13
襲撃者のマントが燃え上がる。
小さく叫び声を上げ、彼はアルマから離れた。
「エスタ!」
掠れた声で、叫ぶ。
青年は、素早く火が点いたマントを脱ぎ捨て、アルマがほっと息をつく。
背後の岩の上に、すたん、と何かが降り立った音がした。
「全く……。最近、私は君の危機に駆けつけてばかりのような気がするよ」
呆れたような声が、降りかかる。
見上げると、風竜王の高位の巫子が月を背にして岩の上に立っている。その腕の中、横抱きにされた形で火竜王の高位の巫子もいた。
「フットワークが軽い友人がいて、ありがたいね」
アルマが、軽口を叩く。
先ほど放った、光球。それはまず、呪文を封じられていても使える魔術として、この一ヶ月最もよく使用したものを選んだ結果だ。
そして、アーラ砦は、ここからさほど遠くない。アルマが魔術を放ち、それがすぐ途切れたということは、グランにはすぐに知れる。
更に、上空まで打ち上げたことで、風竜王の祭壇の間にいるかもしれないオーリの目に留まることは、充分考えられる。
こうしてさほどの時間が経つこともなく二人がやってきたからには、大体思うように運んだのだろう。おそらく、オーリが文字通り跳んできたに違いない。
「ところで、アルマ。あれは、一体なんだ?」
推測するまでもなく、一切の躊躇いもなしに炎を放ったのであろうグランが、小脇に抱えられたままで無造作に指さした。
そこにいるのは、無言で立ち尽くす一人の青年。
月光に明るく照らされ、頭部が異形のものとなった影を、地面に落していた。
「エスタ……。お前」
数秒とはいえ、炎に巻かれたにも関わらず、その肌には火傷の一つもない。こちらも一本たりとて焦げた様子のない黒髪の、こめかみの辺りから一対の角が生えていた。
それはアルマのものと比べても、長い。根元で軽く一周して、そのまま先端が顎の近くまで伸びている。ずっとフードを被っていたのは、それを隠していたためか。
「ああ。どこかで見たと思えば、お付きの人か。しばらく会わない間に、酷く面変わりしたんじゃないか?」
軽く、オーリが口を開く。
だが、エスタはそれに取り合わなかった。
「ノウマード……。それに、グラナティス。失望しましたよ、アルマ様。恥も外聞もなく、救けを呼ぶだなんて」
「しばらく頼りになる部下がいなかったもんでね。学習したのさ。手に負えない事態は、信頼する友人と分かち合うに限るって」
挑発気味に告げた言葉に、エスタの顔が僅かに歪む。
「全く、空々しいことを言うもんだね。君たちはどこかで彼の育て方を間違ったんじゃないか?」
呆れたように、オーリが口を挟んだ。
「一緒にするな」
異口同音に、保護者たちが断言する。
「ところで僕の質問に答えていないな。お前は一体、何だ?」
誰、とすら尋ねられない。
エスタは口を開いたが、それはグランの言葉に答えるためではなかった。
「砕けろ」
短く命じたと同時、アルマの背後、巫子たちの立つ岩が一瞬で弾けた。
「うわ、た、た」
小さく呟いて、オーリが頼りない足場を軽く蹴る。それだけで安全圏まで跳び退いて、身軽に大地に降り立った。ついでにグランも傍に下ろす。
アルマは、慌てて頭上から降り注ぐ岩の欠片から逃れようと、足を踏み出した。
瞬時にその目前に迫ったエスタが、彼の胸倉を掴み、強引に引く。
「が……っ!」
地面に叩きつけられて、息が詰まる。
「アルマ!」
がらがらと崩れ落ちる岩の向こう側で、オーリが叫んだ。
「何度虚を衝かれるつもりだ、お前は」
僅かに呆れた風に、グランは呟く。
少年を拘束したまま、エスタは幼い巫子を睨みつけた。
「アルマ様を侮辱されるのは、許しません。私は、この方の剣です。剣が主人よりも弱くあってはならない」
エスタの立場を量りかねて、苦痛と共に眉を寄せた。
「お前はもう、剣には見えんな」
皮肉げに、グランが告げる。
「……そうですね。過去形になるかもしれません」
ひっそりと、エスタは呟いた。
「私が何なのか、お話ししましょう。少なくとも、アルマ様には、それを知る権利があります」
「レヴァンダル大公家では、代々、子供は嫡子一人しか産まれていません。それは、グラナティス、貴方が生産管理をしていたからですね」
「生産管理?」
オーリが繰り返す。
「ああ。別に隠していた訳じゃない。婚姻にあたって、夫婦にはきっちりと説明している」
あっさりと管理者が認めた。
「つまり、子供は一人しか作るな、って? それはちょっと酷なんじゃないかな」
オーリの言葉に、視線を上げる。
「そうは言うが、〈魔王〉の血を引く子供が何人もいて、管理がきちんとできると思うのか? 一人でも持て余し気味だというのに。しかも、もう九代目だぞ。好きに産ませていたら、どれだけの一族になったと思っている」
「いや、だけど……」
更に言い募ろうとする青年を、遮る。
「そもそも、複数の子供を産もうとすると、母胎が保たない。〈魔王〉の血が、彼女たちにどれほどの負担を強いるか、お前は知らないだけだ」
そこまで言われて、ようやくオーリは黙る。
「ええ。ですが、母親が変われば、可能ですね」
エスタが再び話を進めた。
グランが眉を寄せる。
「……まさか」
「先代の大公閣下であり、アルマ様の御祖父様、リアンステッド様が、使用人の一人にお手をつけられ、そして産まれたのが、私の母親です」
僅かに視線を逸らせ、グランは舌打ちした。
「リアンステッドか……。あの莫迦者が、王都に戻ったら地下墓地を冒涜してやる」
「酷いな、君は!」
憎らしげに呟く少年に、反射的にオーリが返した。
「お聞きになりましたか、アルマ様。私にしてみたら、あの巫子に少しでも人の心があるとでも思っていたことが驚きですが」
嘲るように、エスタが告げる。
「……今の話は、本当なのか?」
地面に押しつけられ、身動きが取れないようにされている身体の痛みも無視して、アルマが呟く。
「ええ。ですが、ご安心ください。大公家の嫡子は、貴方一人です。母は所詮は庶子ですし、よく言って傍系といったところでしょう。貴方が大公家を継いでくだされば、私にとって、これほど嬉しいことはありません」
「俺は、そんなことが聞きたい訳じゃ……」
幼い頃から傍にいて、誰よりも信頼し、その身を預けていた青年が、実は血の繋がった従兄だったのだ。
父親と、会ったことすらない母親以外に、血の繋がりがある者は誰もいないと思っていたのに。
「そうだな。そんなことが聞きたい訳じゃない」
焦れて返した言葉を、グランが遮った。
「僕は、少なくとも出征前のお前を見ている。その時まで、お前に角は無かった。〈魔王〉の血を引いているからと言って、それだけで魔術が使える訳ではないし、まして角が数ヶ月で生えてくるなど」
「数ヶ月、ではありません。一晩です。一昨日の晩、私は、〈魔王〉の血にこの身を委ねました」
「貴方がたが姿を消した後、私はひたすらその行方を捜していました。情報を求めていた私に協力してくれたのが、王宮の人間です。彼には彼の意図があったのでしょうが、それでもそれに縋るしかなかった」
「誰だ、それは?」
眉を寄せ、幼い巫子が尋ねたが、エスタはそれを完全に無視した。
「一昨日、ようやく貴方がたがどこにいるか掴めた、と彼は私を呼び出しました。それは遙か遠い地で、追いつくのに何ヶ月もかかると。ですが、私が協力をすれば、一日で済むとも言われたのです」
嫌な予感が、胸に兆してくる。
「それは……、何だ?」
掠れた声でアルマが尋ねるのに、微笑を浮かべて角を戴いた青年は続けた。
「彼の詳しい説明は、私にもよく判りませんでした。ですが、彼は何らかの力を使うことにより、私を遠く離れた地へ送りこむことができるのです。ただ、普通の人間では、肉体がそれに耐えられない、と。〈魔王〉の血を発現させれば、充分に耐えられると断言しました。……それで、私はそれに従ったのです。アルマナセル様のために。レヴァンダル大公家の、ために」
グランが、口の中で小さく罵った。
「そういう言葉を使われるのは止めて頂きたい。レヴァンダル大公家は、貴方の道具でも、まして玩具でもありません。場合によっては、竜王宮を潰してでも、私は大公家を護ります」
毅然として、エスタは宣言した。
「ほう? 随分と懐柔されたものだな。僕たちが王都を出て、一ヶ月か。竜王宮につけいる隙を残していかなかったから、貴様を見つけ出したのだろうが、この短期間でここまで仕上げるとは、あいつもなかなか勤勉だ」
「……何をおっしゃりたいのです」
嘲るようなグランの言葉に、あからさまに不快な表情を見せる。
「お前は、僕が大公家を使うのが気に入らないのだろう。その是非は、一旦置く。そもそもお前には関係ないのだからな。だが、そう言っているお前が、あいつにいいように使われ始めているのに気づいているか?」
「使おう、としているのには気づいていますよ。ですが、そうそう思う通りになってやるつもりはありません」
強気に言い返すが、グランは動じる素振りもない。
「お前が、あいつを逆に利用してやるつもりだと? 無理なことをするな。あいつは、お前の理解が及ぶべくもなく老獪で、狡猾で、そして邪悪だ。悪いことは言わん。あれから離れた方がいい」
「……貴方は、彼を知っているのですか?」
エスタの声に、ややおぼつかない響きが混じる。
「金髪に青い目の、色の白い、二十代半ばほどの男だろう。長いつきあいだよ。顔を合わせたことはさほどないが。再度言おう。あいつは、竜王宮の、民の、ひいては王家の、そして世界の、敵だ。絶対に関わるな。お前とて、〈魔王〉の裔に連なる者だ。奴に堕とされるのは、忍びない」
グランの真剣な言葉に、ふらふらと、エスタの視線が動いた。迷っているのだ。
息を殺して、アルマはそれを見守った。
そう、火竜王の高位の巫子グラナティスは、尊大で傲慢ではあるが、決して過ちを犯さないし、絶対に竜王の庇護を受けるべき者たちを見捨てない。
幼い巫子の唇が、笑みの形に歪む。
「例え、お前が救いようがないほど愚かな雑種だったとしてもな」
無意識にだろう、アルマを押さえつけるエスタの腕に、力が入る。
「ぅおいっ!」
反射的にアルマが怒声を上げた。
「何だ?」
不思議そうに、グランが問い返す。
「いやー……。君は、本当に大事なところで一言多いよねぇ」
しばらくの間、口も挟まずに様子を伺っていたオーリが、呆れた口調で呟いた。
心外だ、とでも言いたげに、幼い巫子はそれを見上げる。
「……竜王宮と、民と、王家と、世界の敵だ、とおっしゃいましたね」
軋むような声で、エスタは問いかけた。
「ああ」
「それは大公家の、〈魔王〉の裔の敵ではない! 私には、それで充分だ!」
青年は片手を上げ、掌をまっすぐにグランへ向ける。
「死になさ--」
「消えよ、雷鳴!」
ばちん、と音がして、伸ばされた手が弾かれる。
エスタが、組み敷いているアルマを見下ろした。
咄嗟に魔術を放つ場合、やはり呪文がないというのは無理だ。だが、まだ魔術を扱いだして間もないエスタには、集中を乱す程度でも役に立つ。僅かに息を荒げ、アルマは青年を見上げた。
「止めろ、エスタ」
「アルマ様……」
「いいから、止めろ。五分待て。俺があいつと話す」
「ですが……」
「待てと言っている!」
圧倒的に不利な体勢で、相手の意思を捩じ伏せる。エスタが口を噤むのを確認して、動きにくい身体で巫子たちへと視線を向けた。
「グラン。俺、一度、王都へ戻るよ」
「莫迦なことを言い出すな」
まあ思った通り、グランは快諾しなかった。
「でも、一応、ここで俺がやることは終わったんだろう。こっちにはノウマードたちもいるし、俺がいなくても身は護れる。一度帰って王宮に姿を見せて、ちょっと牽制しておけばしばらくはごまかせる筈だ」
我ながら、かなり行き当たりばったりな策であることは否定できない。
「もう今までのように、ごまかしごまかしで行ける状況じゃない。僕たちが王都を出て、奴はこちらが決定的に一線を越えたことを知っている。お前やその男を、むざむざあいつの手の中に落してやるようなことはできん」
「……グラン」
それでも、何とか落ち着かせてやりたいのだ。
「大体、お前が王都に帰還したところで、そいつが元通りになるわけではない。そいつは、既に乖離している。人の姿にも戻れん。魔術を使えなくなることもない。お前に殺意を向けた時点で、剣としての役割すら失った。このまま戻っても、お前の傍に、もうそいつの居場所はない」
「頼むよ、グラン」
十年もの間、傍で忠実に仕えてくれた、彼を。
「家族、なんだよ」
声が、僅かに震える。
エスタが鋭く息を飲んだ。
大きく、グランが溜め息を落とす。
「いい加減に立場を弁えろ。犬なら犬らしく、ただ、忠義を僕に捧げていればいい」




