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05

 薄暗くなった空の下で、思ったほど野営地は騒いでいなかった。ひょっとしてまだばれていないのか、と淡い期待を持ったほどだ。

 だが、荷馬を繋いでいる場所から数百メートル離れた丘の上で、二人の兵士が馬に乗って周囲を警戒していた。

 こちらに気づくと、一人は素早く野営地へ戻り、もう一人が駆足で向かってくる。

 覚悟を決めて、それを見つめる。

 声が届く距離まで来ると、一端足を止めた。距離があると、蹄の音で何を言っても聞こえないからだ。

「アルマナセル様?」

「ああ」

 短く答えると、ほっとしたように兵士は近づいてくる。

「姫巫女もご無事でしたか。ご案内致します」

「自分の野営地だ。自分で戻れる」

 素っ気なく応対したが、兵士は頑として譲らなかった。

「まずは副官のところへお出で下さるようにと言づかっておりますので」

 副官、か。

 覚悟はしているが、気が重い。

 視界の端に、ペルルが肩を落としてついてきているのが見える。

 そして反対側には、酷く気楽な表情のノウマードがいた。

 短く、息をつく。

 その場の誰にも、不審に思われない程度に。


 野営地で馬を下りると、数人の兵士が待機していた。

 馬の世話は彼らがする、というのでついでにノウマードの馬も頼んでおく。

 兵士が三人を案内したのは、予想通り副官の天幕だった。

 予想していなかったのは、彼が天幕の前で仁王立ちで待ち構えていたことだ。おそらく、天幕の中で待っていると思っていたのだが。数歩下がって控えているエスタも、険しい顔をしている。

 普段、部下に示しがつかないって小言を言う人間のやることじゃないよなぁ、と思いつつ、とりあえず先手を打った。にこやかな笑みを浮かべ、口を開く。

「お待たせしました、テナークス殿」

「アルマナセル殿……! 貴公、何を」

 勢いこんで声を上げる副官に、軽く手を振り、背後を振り向いた。

「ではペルル様、お疲れ様でした。彼に天幕まで案内させますので、ごゆっくりお休みください」

 指先で、傍にいた兵士を呼びつける。当の兵士は、吃驚した顔で副官とこちらを見比べていた。

「アルマナセル様、私からもお話を……」

「今後の行軍に関する相談がありますので、姫巫女にはご遠慮頂きたい。また明日、お会いしましょう」

 彼女へ優雅に一礼して、兵士をじっと見つめる。慌てて、彼はペルルを促して歩き出した。

「アルマナセル様、そちらは?」

 やや冷静な声で、エスタが尋ねてくる。視線は、一人残ったノウマードに向けられていた。

「ああ、彼はノウマード。今日、ちょっと世話になったんだ。彼は王都に行きたがっているから、一緒に行けば都合がいいと思ってね」

 ノウマードは僅かに驚いたように目を見開いたが、すぐに恭しく頭を下げた。

「なるほど」

 短く返事を返すエスタの顔からは表情が消えている。

「彼を頼む、エスタ。余りいい待遇はできないかもしれないが、構わないな?」

「勿論ですとも」

 楽しげな視線を向けて、ノウマードが快諾する。二人を見送ってから、殊更ゆっくりとアルマは副官に向き直った。

「……貴公は、何を……!」

「中で話しましょう、テナークス殿。こんなところで軍議は非常識だ」

 そこでようやくテナークスは言葉を飲みこみ、身を翻すと肩をいからせて天幕へと入っていった。

 入口の垂幕が完全に下りてから、長く溜息をつく。

 よし、と小さく呟いて、後に続いた。




 一時間ほど後に自分の天幕へ戻ると、エスタは穏やかな顔で待機していた。

「お疲れ様でした」

「……嫌味ったらしいな」

 眉を寄せて、呟く。それには反応せず、エスタは慣れた手つきでマントを取り去っていた。だが、普段つけているものではなく兵士のマントだったせいか、処置に困ったらしい。とりあえず傍らの椅子の背にかけている。

「お怪我はありませんでしたか?」

「ぶつけた。肩と頭だ」

 どさり、と椅子に座る。溜息をついて、青年は服に手をかけた。上着を脱がせ、中に着ていた肌着を大きくはだける。左腕の付け根近くが、直径五センチ程度の痣になっていた。

「痛みますか?」

 ゆっくりと押されて、僅かに顔をしかめる。

「もの凄くでは、ない」

 なら腫れてもいないし、大丈夫でしょう、と呟いた。アルマの頭に巻いている布をゆっくりとほどいていく。

「さて、一体何のおつもりだったのか、正直に話して頂けますね?」

 別にそんな意図はないのだろうが、しかしこの体勢は急所を握られているようなものだ。軽く肩を竦め、少年はざっくりとした説明を始めた。

「莫迦な真似をしたものですね」

 怒るよりも呆れたように、エスタは零す。

「俺がいないのを見つけたのはお前か?」

「ええ、まあ。でも、昼食の時間にはばれるとお思いにならなかったのですか?」

「ああ、飯を断っておけばよかったのか」

 減らず口に苛立ったように、ぐい、と少年の頭をねじ曲げる。

「痛ぇよ」

「我慢してください。……こちらも痣になっているぐらいですね。大したお怪我でもなくて幸運でした」

 片手に纏めていた布を広げ、手際よくもう一度アルマの頭に巻いていく。

「それにしても、あのロマですが。ノウマード、と言いましたか」

「知り合いだったか?」

 アルマの言葉に、小さく鼻を鳴らす。

「私がロマに近づく訳がないじゃないですか」

「そりゃそうだ」

 笑い声を立てると、じろりと睨まれた。まだ、彼の機嫌は直っていない。むしろ逆撫でしているのだから、当然だが。

「単語に聞き覚えがあるというだけですよ。確か、フルトゥナの方言で、『放浪者』という意味だったかと」

「放浪者、か。似合いすぎだな」

「偽名でしょうね」

 最後に布の緩みをチェックしていたエスタは、ぽん、と軽く頭に触れた。

「悪いな。……ノウマードから、目を離さないようにしておいてくれ」

「手配しています。テナークス様の方は?」

「適当にごまかした。納得はしていないだろうけど」

 ふむ、と顎に手を添えて、エスタが考えこむ。

「あの方は、マノリア伯爵の累系でしたね。手を回させましょうか」

「いや。俺もそれは考えたが、テナークスはどうも堅物に過ぎるな。逆効果だろう。むしろ、ハスバイ将軍からやんわりと言って貰った方がいい。どうせ、奴の報告は向こうにも回るんだ」

「了解しました。早馬を出しますか?」

「目立ちすぎる。次の街で、駐屯している士官にでも適当に伝言を頼もう。テナークスのものと二通持っていくことになるかもな」

 小さく笑い声を上げる。やれやれと言いたげに、エスタが頭を振った。

「どうせこの先軍人になる訳じゃない。帰国するまで無難に過ごせればいいさ」

「だったらこんな真似はもう二度としないでください」

 脱がせたままだった上着を着せ直す。それについては約束せず、アルマは立ち上がった。

「さて、じゃあ行くか。マントを頼む。いつものだ」

「どちらへ?」

 戸惑ったように、青年が尋ねた。いつもなら、このまま夕食を摂り、その後に就寝するだけだ。

 にやり、とアルマは笑みを浮かべた。

「ペナルティだとさ」




 テナークス副官は、苦虫を纏めて噛み潰したような顔をしていた。

 行軍の間、大抵の場合士官はそれぞれの天幕で夕食を摂る。軍議を兼ねるか、親睦のために度々一同に会することはあったが。

 しかし、今回アルマとペルルが無断で軍を抜け出したことで、副官は夕食を三人で摂ることを要請してきた。つまりは見張られている、という圧力をかけたかったのだ。

 ペルルは、改めて姫巫女の衣装をつけ、額にはアクアマリンのサークレットを頂いている。今日のことで彼女を叱責する者はいないが、やや気落ちした様子だった。野営地に戻ってから食事が始まるまで、かなりの時間があった。その間が、即ちアルマが責められていた時間だと考え、責任を感じているのだろう。

 しかし、アルマの方は全くそれらを気にした様子はない。姫巫女に明るく話しかけているのを視界の端に捕らえて、生真面目な副官は魚料理に必要以上に強くナイフを突き立てた。

 実のところ、ペナルティになっているのはテナークスに対してだけじゃないのかな、と少年は内心思っている。



 同時刻、野営地では、下級兵士も連隊毎に夕食を摂っていた。

 彼らの食事は、勿論仕官のものとは違う。パンを何切れかと、薄切り肉の浮かんだスープぐらいだ。だが、戦闘の危険もさほどなく、温かい食事が摂れるだけでも、彼らは幸運だった。

 その中で、一人、軍服姿でもないノウマードは酷く目立つ。兵士たちから物珍しげに話しかけられるのに時間はかからなかった。

 雑多な話題は、やがて愚痴へと移り変わっていく。

「故郷を出てからもう一年になるしなぁ」

「酒も飲めねぇし女もいねぇ」

「まあ運よく怪我一つしねぇで早く帰れるから、それだけでもありがたいが」

 にこにこと愛想よく聞いていたノウマードに、やがて矛先は向けられる。

「お前、ロマなら何か歌え!」

「そうだ踊れ!」

「いや男の踊りを見ても楽しくないでしょう……」

 呆れて呟きながらも、青年は背に負っていたリュートを手にした。

「まあ、これからしばらくお世話になることだしね。では、名誉あるイグニシア王国軍の皆様に敬意を表して、先の大戦でも語りましょうか」

 軽く楽器を鳴らすと、その音を聞きつけた兵士たちがぞろぞろと寄ってくる。

 期待に満ちた視線の中央で、すぅ、とノウマードは息を吸いこんだ。




 世界に、三柱の竜王あり。

 炎を司りし竜王、カリドゥス。

 水を従えし竜王、フリーギドゥム。

 風を纏いし竜王、ニネミア。

 竜王は世界を循環させ、おのおのを崇める民を持ち、長き年月を穏やかに過ごしけり。

 竜王の加護のもとに、民は増え、栄え、やがて三つの王国が興れり。


 其は[奇襲王]イーレクスが未だ王子であった御代(みよ)

 風竜王を祀りし国、草原のフルトゥナは騎馬の民なり。広大なる大地を野蛮なる盗賊が跋扈(ばっこ)し、善良な商人を襲い、多大なる宝物を奪い、女子供を連れ去れり。

 幾たびも使者を送れども、風竜王の邪悪なる巫子は嘲笑い、使者の首のみを送り返したり。

 悩みし若きイーレクス、愛らしき妹姫レヴァンダの輿入れまでもフルトゥナより望まれ、遂に戦を決意せん。

 然れども、草原を移動する民を殲滅するは、地を這う蟻を残らず踏み潰すよりも難し。

 火竜王の幼き高位の巫子グラナティス、火竜王と水竜王、自らの民の暴虐に心痛めし風竜王の魂に呼びかけり。

 三柱の竜王、その力合わせ、はるか煉獄より一柱の〈魔王〉を召喚せん。

 〈魔王〉アルマナセル、その巨躯は見上げんばかり、巨大なる山羊の角を持ち、煮えたぎる眼窩より巫子と王子、美しき王女を見下ろせり。

「煉獄を支配せし〈魔王〉よ、我らが戦に手を貸したまえ。悪逆非道たるフルトゥナの民を殺戮し、王都を破壊せよ。竜王宮を灰燼(かいじん)()し、卑劣なる堕ちた巫子を煉獄へと堕としたらん」

 〈魔王〉アルマナセル、地の底より轟くような声を放ちたる。

「ならば巫子よ、勝利への報いとして我が願いを聞き入れよ」

 言葉一つ一つにつき、長き牙より炎が滴り落ち、それを浴びた巫子グラナティス、その身体が不死へと変わりたり。

「我が竜王カリドゥスの名に於いて、汝が願い聞き届けん。疾く述べよ、〈魔王〉よ」



 息を飲んで聴きいっていた兵士たちは、続く歌に大きく喝采を上げた。





 肉料理が供された頃に、野営地の一角がざわめいた。

 今、食事用のテーブルを並べている天幕は、周囲を覆っておらず、屋根だけが頭上に被っている。離れているとはいえ、一般の兵士も交代で食事を摂っている時間であり、静寂を望むことは無理だったが。

「何の騒ぎでしょうね」

 つけ合わせの根菜を、アルマが口に放りこむ。

 テナークスが、傍らに控えていた兵士を呼びつけた。兵士は命令を受けて、素早く走り出す。

 数分後、戻ってきた兵士は当惑した口調で報告した。

「歌を歌っております。その、指揮官がお連れになったロマが」


「何か煽動するようなものか?」

 だったら放り出す口実にはなるな、とそれこそ恩知らずなことを考えながら、アルマは尋ねた。

「いえ、先の大戦の歌で、どちらかと言えば志気を鼓舞するものでした。世話になる代わりに、ということらしく」

 副官の眉間に、深く皺が寄る。

「なら、今は放っておけ。気晴らしになるなら歓迎だ。だが、イグニシア軍やこの闘いを非難するような曲調になりそうなら、強引にでも止めろ」

 アルマの言葉に、兵士はちらりと副官へと視線を向ける。渋い顔のまま、それでも小さく頷くテナークスを確認し、一礼した後、兵士は騒ぎの中心へと戻っていく。途中で数人が合流していった。

 ペルルが、そわそわとそちらの方向を気にしている。

「いかがされました、姫巫女」

 アルマの問いかけに、僅かに頬を染める。

「いえ、その、私は、今までロマの方の歌を聴いたことがなくて。竜王宮で奉じられる楽とは違うのですよね。ちょっとどのようなものか、聴いてみたいと思いまして」

「私も聴いたことはないですね。こっそり聴きに行ってみましょうか」

 少年が軽く言いかけるが、そこで副官が低く咳払いをした。

「……いや、食事が終わったらノウマードをここへ呼びましょう。兵士たちのお楽しみを邪魔してはいけません」

 やんわりと面倒事を回避したアルマに、嬉しげにペルルは、はい、と微笑んだ。



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