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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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10

 レヴァンダル大公子、アルマナセル。

 母親には、産まれてからこの方、一度も会ったことはない。

 父方は代々子供が一人きりのため、全く親戚というものはなく、母方の親戚とは一切縁がない。

 王宮を訪れても、彼に近づいてくる貴族はまずいない。

 教育は家庭と火竜王宮とが引き受けており、学友というものも持っていなかった。

 自然、歳の近い友は一人として存在しない。

 その環境で、彼は六歳までを過ごした。


 四歳を迎えた辺りから、アルマは月のうち十日ばかりを竜王宮で生活し始めていた。

 生まれつき角を持っていた彼は、おそらく魔術を使える可能性が高いと見込まれていたからだ。

 そして予想通り、徐々にその力の片鱗を見せ始めており、高位の巫子グランは慎重にその力を導いていた。


 その日、竜王宮での滞在が終わり、屋敷に戻ってきたアルマを父親が呼び出した。

「お呼びですか、父様」

 庭に面した部屋で、父親は日だまりに置かれた椅子に座っていた。その傍らに、一人の少年が立っている。

 彼に見覚えがなくて、僅かに怯んだ。

「ああ、お帰り。グランは元気だったかね?」

 厳格な父は、珍しく機嫌がいいようだ。訝しく思いながら頷く。

「はい。父様に宜しくと言づかっています」

「そうか。ところで、アルマ」

 名前を呼んで、少年に視線を向けた。

「彼は、エスタ。私の、昔世話になった人の縁に連なる子だ」

 今まで、父親の知人や友人などと会ったことはなかった。レヴァンダル大公家は、ひたすら孤高を守ってきたのである。好奇心が人見知り気味の性格を上回り、アルマは真っ直ぐ少年を見上げた。

 彼は黒髪を短く切り揃え、質素だが清潔な服を身につけていた。年齢は十五、六といったところか。この年代の人間で親しくしている者がいないのでよく判らないが、二十を超えたところだと言っていた巫子と似たような身長だ。多分、背は高い方なのではないか。

 エスタと紹介された少年は、穏やかに、にこりと笑いかけてきた。

「今日から、お前づきで働くことになる。もう十年ほどもしたら、お前の家令になるだろう」

「家令に?」

 家令、とは、財産の管理や使用人の扱いに関して、一手に引き受ける者のことだ。無論、普通の使用人ではなく、ある程度の身分を持ち、充分に教育を受けた人間にしか務まらない。

 彼の紹介に、親族のものですら爵位は付随していなかった。どう見ても若く、経験も教育も足りていないだろう。

 アルマの家令となる、ということは、将来、レヴァンダル大公家の家令となるということもありえるのに。

 父親の意図が掴めず、僅かに表情をゆがめた。

 相手は、目聡くそれを見咎める。

「不満かね?」

「いいえ。突然だったので」

 やんわりとかわした。彼は幼いが、他者に対して真意を悟らせないための思考と会話の訓練は、既に始まっている。家庭を除外していては、身につかない。

 しかしエスタには奇異に映ったのか、少しばかり覚束ない表情を浮かべた。

「それでは、エスタ。(せがれ)を頼む」

「喜んで、旦那様」

 一礼し、エスタはアルマの目前まで歩み寄った。

 一瞬の躊躇いも見せず、その場に跪く。

 内心怯みかけたアルマの視線と同じ高さで、年上の少年は口を開いた。

「不束者ではございますが、全霊を以て貴方にお仕え致します、アルマナセル様」

 その大仰な物言いに思わず気圧され、無言で頷いた。

 安心したように嬉しげな笑みを浮かべるエスタに、戸惑ったような思いを抱いたことを、覚えている。



「身支度が全て済むまで、エスタ様にはお会いしないとお坊ちゃまから伝えられています」

 翌朝、寝室へ赴いたエスタに、一人のハウスメイドが扉の前で言い渡した。

「ですが、本日の予定を確認し、滞りなく進めるのが私の仕事です」

 納得できずに反論する少年を、困ったようにハウスメイドは見つめた。

「お察しください。お坊っちゃまは、その、難しいお方です。すぐに、人に心を開くことはできません。例え旦那様に命令されたとしても、時間がかかります」

「時間、ですか」

 焦れたような表情になる少年を、年配のハウスメイドは諫めるように続ける。

「経験を積むことです。お坊っちゃまだけではなく、貴方も。その積み重ねで、いずれは心を開いてくださいますよ」

 あまり釈然としないまま、その日以来、彼は居間で主人が出てくるのを待つことになった。



 竜王宮へ移動する時にも、一悶着がある。

「お前は連れては行けない」

「アルマナセル様をお一人で向かわせるなど、できません!」

 むきになって食い下がる少年に、アルマは大人びた仕草で溜め息を落とした。

「お前が来るまではそうしていた。できない訳がないだろう」

「ですが……」

「竜王宮に滞在できるのは、僕か父親だけだ。世話なら巫子がしてくれるから、心配することはない」

「竜王宮は、民に開かれているはずです。私が滞在できない訳がありません」

 諦める素振りも見せない少年を、半ばうんざりとして見上げる。

 この聞き分けのなさは、本当に十も年上なのか。

 この時、アルマは、自分の置かれている境遇が酷く特殊なのだということをまだ知らない。

「開放されているのは、礼拝堂ぐらいだ。本宮の奥は、一般の民が入ることはできない」

「礼拝堂なら、入れるのですね?」

 言わずもがなの言葉を念押しするエスタに、不審を覚えながら頷く。


 結局、エスタはアルマが滞在した三日の間、ずっと礼拝堂に詰めていた。


 帰宅する馬車の中で、不機嫌な顔を崩せない。

「どうかなさいましたか?」

 戸惑ったように尋ねるエスタを睨め上げた。

 この三日間、事ある毎に竜王兵や巫子たちが、エスタの様子を告げてきたのだ。初めは面白がって、そのうち心配そうに、やがて呆れや同情すら交えて。

「……次は屋敷で待っていろ」

「私は、旦那様からアルマナセル様のお世話を任されております。お側を離れる訳には参りません」

 きっぱりと拒絶した召使いに、溜め息を漏らす。

 しかし父から話を通して貰うのは、気が進まなかった。

 父は当主として、充分に重荷を負っている。自分に科せられたことぐらいは、自分で解決しなくてはならない。

 父親に、迷惑をかけたくはない。

 窓を流れる町並みをぼんやりと眺めながら、そう思う。



 そして、事件は、王宮で起きた。


 大公が王宮に出仕し、それにアルマがついて行った時のことだ。

 大公は十数人の使用人を連れ、その中にはエスタも含まれた。

 当主は執務室に入り、アルマは付随する控えの間の一つに腰を落ち着ける。その後、先輩の使用人が、エスタを連れて王宮を案内し始めた。今後、出仕についてくることが多くなるだろうことを見越して、最初から予定されていたことだ。

 エスタは王宮に足を踏み入れるのは初めてだ。無様にはならないように、と自らを戒めていても、その豪奢な佇まいに圧倒される。

 王宮、と一括りにされるが、その敷地は一つの街ほどもある。勿論、宮殿は大小取り混ぜて数多くあり、その全てを一度に把握するのは困難だ。

 彼らはとりあえず、レヴァンダル大公が滞在する離宮を中心に動いていた。

 中庭に面した回廊を歩いていた時だ。

 遠くで、子供の笑い声が聞こえた。

 見える範囲では、子供の姿は見えない。だが、ぱたぱたと、軽い足音が微かに響く。

「どうかしたか?」

 足を止めていたエスタに、先を歩いていた男が尋ねる。

「いえ。この離宮には、子供がいらっしゃるのですか?」

「子供? いや、そんな筈はないが。庭に迷いこんだのかな」

 首を傾げて、それでもそれだけで終わらせる。不審に思いながらも、そのまま一通り案内を済ませ、彼らはアルマの元へと戻ってきた。

 が、跡取り息子のいた部屋は無人である。

「退屈されたのだろう。この離宮から出ていかれたことはないし、帰宅する夕方までには戻られるよ」

 男はそう言うが、エスタはどうにも不安が拭えない。

「少し探して参ります」

 そう言って一礼し、踵を返す。それを一瞬引き止めようとしたが、慣れていない新参者がいても仕事にはならない。好きにさせることにして、男は自分の仕事に戻った。



 どん、と地面に尻餅をつく。

「情けねぇなぁ、お前」

 嘲る声が降ってきて、視線を上げもせずに奥歯を噛みしめた。

 庭を散策していたら、顔見知り程度の貴族の子弟たちと出くわしたのだ。儀礼的に頭を下げ、踵を返そうとしたところを乱暴に突き飛ばされた。

 基本的に、アルマは他の貴族たちと関わりを持たないように言い含められている。

 彼に向けられる悪意や暴力に、まだ幼い身では上手く対処できないからだ。

「俺、知ってるんだぜ。お前、化け物なんだってな」

 アルマよりも五つばかり年上だった少年たちは、蔑むように言い募った。

 激昂してはならない。ぎゅ、と拳を握りしめる。

 アルマの魔術は、まだ殆ど思うように扱えない。威力も大したことはなかったが、それでも、激情のままに放った場合、どれほどの被害になるかは想定できなかった。

 防衛策として、彼はただひたすら耐えることになる。

「おい、その頭の布、取っちまえよ」

 しかし、その言葉に、流石に身体を震わせた。慌てて立ち上がり、逃げだそうとするが、すぐに追いついた少年に足を掬われる。

 地面に倒れたアルマの腹の上に、一人が馬乗りになった。その重みに、苦痛の呻きを漏らす。幾つもの手が、黒髪を覆うように巻かれた白い布を引いた。

「面倒だな、破っちまえ」

 笑い声さえ漏らしながら、リーダーらしき少年が身体の上から命令する。

 小さなナイフが布を切り裂く。強引に引っ張られた布は、角に引っかかり、鋭い痛みが襲う。

「いた……っ!」

 思わず、小さく悲鳴を上げる。

 その声に、むしろ面白そうに笑っていた声と、身体の上の重みが、一瞬で消えた。

 次いで、どすん、と地面に激突する音と、情けない悲鳴とが耳に入る。

 その場の全員が、唖然として、荒い息をつきながら傍らに立つ少年を見上げていた。その右手は拳を握り、勢いよく振り抜かれた形で止まっている。

「……エスタ……?」

 呆然として、名前を呼んだ。

 彼が、身体を押さえつけていた子弟を殴り飛ばしたのだ。

 そう気づいて、背筋がぞくりと震える。

 こんな場合の対処方法は教えられていない。

「あ、ああ、お、お前、一体なに、を」

 鼻から血を垂らし、泣き声だか怒声だか判らない声を上げる相手を、冷たい視線でエスタは一瞥した。

「貴方こそ一体何をやっているのですか。我が主、レヴァンダル大公子アルマナセル様に」

 エスタが並べた大仰な名前に、一瞬怯むものの、相手は更に大声を上げた。

「そ、そんなやつ、化け物で腰抜けの小僧になんか、何をしたって構わないんだよ!」

 その罵声に、更にエスタは眉を寄せた。

「なるほど。相手の把握も、行為の目的も自覚されているのですね。……ならば」

 上着の胸ポケットに入れていた手袋を取り出し、殴り飛ばした少年の足元に向けて叩きつける。

「ひっ!?」

 その意味が判らない者は、この場にいない。

「我が主に代わり、このエスタ、貴公に決闘を申し込みます。代理人を選びなさい。今すぐに!」

 鞭のように、びしりと響いた声に、その場にいた子弟たちが視線を交わす。

 彼らは、自分たちのいた離宮を抜け出し、ここへ来ていた。彼らの身を護るべき者たちを置き去りにして。

 エスタに対抗できるような人間は、今はいない。

 そして、彼らは一番年上でも精々十二歳といったところだ。この体格差では、万が一にエスタの申し込みに自ら応じてたとしても勝機は全くない。

「お、覚えてろ! 全部父上にお話しするからな!」

 そう捨て台詞を吐いて、顔を押さえながらよたよたとその場を離れる。慌てて、残りの少年たちもその後を追った。

「エスタ……」

 どう声をかけていいか判らず、名前を呼んだ。少年は慌ててこちらを向き、地面に跪くとアルマの上体を助け起こす。

「アルマナセル様! お怪我はありませんでしたか? ああ、こんなに汚れてしまわれて、おかわいそうに」

 頬についた泥汚れを、お仕着せの袖で丁寧に拭った。その言動に毒気を抜かれて、次の言葉に迷う。

「怪我は、ない。大丈夫だ。だけど……」

 とりあえず訊かれたことに答えながら、視線を周囲に彷徨わせる。先ほどまで頭を覆っていた布は、無惨に破かれて散らばっている。再び巻くのは無理だ。

 このまま戻るしかないだろう。離宮の使用人の殆どは、王宮に雇われている人間だ。自宅の使用人とは違い、角を奇異の目で見てくるだろうが、仕方がない。

 土にざらついた手で、何となく角を隠すように触れる。

 エスタは一瞬その仕草を不思議そうに見て、そして何か得心したように破顔した。僅かに身を起こし、手を腰にかける。

 彼が淡いベージュのサッシュベルトを解くのに、アルマは瞬いた。

 エスタは慎重にそれを主の黒髪に巻きつけていく。

「……お前、は、変に思わないのか」

「何がですか?」

 静かな声音で問い返される。

「角、だ。こんなもの、普通の人間には生えていない。おかしくて、どうかしていて、おそろしいもので」

「それは、貴方が〈魔王〉アルマナセル様の血統を継いでいるという証ではないですか。先の大戦で、イグニシア王国軍の先頭に立って戦い、勝利をもたらした、偉大なるお方です。その角は誇るべきものであって、蔑まれるものではありません。胸を張ってよいのですよ、アルマナセル様」

 真っ直ぐに目を覗きこみ、エスタは力強く告げた。

 それが、家族と、竜王宮以外からアルマが受けた、最初の肯定だった。

 結局、その後出会う世界の人々の殆どは、彼の持つ『証』を否定することが多かったのだけど。

 エスタの巻き方は普段ハウスメイドに巻かれるものとは違い、変なところが突っ張ったり緩かったりした。だが、それについては何も言わず、おとなしく少年の手に身を委ねている。

「さあ、できました」

 最後にぎこちなく大きな蝶結びを作って、エスタは笑顔を浮かべた。手を差しのべ、アルマを助け起こす。

 隣に立つ少年を見て、アルマは苦笑する。

「サッシュベルトがないと、間抜けに見えるものなんだな」

 その感想に、エスタは改めて自分の姿を見下ろした。

「本当ですね」

 そして、小さな手を取り、離宮へと足を向けたのだ。




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