13
オーラレィの街に滞在して、四日目。
ようやくグランの部屋の扉を押し開けたノウマードは、開口一番、こう言った。
「外へ出して貰いたいんだが」
グランは長々と青年を見上げ、そして重い溜め息をついた。
「ある意味予測を裏切らない男だな、お前は」
手にしていた分厚い本を閉じて、呟く。
前回顔を合わせていた時、あの馬車の中ではもう少し丁重だったグランの言葉遣いも、やや乱雑になっていた。ノウマードが、少しばかりばつが悪そうに視線を逸らせる。
「……今まで、何もしてこなかったのは確かに悪いと思っているよ。ただ、考えが纏まらなくて」
「アルマなんかに構っているからじゃないのか?」
皮肉げに、幼い巫子が指摘する。自室で何が起きていたかを把握されている、という示唆にも動揺せず、ノウマードは軽く肩を竦めた。
「ああ、あれは、飽きた」
「飽きた?」
彼にしては珍しく、少しばかり驚いたような声で繰り返す。
「アルマがね。考えるのが面倒になった、って。今部屋に籠もっているよ」
「……あれも困った奴だな」
「そもそも君が彼の情操教育を怠ったからじゃないのか?」
嫌みを籠めて告げるが、そんなことでグランの良心は揺らがなかったらしい。それで、と軽やかに話を戻してくる。
「外に出たいって?」
「ああ。この屋敷、そこかしこに見張りが立っていて、外に出ようとすると制止してくるんだ。君はここの主に顔が利くんだろう? ちょっと散歩してくるぐらい、許して貰えないか」
「散歩で済むならいいが……」
言葉を濁す相手に、とうとうノウマードは降参した。片手を胸に当てて、宣誓する。
「外に出たからといって逃げ出さないし、敵対する誰かに情報を漏らしたりしない。余計なものは買ってこないし、行きずりの相手とどこかにしけ込んだりもしないよ」
「……お前は、いつもそんな風なのか?」
呆れた口調で問いかける。
「正直なところを言うと、少し苛立ってる。私は草原の民だ。あまり長い間、家の中に閉じこめられることに慣れていない」
「行軍中はおとなしくしていたらしいが」
「あの時と違って、今、私が我慢するほどの利点は見当たらないね。数時間、街をぶらぶらできればそれでいい。本気で息が詰まりそうなんだ」
小さく吐息を漏らして、グランはその体に比べてはるかに大きな椅子にもたれかかった。閉じていた本を再び開き、視線を落とす。
「護衛をつけてもいいのなら、許可しよう」
「護衛? 監視じゃなくて?」
「うちの人材は才能豊かなんだ。どちらかしかできないような奴では、務まらない」
昼間とはいえ、秋も深まった戸外は冷える。
竜王宮の裏口から人目を忍ぶように外へ出た人影が、大きく伸びをした。
オーラレィは、そこそこ大きな街だ。
王都まで馬で数時間、という距離であることが幸いしている。
イグニシア王国の首都であり、王を頂く都市アエトスは、生活するには経費がかかりすぎる。
端的に言うと、王宮に近づくほど暮らす人間の地位も収入も経費も高くなり、離れるほどにそれらは反対に低くなる。街壁近辺になると、貧民窟と化している場所もところどころ見受けられる。
それでも、他都市と比較して、その価格は全体的に高い。
自然、王都に長期滞在できるほど資金に余裕がない商人や旅人は、オーラレィから通うことを選ぶようになる。
王都での商売に失敗した者が、手持ちの商品を売り払う目的で持ちこむことも多く、市場は活気に満ちていた。
その人混みの中を、ふらふらとノウマードは歩いていく。
店主から声をかけられたり、彼から話しかけたり、にこやかに話し合っていたり、適当にあしらわれたり、あしらったりと、その表情は実に楽しげだ。
そして、一時間ばかり市場をうろついたところで。
「そこの兄さん! 気になるあの娘に、一束どうだい?」
横合いから、声をかけられた。
呆れた顔で、ノウマードが視線を向ける。
その店は花屋だった。帆布の屋根の下、大小の壷や樽が並べられ、色とりどりの切り花が咲き誇っている。
冬が近いにしては、種類も豊富と言えるだろう。
勿論、ノウマードはそれに呆れていた訳ではない。
「……何をしているんだ? 君は」
ごつめの前掛けを締め、なれなれしく声をかけてきたのは、短い金髪の細身の青年。クセロだった。
「仕方ねぇだろ。適当な場所で、店番を代わってくれたのがここしかなかったんだ」
声を潜めて告げてくる。
「どうして?」
「そりゃ金を掴ませたんだよ。ったく、無駄な出費になっちまった」
「いやどうやってと訊いた訳じゃないんだけど」
何となく途方に暮れたような気分で呟く。
クセロは、抜け目ない視線を向けて、素早く続けた。
「いいから花を選んでいるふりをしてくれ。それから、おれの言う通りにするんだ。あんたが今後とも五体満足でいたいんだったら、だが」
ノウマードがその言葉に、僅かに眉を寄せた。
ゆっくりと、人混みに紛れて目標に近づいていく。
仲間たちが道の向こう側から同様に動いているはずだ。逃げ道は少しずつ塞がってきている。
今、標的は、露店で商人と話していた。
商人は見ない顔だった。花屋は、近隣の農場から仕入れ、市場で売っている。遠くから仕入れるとなると、鮮度が保たないからだ。
ならば、自然、商人は見知った人間であるはずなのだが。
まあ、雇い人が新しくなったのかもしれない。さほどそちらは気にかけず、男たちはゆっくりと足を進めていった。
その、矢先。
「おとなしくしろ!」
怒声とともに、がしゃん、と破壊音が響く。
花屋の商人に腕を捕まれて、目指す人物がもみ合っていた。数秒の攻防の後、勢いよく腕を振り払う。更に壺の壊れる音がして、周囲から悲鳴が上がる。
躊躇うことなく、男は走り出した。人混みを掻き分けて標的の前に現れたところで、ぶちまけられた壺の中身、冷たい水が頭上から降りかかる。
「うぉっ!?」
驚愕の声をよそに、緑色のマントを纏った青年は身を翻した。そのまま、横手の路地へと走りこんでいく。
「待ちやがれ!」
花屋の店員が、素早くその後を追った。仲間たちがその背後に続こうとして。
ひゅん、と鋭く空気が鳴る。
「うぁあああ!?」
店員が、慌てて上体を仰け反らせ、道を塞ぐように尻餅をついた。彼らの頭上を掠めるように、一本の矢が飛び去っていく。
標的は、数十メートル先でこちらを確認するように見つめた後、すぐに再び走り出した。途中の路地へ飛びこみ、その姿が視界から消える。
「待て……!」
慌てて追いかけようとするその足元に、情けない声を上げて店員が縋りついた。
「た、救けてくれ! 人殺しだ!」
「何だてめぇ! 退け!」
「救けてくれよ! 殺される!」
先に立つ二人の足が止まり、後ろに続こうとした仲間たちも進めなくなっている。
「ええい、退け! 殺すぞ!」
怒声に、更に悲鳴を上げ、男は手を離した。這いずるように脇に避け、そのまま人混みの中へと逃げていく。
「奴を探し出せ! 絶対に逃がすな!」
金髪の男にはもう注意も向けず、彼らは路地へと殺到した。
不審なロマが市場から逃亡して、二時間ほど経過した。
彼を捜索する人数は数倍に増えていたが、時間が経ったこともあって、街の各所に散らばっている。
市場の周辺は、そろそろ店じまいする時間だということもあり、人の姿も少なくなっていた。
その街路を、二人連れの人影が進んでいた。
一人は、まだ幼い少女。火竜王宮の巫女の聖服を着ている。年齢からして、まだ見習いだろう。
もう一人も、やはり巫女の聖服を着ていた。寒さのせいかマントを着用し、更にフードまで被っている。よく見ると、女性にしては酷く背が高くはあるが、それを気にかけるほど二人に注目する人間もいない。
二人は大きなバスケットを両側から持っていた。布をかけたその下から、ワインの瓶や長いバケットが覗いている。真っ直ぐ前を見て一生懸命に歩く赤銅色の髪の少女に、微笑ましげな視線が向けられた。
誰何されることもなく、二人は竜王宮の裏口へ辿りつく。
建物の中に入ると、あっさりバスケットから手を離し、少女が廊下を小走りに進んでいった。とある扉を開き、軽く中へと飛びこんでいく。
「ただいまっ!」
が、中に集っていた面々を目にして、体を強張らせた。
室内にいるのは、クセロと精々グランぐらいだと思っていたのが、ペルルとアルマも顔を揃えていたからだ。
口々にお帰り、と声をかけられ、照れたように笑って、プリムラは急いで壁際に立つクセロの傍に寄っていった。
その後から部屋に入ってきた人物は、乱暴にテーブルの上にバスケットを置いた。マントの下から弦を外した弓を取り出し、その隣に置く。そして、荒い仕草でマントのフードを振り払った。
「……で。一体何があったのか、はっきりと教えて貰いたいね」
一同を、半眼で眺め渡して、ノウマードは告げた。
「そう喧嘩腰になるなよ。似合ってるぜ」
にやにやと笑いながら、アルマが茶化す。巫女の聖服の長い袖を巻きこむように腕を組んで、ノウマードが真っ直ぐ睨み据えた。
「言ってくれるじゃないか。こともあろうに、私が火竜王の巫女服を身につけるなんて、ニネミアに合わせる顔がないっていうのに」
「いや気にするところがそこなのか?」
もう少し色々配慮するところがある筈ではないか。そう言いたかったが、ノウマードは小さく鼻を鳴らし、勧められもしないのに空いている椅子に腰を下ろした。無造作に足を組んで、乱れた聖服の裾から無骨なブーツとズボンとが覗く。
それらを隠すために、裾の長い巫女服を着なくてはならなかったのだ。文句を言いつつも、彼はその理由は理解している。
「まあそう言うな。何なら、次に顔を合わせた時に風竜王には僕から詫びを入れておく」
あっさりとグランが宥めて、一同から胡乱な視線を向けられた。
だがそんなものを気にする様子もなく、幼い巫子は手元にあった一枚の羊皮紙を机の上に滑らせた。
「理由はそれだ。緊急事態だった」
眉を寄せ、ノウマードが羊皮紙を引き寄せる。
それには、簡易な肖像画と、幾つかの文が書かれていた。
『二十代半ばのロマ。明るめの茶色の髪。茶色の目。目立った傷や痣、ほくろ等はなし。さる貴人を拉致した嫌疑をかけられている。絶対に生かしたまま捕縛すること。--』
唖然として、視線をグランへと向ける。
「思ったよりも対処が早かったな。竜王兵や巫子にはできるだけごまかすように命令してきたから、十日は保つと踏んでいたんだが。……さて、オリヴィニス。心当たりはないか?」
冷え切った目で見つめられて、手配書に描かれた青年はゆっくりと目を閉じた。
「……そうだ。とりあえず着替えてくるよ」
「アルマ」
さり気なさを装って立ち上がろうとしたノウマードの行く手を、ただ一言で命じられた少年が足を投げ出して遮る。
「まああれだ。俺の立場も判ってくれよ」
軽く言い訳するアルマの手は、腰に佩いた剣にかけられていた。
数秒間それを見下ろして、ノウマードは再び椅子に身を沈める。だが、そのまま口を開こうとはしなかった。
しばらくの沈黙の後、助け船を出すかのように、クセロが軽く手を上げる。
「言いにくいなら、おれから話してもいいんだぜ」
楽しげなその申し出に、ノウマードはこれ見よがしに長々と溜め息をついた。
クセロは、この青年を拉致する際に、彼がどこにいたのかを知っている。しかも、その数日前から彼の動向を探っていた。
ノウマードは監視されていたことをはっきりとは知らないが、しかしクセロに説明を任せていい結果になるとも思えない。彼は軽く片手を振って、その提案を退けた。
「大したことじゃない。しばらく、ステラ王女と関わっていただけだ」
そして、こともなげにノウマードは告げた。




