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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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04

 反射的に、剣を振り抜いた。同時に、怒声が口を衝いて出る。

 それは、言葉になっていなかった。少なくとも、理解できるような言語ではない。

 しかしその瞬間、視界を縦に引き裂いた雷光が、彼らへと迫っていた呪いを何箇所にも渡って貫いていた。

 ほんの鼻先まで届いていた状態で、縫い止められた先端がぞわぞわと蠢く。

 呪いの本体から長く伸びたそれは、よく見ると人の腕のような形状をしていた。幾つも枝分かれし、それぞれの先端に手のようなものがついている。その腕が、指先がゆらゆらとざわざわと揺れる。

 だが、雷光が貫いた部分から、徐々にその突出部は消滅を始めた。

 どろどろと滴り落ちるように、ちりちりと焼け縮れるように、ばりばりと乾き剥がれるように。

 そして数本の腕が全て消滅して、ようやく雷光も消え失せた。

 呪いの表面で、ざわざわと無数の腕が揺れている。

「……なん……だよ、今の……」

「うん。どうやら、もう、フルトゥナの国土に入ってしまっていたみたいだね」

 粘つく喉から掠れた声を出す。全く動じていないように見えるオーリが、さらりと見解を述べた。

「は?」

「いや、そうでないと、呪いがここまで伸びてくるとか無理だろう。一旦引いておいて油断させたところを襲いかかるとか、三百年の間に結構学習するものなんだねぇ」

「感心するところは絶対そこじゃねぇ!」

 ぶん、と抜き身の剣を振って怒鳴りつける。少しばかり困ったように、青年が見返した。

「仕方がないだろう。この辺は当時最前線で、一日のうちですら何度も国境は移動したんだ。それに、呪いが発動した時には私はここにいなかったし。数メートル単位で把握してないことを責められても」

「俺が責めてんのもそこじゃねぇよ!」

 苛立ちが忍耐を押し退けようとするのを懸命に堪えつつ、更に怒鳴る。

「……ふむ」

 一方、こちらも全く動揺を見せず、小さくグランが呟いた。

「ペルル」

「は、はいっ!」

 振り向いて声をかけてきた幼い少年に、呆然としたまま固まっていたペルルは、我に返ってうわずった声を上げた。

「僕らを囲むように、[清浄]の地を広げられるか?」

「あ、はい。できます。どれぐらいの大きさですか」

 あっさりと頷いたペルルに、グランはちょっと考えこんだ。

「馬車と荷馬を含めた上で、一メートル程度の余裕を見てくれ。あまり広げなくていい」

 頷いて、ペルルは胸元で手を組んだ。目を閉じ、口の中で小さく言葉を紡ぐ。

 ふぅ、と足元が僅かに冷え、その感覚が周囲に広がった。

「うぁっ!?」

「きゃぁあっ!」

 背後で立て続けに悲鳴が上がる。

 騎乗したままのクセロと、御者席に座ったプリムラが顔色を失って前方を見つめていた。

 つい今し方まで、呪いを視認できなかったのだが、ペルルが周囲を清めたために初めてその全貌が見えたのだろう。

 そりゃいきなりこんなものが見えたら悲鳴も上げるよな、とアルマが考える。

「オリヴィニス。[清浄]の真上に[天球]を組め」

「それはいいけど、まさかそのまま進むのかい? 天球を維持したまま、全員を運ぶのは無理だよ」

 僅かに眉を寄せ、こちらは異議を唱える。グランは軽く首を振った。

「そうじゃない。とりあえず突破するまでの仮の防御壁だ。僕が、その外に迎撃用の[炎柱]を配置する。こんなところで、いちいちアルマに対処させていたら日が暮れてしまう」

 少しばかり何か言いたげだったが、それ以上は口を開かずに、オーリは片手を上げた。

 [清浄]の描いた円周に添って、風が巻き起こる。それは薄く緑色がかった膜を伴って、半円球のドーム状となり、彼らの頭上を覆った。

 ほぼ同時に、グランがその小さな掌を上へ向けた。掌の上に小さな炎が生じる。こともなげにそれを握り潰した瞬間、[清浄]の地の外側に数個の火柱が立ち上り、空気を焼いた。

 呪いの腕が、ざわざわと動きを大きくしている。

「行け、アルマ。先刻の様子なら、お前の魔術は充分あれに通用する。少しでいい、呪いに穴を空けるんだ。そこに、僕とオリヴィニスが捩じ込んで、通れる程度まで広げるから」

「……簡単に言うな……」

 一気に疲れを感じて、ぼやく。

 そして大きく息を吸って、剣を構えた。

 通常のように、剣の刃を縦に向ける型ではない。両手で柄を握り、片肘を肩まで上げ、剣先で相手を突き通すような構えだ。

 一歩、前へ出る。

 音もなく、穢れた腕が数本、アルマへと延びる。しかしそれは、瞬時に燃え上がった[炎柱]に焼き払われた。

 更に一歩進む。次の一歩で、[清浄]の範囲を踏み越える。

 その勢いで、剣を突き出した。ずぶり、と柔らかな手応えが刃先を通して伝わる。

「消えよ、雷鳴」

 短く呪文を唱える。つい先ほど口を衝いて出たものはどうしても思い出せなかったので、唱え慣れた言葉を口にした。

 瞬間、その剣先が爆ぜた。連鎖して、無秩序に呪いの表面の腕が破裂して消えていく。

 ぼろぼろと、無数の小さな手が落ちる。だが、その隙間には、更にまた新たなる手が生えつつあった。

 舌打ちして、もう一度剣を引き寄せた時に。

「我が竜王の御名とその誇りにかけて!」

 両脇から、二人の巫子が声を合わせて命じた。

 欠如した呪いを埋めようとする動きが、止まった。ぎちぎちと音を立てて、枝分かれしようとしていた指先が凍りつく。

「抜けるぞ!」

 身を翻して、グランが叫んだ。慌てて剣を納め、おとなしく待っていた馬に跨る。馬車にグランとペルルが乗りこんだのを確認して、彼らは一気にその空洞を走り抜けた。



 十数分走ったところで、先頭を駆っていたオーリが大きく手を振った。次々に、仲間たちが手綱を引く。

 馬首を巡らせて、オーリは彼らに向き直る。

「何でこんなところで止まるんだ?」

 不安そうな態度を隠しもせずに、クセロが尋ねた。時折、ちらりと背後に視線を流している。

「そろそろ君たちを運び始めるからだよ。一度止めて、[天球]を外してからでないと君たちに術をかけられない」

「術?」

 大地にかけていた[清浄]と、迎撃用の[炎柱]は、呪いの範囲外に置き去りになっている。彼らの上を覆う[天球]のみが、今も一行を護っていた。

「一日足らずで、一ヶ月の行程を駆け抜けるんだ。その間に何が起きるかを逐一確認していたら、率直に言うと、君たちの正気は保証できない」

 断言するオーリに、ぞくり、と背筋が冷える。

「だから、君たちの意識を眠らせる。何も心配しないで、ただ馬に身を任せておけばいい。あとは私と馬が君たちを運んでいく」

「馬は、大丈夫なのか? その……」

 正気を失う、とまで脅されていては、そちらの方も心配だ。

「馬は、竜王宮まで一ヶ月かかるなんてことは知らないからね。彼らの意識では、ただ、普通に歩いているだけだよ。そっちの心配は全く必要ない」

 しかし、それに関してはあっさりと巫子は否定した。

「[天球]を外す、って言ってたよな。これから、おれたちを眠らせた後で、また防御のための何かをかけてくれるんだろ?」

 クセロが、落ちつかなげに尋ねた。

「いや。普通の駆足程度ならともかく、この先の速さで移動するのに[天球]を合わせることは無理だ。防御壁は一切なしで、駆け抜けることになる」

「……って、それじゃ、先刻のあれに捕まったりするんじゃ……!」

 勢いこんで、盗賊は大声を上げた。オーリは小さく肩を竦める。

「私たちがどれほどの速さで進むと思っている? 呪いに、その速度を超えて私たちを捕らえることはほぼ不可能だ」

「ほぼ?」

 その、微妙な限定にひっかかって、アルマが問い返す。

「ああ。万が一、ひょっとしたら、呪いが私たちを捕らえることは考えられる。その場合、対抗手段がない私たちは確実に命を落とすだろう」

「おい……!」

 焦って、クセロが声を上げた。だが、オーリはそれを真っ直ぐに見据える。

「だけど、次の一瞬に死ぬかもしれないなんて、今までの人生と一体何が違うって言うんだい?」

 ぐっ、と、男は言葉を飲みこんだ。

 確かに、王都の底辺で生きていた彼は、そのことをよく判っている。

「もういい。全てお前に委ねる、オリヴィニス」

 静かにグランが結論づけて、そこで彼らの議論は終わった。




「……」

 穏やかな闇が意識を包んでいる。

 この無条件の安心感は、生きているうちには感じたことがないほどだ。

「……」

 何も心配することはない。恐れなど一片たりとも混じりこむ必要はない。

「……!」

 しかし、その意識の隅を、執拗な叫び声が刺激している。


「…………………………!」

 そのことに気づいて、意識が浮上した。


「ぅぁああああああああああああああああっ!」


 気づいて、しまった。



 視界がまだはっきりしなくて、ぼんやりと瞬いた。

 数メートル先に、一行をその掌の上に乗せている青年が馬に乗っている。

「あああああああああっ!」

 悲鳴なのか、怒声なのか、罵声なのか。彼は腹の奥から叫びながら、腕を一閃した。

 手にした重い短剣が、ぬるりと長い棒のようなものを両断する。

 それは、既に幾つも、青年の身体を貫いていて。


「ノウマード!」

 掠れた声を、彼はそれでも精一杯放った。


 がくん、と青年の身体が(かし)ぐ。落馬するかと思い、ひやりとするが、幸いそれは免れたらしい。

 しかしそれは、彼の身体を貫く呪いの腕に支えられてのことだ。

 ゆらり、とオーリが背後を振り返る。

「……あれ。アルマ……?」

 ぼんやりとした視線が、不思議そうに少年を見つめる。

「ああ……、そうか、起きちゃ、た、のか」

 呼吸音が、ひゅうひゅうと不吉に言葉に混じる。

「参った、な。どうせ聞こえない、と、思って、大声を出しすぎたね。うるさくして、ごめん」

「おま、え……」

 声が、上手く出ない。

 身体が全く動かない。

「無理をすることは、ないよ。また、眠ってしまえば、いい。もしも君が、落馬でもしたら、拾いに行けるかどうか判らない、し、ね」

 うっすらと笑う。

 そして、右手をぎこちなく振り上げた。その掌には、以前額を覆っていた布で短剣が縛りつけられている。

 握りこむことすらできないのだ。今の彼は。

 しかし躊躇うことなく、そのまま腹部を蹂躙する腕を切り落とした。その衝撃が傷に響いたか、小さく呻く。

 微かに焼け爛れるような音を立て、呪いは切断面から先端へ向けて消滅していく。そして青年の身体から抜け落ちると共に、じわじわとマントにすら血の染みが滲み始める。

 同様の汚れが、見える範囲だけでも複数認められて、アルマは戦慄した。

 一体この青年は、どれほどの傷を負っている?

 めきめきと、何かが軋む音がする。

 未だ数本の腕がオーリに取りついており、それは自在に手を増やし、更に犠牲者の体内へと侵入しつつある。

「う……」

 悲鳴を堪えているのか、オーリが歯を食いしばった。

 喉が塞がれたように、声が出ない。視界が霞み始める。また、眠りの中へと追いやられようとしているのだ。

 だけど。

 巫子の思惑に反抗して、視線に意識を、強い意志をひたすらに注ぎこむ。一秒ごとに視界が鮮やかに変わっていった。

 こめかみの、角の付け根が熱くなる。きん、と高く耳鳴りが響いた。

 だけど、放っておける訳が、ない。

「……堕ち、ろ……!」

 腹の底から声を絞り出したと同時、オーリを串刺しにしていた全ての呪いが燃え上がった。長い腕の周囲を、まるで螺旋を描くように、炎の帯が取り巻いていく。

 瞬く間に、彼を襲っていた呪いの腕が焼け堕ちる。

 そして全ての拘束を失って、どさり、とオーリの身体が馬の背に倒れかかった。

「ノウマード!」

 ふいに声が滑らかに出るようになって、焦りと共にアルマは呼びかけた。

 ほんの僅か、オーリが顔を傾けた。力なく苦笑しているのを目にして、安堵する。

「全く、君は本当、に、無茶苦茶だ……。呪文を介在させないで、魔術を放つ、なんて」

「お前なら放っておけるのかよ。友達が一人で戦ってんのに」

 憮然として返す。オーリに、僅かに驚いたような表情がよぎった。

「運び手の私が、責任者、だよ。眠っているうちは、君たちの存在は、限りなく小さくなっているから、そうそう補足されないだろうしね。……それにしても、もしも私が君の魔術で、あれと一緒に燃え尽きてしまったら、どうするつもりだったんだ?」

「え、いや、それはその」

 とにかく夢中でやったことであり、そこまで配慮はできていなかった。慌てるアルマに、半ば茶化して言ったのであろうオーリが、何かを悟ったのか溜め息を漏らす。

「……これからは、もう少し考えてから行動するようにしてくれ」

「う……。悪い」

 肩を落として、小さく謝罪する。

「まあ、救かったよ。ありがとう」

 萎縮しかけた雰囲気を振り払おうとしてか、殊更に軽くオーリは礼を口にした。ゆっくりと、上体を起こす。

「大丈夫なのか、お前。身体……」

 眉を寄せ、尋ねる。オーリは、額に当てた掌に、むしろ頭をもたせかけるようにして口を開いた。

「無理をしなければね。流石に、ちょっと血を流しすぎた。まあ、呪いにはまず捕まらない筈が捕まってしまったんだから、多分、今後はもう捕まらないだろう」

「いやそれは確信できることなのか?」

 一体どこにそんな自信があるのか。脱力しかけながらも、そう返す。

「竜王宮に着くまで、まだ数時間ある。その間に充分傷は治るよ。君はもう眠った方がいい」

 そういえば、目覚めてからずっと、オーリと呪いとの戦いに気を取られていて、今がどんな状況なのか気にしてもいなかった。

 正気を失う、とまで脅された世界がどのようなものかと、周囲を一瞥する。

 しかしその瞬間、目にしたものを理解する隙も与えられずに、アルマは再び意識を失った。





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