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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
風の章

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13

 井戸の周りに零れた水が、夜の間に氷となっている。もうそろそろ、王都にも雪が降り始めるかもしれない。

 通用口から外に出て、風の冷たさに身震いする。

 みすぼらしいマントに身を包み、彼はそっと屋敷を抜け出した。

 路地裏を抜け、用心に用心を重ねて足を止めた時には、普通に歩く倍の時間をかけていた。

 そこは労働者階級の住む区画だ。下層階級ほど酷くはないが、少しばかり雑然とした感は否めない。

 そっとノッカーを叩く。あまり大きな音を立てなくても、いつもすぐに扉が開く。

「お待ちしておりました」

 この場所には不似合いな取り次ぎが、うやうやしく声をかけてきた。


 室内は充分に暖かく、玄関でマントを預けてきた彼はほっと吐息を漏らした。

 この家は外観はひび割れた煉瓦造りだが、隙間風は全く入らない。内装は質素に見せているが、その実、高価なものを使っているのだろう。

 既に到着していた青年が、にこやかな笑みを浮かべて立ち上がった。

「ようこそ、エスタ殿。ご無沙汰ですね」


「貴方が呼んだのですよ。しかも、前に呼びつけられたのは、ほんの五日前だった」

 憮然として、エスタは返した。

「お呼びだてしなければ、五日もいらして頂けないのですから、仕方がありませんね」

 芝居がかった口調で告げる青年を、冷たい視線で見つめた。

 初対面の時にはその正体が判らず、いい様に振り回された感がある。

 だが、その後エスタは彼の周辺を調べ上げていた。

 イフテカール。ステラ王女の公然の愛人である。

 彼がアルマたちの行方を探すためにエスタへ協力を要請してきたのは、勿論相手のためを思ってのことではない。

 どうやら、あのノウマードが行方をくらます直前、ステラ王女と深い仲になっており、そのために王女は吟遊詩人を躍起になって捕らえようとしているらしい。

 正直、エスタにしてみればノウマードがどうなろうと知ったことではない。王女に捕まって悲惨な運命に陥るか、恋敵の手に落ちて無惨な運命に散るか、どちらでも構わなかった。

 だが、アルマに対してはそうではない。

 ステラ王女のことだ、レヴァンダル大公家への有効な切り札としてあの少年を使うことを考えない訳がない。

 そしてイフテカールにしてみれば、それこそアルマの運命など知ったことではないのだ。王女が必要だというのなら、喜んでアルマをあの白い手へ差し出すに違いない。

 あの若い主人だけは、どうしても無事に取り戻さなくてはならなかった。

 それ故に、エスタは情報を手に入れるため、密かにイフテカールと接触を保っていた。

 何故『密かに』なのかと言えば、大公家の当主も竜王宮も、行方不明の彼らを表立って捜そうとしていないからである。その沈黙は、いっそ不気味なほどだった。

 イフテカールが、飾り棚の扉に手を伸ばす。

「何か飲みませんか?」

「まだ時間が早いでしょう。それに、貴方から何も頂くつもりはありません」

 以前、甘言に乗せられてブランデーを飲んだことがあった。上質なそれにエスタは慣れておらず、酩酊して一時間ばかり意識を失ってしまっていたのだ。

 自業自得ではあるが、それ以来、彼はこの金髪の青年の前では警戒心を解けないでいる。

「貴方の忠誠には頭が下がりますね」

 持ち上げかけていた手をひらりと振って、イフテカールが揶揄する。

「用事があるのならば、早く済ませて頂きたい。私はあまり暇ではないのです」

 きっぱりと言い渡すと、青年は肩を竦めた。

「いつまでもそのように、ただの使用人として生きていかなくてもいいではないですか?」

「その話であれば、以前、お断りしたはずです」

 更なる拒絶に、相手はとりあえずは諦めたようだった。くるりと踵を返し、室内にある卓へと向かう。

「アルマナセル様の情報が入りました」

「っ、どこに……!」

 弾かれるように、青年に詰め寄る。イフテカールは、卓に広げられた地図に視線を落としていた。

「西部です。街道で目撃されて、トゥーリスの街へ向かった、と」

「トゥーリス……?」

 それは、王都から西へ向かう街道が北へ枝分かれし、少し行った辺りの街だ。

「こんなところに、一体何故……」

「貴方でも判りませんか」

 レヴァンダル大公家は竜王宮と関わりが深い。自然、エスタも一般の貴族などよりは内情を知っている。だが、特にここが竜王宮にとって重要な拠点というわけでもない。

「追いかけたくはありませんか?」

 静かに、その声音が染みこんでくる。

「ですが、追いつけるかどうか」

 半ば上の空で、忙しく視線を地図の上に走らせる。

 既に三週間、遅れを取っている。この情報が王都へ届くまでかかった時間を考えれば、既にこの街にアルマはいないと考えるのが妥当だ。

「追いつけるかどうか判らないから、諦めるのですか? 貴方の忠誠はそんなものだと?」

「そんなことは、言って……」

「王都でアルマナセル様を待っているだけでいいのですか? そうではないから、貴方は私に協力してくださったのですよね。あの方を放っておいたら、もう永遠に戻ってこないかもしれない。今この時にも、いずれとも知れない場所で生命(いのち)を落としているのかも」

 静かに、穏やかに、そしてじわじわと不安をかき立てる。

「本当にそれでいいのですか?」

 イフテカールの手が、エスタの肩にそっと置かれた。指先がうなじの髪を逆撫で、ざわり、と背筋がざわめく。

「レヴァンダル大公家の跡継ぎが消えてしまうかもしれないのに、何故皆様平気でいらっしゃるのでしょうね?」

 指先が、エスタの短い黒髪を掻き分け、こめかみへと至る。一瞬、くらりと目眩がした。

「私ならば、追いつくだけの手段を用意できます。全て、貴方次第ですよ。エスタ殿。貴方の忠誠は、アルマナセル様個人に対するものですか? それとも、大公家への?」

 思考がぼんやりと霞む。何も飲んでいないのに。眉を寄せて、何とか意識を集中させた。

「勿論--」




 王国軍テナークス少佐は、執務室の机の前で軽く眉間を揉んだ。

 書類仕事が多すぎて、目が疲れてくる。彼は机を離れ、重い雲がたちこめる空が覗く窓へと近づいた。

 こうして時間が空くと考えてしまうのは、かつての上官のことだ。

 レヴァンダル大公子アルマナセル。

 彼はまだ若く、実際王国軍の誰一人として、あの少年が軍功を上げることを期待してなどいなかっただろう。

 だが、予測に反してアルマナセルは懸命に任務に取り組んだ。テナークスが、奇妙な忠誠心すら持ってしまうほどに。

 基本的に、彼は政治に向いていないことを自覚している。爵位を継いだ兄にそれらを全て任せ、二十年以上、ただ軍事にだけ身を置いていた。

 しかし、先日召喚された欠席裁判の後では、流石にテナークスも腰を上げた。

 王家と竜王宮、ひいてはレヴァンダル大公家の確執については、マノリア伯爵家が王都に置いている屋敷の者に話を聞くだけで、大体は事足りた。

 だが、アルマナセル、グラナティス、ペルル、そしてノウマードが揃って姿を消したことについては有力な手がかりは得られない。

 王家の言う様に、アルマナセルがペルルを連れ出した、となると、グラナティスまでいなくなる理由はない。

 二人の巫子が必要である理由となると、更に理解不能だ。

 ノウマードが首謀者であるとも思えない。行軍を通し、彼に対して一定の評価は持っていたが、それでもずっとその動向は見張らせていたのだ。そもそも、王都に着いてから誘拐するよりは、行軍中に行動した方がまだ成功率は高い。

 ノウマードが関わっているとすると、むしろ逃亡の手助けといったことだろう。何と言っても、他の三人は生活力に乏しい。

 だが、その逃亡の理由となるとやはり見当もつかない。

 つかない、が。

 再び、机へと戻る。仕事上の書類のためではなく、故郷へ手紙を送るために。




 メターニアを出て一日も行くと、鬱蒼とした森が現れる。ここから国境近くまで、三百年の間、ほぼ斧を入れられていない森が続く。

 今現在は、メターニアが元フルトゥナとの国境に最も近い街である。だが、三百年前までは、もう少し国境寄りに街もあった。しかし、フルトゥナ侵攻が凄絶な結果に終わり、逃走してきたイグニシア王国軍とフルトゥナ国民で、周辺の街や村は飽和状態となった。

 彼らはそこから死を迎えんとする土地を臨み、その凄惨さに嘆き、慄き、悲しみ、虚脱した。

 その後、人々はその感情により手を取りあうことなどなく、それを暴力と化して互いにぶつけ合った。

 フルトゥナ国民が、流浪の民、ロマとして最初に逃げ出した土地の一つがここである。


 森の入口を目の当たりにして、流石にオーリが眉を寄せる。他の者たちも、程度の差こそあれ、沈痛な表情を浮かべていた。

 周辺の住人はもうここには近寄らない。

 だが、時折山賊が住み着くこともあり、王家は討伐を兼ねて街道の整備だけは続けていた。

 森の中には、(きこり)の辿る道すらもなく、地面は苔に覆われている。

 何気なく周囲を眺めていたアルマが息を飲んだ。

 奇妙な形の岩がある、と思っていたが、それは人間の頭蓋骨だったのだ。変色し、土に半ば埋もれ、苔むしている。

 この地にはイグニシア、フルトゥナの両国民が何千人も眠っている、と歴史学の授業で聞いたことがある。

 改めて木下闇を見回し、少年は密かに身震いした。




 もうすぐ夜が明ける。

 闇がほんの数秒だけ明るくなるが、すぐにその薄い光は姿を消した。

 焚き火に薪を放りこんで、オーリは生欠伸を漏らした。

 何となく眠る気分ではなくて、一晩不寝番を買って出たのだ。

 クセロが夜半までは共にいたが、それからは一人だけだった。そろそろ見張りの目も緩んできたのだろうか。

 しかしそう思いこんで行動したら、痛い目に遭いそうな気がする。特に予定はないが、オーリは気を引き締めた。

 ともあれ、もうすぐ朝食の用意をしにプリムラが起きてくる頃だ。

 地面から立ち上がり、長く伸びをする。寒さと長時間身動きしなかったせいで固まりかけていた腰が心地よく痛んだ。

 背後の天幕から衣擦れの音がする。

 何気なく振り向いて、オーリは僅かに目を開いた。

「おはよう」

「ああ」

 短く返してきたのは、幼い高位の巫子だ。

「早いね」

「今日には河に着くだろうからな」

 薪の束を一つ分けて、焚き火の近くに置く。その上にグランが腰を下ろした。

「そういえば、前から疑問に思ってたんだけど」

「何だ?」

「イグニシアを進むうちは、街に寄れたから食料とかも補充できた。だけど、フルトゥナに入ったら、そこは無人だ。手持ちの物資だけで行くしかない。だけど、国境から本宮までは普通に馬で進んだらやっぱり一月(ひとつき)はかかるよ」

 一ヶ月分の物資を持って行くには、彼らの馬車は小さすぎる。メターニアでも、さほど多くの荷物を積んで来てはいない。

 なんだ、と呟いて、グランは隣に立つ青年を見上げた。

「河の手前に、竜王兵を待機させている。色々用意させてあるから、そこである程度必要なものは揃えられる筈だ。国境を越えたら、あとはひとえにお前の力にかかっている」

 意味ありげに見つめられて、オーリは嫌な予感に顔をしかめた。


「全く信じられないね。どうして君は、こんなに大事なことをぎりぎりまで黙っているんだ?」

「一度も訊かれなかったからな」

 馬車の傍に馬をつけ、オーリはひたすら文句を続けていた。しかしグランはのらりくらりとそれをかわしている。

「そもそも、お前は協力を誓約しただろう。一日でも早くことを済ませたいのは、お前も一緒の筈だ。一体何が不満なんだ?」

「……今ならアルマと存分に語り合える気がするよ」

 明らかに不機嫌な顔で、オーリが呟く。

「不健康な嗜好だな」

「いやどうでもいいけど俺を巻きこむなよ」

 言い争いの内容は判らないが、とりあえずアルマが牽制する。

 森の中を曲がりくねる道が、その先にぼんやりと光を宿す。

 森の出口が近づいていた。


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