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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
風の章

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32/252

01

 夜の前庭に足を踏み入れる。きん、と冷えた空気が、吐息に白く曇った。

「フードを被れ、アルマ。オリヴィニスもだ」

 傍に立つグランが指摘する。飾り気のない毛織りのマントを纏った彼は、常に額に頂いていたルビーのサークレットを今は外している。

 無言で二人はそれに従った。頭を布で覆っているアルマは、それにひっかかってフードが被りにくい。

 竜王兵が馬車を玄関先につけた。扉を開き、うやうやしくグランに頭を下げている。

「ペルル」

 声をかけ、グランは先に馬車に乗りこんだ。温かな屋内で待っていたペルルが、次いで乗りこむ。

 彼女のアクアマリンのサークレットも、今はつけられていない。

 その後に続いたプリムラは扉を閉め、御者席へと座った。革の手袋をはめ直して手綱を取る。

「あの娘で大丈夫なのか?」

 そこに竜王兵と共に馬を引いてきたクセロに尋ねる。なんと言っても、プリムラはまだ十歳に満たない。二頭立ての馬車を御せるとは思えなかった。

「ああ、あいつは旅に慣れてる。馬の扱いぐらいはお手の物だよ」

 しかし男は軽く答えて、こちらを手招きする。アルマとノウマードにそれぞれの馬を預け、彼はもう一頭に跨った。その後ろには、数頭の荷馬が繋がれている。

「おれはあんまりお手の物じゃないんだけどな」

 苦笑して、クセロが呟く。

「代わろうか? 私ならそれぐらいを連れて行くのは何とかなる」

「どうしようもなくなったら頼むよ。流石に最初から丸投げしたら、大将にどやされる」

 男の返事に、ノウマードは僅かに眉を寄せた。

 グランが、まだ完全にはノウマードを信用していない、とも取れる発言だ。

 まあそこまで期待はしていない。軽く頷いて、ノウマードは自分の馬に乗った。背に負った矢筒とリュートの位置を改める。

 グランが窓を開ける。竜王宮の責任者がそれに近づいた。

「できるだけ、各地との連絡を密にしていてくれ。王都の竜王宮は身動きが取れなくなる可能性が高い。ここが情報の取り纏めになることも考えるんだ。後は頼んだ」

 重々しく、責任者が一礼する。

「お世話になりました」

 ペルルが会釈しながら、礼を言う。責任者は思わず微笑んだ。

「竜王のご加護を」

 切実にそれを必要とする一行は、夜の街路へと馬を進めていった。



 彼らはゆっくりと馬を進めていた。

 街の中は音が響く。数頭の馬と馬車が出て行った、という情報がすぐさま蔓延するのは避けたい。

 しかも夜間は暗すぎて、街道に出ても速度が出せない。

 それでもグランは少しでも早く出発し、距離を稼ぐことに拘った。

「手配書の写しを造るには、時間がかかる。肖像画を模写することを考えると、尚更だ。迅速に動けば、手配書が回ってくる前に進んでいけるかもしれない」

 夕方の会合でそう結論づけると、彼は早々に出発準備を整えさせた。

 街の西側の門衛には、竜王宮が話をつけている。日暮れと共に閉められた門を再び開く。一行が外へ出たところで、ゆっくりと閉めていった。

 ごん、と閂をかける音が響く。これで、彼らには一切の守護がなくなったことになる。

 ぶる、とアルマは身を震わせた。

 従軍中でも、夜間の進軍はしなかった。冬が近づいて、空気は酷く冷えてきている。

 馬車の前後にはランタンが設えられていて、周囲はぼんやりと判別できる。街道を慎重に進む馬車の横を、馬に乗った男たちが併走した。

 さほど速度を出していないとはいえ、吹きつける冷気はマントを通して易々と体を凍えさせる。アルマは頻繁に片手を手綱から離し、腕や膝を擦っていた。

 いつまでも続くかと思われた闇が、ようやく薄くなった。

 背後を振り向くと、厚く覆われた雲の隙間から曙光が兆してきている。

 やがて薄ぼんやりとした太陽光が、それでも明るく彼らの行く手を照らし始めた。



 充分に明るくなったところで、一行は一度街道を外れた。朝食を摂りがてら、休憩をすることにしたのだ。

 舗装されていない地面でがたがたと揺れる馬車を、気遣わしげに見つめる。

 街道から適度な距離を取ったところで停止した。

 クセロが馬車から馬を外す。

「大将たちのことを頼むぜ」

 プリムラに告げると、彼女は小さく頷いて御者台から降りた。馬車の後ろの荷台を開け、食料を持ち出してきている。

 騎乗してきた馬と荷馬を連れて、アルマとノウマードもその場を離れた。さほど遠くはない草むらへと誘導する。

「ちょっと待って。こういう茂みには、毒草が生えてることがあるから」

 ノウマードが制止しつつ、足で草を掻き分けた。どうやらその手の物騒なものは見当たらなかったらしく、頷いて馬を寄せる。

 おとなしく草を食み出した馬を、やれやれといった気持ちで見つめる。ノウマードは休む間もなく、一頭ずつ蹄鉄を点検し始めた。

 アルマとクセロは、腕を動かして固まった関節をほぐしている。

「……あのプリムラって娘は、あんたの妹とかか?」

「いや。他人だよ。何でだ?」

 僅かに警戒するように、訊き返される。

「何となく、嫌われてるような感じがしてさ。そういや、別に血縁は関係ないな」

 単純に、尋ねるきっかけが欲しかっただけだ。

「何て言うか、ちょっと無愛想な娘だよね。いつもあんな感じ?」

 さらりとノウマードが会話に入ってきた。

「ちょっと人見知りっちゃ人見知りだな。まあ、他にも色々理由はあるが」

 大きく伸びをしつつ、クセロが答えた。

「ふぅん。ペルル様には懐いてるみたいだけど」

 以前からの知り合いらしいグランには特に言及しない。

「ああ、前にペルルが言ってたけど、女性には女性同士のつきあいが欠かせないんだってさ。その辺の違いじゃないか?」

「へぇ。そうなのか?」

 感心したようなノウマードの言葉に、金髪の男が苦笑する。

「女の気持ちなんて、判ろうとするだけ無駄ってもんだぜ」

「無駄?」

 その、見下したような言い方にむっとしてアルマが呟く。

「大抵は時間と金の無駄さ」

 無意味に胸を張り、クセロが断言する。

「女性に相手にされてないだけじゃないのか?」

 だが、ノウマードが視線も向けずに放った言葉に、蹲った。

「……容赦ねぇなぁ、お前……」

 小さく生唾を飲みこみつつ、アルマが呟く。ノウマードはそれには反応しなかった。

 クセロに向き直り、殊更明るい声を出す。

「まああれだよ、男女の仲なんて、人によってそれぞれ違うもんなんだから。たまたま合わなかった相手とのことなんて、気にすんな」

 心なしか潤んだような視線で、クセロが見上げてきた。

「他人のことなら簡単に言えるもんだよねぇ」

 しかし、ノウマードが姿勢も変えずに放った言葉に、アルマもその場に蹲る。

 枯れ草の混じった、もの悲しさすら感じる茂みが酷く近い。

 そんな二人を気にも留めず、さて、と呟いてノウマードは立ち上がる。そのまま、隣にいる馬の背を撫でた。

「ねえ、この辺に川か池はあるのかな?」

 全く気遣う様子もなく尋ねられて、もやもやする頭の中で、王都の周辺地図を浚う。

「……なかった、と思う。何でだ?」

「馬に水を飲ませてやらないと」

 ああ、と蹲ったままでクセロが頷いた。

「桶と水は馬車に積んできてる。水は今夜の宿でまた補給できるから、節約しなくてもいいだろ。取ってくるさ」

 心なしか弱々しく、よいせ、と勢いをつけて、男が立ち上がる。

「俺も行くよ。重いだろ」

 軽く身を起こし、数歩先行していたクセロに追いつく。

 数メートル離れたところで、男が声を落として囁いた。

「……あいつ、いつもあんな風なのか?」

「あー。うん。まあ、何て言うか、大体」

 誤魔化すような、誤魔化せてないような感じで返事をする。疲れたように、クセロが溜め息を零した。

「キツいのの相手は、大将で多少経験を積んでたつもりだったんだけどなぁ……」

「タイプが違うよな。奴ら」

 同意して、二人ともに疲れたように肩を落とす。何となく、奇妙な連帯感が生まれていた。

 やたらと耳のいい風竜王の巫子には、きっと聞こえてるんだろうな、と覚悟しながら。



 草を踏み分け、馬車に近づいていくと、それに気づいたのか静かに扉が開いた。

「どうした?」

 馬の足音がしなかったせいだろう、怪訝そうにそう尋ねられる。

「水を飲ませないといけないから、取りに来たんだよ。いいだろ?」

「ああ。頼む」

 グランの返事に頷いて、クセロは馬車の後ろに回った。

 アルマは、何となくそのまま、中に座っている三人を眺める。

 彼らはパンにローストビーフを挟んだものを食べていた。前夜、竜王宮が持たせてくれたものだ。冷たいが、さほど食べるのが辛いものでもない。

「……」

 ふと気づいて、馬車の入口に足をかけた。一番手前に座っていたプリムラの顔を両手で挟み、強引にこちらに向ける。

「ひゃぅっ!?」

 虚を衝かれて、少女は奇妙な声を上げた。

「アルマ様?」

 きょとん、と隣にいたペルルが尋ねる。

「なになになになにっ!?」

「グラン」

 奇声を上げる少女からあっさりと手を離し、グランに顔を向ける。無言で見返してくるのを促されていると判断して、続けた。

「火を熾こせないのか? こいつ、唇が紫色だぞ。一晩、馬車を御していて冷え切ってるんだ。暖めないと」

 ものを食べるためにフードを脱いでいたため、顔がよく見えたのだ。そう言われた当人は、びっくりした顔で固まっている。

 一方、グランは眉を寄せた。

「ここで一晩過ごす訳じゃないんだぞ。薪を集めて火を熾して、温かい食事を作って、全ての後始末をして、一体何時間かかると思う。野営ならともかく、それ以外はそんな時間を取っていられない」

「そりゃあ馬車の中で居眠りできてるお前は楽だろうよ」

 むっとして言い返す。

 溜め息を落として、グランは真っ直ぐにアルマを見つめた。

「そんなに気にかけるなら、自分でやればいいだろう」

 少なくとも、その言葉は譲歩だ。アルマは身を翻し、馬車を降りた。

「クセロ! 鍋か薬缶はあるか?」

「ん?」

 顔だけこちらを向けて、訝しそうな目で見られるが、すぐに荷台に手を伸ばした。

「大きさは?」

「小さいのでいい」

「じゃこれだ」

 鍋はこれだけの人数の調理をまかなうために、結構大き目だったらしい。小ぶりな薬缶を取り出してきた。

「水もくれ」

 革袋の口を開け、半分ほど水を満たす。薬缶に蓋をして、両手で持った。金属の感触が、手袋を通してじわりと冷たさと共に伝わる。

「灼熱たれ、我が手の中で」

 短い呪文を唱える。すぐに、薬缶の口から湯気が噴き出してきた。

「おおー」

 クセロが感心したような声を上げる。小さく手を叩いてすらいた。

 肩を竦め、再び馬車の扉へ向かう。段の上に、熱い薬缶をそっと置いた。

「お湯が沸いたから、温かい紅茶でも飲んでな。もうすぐ、馬の世話が終わったらみんな戻るから、俺たちの食事も頼むよ」

 目を丸くして見つめてきていたプリムラが、頷く。

「ありがとうございます、アルマ様」

 嬉しげに、ペルルが礼を言う。自分の侍女であるプリムラへの気遣いが嬉しいのだろう。

「あの……、ありがとう」

 小さな声で少女に礼を言われて、微笑む。ひらりと片手を振って、アルマはクセロの手伝いに戻った。




 その後、彼らは順調に馬を進めた。

 空模様は曇っていて肌寒くはあったが、幸い雨は降っていない。

 追っ手に追いつかれることもなく、旅の一日目は暮れていく。

 時間が経つにつれて、御者台に座るプリムラの頭がふらふらと揺れ始めた。

 深夜からずっと馬車を御しているのだ。疲れてきていても仕方がない。

 アルマが、いい加減グランに一言言ってやろうと思い始めたあたりで、時々道を先行していたクセロが、馬車に馬を寄せた。

「大将。もうすぐ宿だ」

 周囲にほっとした空気が流れる。

 やがて道の先に見えてきたのは、二階建ての大きめの宿だった。

 前庭まで馬をつけて、先頭に立っていたクセロが飛び降りる。

「ちょっと待っててくれ。値段を決めてくる」

「値切る必要はないぞ、クセロ」

 グランが窓から止めるが、男は僅かに呆れたような顔で見返した。

「言い値でほいほい代金を払っていたら、そっちの方が印象に残るってもんですよ。そもそもおれを使ってるのはそのためでしょうが。大丈夫、長くはかからない」

 自信たっぷりに言うと、玄関の扉を開き、奥へと足を進めていった。残された者たちは、所在なげにそのまま待っている。

 ぐるりと周囲を見渡した。建物の横手の地面に轍がついている。よく行き来しているのだろう。おそらく、厩舎はその先、建物の裏手にある。

 ノウマードが馬の背に乗ったまま、長く伸びをした。

「流石に疲れたな。昨夜は仮眠も取れなかったし」

 出発の準備が人一倍かかっていたせいだ。

「明日からはこんなにのんびりとは進まないぞ」

 グランが静かに釘を刺す。

「君がどんなつもりでも、馬に無理はさせられないしねぇ」

 が、青年はさらりとそれをかわした。

 この二人の口論の間には入っていたくないな、とアルマがしみじみ考える。

 などとやっているうちに、クセロが姿を現した。宿の使用人なのか、背後に一人の少年を連れている。

 少年が荷馬を連れて、轍のある方へと歩き出した。

 クセロがちらりとそれを見て、馬車に近寄る。

「怪しい奴はいないようだ。後で話がしたいらしい」

 小さく囁くのに、グランは頷いた。



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