10
旅に出てから、もう一ヶ月ほどになるのか。
馬に揺られながら、アルマがぼんやりと考える。
短くはないが、さほど長くもない時間だ。だが、自分はこの期間で随分と変わってしまった気がする。
一概に、成長できたと断言できないのが少し哀しいが。
ふぅ、と漏らした吐息が白く翳る。
そろそろ、北部では雪が降っている頃か。
「あと一週間ぐらいで国境まで行けそうなんだっけ?」
「グランはそのつもりだったね」
ノウマードが答えてくる。
「南下していくから、これ以上酷く寒くはならないだろうけど。今年の冬は、あの雪山越えでもう充分だ」
大陸南部の国で生まれ育った青年は、やれやれと言いたげに肩を竦める。
「そんなにフルトゥナは違うのか?」
一方、アルマはイグニシア以外の冬を経験していない。
「それなりに寒いことは寒いよ。でも、乾燥しているからね。雪は殆ど降らない。冬がそんなに長い期間だという訳でもないし」
「そうなのか?」
「うん。例えば、家の中で火を焚かないと寒くて仕方ないっていうのは二、三ヶ月ぐらいかな?」
「短っ!」
などと話しているところに、クセロが戻ってくる。止まれ、と道の向こうから身振りで知らせてくるので、彼らはそこで停止した。不審に思ったグランが窓を開けて様子を見ている。
「この先で、街道が封鎖されてる」
「封鎖?」
馬車の傍で馬を止め、クセロが告げた。
「多分、賞金稼ぎだな。まだ、賞金首たちが北に逃げた、って情報が届いてないらしい」
グランが舌打ちする。
「どうする? またおとなしくさせようか?」
ノウマードが手にした弓を軽く持ち上げ、それにアルマは思わず怯んだ。
「昼間の街道でか? 常識を弁えろ」
「……何だか凄く酷いことを言われた気がする……」
だが幼い巫子に一言で断じられ、ノウマードが小さく呟いた。
「そうくると思ったよ。じゃあ、荒事なしだな」
「ああ。任せた」
主人と配下とが、互いに軽く言葉を交わす。そして、クセロは馬の向きを変えると、一行の先頭を進んでいった。
数分ほど経つと、蹄の音に混じって道の先から男たちの耳障りなどら声が聞こえてくる。
やがて、簡単に組んだ木材で作られた、膝ほどの高さの柵が街道の通行を遮っているのが見える。その周囲で五人ほどの男がたむろしていた。街道脇の立木には数頭の馬も繋がれている。
彼らはすぐにこちらに気づき、じっと注視してきた。
手袋の中で、汗が滲む。
だがそんなプレッシャーなど全く感じていないような涼しげな顔で、クセロは進んでいく。
「止まれ!」
大声で命令されて、手綱を引いた。
じろじろと視線を向けられるが、金髪の男は全く動じていない。
「ここは国王陛下の街道の筈だが、お前さんたち、警備隊なのか?」
私道などならともかく、街道上で権力を行使できるのは、文字通り権力側の者たちだけだ。
「なに、怪しくなけりゃあすぐに通してやるさ。とはいえ……」
一人の巨漢が答えた。眉を寄せ、遠慮のない探るような視線がノウマードに注がれている。
「おい、ロマ。名前は」
ノウマードは、わざとらしいほど大仰に一礼する。
「オーリと申します。頭領」
ふん、と男は大きく鼻を鳴らした。
「ノウマード、って名前じゃないのか?」
「いいえ」
にこやかな笑みを浮かべたまま、さらりと嘘をつく。
男は視線をクセロに転じた。
「何だってロマがイグニシア人と一緒にいるんだ?」
ひょい、と肩を竦め、クセロは何度も繰り返した話をまた口にした。
「うちの主人は、ガルデニアで商売をしてる。あそこはカタラクタに近いし、商売相手は向こうの商人も多かったんだ。カタラクタじゃ、お大尽がロマをお抱えの楽師にしてることも珍しくない。ガルデニアの辺りにもちょくちょくそういう方々はいるんだよ」
「この辺りじゃそんな酔狂な奴はいないな。何だってガルデニアの商人がこんなとこに?」
「主人の大奥様がご病気でね。ご家族を故郷のグラーティアまでお連れするところだ」
男の視線が鋭くなる。
「グラーティアなら、もっと手前で北に曲がる方が楽だろう。こっちに来ちまうと、海岸まで出てからぐるっと北上するしかない。大回りだ」
「いやそれが、昨日泊まった街でよくない話を聞いてね。街の宿に泊まってたんだが、警備隊が人改めに来たのさ。何だっけ、ア、アルマ何とかっていう」
「アルマナセルか?」
視線を空中に向け、何かを思い出そうとするクセロの仕草に、男は先回りして名前を出した。
馬車の傍で、アルマはこっそりと更に深くフードを引き下げた。
一方、クセロはぽん、と手を叩いている。
「そうそう。で、宿に泊まってる客が集められていたところに知らせが入ったんだよ。そのアルマナセルとか言う奴が、例の北に向かう街道を通っていった、って」
「何だと!?」
男が、轟くような声を上げた。
「で、夜中だってのに街中から慌ただしく人が出て行ってさ。聞けば、手配書が出回ってる奴だっていうじゃないか。同じ道を通って行ったら、どこかでその捕り物に巻きこまれそうだから、ちょっと遠回りにはなるけど、こっちから進むつもりだったんだ」
男たちが、ざわざわと顔を見合わせている。
クセロに対している男が、眉を寄せて考えこんでいた。
「その話は本当なのか?」
「街に行って聞いてみればいい。結構な騒ぎだったから、誰かしら知っているはずだ」
男は迷っていた。この情報が誤りで、彼らがここを発った後で標的が通り過ぎた場合、あまりにも損失が大きすぎる。
「噂だと、賞金は金貨二百枚だって? 結構手強い相手らしいから、捕獲した時点でちょっとでも功績があったら、山分けとはいかないまでも褒美は出るって言ってたぜ」
しかし、クセロの言葉が、背中を押した。
「よし、北だ!」
男たちがばらばらと馬へと駆け寄っていく。
「おい、もう通っていいのか?」
「ああ構わねぇよ!」
賞金稼ぎたちは、既にこちらに視線も向けない。
「柵が残ってるけど、おれたちが退かしておこうか?」
「すまねぇな、頼んだ!」
大声を残し、手早く馬に跨ると、次々に男たちはその場から走り去って行った。
微かに土煙が視界を覆う。
「いいってことよ」
愛想よく、クセロがその後ろ姿に手を振る。
「よくもまあ、あれだけ嘘がつけるもんだな……」
半ば感心し、半ば呆れてアルマが馬を寄せる。
「嘘でもねぇさ。賞金稼ぎの大半が北へ向かったのは本当だしな」
愉快そうに笑って、クセロは柵を退かすべく馬を下りた。
二日後、彼らはメターニアという街に入った。
ここが、現在、イグニシア国内でフルトゥナとの国境に一番近い街である。
今までと同じように先乗りしていたクセロが、今回は街に入っても大丈夫だと判断する。
流石に竜王宮に直接行くと人目があるため、一般の宿屋に滞在することになるが。
商人の家族、というふれこみなので、いつものようにある程度贅沢な部屋を取ることになる。寝室が三つと、それに付随する談話室だ。
彼らがくつろいでいるところに、竜王宮の関係者がそれと判らない出で立ちで来訪し、状況を報告する。
賞金稼ぎの類は、ほぼ全てが北へと向かったようだ。警備隊や一般の者たちを警戒する必要はあるが、この先は人家も少なく、今までよりは楽になるだろう。
さほど暗い見通しもなく、グランも珍しく安堵したような表情を見せていた。
日が暮れた頃、クセロが談話室に顔を出す。今までの、こざっぱりとした使用人のような身なりではなく、ややくたびれたような作業着に身を包んでいる。
「どうしたんだ?」
「ちょっと出かけてくる。昔の伝手で、王都の様子を知らせてくれることになってるんだ」
アルマの問いかけに、軽く答えてきた。
「王都の情報なら、先刻聞いたじゃないか」
不審そうに、少年が尋ねる。
「お偉いさんたちには掴めない情報ってのもあるんだよ。ま、遅くはならない」
グランは彼の行動を元から把握しているのか、特に何も言わなかった。
そうして、無造作に彼が宿を出て行って、十分後。
音も立てずに扉が開閉し、再び金髪の男が立っていた。
「クセロ?」
訝しげに声をかけるが、彼は真っ直ぐ街路の見える窓へと直行する。厚いカーテンの隙間から、そっと外を覗いた。
宿屋の門扉に掛けられた松明が、街路を照らしている。数十秒そのまま様子を伺っていた男は、やがて呻き声を上げながら壁にもたれ、ずるずると崩れ落ちた。
「何があった?」
グランが苛々と急かす。ノウマードがワインをグラスに半分ほど注いで、彼に手渡した。クセロは、それを無言で一気に飲み干す。見ると、この季節だというのに、彼の額にはびっしりと汗の粒が光っていた。
長く息を吐いて、ばつが悪そうな顔をみせた。
「……いや、大したことじゃねぇんだけどさ。待ち合わせ、ってのが酒場なんだが、そこに向かってたら、先に入っていった奴がいたんだよ。昔ちょっとごたごたした奴で、次に会ったら殺してやるって言われてるんだ」
「何やってんだよお前……」
アルマが呆れて呟く。肩を竦め、クセロが続けた。
「まあ幸い気づかれてなかったんで、戻ってきた。けど、おれはもうあそこには行けない。で、だ」
ぐるりと視線を動かして、男は告げる。
「プリムラ。ちょっと行ってきてくれ」
声が出せないまま、まじまじとクセロを眺める。
プリムラと言えば、座っていた椅子から身軽に飛び降りていた。
「いいよー」
「待ってるのはピルスだ。会ったことあるよな」
「うん。髭の人だよね」
「ちょっと待てよ!」
あっさりと連絡事項を交わす二人を、慌てて制止する。
「待ち合わせって、酒場なんだろ? なにそいつに行かせようとしてるんだよ!」
「……いや、別に中に入って酒飲んでこいって言ってる訳じゃねぇんだし。子供の使い程度のことで」
「大体、その、お前を殺してやるって言ってる男に見つかったら拙いのは一緒じゃないか」
「プリムラのことは奴は知らねぇから大丈夫だよ。心配することは」
「いけません!」
アルマナセルに、半ば呆れて説明していたクセロを、今度はペルルが遮る。プリムラをその場から引き剥がすように、背後から抱きかかえた。
「お嬢様!?」
「こんな小さい子を、そんなところに行かせるなんて!」
「いやだから姫さん……」
力なく片手を上げて、とりあえず制止する。
だが、ペルルは聞く耳を持たない。
「プリムラは私の侍女として働いていてくれます。私の許可なしに、どこへも行かせません」
「うぁ」
諦めたように、クセロが天井を仰ぐ。
「お前たち……」
ほとほと呆れた様子で口を出しかけたグランの隣で、ノウマードが小さく笑った。
「まあまあ、二人ともそんなに感情的にならないで。とりあえず、クセロは行けない。じゃあ、誰が行けるのかっていうと、アルマは手配されているし、ペルル様とグランは論外だ。消去法として、プリムラしかいないってことぐらい判るだろう?」
「お前な、常識的に」
「君こそ、彼らの常識に照らして考えなよ。酒場に入って、話を聞くぐらい、大したことじゃないんだろう?」
後半は、クセロに対して尋ねる。金髪の悪党は小さく頷いた。
「下町じゃよくあることだ。そもそも、話す必要もない。手紙を預かってくるだけでいい」
「うん。で、二人はまだ心配?」
「当たり前です!」
ぎゅう、とプリムラを抱き締めて、ペルルが返す。困った顔で、プリムラがそれを見上げていた。
「そうか。じゃあ、私が付き添って行こう」
「ノウマード!?」
「オリヴィニス!」
アルマとグランが同時に声を上げた。
「お前だって手配されてるじゃないかよ」
「でも、この一ヶ月、私だとばれたことはないよ。肖像画があのありさまじゃあ、見分けることは難しいんじゃないかな。その場をごまかすぐらい、大したことじゃない」
アルマの反対は、あっさりと返された。グランの方はその先は何も口にせず、クセロに視線を転じている。男は、かなり迷った様子ではあるが、頷いた。
「判った。気をつけろ」
短く許可を出されて、ノウマードは少し驚いたような視線を向けた。
「意外だね」
「お前は身の処し方を充分知っている。プリムラの護衛について、この過保護な奴らを納得させられるなら、その方がいい」
じろり、と睨みつけられて、アルマとペルルはようやくそれを了承した。




