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04

 その村は、曇天の下で小さく蹲っているようだった。

 荷馬車が行き違える程度の道が一本。建物は、百もないだろう。そんな小さな村には、一見したところ全く人の気配がない。

 アルマと少女は、村の入口に馬を繋ぎ、ゆっくりと足を踏み入れた。

 石造りの家々は扉が開け放たれ、窓ガラスが割れ、所々で焼け焦げたような跡も見受けられる。

 だが、ぱっと見たところ、流血の痕跡はない。

 おそるおそる、ペルルは一軒家の窓から中を覗きこんでいる。

 そこは居室のようで、箪笥の扉が開き、椅子が一脚倒れていた。

 アルマが、ざらついた窓ガラスを指先でなぞった。手袋に砂埃がついて、僅かに眉を寄せる。

 軍がここに侵攻してきたのは、ほぼ十日前。

 だが、噂はとっくに届いていた筈だ。村人たちが逃げ出したのは、おそらくそれよりも以前だろう。

「みな、どこへ行ったのでしょう……」

 途方に暮れたように、ペルルが呟く。

「街道から離れた方向へ、でしょうね。我々の軍は、流石にカタラクタ全土を覆い尽くすような行軍はできません」

 それでも前日に人の姿を見た以上、ある程度はこの地に残っているのだろう。だが、この村に身を潜めているとも限らない。

 できるだけ遭遇しない方がいい、とは思っているが。

 まあペルルが納得するまでつき合って、暗くなる前に野営地へ戻るようにしよう。

 内心でそう判断して、更に足を進める。

 二人が、幅が二メートルほどの道を歩いていた時だった。

 風切音がした直後、鈍い音と共に、足元に拳大の石が転がった。

 投げつけられたそれが、これから通り過ぎようとしていた建物の壁にぶつかったのだ。反射的に、アルマはペルルを壁へ押しやり、庇うようにその前に立ち塞がる。

 数メートル先の暗い路地に、数人の人影が伺えた。


 厄介な。僅かに眉を寄せ、アルマは周囲を見回した。

 剣はいつものように腰に佩いてあるし、貴族の子弟として武器の扱い方は一通り心得ている。無法者の数人程度に囲まれても、切り抜けられるぐらいの自信はあった。

 しかし、離れた場所から石を投げつけられる、というのは対処に困る。

 ブロードソードは、存外細身の剣だ。投石を打ち払おうとすれば、刃が欠けるか運が悪ければ折れる。

 かといって、襲撃者に斬りかかるとして、その間姫巫女を放っておく訳にもいかない。

 まあ、そんな選択肢があるとしての話だが。

「アルマナセル、様」

 細い声で名前を呼ばれて、肩越しに背後に視線を向けた。フードを被った少年の顔はあまり見えなかっただろうが、ペルルは僅かに安堵したように表情を変化させる。

 再び正面に向き直り、声を張り上げる。

「何のつもりだ!?」

 一瞬、ざわりと空気が震え、がらがらした声がどこからか応えてきた。

「何のつもり、たぁこっちの台詞だ、イグニシアの犬野郎!」

 罵声に、鼻の頭に皺を寄せる。

「この村に女を連れこんで、いいことでもするつもりか? この下衆が!」

「俺たちを追い払い、村を焼き払ってまだ足りねぇってのか!」

「……お前たちの言うことは全部、身に覚えがないんだが」

 荒れ果ててはいるが原型を留めている町並みを見据えて呟く。

「いいこと?」

 背後から、きょとんとした声が漏れた。

「悪いことをするつもりはないですけど、そういえばいいこともできませんね。何か食料でも持ってくるべきでしたかしら」

「ひめ……ペルル様、ちょっと静かになさっててください」

 少なからず毒気を抜かれ、低く窘める。

 何だか世話役の心境が判るような気がしたが、とりあえず無視した。

「私たちは、別に害意があってここへ来たのではない。街の破壊も、略奪も、お前たちに危害を加えるつもりもない。すぐに出て行くから、落ち着いては貰えないか」

「おめぇの言うことなんか、信用できるか!」

 怒声と共に投げられた石が、アルマの肩に当たる。ペルルが鋭く息を吸いこんだ。

 鋭い風切音が、耳に残る。


「ぎゃああ!」

 前方の路地から、悲鳴が上がった。

 びくり、とペルルが竦んだのが、背中で判る。

 先刻(さっき)の音は、石を投げた時の音ではない。

 あれは、矢羽根が風を切る音だ。


「子供相手に酷いことをするもんだね?」


 そして、頭上から軽く声が降ってきた。



 できる限り素早く振り仰ぐ。

 背後の建物は二階建てで、屋根はこの地方独特の陸屋根だ。その道路に面した立ち上がり壁(パラペット)に片足をかけて、一人の人間が立っていた。

 逆光と、風にマントがはためいているせいで細かいところは見えないが、かなりの長身だ。声からして、まだ若い男。構えてはいないが、手にした長弓には既に次の矢がつがえられている。

「……なにもんだ、てめぇ」

「うん、まあ、ただの通りすがりだよ」

 村人からの、猜疑の混じった問いかけに、飄々と言葉が返される。

「よそもんがよくもやってくれたな!」

 怒声が放たれるが、相手は平然としたものだった。

「左手前方の路地に三人、手前に四人、左手に一人。全員かかっても私に何ができるって言うんだ? 石を投げたところで届きゃしないだろうに」

 じわり、と怒気が膨れあがった気がする。

 これは救けて貰ったのだろうか、それとも余計に事態を悪化させに来たのだろうか。

 アルマの注意は、頭上の人物と、周囲を取り囲む村人たちに向けられていた。

 おそらく矢を受けた者の呻きが、途切れ途切れに聞こえてくる。

 爪先立ち、アルマの肩越しにそちらの様子を伺っていたペルルが、意を決して身を屈めた。するりと自分を庇う少年の腕をかいくぐる。

「あのっ、お怪我は……」

「ぅあっ!?」

 突然駆け寄ってきた少女に驚いたのか、一人の男が握っていた石を投げつけた。

 ペルルが動いた直後から彼女を追っていたアルマは、闇雲にその腕を掴み、身体を回転させた。

 ごっ、という鈍い音と共に、額に衝撃を受ける。

 少女が小さく息を飲む。

 まずい事態かもしれない。だが、まずは姫巫女の安全を確保しなくては。

 小さな身体を抱き竦め、男たちに向けた背を丸める。

 直後、びぃん、と空気が鳴って、背後で複数の悲鳴が上がった。

「一人にしか当てていないだろう。大袈裟な」

 鼻を鳴らして、謎の青年は言い放つ。

「少年。その娘さんを連れて、早く村の外へ出るんだ。来た道を戻ればいい。……追ってきたらどうなるか、判ってるだろうね?」

 僅かに声に凄みが増す。

「……行きましょう」

 考えている余裕もなく、アルマは片腕でペルルの身体を庇いながら走り出した。もう一方の手で、深くフードを引き下げている。

 頭上で、軽い足音がした。どうやら、青年は屋根伝いについてきているようだ。時折足を止め、周囲を警戒しているらしい。


 村の出口が見えてきて、ほっと息を漏らす。

 柵に繋いできた馬は、一頭増えていた。訝しく思う間もなく、綱を解き、ペルルを抱え上げる。続いて自分の馬に跨り、脇腹を踵で蹴りつけた。

 ぴくり、と耳を動かして、荷馬は駆足で走り始める。

 十数分、そのまま走ったところで、足を緩めた。ペルルもぎこちなく手綱を引く。馬に乗り慣れていない彼女は、そう長い間駆足に耐えられないだろうと思ったからだ。

「大丈夫ですか?」

 アルマの問いかけに、首を振る。

「私は何も……。それよりも、アルマナセル様、お怪我は」

 泣き出しかけているような瞳で、こちらを見つめてくる。

「ちょっと当たっただけですよ。酷くても、こぶができた程度でしょう」

 片手でぶつけた場所を探ってみる。……頭を覆う布は、緩んではいない。安堵に、身体に入っていた力が抜けた。

「申し訳ありません。私の我が儘で……」

「お気になさらないで下さい。貴女にお怪我がなくて、よかった」

 本心から告げるが、姫巫女は暗い表情で俯く。

「それより、あの人は何者だったんでしょうね。あんなところで、私たちを救けてくれるとは」

 話題を変えながら、背後の村を振り返る。

 彼らの視界の中に、襲歩で真っ直ぐこちらへ向かってくる一頭の馬が見えた。


 馬の足を止め、相手を待ち受ける。

 おそらくは先ほど自分たちを救けてくれた相手だとは思うが。まあ万が一村人だったとしても、それが一人だけならば何とかなるだろう。

 相手の姿は、じきに判別できるようになった。

 二十代半ばほどの男性。飾り気のない、深緑色のマントを纏っている。片手に弓を持ち、もう一方の手だけで器用に馬を操っていた。時折、背後を気にして振り返っている。背中から、矢筒とリュートの先端が覗いていた。

「……ロマ……?」

 アルマが小さく呟く。急激に、口の中が乾いてきた。

 青年は、数メートル手前まで近づいて手綱を引く。

「貴方が、救けて下さったのですか」

 警戒心からなのか、声が掠れる。

 それに気づいた風もなく、青年は微笑んだ。

「ああ。手遅れになる前でよかった。怪我は?」

 明るい栗色の髪は、襟足だけがやけに長い。同色の瞳が、好奇心に満ちて二人を見つめている。額をぐるりと一周する形で、緑の地色に黒で奇妙な模様が描かれた布が巻かれていた。アルマのように、頭部の殆どをカバーしている訳ではない。

「ぶつかっただけなので。出血もしていませんし、大したことはありません。ありがとう」

「ありがとうございました」

 礼儀正しく、アルマとペルルが軽く会釈する。苦笑して、青年は片手を振った。

「子供とはいえ、貴族に頭を下げられるいわれはない。気にすることはないさ」

「……何故、私が貴族だと?」

 不審そうな言葉に、青年が軽く肩を竦める。

「育ちがよさそうなのは、一目見たら判る」

「なら、どうしてそんな言葉遣いをするんだ?」

 僅かに苛立って、問い詰める。面白そうに、相手はアルマを見返してきた。ペルルが、きょとんとしてその様子を眺めている。

「どうやら、ロマに会ったことはないらしいね。我々は、国の庇護も竜王の加護も失った民だ。我々には貴族の階級など、敬愛の対象じゃあない」

「……まともな貴族なら、ロマと関わり合いにはならない」

 固い口調で、返す。違いない、と青年が笑う。

 小さく溜め息を落として、会話を切り上げた。

「ともあれ、助かった。それではよい旅を」

「おや、それだけ?」

 半ば予想はしていたが、あからさまな言葉をかけられて、かちんとくる。

「他に何が?」

「無法者に囲まれて私刑にかけられるところを救けられたにしては、ちょっと素っ気ないんじゃないかな?」

「……何が目当てだ。はっきり言え」

 アルマの態度には、露骨な敵意が滲み出していく。ペルルの視線が、気遣わしげなものに変わってきた。

「なに、大したことじゃない。見ての通り、私は一人だ」

「確かに。驚くべきことだな」

 ロマは、大抵の場合、集団で移動する。それは血の繋がった一族であり、数人から、大きくて数十人規模だ。単独で行動するロマは、極めて珍しい。

 アルマが直接顔を合わせるのはこれが初めてだが、ロマについての知識だけはあった。彼がこの青年に対して不審を覚えるのも、それに由来する。

 しかし、青年の方はそのような感情を持っていないようだ。少年の皮肉に動じることもなく、続けてくる。

「そのマントの紋章からみて、君はイグニシア軍の一員なんだろう? 昨日、軍隊が母国へ帰るところだという話を聞いた。私はイグニシアの王都、アエトスまで行きたいんだが、同行させては貰えないか」

「はぁ!?」

 青年がさらりと告げた要求に、素っ頓狂な声を返す。

「何を言ってるんだ。無理に決まってるだろ!」

「何故?」

 反射的に拒絶するが、青年は退かない。

「部外者を軍に招き入れるなんてこと、考えることもできない」

「そう? 彼女はどう見ても軍の一員じゃないようだけど」

 ちらりと視線を向けられて、ペルルが数度瞬いた。

「私は……」

 何かを言いかけるのを、咄嗟に遮った。

「彼女は特別だ。理由がある」

「私も特別だし、理由はあると思うね。君たち二人の生命(いのち)を救けたっていう」

「厚かましいな!」

「ありがとう」

 爽やかに微笑まれて、腹の底が熱くなる。

「無理と言ったら無理だ! 諦めろ!」

 言い捨てて、馬首を巡らせた。ペルルに身振りで促して、共に歩き出す。

 背後から、苦悩に満ちた声が発せられた。

「ああ、なんてことだ。イグニシアの誇り高い軍人、気高い若き貴族が、こんなにも恩知らずだったなんて。ほんのささやかな、無事に旅を続けたいと望んでいるだけだった傷心の吟遊詩人が、この事実を微に入り細を穿って歌い上げ、各地を巡ることを、一体誰が止められようか!」

「うるせぇ、黙れ!」

 心のままに力いっぱい怒鳴りつける。

 芝居がかった仕草で片手を胸に当て、青年は厳粛に続けた。

「心配しなくてもちゃんとあることないこと盛っておくよ」

「盛るのかよ! ていうかないことはやめろ!」

「いやあることだけでも、多分君はかなり情けないことになると思うけどいいのかい?」

「何でそんなところを気遣ってくるんだよ!」

 流石に息切れしたところで、奇妙な声に気づいて口を閉ざす。

 ペルルが、楽しげにくすくすと笑っていた。

 青年に対して、思い切り素を出していたことに気づいて、血の気が引く。

「あ、ええと、ペルル様、これはその」

「ごめんなさい、笑ってしまって。でも、何だか、ちょっと安心しました」

 無邪気な笑みを向けられて、何故か急激に気力が失せた。がっくりと肩を落とすアルマに、青年が気安く手を置いた。

「まああれだね、少年。年長者の忠告が聞きたいなら、安くしておいてあげるよ」

「うるせぇ……。勝手にしろ」

 野営地に帰ったら、とりあえず全部エスタに押しつけよう。そう決意して、ようやくアルマは姿勢を正した。

 嫌になるほど澄ました顔で、後ろをついてくる青年を振り返る。

「そう言えばお前、名前は?」

「ノウマード」




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