑いかけた。

 エスタがただ無言で立つのが不審ではあった。が、おそらく、彼らがある程度集まるのを待っていたのだろう。

 暗い瞳でこちらを睨み据え、一言、口にする。

「割れろ」

 次の瞬間、大地が揺れた。

 足元の地面に、ひび割れが生じていく。

 咄嗟に、アルマは手にしたままだった抜き身の剣をそれに突き立てた。

 ずん、と一度鈍い響きを残し、大地の揺れが静まる。

 明らかにエスタが怯む。

 静かに、グランが片手を彼に向けた。


「……ふむ。〈魔王〉と竜王の巫子が全て揃っていては、少々分が悪いですね」

 穏やかな声が流れると共に、月が雲に翳った。



 金髪の細身の男が、エスタの背後に立っていた。

 その存在に気づいた瞬間、息を飲んで身構える。

 彼らは全員、エスタの行動を注視していた。だというのに、今の今まで、彼に気がつかなかったのだ。

「貴様……!」

「イフテカール!」

 グラナティスが苦々しげに吐き捨てる。

 驚いたように、背後を振り返りつつエスタが名前を呼んだ。

 イフテカールはわざとらしいほどうやうやしく、片手を胸に当てて一礼した。

「お迎えにあがりましたよ、エスタ殿」

 さらり、と絹糸のように細い金の髪が流れる。

 彼はやたらと軽装だった。マントもつけておらず、上着は丈の短い略式のものである。手袋も薄手のものすら嵌めてはいない。

 そう、ほんの数秒前まで、暖かな部屋の中で寛いでいたかのように。

「しばらく待て。まだ、戻れない」

 酷くぞんざいに、エスタは青年に返した。

 困ったような顔で、イフテカールがその細い指を相手の頬に触れさせる。

「彼らを殺すのなら、一人ずつで、とお願いしていたではないですか」

 そして、もう一方の手を、エスタの焼け爛れた左腕に添えた。

「それに、酷いお怪我だ」

 小さく言葉を落した瞬間に、その肌に、ぎり、と爪を立てる。

「ぐ……」

 エスタは小さく呻くのみで、それに反しようとはしない。

「あー……。ステラと気が合うわけだな」

 ぞくり、と背筋に悪寒を感じながら、アルマが呟く。

 それを聞き咎めたか、笑みを浮かべてイフテカールは視線を転じてきた。

「ご無沙汰しております、アルマナセル様。あの舞踏会以来、王宮にも出仕されなくて、皆様寂しがっておられましたよ」

「むしろ奴らは清々していると思うぜ」

 嫌味は、しかし通用するとも思えない。

 次いで、イフテカールがアルマの隣に立つ青年を見た。

「こんなところで奇遇ですね、ノウマード。一体どうやって王宮から脱出されたのですか? ステラ王女はお気の毒に酷く気落ちされていましたよ。小姓が数人、首を刎ねられました」

 さらりと続けられた言葉に、しかし一切動じずにオーリが肩を竦める。

「可哀想に。てっきり、今頃はもう新しいお楽しみを見つけていると思っていたけど」

「ええ。それは勿論。ですが、王女にとって、お楽しみは増えるものです。決して減らされるものではない」

「人生は失望の連続だ。彼女もそのうち慣れるよ」

 笑みさえ浮かべながら応酬する二人を、苛立たしげにグランが片手を振って止めた。

「下僕。そいつをこちらへ渡す気はないか」

「それは非道な提案ですね、グラナティス様。この方は元々、道に打ち捨てられていたも同然でした。それを気紛れで拾い上げ、生死を握ろうとおっしゃるのですか? 彼にも、誇り高く自由に生きる権利はございますのに」

 慇懃に返してくる言葉を、鼻で笑う。

「〈魔王〉の血を引いている時点で、誇り高く自由に、など許されない。奴らには竜王宮の管理が必要だ。犬は縛りつけ、服従させ、口輪を嵌められて、初めて世界は安堵する。まして鎖がお前の手の中にあっては、民は夜も眠れぬだろうよ」

 エスタの顔色が変わる。

「……挑発できるうちは存分に挑発するべきだという君の信条は、時と場合を考えては貰えないものなのかな」

 オーリが小さく呟いた。

「時と場合としてはまたとない機会だろう」

 憮然として、グランが返す。

 その後ろで、アルマが指の関節が白くなるほどに剣の柄を握り締めていた。

「ともあれ、お断りいたしますよ、高位の巫子。もう夜も遅いですし、ここは些か冷えて参りました。そろそろ失礼致します」

 ゆっくりと、優雅に龍神の下僕が一礼する。

「エスタ……!」

 アルマが思わず呼びかけた名前は、しかし、冷たい視線で返されるのみだった。

「それでは、ごきげんよう」

 対照的にイフテカールは穏やかに笑んで、暇を告げる。

 そして次の瞬間、二人の青年の姿は消え失せていた。



 グランが立て続けに悪態をつく。

「君が黙って行かせるとは思わなかったよ」

 オーリが、周囲をぐるりと見回しながら口を開く。

「どうやって奴を止められると思っている。封じられているとはいえ、奴の主は神だ。あいつが首を突っこんできた時点で、僕らの負けだ」

 眉間に皺を寄せたまま、長々と溜め息を漏らす。

「……まあ、エスタを連れて帰られたぐらいで済んで、まだましだった。フルトゥナの呪いが解けたことで、この地が奴を拒むことはなくなったからな」

「一長一短だねぇ」

 呑気にオーリが返した。勿論、そんなことは思っていない。フルトゥナと風竜王が解放されたことが、彼にとっては大きな益だ。

 疲れたように眼をこすり、グランが砦に向けて一歩踏み出した。

 が、脚から力が抜け、がくん、と大地に膝をつく。

「グラン!」

 慌てて、アルマが駆け寄りかけた。

「来るな!」

 しかし、強い口調で拒絶されて、脚を止める。

先刻(さっき)、大技も使っていたしねぇ。癒そうか?」

 わざとなのだろう、気負わせないように、軽い口調でオーリが問いかけた。

 エスタの呪いに何箇所も傷を負わされ、血を流し、おそらく体力も尽きかけているのだろう。

「必要ない。一人でできる」

 しかしきっぱりと断言して、ふらりと身を起こした。

 が、数歩も歩かないうちに、また倒れかける。

「せめて、外傷だけでもここで治して行ったらどうだ?」

 体力まで回復はしないだろうが、それでも痛みは減る筈だ。

 幼い巫子が頭を振る。

「一人で、と言った。……人の前でしたいことではない」

 数度瞬いて、残る二人の巫子と視線を交わす。

 アルマは、今まで何度もグランに傷を癒してもらったことがある。別段、人目を憚る行為はない。

 オーリもペルルも同意見なのだろう。戸惑ったような視線を返してきた。

 荒い息をつきながら、幼い巫子は地面に座りこんでいる。

「ああもう、意地を張るなよ。砦まで運んでやるからさ」

 アルマがグランの前まで進んでしゃがみこんだ。その身体を抱え上げようと、手を伸ばす。

「触るな!」

 ぱん、と軽い音を立てて、その手が振り払われる。

「……グラン……?」

 更なる拒絶に、小さく呟いた。

 グランは、きつい視線でアルマを睨め上げている。

「いい気になるな、〈魔王〉の(すえ)が。犬の分際で、僕に哀れみをかけようというのか? 分を弁えろ。お前はただ、僕に命じられたように動いていればいい。余計なことをするな」

 アルマは呆然として、火竜王の巫子を見つめている。

「グラン様、そのような言い方……!」

 ペルルが衝動的に口を挟む。

「僕とこいつの問題だ。無闇に口を出さないで頂きたい。お前もだ、オリヴィニス」

 機先を制されて、青年は軽く肩を竦めた。

「グラン、俺はただ……」

「触るな、と言った」

 グランは、僅かにその身を固くしている。

 アルマを警戒しているかのように。

 彼の意図が判らなくて、混乱する。

 エスタの悪意を、殺意を抑え、宥め、否定してきたのは、グランと契約を結んでいたからだけでは、ない。

 彼ら二人の間に、それ以上の絆があったからだ。

 ある意味、十年間忠実に仕えてくれた青年との間よりも、強いものが。

 そう、だから、それを悟ってエスタは失望したのだ。

 なのに。

 草原を風が渡る音に、もう少し強いものが混じる。

 短い金髪の男が、草を踏みしだいて近づいてきていた。


 グランがあからさまに眉を寄せた。

「クセロ」

「意地を張りすぎだぜ、大将」

 呆れた口調で、男が感想を口にする。

「危険だからお前は出てくるなと言っておいたはずだ」

「あの物騒な二人がいなくなるまでは隠れてたさ。少なくとも、気にされちゃいない」

 のらりくらりと非難をかわして、主人の傍らに膝をつく。無造作に手を伸ばし、よ、と小さく呟きながらその身体を抱き上げた。

 グランは不機嫌な顔を崩さないが、しかし彼を拒もうとはしない。

 クセロが、ぐるりと残りの三人を見回した。

「悪いんだが、大将が落ち着くまで、ちょっと時間を潰しててくれねぇか。一時間、はかからないか?」

 グランは、返事を返さない。

 クセロがとりあえずオーリに視線を向けた。単純に年長者ということで責任を押しつけられた青年が、苦笑しながら頷く。

「悪い」

 もう一度言って、クセロは踵を返した。

「……グラン!」

 縋るように、アルマが名前を呼ぶ。

 しかし、幼い巫子はそれに一切の反応を見せなかった。

「なん……だよ」

 家族と、竜王宮。

 アルマを肯定し、支えていた二つの存在が、この夜、彼を拒絶した。

「なんだよ、ちくしょう……」

 故郷を遠く離れた荒野で、少年は大地に爪を立て、一人嗚咽を漏らした。




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