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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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14

 一瞬、ぐっ、と押さえつける重みが増して、思わず小さく呻く。

 しかし次の瞬間にそれは失われ、次いで顔の横でだん、と弾けるような音がした。

「ぁああああああああああああっ!」

 エスタが、拳を固め、グランへ向けて地を蹴っている。

 岩の残骸を跳び越えかけたところで、アルマは何とかその身体を捕獲した。もつれ合って、瓦礫の上から大地へと転がり落ちる。

 身体を打ちつける痛みを無視して、がむしゃらにエスタを押さえつける。

「つまりはこういうことだ。雑種如きが調子に乗るな」

 爪の先すらその身に掠らせなかったグランが、嘲るように言い放った。

「お前もちょっとは黙ってろよ!」

 流石に苛立ちが勝って、肩越しに怒鳴りつける。

「君は、たまには面子よりも優先すべき事態があるんだってことを学習した方がいいんじゃないかなぁ」

 ぽつり、とオーリが呟く。幼い巫子が肩を竦めた。

「僕たちにとって何より大事なのは、民と竜王だ。そうだろう」

「ん? うん」

 突然話が変わって、戸惑いつつオーリは頷いた。

「民に向ける面子がある以上、それを簡単に崩すことはできんさ」

「いやそれ解釈違う。多分」

 即座に否定してきたが、気にする様子もない。

「何故止めたのですか!」

 エスタは大きくもがいて、アルマを睨め上げた。

「落ち着け!」

「落ち着いています! 何故、貴方は私を止めたのです? お考えください、アルマ様!」

 そこまで怒鳴りつけて、青年は答えを待つように言葉を切った。頬は怒りに紅潮し、息が荒い。

「何故ったって……。相手はグランだぞ」

「相手が高位の巫子だから、ですか?」

「ああ」

 彼が何を言いたいのか判らなくて、とりあえず頷く。

「義務と忠誠の対象だからですか? ですが、今、アルマ様が受けた侮辱は、そのようなものは全く意味を失くさせるほどのものではないですか!」

「あー……いや、でも、今更だからなぁ」

 自分のために怒ったのだろう、ということが察せられて、言葉の勢いが落ちる。それだけに、この今更感が酷く物悲しい。

 だが、エスタは更に言い募った。

「今更、ではございません。貴方がそうやって、あの巫子に屈するのは、奴がそのように仕組んでいるだけのことなのです」

「エスタ……?」

 目の前の、怒りにぎらつく瞳に、別種の熱が宿る。

「お教え致しましょう。レヴァンダル大公家の真実と、あの巫子の蔑むべき企みを」

 無理矢理に片手を伸ばし、アルマの額へ近づける。

 その指に、無骨な、蝙蝠の翼を持つ龍の指輪が嵌められているのを、アルマは最後の瞬間に確認した。



 ひやり、とした感触が、額の中央に触れる。

 巫子たちが宝石を戴いている場所と同じだ、と、場違いにその血の(すえ)は思う。

 そして次の瞬間、膨大な量の情報が湧き上がり、彼の思考を埋め尽くした。

 父親が、祖父が、そして肖像画でしか見たことのない先祖たちが立ち代り現れる。

 その中心には、常に幼き巫子、グラナティスの姿があった。

 そして、とうとう、〈魔王〉アルマナセルが姿を見せる。

 その強大な魂に触れ、自我を擂り潰されるような圧力に呻き、啜り泣き、そして、声の限りに、絶叫した。


 アルマは大地に蹲っていた。

 両手で腕を抱き、がたがたと震え、低い呻き声が漏れている。

 そして、先ほどまで彼に取り押さえられていたエスタは、彼と巫子たちとの間で、まるでアルマを庇うように身構えていた。

「……で、あれは放っておいていいのかい?」

 既に半ば傍観者と化していたオーリが尋ねる。

 彼は、今までにアルマが魔力を制御できない状態にあるのを、ニ度、目にしている。今回の様子も、一見それに酷似していた。

 グランがひらりと片手を振った。

「気にすることはない。大公家が今までに辿った道筋など、あいつの魂に契約と共に焼きついている。あの下僕が何を吹きこんだか知らんが、書き換えることなど不可能だ」

 そのまま一拍置いて、言葉を継ぐ。

「尤も、副作用はあるが」

「……先に一言言おうという気になってくれたあたり、進歩なのかな」

 僅かに視線を逸らせて、呟いた。

「奴の角が、アルマのものよりも長いのに気づいていたか?」

「それはまあ、見ればね」

 とりあえず同意しておく。もの言いたげな言葉は気にせず、グランは続けた。

「アルマも、今後成熟していけば、あの程度までは伸びると考えられている。つまり、形としてはあれは〈魔王〉としての完成形に近い。だが、思ったよりも早く事態が動き出してしまったために、アルマがまだ未熟な時点で僕たちも動き始めなくてはならなくなった。どこか、適当な時に揺さぶりをかけて、一気に伸ばそうと思ってはいたんだ。時期としても、場所としてもまあまあだし、わざわざあれを止めることはない」

 勿体ぶった説明を理解しようと、眉間に皺を寄せる。

「つまり、副作用、っていうのは、彼にその揺さぶりがかかるってことか?」

「ああ」

 グランは、どこまでも平然としている。

「多分それは大事なことだと思うんだけど、彼に任せてしまっても構わなかったのか?」

 この、〈魔王〉の(すえ)の管理者を自認する少年が、やむをえない状況とはいえ、他人に全てを任せるとは少し考えにくい。

 だが、相手はあっさりと言葉を返す。

「汚れ仕事をしなくてもいいなら、僕がわざわざ引き受けることもないだろう」

 オーリが、改めて視線をアルマに向ける。

 少年から漏れる呻き声が、やや大きくなってきたように思える。吐息が、白く濁ってきていた。

 南方の地とはいえ、ここも冬だ。しかも夜ともなれば、当然息も白くなる。

 だが、彼ら巫子たちに比べ、アルマの息は徐々にその色を濃くしていっていた。

 推測できることは、一つ。彼の体内の温度が、上昇してきているのだ。

「……嫌な予感がしてきたよ」

「察しがいいな」

 オーリが小さく溜め息をつく。

「実際、先刻(さっき)君たちが罵り合ってた時点で、私はかなり帰りたい気分になっていたんだけど」

「竜王の(しとね)に戻りたいなら、好きにすればいい。まあ、下手をすると明日の朝にはあの砦は原型を留めてないかもしれないが」

「本当に君は嫌なところを衝くね。……色々と」


 ぱき、と小さな音が響いた。

「ッぁああ!」

 びくん、と少年の身体が撥ねる。

 ぱきぱきと、めきめきと、ばきばきと、その音は大きくなっていく。

「ぅ、あ、が、ぁあ」

 呻き、すすり泣くような声が滲む。

「アルマ様……」

 エスタが気遣わしげに視線を背後に向けた。

 幼さを残す手が、虚空を掴むように、救けを求めるように、伸ばされる。

 一瞬、その手を取ろうとしたのか、青年が身体を捻りかけた。

「……グラ、ナ、ティ」

 しかし、小さく漏れた声に、凍りつく。

 火竜王の高位の巫子は、平然としたままそれを見つめていた。

 そして。

「ぁああああああああ!」

 絶叫と共に、まるで骨が割れるような音が一際大きく、響いた。


 長い、呼吸音だけが漏れる。

 俯き、ただ身体を庇っていた少年が、ずるり、と顔を天へと向けた。

 暗い空を背に、白い吐息が流れていく。

 その青褪めた顔には、目の下にくっきりと隈が浮き出ている。

 そして、艶やかな黒髪の間から生える一対の角は、ほんの十数分前に比べ、三十センチ近く伸びていた。

 灰色の角の表面が、ねっとりと濡れたように光っている。

「アルマナセル、様」

 エスタが小さく呼びかけた声に、ゆらり、と上体が揺れた。

 息を飲んで、オーリが素早く傍らのグランを小脇に抱えた。

 次の瞬間、ほんの一歩で、二人の〈魔王〉に肉迫する。

 驚愕に声すら出せないエスタの首根っこを乱暴に掴み、大地を蹴った。

 そして、その背を追うように、凄まじい爆風が周囲に放たれていた。


 バランスを崩し、大地に倒れこむ。何度か跳ね飛ばされ、なす術もなく転がって、ようやく彼らの身体は止まった。

「いたた……」

「もう少し丁寧にやってくれ、オリヴィニス」

 砂の混じった唾を吐き、苦々しげに口を拭いながらグランが文句をつけた。

「贅沢を言わないでくれよ。大体、君一人だけならともかく、大の男を抱えてなんか跳べない、って、昨日も言っていただろ?」

 それでも、吹き飛ばされたせいでもあるが、アルマからは百メートルほど離れられた。

 ばりばりと放電する空気を遠目に見ながら、地面に座り、息を整える。

「……何故、私を連れてきた」

 何とか身を起こし、不審に満ちた目でエスタが尋ねる。

「幾ら〈魔王〉の血を引いてるからって、魔力の制御ができなくなったアルマの力が直撃したら、そうそう無事じゃいられないよ。あの近さなら、尚更だ」

 さらりとオーリが返した。

「だから、何故放っておかなかった! お前が、私を気遣う理由など」

「私は、別に、君のことをそんなに嫌いじゃなかったけど。君だってそうだろう?」

 頭を振って、土を払い落としながら告げる。枯れた草が数本、風に散った。

「……ロマ如きが、何を思い上がったことを……!」

 憎々しげに、エスタは吐き捨てた。

 真っ直ぐに、オーリはそれを見つめている。

「うん。私たちの間にあったのは、ただの警戒心だ。アルマは、あっさりとそれを越えてきた。年長者として、私たちに同じことができない訳がない」

 戸惑ったような視線を向けられる。オーリがふい、とアルマを見ると、つられたようにエスタもそちらを向いた。

 少年の周囲十メートルほどに、眩く光る雷光が踊っている。

「まあ、それはとりあえずさておき、だ。あの彼を、君たち二人は何とかできるんだろうね?」

 少しばかり疲れたような声で問いかける。

「当たり前だ」

「貴方がたに、アルマ様をどうこうはさせません」

 きっぱりと断言して、二人が立ち上がる。

 小さく笑って、オーリは掌を大地についた。やや背後に体重をかけて、座り直す。

「それじゃ、任せたよ。できるだけ、被害が出ないようにやってくれ」

「その言葉、そっくりお前に言っておこう」

 しかし、グランは無造作にそう返してきた。

「え?」

 その言葉が理解できなくて、風竜王の高位の巫子が眉を寄せて問い返す。

 グランは、微塵も躊躇わずに、続けた。

「アルマはお前が止めろ」

「……え?」

 掠れた声を掻き消して、雷に打たれた岩が一つ、砕け散っていた。


 びりびりと震える空気を撥ね除けるように、片手を振る。

「ちょっと、何の冗談だ? あれを、私が止めろって?」

「アルマ様を『あれ』呼ばわりとは何だ!」

 一瞬で、エスタが激昂する。

 しかし二人の巫子は、それをきっぱりと無視した。

 オーリが逆らうのも、無理はない。

 〈魔王〉の血筋を持つものを制御できるのは、〈魔王〉アルマナセルと契約している火竜王の高位の巫子、グラン一人である。

 いくら同じ高位の巫子であり、竜王の御力を使えるとはいえ、オーリでは明らかに荷が重い。

「なに、適当に注意を惹きつけて、牽制して、被害が拡大しないようにしていればいい。ある程度発散したら、おそらく落ち着くだろう。それまで、この辺り一帯が焦土と化さないように気をつけることだ。僕の手が空いたら、加勢に行ってやってもいい」

「気が向いたらなのか……」

 うんざりしたように呟いて、立ち上がった。

「で? 君は何の用事で忙しい予定なんだ?」

 嫌味っぽく訊いてみるが、勿論堪えた様子もない。

「決まっている。そろそろ、聞き分けのない雑種を躾けてやる頃合なんだ」

 薄く笑みを浮かべ、言い放った幼い少年の額には、まるで血に染まったようなルビーが煌いていた。


 ざわり、と悪寒を覚えて、身構える。

 この巫子と直接対峙したのは、十年ぶりだ。勿論、その時から今日まで、彼はエスタを歯牙にもかけていなかった。

「……絶対に関わり合いになりたくない用事だね」

 溜め息をつきつつ、ロマがこぼす。

「ならば早く行け。邪魔になるから、あまりこちらに近づけるな」

「要求が多いよ」

 小さく呟いて、踵を返す。

「待て……!」

 エスタが放った静止の声を、しかし全く意に介した様子もなく、彼は地を蹴った。そのまま、十メートルほども飛び上がる。

「な……!?」

 自分の目にしているものが信じられない。

 人間が、あれほどの高さを跳べる訳がないのに。

 先ほど、あのロマに引っ張られた時は状況が混乱していて、事態を把握できていなかった。だがよく考えれば、あの数秒でここまでアルマから離れられたというのは、尋常ではない。

「ほぅ。あの下僕は、お前に詳しい事情を教えていなかったようだな。まあ、信用されていないのも無理はないから、そう悲観するな。所詮、お前は捨て駒だ」

 グラナティスは、相変わらず嘲りの混じる口調で告げてくる。

 それも、当たり前だと思っていた。

 一昨日までは。

「私からしたところで、あの男は捨て駒だ。向こうにそう思われていたところで、どうということはない」

 低く言い切って、相手の隙を伺う。

 あのロマは、既に着地してアルマへと迫っている。今更追いつけはしないだろうが、こんなところに留まっているわけにはいかない。

 グランは、三百年も生きているとはいえ、その身体はまだ幼い。決して鍛えている訳ではないし、一撃でも入れて走り出せば、充分置き去りにできるだろう。

 彼への殺意は否定しないが、今大事なのは、アルマの身柄だ。

 あの真実を理解してくれれば、きっと。

 だん、と一歩踏み出した。腹の横で握り締めていた拳を、鋭く放つ。

「止まれ」

 ただ、一言。

 投げやりにも似た態度で口にしたそれが、エスタの身体を凍りつかせた。

「な、に……?」

 驚愕に目を開く青年の前で、幼い巫子は嘲笑う。

「我が竜王の御名など、お前には勿体ない。その血に流れている契約の欠片だけで、僕に服従するには充分だ」

 何か、決定的なものを失ってしまいそうな予感と共に、エスタの背筋に汗が流れた。




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