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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
風の章

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09

 空の高いところで、風が鳴っている。

 目的の建物の周囲には、確かに私兵らしき男たちが巡回していた。だが、主に正門と街道に続く道を警戒しているらしい。

 森の中は、その視線は届かない。

 密かに森に潜んだ者たちによって、敷地を巡る塀の外側には数メートル毎に木材と粗朶を置き、油を撒いてある。ただでさえ塀は高く、しかもその外で炎が燃え盛っていれば、乗り越えて逃亡しようとすることはないだろう。

 自然、標的が逃げ出そうとするなら、門を通らなくてはならない。しかし、そこを射程距離に収める位置には、十数人の仲間たちが待ち構えている。相手は格好の的になる筈だ。

 甲高い口笛が、静謐な夜空に鳴り響く。

 ずっと気配を殺して準備してきた男たちが、それを合図に粗朶へと火を放った。

 すぐに、塀の天辺近くまで、炎が舐める。

 仲間の放った火矢が、建物の窓を幾つか割った。ちらちらと燃える炎の先端が覗くのを確認する。

 これで、後は奴らが出てくるのを待つだけだ。

 しかし、襲撃者たちの思惑は僅かに外れた。


 門扉の外、道路を越えて更に森の中に、男たちは身を潜めていた。

 標的が姿を現し、こちらへ向かってきたら即座に矢を射かける手筈になっている。

 じりじりと動きを待っていた彼らの耳に、ひゅん、と風切音が届いた。

 合図の前に、誰かがうっかり矢を放ってしまったのか、と思った次の瞬間、すぐ傍でどん、と鈍い音が響く。

「……は」

 溜め息のような声を漏らし、一人の男が崩れ落ちるように倒れた。

 その胸からは、一本の矢が生えている。

「なにが……」

 状況を理解する前に、再度、その隣の男に矢が突き立った。

「伏せろ!」

 恐慌に陥りかけた男たちに鋭く命じる。

 手近な藪の影に身を潜めた。押し殺した呼吸音が、耳障りだ。

 藪を透かして、更に矢が到来した。すぐ近くの地面に刺さり、誰かが小さく悲鳴を上げる。

「屋根だ!」

 僅かに頭を起こし、視線を上げる。

 炎に周囲を照らされた建物の、屋根のスレートの上に人影が一つ、立っていた。頭にぐるりと巻いた布が、風に長くはためいている。

「莫迦な、この距離と暗さでこんなところまで届くはずがない!」

 人影は、ゆっくりと、手にした弓をこちらに向けて引き絞っている。

「……くそ!」

 仲間が、自暴自棄になったように突然立ち上がった。そのまま弓を引くが、矢は建物にも届かずに失速した。

 ひゅん、と矢羽根が風を切り、立ち上がった男の胸を貫く。

「もう少し森の奥へ下がれ。どちらにせよ、奴らはここから出てこなくてはいかんのだ」

 そう、屋敷の中にも火矢を撃ちこんである。外だけなら放っておけるかもしれないが、建物内で一度に複数個所から火の手が上がれば、全てを消火することなどできない。

 木々を盾にすると、それ以上矢は追ってこなくなった。僅かにほっとした彼らの視線の先で、屋根の上にもう一つの影が立ち上がる。

 先の人影よりも、背が低い。それは周囲をぐるりと見回すと、片手を上げた。

「自戒せよ、火炎。其の焔の冠を脱ぎて我が前に差し出せ」

 どれほどの大声でも、ここまで聞こえる筈がない。しかし、彼の声が敷地の外にまで厳然と響いた瞬間、屋敷の周囲で燃え盛っていた炎が、それこそ溶けるように消えた。

 あり得ない現象に、周囲から短い悲鳴が上がる。

「……あれが、アルマナセルか」

 緊張気味に、そう呟く。今まで推測でしかなかった標的の正体が、ここで明らかになった。

 炎が消えて暗くなっていた夜空だが、雲が風に吹き散らされて、ぽっかりと月の光が降り注ぐ。

 上からの冷たい光を浴びて、弓を持つ男が、ロマ風の派手な色彩のマントを身につけているのが遠目に見える。

 その男はアルマナセルの身体に片手を回すと、まるで階段を一歩下りるかのような気安さで、庇から足を踏み出した。

 表向き倉庫とされている建物の軒の高さは、十メートルは下らない。

 しかし、男は一切体勢を崩すこともなく、すとん、と地上へ降り立った。

 彼らのすぐ傍の、大きな両開きの扉が開く。二人は、するりとその中へ入りこんだ。

 すぐさま、中から二頭立ての馬車が走り出てきた。先ほどの二人を乗せた馬もそれに続く。

 身を起こしかけるが、ロマのマントを纏い、栗色の髪に布を巻いた男が手に弓を持ったままなのに躊躇う。通常の相手ならば疾走する馬上から矢を放つのは難しいが、相手は元騎馬の民である。しかも、先だってあれほどの技量を見せつけた男だ。

 鉄の棒で構成された門扉は閉じられたままだ。しかし、彼らは全く速度を落とさない。

「破砕せよ、頑なたる扉。膝を曲げて我が前に道を開け」

 再び声が響いた瞬間、ぐしゃり、と門扉がひしゃげた。上下に、ではない。中央から左右に、馬車が楽に通れる隙間を空けるように壊れたのだ。

 数人が、とうとう悲鳴を上げて森の中へ駆けこんだ。

 魔術を放ったのは、馬に乗ったもう一人の少年か。頭を、何重にも布でくるんでいる。

 標的は道路へ出ると、一直線に街道へ向けて走り去った。

「……追え!」

 数秒間、呆然としていた男たちが怒声を上げる。

「街へ知らせを出せ! 出来る限りの人数で追いかけるぞ!」

 慌ただしく、男たちは自分たちの馬を繋いでいた場所へと走り出した。




 倉庫の奥の扉が、微かな音を立てて軋んだ。

「……また派手にやらかしたな」

 呆れたような、不機嫌そうな顔でグランが呟く。

「一応全部打ち合わせ通りだった筈だけど」

 静かに外の様子を伺っていたノウマードが、背後を振り向きながら答える。その髪は、黒く染められたままだ。

 襲撃に屋根の上から応じたのは、アルマとノウマードだ。そして、その後一旦倉庫へ入ったところで、同じマントなどで二人に扮した別人と入れ替わった。

 馬車を御していた男と、弓を手にしていた男は竜王兵だ。アルマはやや小柄だということもあり、若い巫子がその役を引き受けている。

 門を破壊したのは、この倉庫に潜んだままのアルマである。先に呪文を唱えた時、必要もなくその声を広範囲に広げたのは、勿論示威の意図もある。だが、次いで門を破壊する時に同様に聞かせることで、襲撃者に間近に迫った『アルマナセル』が術を放った訳ではないことを知られないためだ。

 彼らはこのまま街道を駈け、北の方へ続く道を選ぶ。そして、次の街で竜王宮に立て籠もる予定になっている。

 この近辺に送られていた追っ手たちは、すぐにそちらを追いかけるだろう。

 龍神の配下であるイフテカールは、グラン達の目的地がフルトゥナである、と目星をつけている可能性は確かにある。

 しかし、囮とその追っ手が北へ向かっていることが王都にいる彼に知られるには、かなりの時間がかかるはずだ。

 その間に、彼らは街道を南へ進んでいく予定だった。

「何人死んだ?」

 無造作にグランから訊かれて、アルマがびくりと肩を震わせた。

「三人かな。全滅させたら、追っていって貰えないからね」

 こちらもあっさりとノウマードが答える。

「……そんなに簡単に、死なせてよかったのかよ。お前の民だろう」

 やるせなさにアルマは小さく呟いた。

「だが、王家の手の者だ。この三百年、血を一切流さずに僕は立場を保ってきた訳じゃない。竜王の加護を受けたいのなら、竜王宮に逆らうような真似をしなければいいだけだ」

 さらりと、慣れたようにグランは告げる。慣れているのだろう。今まで一度もその態度を非難されなかったなどという訳はない。

 が、その後で少しばかり迷ったように彼は続けた。

「……死体は、ペルルには見られないように片づけてくれ」

 小さく苦笑して、ノウマードは外へ足を進めかけた。

「私がしたことだ。責任を持って片づけるよ」

「駄目だ。今誰かにお前を見られたら、意味がない。後で、クセロに街まで人を呼びにいかせる。どうせ物資や代わりの馬車を手に入れなくてはならないからな」

 肩を竦め、吟遊詩人の青年は開かれたままだった扉を閉めた。

「にしても、あんな高いとこから、あっさり飛び降りたりするなよ。心臓が止まるかと思ったぜ」

 気分を切り替えたアルマの次の行動は、文句をつけることだった。

「あの程度の高さ、ニネミアの加護の(もと)では大したものじゃない。同じぐらいの高さを飛び上がることだってできるさ」

 それに笑みを浮かべながらノウマードは返す。

「なるほど。うちの竜王宮を抜け出せる訳だ」

 憮然として、グランが呟いた。

 王都で、三階の部屋から飛び降り、五メートルほどの塀を越えて逃げ出したのは、それは簡単なことだっただろう。

 ちょっとばかり気まずそうな表情になった青年を一瞥し、グランが踵を返す。そのまま、二人を従えて廊下を戻っていった。



 寝室に戻る途中で、廊下が焼け焦げている場所に出くわす。

 外から、火矢を射掛けられたところだろう。

 この建物は、窓の周囲からは徹底的に可燃物を取り除いてある。絨毯や壁紙などもない、石造りの床や壁が剥き出しになっているのだ。

 火自体は、アルマが魔術を使った時に外の炎と共に消えている。割れた窓からは冷たい夜風が吹きこんできていた。だが、実際に寝泊まりする部屋は無事なので、少年はあまり気にせずにそこを通り過ぎた。どうせ、修繕費用は竜王宮持ちなのだ。




 日の出すぐに、竜王宮からやってきた者たちは黙々と仕事を開始した。

 アルマたちは新しい馬車や馬の準備をするために倉庫にいたが、森にちょっと入った辺りに人影が動いているのがちらちらと窺える。

「どうするんだ? あれ」

 小声で尋ねると、クセロが馬車の荷台を開けながら答えた。

「所持品を改めるぐらいしかできないだろうな。でも多分、身元が判るものは最初から持っていないだろうし、命令書なんて以ての外だ。そのまま森の奥にでも埋めるんだろうよ」

「警備兵に連絡して、死体を身内に引き渡したりは?」

 彼らにも家族はいるだろう。そう思って尋ねたのだが、僅かに呆れたような視線を向けられた。

「どう言って連絡するんだよ。犯人の心当たりはないが、いきなり囲まれて火を点けてきて、応戦したら逃走していきました、ってか? 探られたら拙いところがあるのはお互い様だ。幸いここは街の外で、ある程度、警備は自己責任だからな。このまま埋めちまえば、証拠は残らない」

 けどあの門とかは流石に外に頼まないとなぁ、と続けて呟く。

 アルマの浮かない顔を見て、金髪の青年は小さく溜め息をついた。

「まあ、大将の言葉じゃねぇけどさ。こんな羽目に陥りたくなかったら、こんなことに関わらなきゃよかった話だろ」

「……そうだな」

 この、悪党を気取る男にしては気を使った言葉だろう。アルマは、出来る限り気に病まないように努めた。




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