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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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15

 風切音が、耳の横を抜けていく。

 上空から見ると、アルマの周囲には数箇所、小さな火の手が上がっていた。

 空気は乾燥しており、放置して大火になっては困る。この地は無人だし、春には再び萌える草ではあるが、ここで生きるものたちが皆無だというわけでもないのだ。

「……我が竜王ニネミアの名と吹き荒れるその誇りにかけて、高位の巫子オリヴィニスが命ずる。その権威において、我が服従の基に全権を下せ」

 一瞬、額が熱くなる。

 これで、竜王の御力を行使する際に、いちいち請願を口にしなくてもいい。まあ、ある程度の時間しか保たないが。

「押し潰せ」

 小さな言葉に、世界はすぐに従った。ちろちろと燃える炎が一瞬で消え、細い煙を立てていく。

 降り立った場所は、アルマまでの距離を半分以上残した地点だった。

 正直、抑制を失っているアルマに、例え数十分前までの状態でも勝てる気などしない。今まで遭遇した時に何とかやり過ごせたのは、彼が戦闘態勢に入っていなかったからだ。

 しかし、アルマが『成熟』した瞬間、オーリが感じたのは、凄まじいまでの破壊衝動だった。

 あの感覚を忘れずにいたことを、僅かな苦さと共に感謝する。

 それだけに充分距離をとっておきたかったのだが、草原に降り立った時の音と気配でか、アルマは機敏にこちらへ反応した。

 この世界の者にとっては意味を成さない叫びと共に、中空に火の玉が三つ、出現する。

「潰れろ」

 オーリが発した呟きとその意思によって、火の玉は内に巻きこまれるように消滅した。

 火は、生き物だ。呼吸をしなくては生きられない。

 その周囲の空気を圧縮してやれば、それはすぐに消える。

 だが。

 アルマナセル--〈魔王〉は、大きく右手を振った。十を遥かに超える数の火球が、彼の周囲に展開する。

「……限度ってものがあるだろ……」

 唖然として呟く。

 その全ての火球が、こちらへ向けて押し寄せてきた。

 見たところ、精度はさほど高くない。かなり離れた場所へ飛来しそうなものも多い。

 だが、それだけに対処は難しい。一つ一つを潰していくのは困難だ。

「撥ねろ!」

 命令と共に、突風が巻き起こった。火球を巻きこみ、上空へと飛ばしていく。

 そして、空中で、それがぐるりと一つに纏まった。

 直径が一メートルはある、巨大な火球に。

 まるで太陽が燃えているかのようなそれに、オーリは〈魔王〉から視線を外さずに命じた。

「堕ちろ」

 空で支えられていた力が消えた。まっすぐに、アルマに向けて落下する。

 まさか、それが簡単に当たる、と思っていたわけではない。

 しかし、アルマの周囲に、半円を描くように白い壁が出現した。それはドーム状となり、頭上までを覆っている。

 火球が壁と激突し、激しく蒸発する音と、もうもうたる水蒸気とが発生した。

 あれは、氷の壁だ。

 徐々に火球は小さくなっていき、そして消滅した。壁はかなり抉られてしまっているが、貫通はしなかったらしい。一部、薄くなった壁が強度を維持できずに崩れ、地面へ落ちていく。

 アルマがこちらを見つめ、一言、吠えた。

 次の瞬間、オーリの目の前に白く濁った壁が出現する。

 反射的に跳び退ろうとするが、その背中はすぐに硬く、冷たいものに阻まれた。

 急いで視線を流す。彼は、周囲を、ぐるりと氷の壁に囲まれていた。

「砕け散れ!」

 叫ぶと同時、氷の塊が削がれ始める。それは周囲一面に、まるで霧のように氷結を飛散させた。

 オーリを囲みこんでから、一気に距離を詰めていたアルマは、躊躇いもせずに飛び上がり、壁の上部からその中へ跳びこむ。しかし、既に青年はそこから姿を消していた。

 氷の壁と、それを削ることで発生させた霧とに身を隠し、穿った穴から横っ飛びに移動したのだ。少し離れた場所にある、高さ二メートルほどの岩陰に隠れ、荒く呼吸を繰り返す。

「全く、雷撃に炎弾に氷壁か。順番に使い勝手を確かめてるみたいじゃないか。応用まで利かせて。……早いところ正気に戻って貰わないと、いつまでやり過ごせるか自信がないな」

 ともかく、近づかれるのだけは回避しなくては。

 アルマの魔術は、距離の遠近でさほど効果が違う訳ではない。

 だが、距離が開けば、相手に届くまで、確実に時間はかかる。

 その僅かな時間だけが、オーリの生命(いのち)を繋いでいると言ってもいい。

 しかし、彼は過ちを犯していた。

 どれほど距離を取らなくてはならないにしても、決してアルマを視界から外してはならなかったのだ。

 陽光の温もりも消えた岩の上で、喉の奥でぐるぐると唸るような音が、響いた。



 脂汗がじっとりと滲んで、気持ちが悪い。

 どれほど力を入れてもぴくりとも動かない拳に、苛立つ。

「あっちは派手にやっているな」

 のんびりと、世間話でもするようにグラナティスは言った。

 百メートルほど離れた場所では、激しい光や音が発生している。

「お前もあれぐらい荒れたのか? 下手をすると、王都が壊滅していそうだ」

「……いい、え」

 粘りつく唇を引き剥がし、小さく答える。ふぅん、と幼い巫子は気がなさそうに呟いた。

 エスタは、アルマとは違う。〈魔王〉の力を継ぎ、それに適した身体に産まれついたアルマと、殆どただの人間として産まれてきた彼とは。

 アルマには、下地がある。人為的に成熟させるには、少しばかり揺さぶってやれば、それでいい。

 しかし、エスタが〈魔王〉の力を発現させるには、そもそもの身体から作り変えねばならなかった。

 一昨日の夜のことを思い出すと、未だに叫びだしそうになる。

 身体中の血液が沸騰したかのように熱く。

 また、頭から氷水を浴びせられたかのように凍え。

 関節という関節が外れたかのように。

 腱という腱が断裂したかのように。

 骨という骨が砕けたかのように。

 皮膚という皮膚が爛れたかのように。

 内臓という内臓が潰れたかのように。

 絶え間ない痛みと恐怖とに呻き、啜り泣き、絶叫する。

 エスタの狂乱が周囲に被害を及ばさなかったのは、単に、それだけの気力も体力も残っていなかっただけにすぎない。

 彼を辛抱強くここまで導いてきた男は、一晩中傍につき、宥め、気遣ってはきていた。

 だが、時折垣間見せた、隠しようのない愉悦の混じった笑みが、脳裏から消えない。

 それはそれでいい。気を許すつもりはない。

 利用できるものは利用し、利用してくるものは切る。

 それだけだ。

 そのつもりではあったのだが、しかし、それは酷く困難を極めていた。


 まず、本当に身体が動かない。

 しかしそれは、巫子に対して反抗しようという意思のみが拘束されているようで、拳を緩めようとすればそちらはすんなりと動く。

 だがここで引いては、今までのことも、これからのことも全て無意味となる。

 エスタは歯を食いしばり、更に身体に力を籠めた。

 涼しい顔をしていたグラナティスが、ふむ、と小さく呟く。

「強情だな。そろそろ身を伏せるぐらいはしてみたらどうだ」

 瞬間、がくん、と膝の力が抜けかける。地に膝をついてしまいそうになるところを、ぎりぎりで堪えた。

「ぐ……っ」

 ほぅ、と、今度はやや感嘆したように幼い巫子は口にした。

 耐え忍ぶことには、自信がある。

 だが。

「なるほど。しかし、お前は一つ忘れているな。僕には、時間がある。世界中の時間が」

 火竜王の不死なる巫子が、薄く笑みを浮かべて告げる。

 彼がその気になれば、このまま何日でも、何年でもこうして自分を屈従させるために費やすだろう。

 それを脅しだ、と思わなかったわけではない。

 だが。

 それでも太刀打ちできないのが、この年月の重みだ。

 心を決めて、拳を緩めた。そのまま、地面に膝をつく。

 訝しげな視線で、巫子が見つめてくる。彼は、ここで思い通りになったと思うほど、容易くはない。

 力を入れすぎて固まりかけていた手を、ゆっくりと開く。そして、指に嵌められていた指輪を抜き取った。

「……お前、それは……!」

 グラナティスには、今まで気づかれていなかったらしい。それが、せめてもの幸運だ。

「我らが祖、〈魔王〉アルマナセルが為に」

 銀で作られた、蝙蝠の翼を持った龍の指輪。

「待て……!」

 珍しく動揺した火竜王の巫子が、直接手を伸ばしてくる。

 しかしそれは間に合う筈もなく、掌の中に握りこんだそれを、エスタは一息に嚥下した。


 知らず、数歩、後じさる。

 月は出ているとは言え、夜の草原で、足元は暗い。踵に石が当たって躓きかけるが、そんなことに怯えはしない。

 エスタは、口を掌で押さえたまま、動きを止めていた。大きく開かれた目が血走っている。

「……莫迦者が……」

 苦々しげに、吐き捨てる。

 エスタの指の隙間から、白い吐息が流れ出し始めた。

 白い、まるで水蒸気のような濃さの。

「貴様、あやつと契約していたな」

 それは詰問ではなく、断定だ。

 青年の血の祖、〈魔王〉アルマナセルとの契約によって、グラナティスはある程度その末裔たちを支配できる。

 だが、彼らと新たに契約を結ぶ者がいたとしたら。

 レヴァンダル大公家は完全に管理された一族で、そんな不測の事態は起きない筈だった。

 グラナティスが長く溜め息をつく。

「残念だ、エスタ。お前の生命(いのち)までは取るつもりもなかったが、これではそうもいかなくなった」

 片手を伸ばし、小さな指先を鋭く振る。一瞬、周囲に深紅の炎が散った。

「我が竜王カリドゥスの御名とその燃え盛る誇りにかけて、消し炭すら残らないように焼き尽くしてやろう」

 ぎろり、と、青年の瞳がその高位の巫子を捕らえた。




 ざわ、と悪意に背筋が凍る。

 オーリは周囲を確認する手間も惜しんで、地を蹴った。低く、できるだけ、遠く。

 しかし。

 すぐ傍らに、どん、という重い音がしたかと思うと、右腕を凄まじい勢いで持っていかれる。

 当然残りの身体もそれに引き摺られる。それでもカバーできない衝撃に、ごきん、と嫌な音が響いた。

「が……っ!」

 予測できない視界の揺れと激痛に、意識が一瞬遠のきかける。

 まずい。

 おそらくは右肩が脱臼した。脱臼は放っておいて自然に完治はしない。幾ら、今、オーリの治癒能力が高いからと言って、もうこのまま放置はできなくなった。

 地面に下肢を半ば引き摺る形で、ようやく止まる。

 痛みに声を上げそうになるのを堪え、視線を右へと向ける。

 アルマが、青年の右腕を片手で掴んで立っていた。

 彼が、全力のオーリに追いつき、かつ、その速度を物ともしない勢いで腕を引いたのだ。

 その、こちらを見下ろす悪意に満ちた満面の笑みが、実は正気に戻った故のものではないかと思い、ぞっとする。

「……アル……」

 細く名前を呼びかけたところで、笑みが深まった。反射的に体勢を立て直し、左腕で右肩をきつく固定し、強引にアルマを振り払って背後へ高く跳ぶ。

 オーリがここまで苦戦するとは、グランも考えはしていなかっただろう。

 それは第一に、〈魔王〉との契約による支配があるとないとで、対峙する時にどれほど差があるのかということを、グラン自身が読み誤っていた点がある。

 そしてもう一点。オーリが、三百年前に〈魔王〉アルマナセルがその衝動のままに荒れ狂った戦乱をそのただなかで目の当たりにし、そして生き残った唯一の者である、ということだ。

 それを伝え聞き、語り継ぐロマにさえ、その恐怖は染みついている。

 まして、生存者当人は、未だそれを克服しきれてはいなかった。

 彼ら〈魔王〉が理性的であれば、そして逆に意識がない状態ならば、それを押し殺すこともできる。

 だが、〈魔王〉が一度その破壊衝動に身を任せることになれば、世界がどうなるのかをオーリは痛いほど知っていた。

 こちらを見上げるアルマの姿が、小さくなっていく。

 次の瞬間、小さく膝を撓めたかと思うと、少年はもうオーリの目前に迫っていた。

「なに……!?」

 流石に驚愕する。

 慌てていて、手負いで、後ろに向かって跳んでいるという状況は、普段の彼にできる跳躍に比べると確かに高度が低い。

 だが、風竜王の高位の巫子には、空の高さは世界で自分一人のものだ、という自負があった。

 それが、こんなに簡単に追いつき、しかも自分よりもやや高く跳ぶ、とは。

 そして、空中でいきなり方向は変えられない。

 アルマは、とん、とオーリの胸元に爪先を触れさせた。

 飛翔ではなく跳躍である以上、彼らの軌跡は放物線を描く。それをちょうど重ねるように、しかも殆ど衝撃も感じさせない、とは、どれほどの技量の差があるのか。

 アルマの両手に、青白い炎が纏わりつくように発した。そして柔らかな声で、何かを囁きかけてくる。

 直後、急激に増加した重さに、オーリは大地に叩きつけられた。


 悲鳴を上げる余裕もない。

 何とか風の抵抗を最大限発生させ、落下の衝撃をできる限り緩めたものの、それで無傷でいられる訳もなかった。

 みしみしと全身の筋肉と骨が軋み、ぎりぎりと内臓が損傷を主張する。

 薄く開けるのがやっとの視界には、暗い夜空を背に、黒髪の少年が立っていた。

 そのシルエットを異形のものとする、長く伸びた角が絶望を煽る。

 彼の両手には、未だ青白い炎が宿っている。

 アルマは倒れているオーリへ無造作に馬乗りになると、その手で彼の首を包みこんだ。





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