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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
風の章

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06

 厨房の中は暖かい。

 竈に火を熾し、大きな作業台に向かってプリムラは人参を刻んでいた。背の高さが足りないので、木箱を足台にしている。

 その隣で、ペルルは慎重に玉葱の皮を剥いていた。

 プリムラは断固として手伝いを拒んだが、何もしないでいると気がふさぐ、とペルルが強く頼みこんだのだ。

 ナイフを使わせないために割り当てた作業ではあったが、少女は更に目に涙を浮かべることになった。

 彼女たちから少し離れ、グランは独り椅子に腰を下ろしていた。

 長い間無言で、身動き一つしていなかった彼が、ふいに立ち上がる。

「グラン様?」

 目を赤くして、ペルルが声をかけた。

「寝室を見繕ってくる。火を入れておかないと寒いだろうしな」

「あ、あたしがやりますから!」

 慌ててプリムラが動こうとするが、グランはひらりと片手を振ってそれを止めた。

「僕は料理はできないからな。そっちの準備を頼む。どうせ奴らはしばらく来ないだろうから、できたら先に食べていていいぞ」

 そう言い残すと、幼い巫子は暗い廊下へと足を進めた。




 一人、立っていた人影が、力なく床に崩れ落ちる。

 複数の荒い息が、室内に響いた。

「……くそ……」

 悪態を残して上体を倒しかけたところを、軽く後ろから支えられる。

「こんなとこでぶっ倒れたら風邪ひくぜ、旦那」

 今の今まで、暖炉の前に座ったまま動くことのなかったクセロだ。

「……風邪をひくとかいう問題じゃないだろ、これ……」

 力なくアルマが呟く。

「ほら、部屋まで連れてってやるからさ。まああんまり清潔じゃないだろうが、これだけ疲れてたらなんでもいいだろ。とにかく今夜は寝ちまいな」

 身を屈め、アルマの腕を肩にかける。よ、と勢いをつけて、その身体を立ち上がらせた。

 ゆっくりと戸口に向けて歩く。石造りの床の上に、もう一人の身体が横たわっていたが、彼らはそれに注意を向けることはなかった。


「一人で行けるって……」

「判った判った。ほら、すぐそこだ」

 ふらふらと歩くアルマを宥め賺し、クセロが空いた手で一つの扉を示す。

 その扉に手をかけたところで、ようやく男は身体を離した。じゃあな、と告げて、廊下を戻っていく。

 溜め息をついて、扉を開けた。

 暖炉には、既に火が入っている。狭い部屋には床の上に酒瓶がごろごろと転がっていた。その合間に、薄汚れた衣服が散乱している。暖炉の周りだけを申し訳程度に片付けたらしく、ぽっかりと空間が空いていた。安物の酒精と黴の匂いとが混じり合って、不快に空気が淀んでいる。

 壁に押しつけられた寝台に、少年が一人座っていた。

「……グラン」

 引き攣れた頬の痛みも忘れて、アルマは名前を呼んだ。


「手酷くやられたな」

 呆れた風でもなく、嘲る風でもなく、淡々とグランは言った。

「あいつがおとなしく殴られっ放しになる訳ないだろ」

 居心地が悪く、僅かに視線を逸らせながらアルマが返す。

 グランは、瓶の口に布をあてがい、中身を染みこませると隣に座ったアルマの顔に当てた。つん、と独特の匂いが鼻を突く。

「いてっ」

「我慢しろ」

「いや、癒してくれればいいじゃないか。なんでアルコール消毒なんだよ!」

「ここにあったからな。代替が効くものにわざわざ竜王の御業を使うなど勿体ない」

 少しばかり乱暴に、頬を拭ってくる。唇を切った傷が沁みた。

「他は?」

 目の周りが痣になっているのは、消毒しても仕方ない。グランから隠すように遠ざけていた右手を、おずおずと出した。

「手?」

「あいつの歯に当たったから」

 途中、手袋を嵌めていることにすら苛立って、投げ捨てた。そのままだったら怪我もしなかっただろう。

 後悔とは裏腹に、あの時の腹の熱さを思い返す。

 ゆっくりと、血にまみれた指を拭く。傷自体はさほど大きくはない。

「アルマ。きついか?」

 何を、と問われた訳ではなかった。だけど。

「……うん」

 素直に、言葉が零れた。

「そうか」

 小さな両手が、アルマの右手を包んだ。そのまま、じわり、と温かくなったかと思うと、露わになっていた傷口が音もなく塞がっていく。

「……今回の旅の目的には、お前の協力が不可欠だ。〈魔王〉の力を宿すお前を、手放す訳にはいかない」

 静かな声を聞きながら、ぼんやりと視線を手に落としている。グランの小さな爪が、まるで噛み千切ったかのようにぼろぼろになっていた。

「だが、それ以外のことはとりあえず一度棚上げにしてみよう」

「え?」

 次いで発せられた言葉が理解できなくて、問い返す。

「レヴァンダル大公子としての立場、跡継ぎとして、父親の名代として、国内外に向けていた立場は一旦外せ。王家との対立なんて、現状、何の意味もない。奴らからの、奴らとの関係性など、一切断ち切れ。ただ、〈魔王〉の血を引く者としてだけ、在ればいい。……全てが終わったら、その時にまた考えよう」

 まっすぐに、グランはアルマを見上げていた。

 全く、彼は、目的の為であれば自分の権威すらかなぐり捨てるのだ。

 小さく笑いかけて、切れた唇が痛んだ。

「……〈魔王〉の(すえ)ってことが残っているだけでも、色々しがらみがあると思うんだけどな」

「気の持ちようだ。……ほら」

 両手を伸ばし、頬に当ててくる。鼓動に合わせて発していた痛みが、ゆっくりと引いていった。

「その……、ありがとう」

「礼は要らん。お前を管理するなら当然だ」

 手を離し、グランはざっと全身を見回す。

「あのさ。ノウマードも、診てやってくれないか?」

 だが、アルマの言葉に呆れたような視線が返る。

「お前をここまで痛めつけた相手をか?」

「あいつの方が酷いよ。それにまあ、一応、俺のためを思ってのことだった訳だし」

 とん、と寝台から降りる。戸口へと向かいながら、グランは口を開いた。

「オリヴィニスのことなら、心配ない。僕にできることは大体あいつにもできる。そもそも、奴の特性が単純に寿命が延びただけなら、この三百年の間に十数回は死んでいるさ」

 意味を計りかねて、首を傾げる。が、幼い巫子はそれに頓着せずに話題を変えた。

「腹は減ってないか? 何なら食事を運ばせるが」

「いや。流石に疲れたよ。今日はもう寝る。……朝に食べられるのならありがたい」

「判った。ゆっくり休め」

 静かに、扉が閉まる。

 長く息をついて、アルマは寝台に倒れこんだ。




「……ああ、もう、アルマナセル。君の孫は本当に厄介だ。君ほど豪快でもないし細かいことを気にするし約束は守るし」

 いやいいことなんだけどさ、と呟く。

 暖炉の火も既に(おき)になり、暗さが増した部屋の中、床にごろりと横たわって青年はぶつぶつと文句を言っていた。

 大の字に伸ばした手の指先から少し離れたところに、抜き身の剣が落ちている。

「君は、約束を守らなかったからなぁ……」

 溜め息をついて、その動きから身体に生じた痛みに顔をしかめた。

 やがて、すぅ、と音も立てず、扉が開く。

「よぅ。どうだ?」

「君は食事に行ったのかと思ってたよ」

 予想していた通りの相手に、ちくりと嫌みを零す。

「あんたから目を離したら大将にどやされる」

 その割には彼は五分ばかりいなかったのだが。

 どさり、と傍らに腰を下ろす。

 薄闇を透かし見て、クセロは眉を寄せた。

「酷い顔だぜ」

「だろうね」

「大将を連れて来るか?」

「必要ない。三十分もおとなしくしていたら、動けるぐらいには回復するから」

 さらりと拒絶するのに気を悪くした様子も、気味が悪い様子もなく、便利だな、とだけ返して、クセロは視線を逸らせた。

「あれで、すっきりしたのかね」

 そのまま十数分ほど沈黙したのち、ぽつりと男が呟く。

「さあ。一時的に鬱屈が解消されたとしても、根本が変わらなければ同じことだ。私は、私にできる限りのきっかけを差し出しただけだしね」

 素っ気なく返した言葉に、クセロは喉の奥で小さく笑う。

「旦那のこともだけど、あんたもだよ。オーリ」

 告げられた言葉が意外で、数度瞬いた。

「……その名前で呼ぶことにしたのか?」

「そっちが気になるのかよ。『ノウマード』ってのは、手配書に書かれてただろ? 気休め程度だが、それでも人前で呼ぶと拙い。長い名前は舌を噛みそうになるしな」

 筋は通っている。だが。

「昔の名前で呼ばれるのは好きじゃないんだ。グラナティスには、まあ、言っても無駄だろうけど」

 軽く文句を言う。クセロの影が肩を竦めた。

「一人諦めるのも、二人諦めるのも一緒だろ。全部を諦めるのも、だ」

「それはかなりの違いがあると思うよ」

 思わず笑いかけて、肋が鋭く痛むのに息を飲んだ。多分、ひびが入っている。

 自然治癒だけだと、三十分はちょっと短すぎたかな、とノウマードは引き攣る身体から力を抜きながら考えた。




 厨房の扉を開く。きちんと片づけた作業台に椅子を寄せて座っていたペルルに気づいて、少しばかり驚いた。

「お帰りなさいませ」

「もう、休んでいたと思っていた」

 グランの言葉に、困ったような笑顔を向ける。

「どなたか、夕食を召し上がるかと思って。少しお待ちくださいね」

 隣で台に突っ伏して眠っているプリムラを起こさないように、そっと立ち上がる。竈にかけていた鍋の中身をゆっくりとかき回した。

 濃厚なシチューとパンを皿に乗せて作業台に置く。ありがとう、と礼を言って、グランがパンを二つに割る。

「疲れただろう。残りの奴らは勝手に食べさせればいい。居住区の部屋に幾つか火を焚いてあるから、休んでくるといい」

「いえ。……その、実は、グラン様にお願いがあったのです」

 迷うように、ペルルが告げる。訝しげに、グランは片方の眉を上げた。

「僕に?」

「はい。ですが、どうぞお食事を先に」

 気遣われるが、少年は手にしたパンを置く。

「いや、先に話を聞こう」

 やきもきするのは好きじゃない、と、彼には珍しく茶化すように続けた。


「あの、夕方のことなんですが。アルマ様が魔法を制御できなくなったという時に、グラン様はそれを解決していらっしゃいましたね」

「ああ」

 その時のことを思い返す。

 屋敷に着いて、二手に別れた彼らは、広間へ進んでいた。

 しかし馬を繋ぐ、と言っても、室内に手摺のようなものなどない。どうしたものか、と思っていると、クセロが壁に設えられた飾り棚に近づいた。

 無造作に、格子になった扉に嵌ったガラスを割る。

「ここに繋げばいいだろ」

 馬は、何事もないならおとなしいものだ。パニックにならなければ、それぐらいの耐久性でも一応保つだろう。

「君ね……。破片で馬が怪我をしたらどうするんだよ」

 ノウマードが文句を言うが、実際、破片は大方が棚の中へ入っている。その近辺の床をざっと片づけ、十頭に満たない馬を繋ぎ終えたところで、グランが鋭く背後を向いた。

「……まずい」

 小さく呟くと、暗い屋敷の中へと走り出す。

「大将!?」

 クセロの声にも振り向きはしなかった。

 慌ててその後を追った二人の青年は、すぐに、グランとこちらに向かってきていたプリムラと合流することになる。


 近づいてくる複数の足音に警戒心を募らせていたペルルは、それが旅の同行者であることに気づいて、ほっと顔の強ばりを解いた。

「アルマ……?」

 ノウマードの呟きにも、廊下の奥に立つ少年は反応しない。

「なんだ、ありゃ」

 クセロは呆気に取られたように、巫子たちの後ろからその様子を伺っている。恐怖じみた感情をかけらも見せない辺り、彼はなかなか剛胆だ。ひょっとしたら、鈍いだけかもしれないが。

 プリムラは、クセロの更に後ろに立って、ぎゅっとそのマントを握っていた。

「グラン様……」

 懇願するようなペルルに一つ頷いて、グランは、一人、足を進めた。

 ばちばちと空気に飛び散る稲光を完全に無視している。先ほど十人近い男たちを一瞬で昏倒させた魔術は、自分には通用しないと確信しているかのようだ。

 その、周囲に倒れている者たちからは、もう、呻き声すら漏れてはこない。

「アルマ」

 火竜王の高位の巫子の言葉に、ゆらり、とアルマは身体を揺らした。焦点の合っていないその瞳は、理性を全く伺わせない。

 〈魔王〉の(すえ)と相対して、グランは口を開いた。

「我が竜王、炎のカリドゥスの名に於いて、その支配せし世界の寛容に感謝せよ。汝が血と肉と魂を握る我が手を認め、服従の証を示せ」

 言葉が進むにつれ、彼らの立つ空間を支配していた雷撃が力を失う。

 やがてアルマの瞳が力なく閉じられ、その場に崩れ落ちた。先に横たわる男の上に倒れたため、そう被害はないようだったが。

「クセロ。賊がこれだけとは思えない。屋敷の中を捜索してきてくれ」

「おぅ」

「オリヴィニス、悪いが手が足りない。クセロと行ってきてくれないか」

 珍しく下手に出たグランに、ノウマードが苦笑する。

「今、私たちは協力関係にあるんだろう? 言われるまでもないさ」

 そして倒れ臥す男たちを無造作に跨ぎ越え、二人の青年は暗い廊下へと姿を消した。それを見送ってから、グランは振り返る。

「ペルル。アルマを診てくれ。大事ないとは思うのだが」

 暗い廊下を慎重に進み、ペルルは身を屈めた。

「ええ。頭を打っているだけのようです。深刻には見えませんし、おそらく大丈夫かと」

 それでも心配そうに、少女はアルマの苦しげな顔を見つめた。

 一人、廊下に立ち尽くすプリムラに気づき、グランは苦笑した。

「もう心配はいらない。あれに当てられたら、こいつらは半日は目を覚まさないだろう。放っておいても平気だ」

 それでも、幼い少女は怯えたような表情を崩さなかった。



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