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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
魔の章

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47/252

02

 ちりん、ちりん、と羊の首につけた鈴が鳴る。

 幼い少女は、今日も一匹も見失うことなく村に帰れたことに安堵した。

 村の入口、石を積み上げて作られた低い塀が途切れたところに、見覚えのない少女の姿を認める。

「こんにちは」

「こんにちは。あなた、今日来たの?」

「うん」

 にこり、と赤銅色の髪の少女は笑う。そのドレスは少しばかり地味で異国風だったけれど、羊飼いの少女は言及を避けた。世界を巡る仲間たちは、苦難の多い人生を送っている。

「あのね、羊の世話が終わったら、村の真ん中の広場に来てくれない?」

 内緒話のように告げられて、小首を傾げた。

 最近、(とみ)に陽が短くなっているため、早めに村に帰るようにしている。暗くなるまでに、まだ時間はあった。

 見知らぬ街の話が聞けたり、珍しい、綺麗なものが見られるかもしれない。

「いいよ」

「ありがとう。待ってるね」

 短く言葉を交わして、家畜小屋へと歩き出す。しばらく進んでから振り返ると、赤銅色の髪の少女は、柵の外、遠い草原をじっと見つめていた。



 小走りに、街路を駆ける。

 村の中心に近づくにつれ、ざわめきが大きくなってきた。

 期待に息を弾ませ、広場の入口へと抜ける。

 広場には、二十人近くの子供たちが集まり、響く音楽に合わせて踊っていた。


 ここは小さな村だ。同年齢の子供たちはほぼ顔見知りである。

 しかし荒野に住む彼らの生活は豊かでない。家畜を飼うのも、呪いの境界線に入らないようにすると、使える草地は酷く狭い。子供たちは小さな頃から畑仕事や放牧に駆り出され、共に遊ぶ暇など殆どなかった。

 特に、男の子は成長するに従い、大人たちと同じように、悲願とそれに伴う重荷を背負うため、笑顔など殆ど見せなくなる。

 だが、今、彼らは音楽に合わせ、楽しげに笑っている。

 立ち尽くす少女に、ここへ呼んだ赤銅色の髪の少女が、大きく手を振る。

 嬉しげに笑うと、彼女は踊りの輪の中へ飛びこんでいった。


 歌を奏でているのは、一人の男の人だ。

 あまりおじさんではない。リュートを持ち、よく響く、柔らかな声で歌っている。

 その人に見覚えはない。あの少女の家族なのだろうか。

 次から次へ、切れ目なく演奏される曲は、彼らの民に伝わる馴染み深いもの、古すぎて聞き覚えがある程度のもの、また全く知らない、当世風のものと様々だ。それがまた、とても楽しい。

 彼から少し離れたところに椅子を置き、二人の少年少女が座っていた。にこにこと笑みを浮かべ、皆が踊っているのを見つめている。

 赤銅色の髪の少女が、そこへ駆け寄った。

「姫様!」

 少女の手を取り、立ち上がらせる。

「無理ですよ、プリムラ」

 楽しげに笑って、それでもやんわりと断ろうとするが、プリムラと呼ばれた少女は強引に彼女を連れ出した。

 十代半ばほどの彼女は、草原の民ではないのだろう。困ったように、ぎこちなく、それでも楽しそうに踊り始める。


 爪先でリズムを取りながら、アルマは華やかに踊る子供たちを見つめていた。

 彼らの服装こそは質素だが、身のこなしがイグニシアの上流階級の人間とは段違いだ。何より、あの嬉しそうな笑顔が微笑ましい。

 プリムラに強引に連れられていったペルルも、最初こそ戸惑っていたが、やがて慣れていないとみた子供たちに教えられ、笑顔を見せている。

 ふいに、ペルルがプリムラに何か耳打ちした。少し躊躇うような仕草をしたものの、少女は再び真っ直ぐにこちらへと向かってきた。

 ぐい、と小さな手が差しのべられる。

「さ、アルマも」

「……え?」

 思っても見なかった行動に、虚を衝かれる。その隙に、さっさと手を掴まれた。

「ちょっと待てって! 俺、ダンスなんてやったこと……」

 勿論、社交界に名を連ねる一員として、一通りの技巧は身につけている。だが、レヴァンダル大公子アルマナセルと踊ろうなどという酔狂な姫君は、未だかつて存在しなかった。それ故に、舞踏会では彼は専ら音楽を聴くばかりだったのだが。

 しかも、ロマの踊りはどう見ても彼が身につけたものとは違う。

「大丈夫! あんたが失敗しても、そんなに酷く笑ったりしないわよ」

 おそらくは初めて、プリムラが満面の笑みでアルマに対した。

「……全くうちの大人たちは悪影響ばかりだな……」

 渋々、腰を上げる。

 オーリが、一際高くリュートを掻き鳴らした。



 イェティスは執務室に籠もっていた。

 この半日の出来事が頭の中をぐるぐると回っている。


 呪いの境界線近くにあるこの村は、風竜王宮に仕える親衛隊の末裔によって作られた。

 三百年前、高位の巫子オリヴィニスからの、民を一人でも多く連れて逃げるように、との言葉に従い、ひたすら国境を目指し、民と共に走ったのだ。

 しかし、その後国境の内外で起きた悲劇に、彼らは怒り、嘆き、憎悪と後悔を滾らせた。

 そして散り散りに世界を流浪する民となった元国民とは逆に、彼らは再び河を渡った。

 岩山の中に住処を作り、防御を固め、ひたすら監視を続けていた。

 侵略してくるものと、生還してくるであろうもの、両方を。

 ……それが同時に、河を越えてやって来るとは思いもしなかったのだ。

 しかも、互いに手を携えて。

 イェティスが俯いたまま、長く、息を吐き出す。

 窓の外が騒がしいことは、薄々気づいていた。

 そのうちに一際大きな歓声が上がり、青年はゆっくりと顔を上げた。

 窓の外には夕闇が迫っており、空は薄く藍色に染まりつつある。

 彼は、何もかもが億劫な気持ちで立ち上がり、窓に近づいた。



 がたん、と隣に椅子を移動させて、少年がどさりと腰を下ろす。

「あー。疲れた……」

 汗だくになり、無造作に襟元をくつろがせたのはアルマだ。

「お疲れ様」

 微笑みながら、オーリが返す。

 子供たちを集めて音楽を奏で始めてから、かなりの時間が経つ。当然、この騒ぎは大人たちにも知るところとなった。何人もが手に手に楽器を持って集まっており、もうオーリの演奏は必ずしも必要ではない。

 しかし、大人たちは流石にこちらの正体を知っているのか、遠巻きになって近づいてこようとはしなかったが。

「やっぱ、お前の歌は凄いな」

 さらりと感想を述べられて、青年は数度瞬いた。

「……そうか?」

「ああ。言ってなかったか? お前を拾った当初から、俺はお前の歌だけは好きだったよ」

「……そうか」

 同じ言葉を、しかし全く違う感情を籠めて呟く。リュートの弦を、小さく鳴らした。

「私は、君のお祖父(じい)さんに、いつか歌を披露すると約束していて、果たせなかったんだよね」

 厳密には祖父という世代ではないが、オーリはそう表現する。

「そう、か」

「ああ。私も約束を守らなかった。……お互い様だな」

 自嘲気味に笑う。それに答えるのも筋違いな気がして、アルマは口を閉じた。

 目の前の広場は、もう人が一杯だ。鮮やかな色彩が流れ、回り、揺れる。

 しばらくの間無言で、しかし穏やかな気持ちでそれを眺めている。

 口火を切ったのはアルマだった。

「……なあ。俺がここにいるから悪いのかな」

「どうだろうね。もしそうだったとしても、現状を乗り越えられないなら彼にあの地位はふさわしくないだろう」

「お前は本当に厳しいな」

「程度の問題だよ、アルマ。君に頭からばりばりと囓られかねない、って言うなら私だってもう少し考える」

 オーリの比喩に、アルマは少なからず傷ついたような顔をした。

 そんなやりとりが聞こえていたのかどうか、ようやく背後に佇む気配が動き出す。

「どうぞ」

 彼らの肩越しに差し出されたのは、ワインが注がれた二杯のグラスだ。

「ありがとう」

 当たり前のような仕草で、ひょいとオーリはそれを手に取った。まさか自分にもとは思わなかったアルマは一瞬動きが遅れる。

「お嫌いでしたか?」

 丁寧に尋ねられ、慌てて首を振る。透明の液体が注がれた線の細いグラスをやや居心地悪げに手に取った。

「お礼を申し上げます、オリヴィニス様。皆の、これほど楽しげな様子は初めて見ました」

 僅かに目を細め、柔らかな口調のままで告げる。

「収穫祭とか、ないのか?」

 疑問に思い、遠慮なくアルマが尋ねる。

「ここは荒野ですし、我が村は少々貧しいもので。暮らしていけるぎりぎり程度の収穫しかありません」

「元々は防衛の最前線だったからね。生産するための土地ではないんだよ。そもそも私たちは遊牧の民で、農耕はあまり根づかなかったこともある」

 二人から説明されて、少し慌てた。

「そうか。あの、ロマの、いやフルトゥナの民の収穫祭だともの凄い華やかなんだろうな、って思っただけで。うちの方でもそれなりに大騒ぎだし」

 割と単純な感情だったと説明され、イェティスは、知らず小さく微笑む。

「むしろ、春を迎えた祭りの方が盛大であった、と聞いています。冬枯れた草原に一斉に草が芽吹き、風は和らぎ、遊牧に出られる春が」

「ああ。そうだった。忘れていたよ」

 穏やかな、遠い目をして、彼らは目前で踊る人々を見守っている。

「……ありがとう、イェティス」

 舞い踊る人々を見つめながら、ぽつりとオーリが呟いた。

「私は、何もしておりません」

 僅かに戸惑ったように、背後に立つ若き親衛隊長は答える。

「いや、充分にしてくれた。私が親衛隊を送り出した時には、もう、生き残りは十七人しかいなかった。今は、これほどの子供たちを護り育て、建物を再建し、豊かな葡萄を実らせている」

 ゆっくりと、グラスを回す。白葡萄のワインがとろりと揺れた。

「せめて呪いがもう少し軽いものならば、私たちも民を放逐などしなかっただろう。それを悔いなかった夜はない。私たちがいなくても強くあったことを目の当たりにすれば、なおさらだ。それでも、せめて君たちに竜王の加護があれば、この苦難はもっと軽かった」

「オリヴィニス様」

 無意識に、イェティスが片手を伸ばしかける。

「……呪いを解き、我が竜王を解放すれば、再び皆に竜王の加護が与えられるかもしれない」

 だが、その手は続いた言葉を聞いて、巫子に触れる前に固まる。

 滑らかに手を引き寄せ、親衛隊長は数秒躊躇った末に口を開いた。

「せめて、明日の日の出まではご滞在いただけますか」

「そうだな。もう夜だし、暗くなってから荒野を進むのは気が進まない」

 軽くオーリが返す。

 イェティスは深々と一礼する。

 視界の端に動くものを認めて、オーリは視線を向けた。アルマがにやりと笑いながら、グラスをこちらへ傾けてきている。

 ちん、と涼やかな音が、歌声の響く広場の片隅で、鳴った。




 その日、北方の雪国と南方の荒野とで、それぞれ一人の人間が苦痛に苛まれる夜を過ごした。

 脂汗を滲ませ、重い、熱を帯びた呼吸が喉を灼き、指先は清潔なシーツを引きちぎらんばかりにかき寄せる。

 唇からは決して泣き言が漏れることがなく、固く閉じられた目蓋の隅からは、透明な涙が滲み出る。

 そして、その傍らにそれぞれもう一人の人間が控えていることすら、同じであった。


 ただ、一人は気遣わしげに相手を見守り続けるのに対し、もう一人は、愉悦すら感じながら目の前の惨状を見下ろしていたのだが。




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