11
馬車がオーラレィの街に着いたのは、夜明け前だった。
ごとごとと音を立てながら、寝静まる街路を抜け、そっと竜王宮へと辿りつく。
結局徹夜で移動していた彼らは、一旦それぞれの居室へ案内された。
「数日、ここに滞在しよう。何か話したいことや訊きたいことがあれば、いつでも遠慮なく来てくれていい」
それだけを告げて、グランが早々に部屋に入る。
中身はともかく、彼の身体はまだ幼い。疲れもするだろう。
とりあえず、アルマも倒れこむように寝台に入り、かろうじて午前中という時間に目を覚ました。
ペルルが部屋に尋ねて来たのは、そのしばらく後のことだった。
「おはようございます」
笑顔でそう挨拶を口にしながら現れた少女に、呆気に取られて立ち竦む。
今まで、水竜王の姫巫女たるペルルは、決まって純白の聖服を身につけ、長い髪は自然に背に流し、額に銀とアクアマリンのサークレットを頂いていた。
だが、今朝の彼女は、淡い水色のドレスに身を包み、亜麻色の髪を柔らかな、娘らしい形に結い上げていた。
半ば口を開けてただ見つめてくるアルマに、ペルルはやや不安そうな視線を向けた。
「あの……、おかしい、ですか?」
「あ、いえ、そのようなことは全く! その、お似合いです」
慌てて告げると、ペルルは恥ずかしげに頬を染めた。
「ありがとうございます。プリムラが見立ててくれたのですよ」
ペルルの後ろから部屋に入ってきた少女が、ぺこりと頭を下げた。
ドレスは決して質素ではないが、華美でもない。フリルは一段だし、裾飾りも派手ではない。冬が近いこともあってか、襟は慎ましく首元を覆っている。
しかし、何故か、貴婦人相手ならすらすらと口を衝いて出る美辞麗句が、つっかえたように発せられない。
尤も、ペルルはそのことに不満などないようだったが。
居間のソファに案内して、腰を下ろす。プリムラは壁際の椅子に行儀良く座り、じっとアルマを見つめていた。
理由に心当たりがなくて、内心小首を傾げる。
「よくお休みになれましたか?」
「はい、充分に」
穏やかに言葉を交わすのは昨日までと同じで、昨夜、グランから無理難題を突きつけられたことが嘘のようだ。
だが嘘ではないことを示すように、話題は自然とそのことへと移っていく。
「驚きました。……まさか、ノウマードが風竜王の巫子だったなんて」
頬に白い手を当て、ペルルが零す。
「あの二人の話を、信じていらっしゃいますか?」
アルマの問いかけに、きょとんと見返してくる。
「貴方は信じていらっしゃいませんの?」
「グラナティスは、今まで何度も目的のために虚言を弄することがありました。ノウマードは……、そもそも、巫子だということを我々にずっと隠していた人間です。彼らが言うことが全て真実だとは信頼できません。とはいえ、グラナティスの動機だけは、疑うつもりはありませんが」
「動機?」
「彼はね。何て言うか、竜王の巫子として、民を庇護することへの情熱だけは隠さないし、そのための手段からは目を逸らさない。あんな姿をしてはいますが、イグニシアの全ての民に対して、父親として在ろうとしているようなものです。今、本当に世界の危機が迫っているのだとしたら、その庇護欲が他国に及んでいても、まあ驚きません」
「信頼されているのね」
柔らかく笑んで、ペルルが返す。
「そのために俺がこき使われることについては、確実に」
アルマがはぐらかした言葉に、顔を見合わせて、二人はまた笑った。
横合いから発せられる、プリムラの憮然とした視線を時折気にしつつ、穏やかに談笑は続く。
が。
「そう言えば、ペルル様は……」
と、口にしかけたところで、少女は僅かに眉を寄せた。
「まだ他人行儀ですよ、アルマ様」
ついうっかり、名前に敬称をつけていたことに気づいて、口ごもる。
「すみません。ですが、その、女性に乱暴な口をきくことはできませんし」
「乱暴にして欲しいと言っている訳ではありません。親しく、して頂きたいのです」
「……はぁ……」
視界の片隅で、プリムラが、酷く暗雲立ちこめたような顔をしていた。
「邪魔するぜ」
扉をノックしたと同時、返事も聞かずに押し開ける。椅子から立ち上がりかけていた滞在者が、目を見開いて凝視してきていた。
「……アルマ?」
片手を上げて応えながら、遠慮なく室内に入りこむ。
そこは、自分が割り当てられているのと同じような居間だった。少なくとも、同じ部屋の中に寝台はない。
「従軍中よりはいい扱いされてるんじゃねぇ?」
辺りを見回しながら呟く。
まあ、あの頃、彼は重要人物でも関係者でもなく、ただの部外者だったのだから仕方がない面もあるが。
「……ええと、何か用なのか? いつでも訊きにくるように、と言ったのは、グラナティスであって私じゃないんだが」
かなり狼狽えながら、ノウマードは問いかけてくる。
苦笑して、アルマは片手をひらりと振った。
「いや、そうじゃなくてな。どっちかと言えば、聞いて欲しい方だ」
「聞く?」
「愚痴」
一言で答えたところ、ノウマードは数度瞬いてから力ない笑みを浮かべた。
「全く……。昨日の今日で、どうして君はそう今までと変わらない態度でいられるんだ?」
「昨日の今日、ってのは、お前がただのロマじゃなくて、風竜王の高位の巫子だった、ってところか? 勘違いするなよ。俺は、お前に会った時から、ロマってことで充分警戒心を持ってた。実はお前がロマじゃなかった、っていうのなら態度も違うだろうが、実質、それほど事態が変わった訳じゃねぇだろ」
胸を張って言い切るのに、呆れたように青年は視線を天井へ向けた。
「なるほど。……血筋か」
小さく呟いた後、片手で目の前の椅子を示し、自分も再び腰を下ろす。
「まあそこはともかくとして。どうして、私にその愚痴とやらを?」
「他に誰がいるんだよ? グランは一切聞く耳を持つ訳ないし、あのクセロって男とはそう親しくない。この街の巫子たちに、いきなりこんな話ができる奴はいないし……」
「ペルル様のことか?」
どすん、と腰掛けてぼやく言葉を、ノウマードが聡く遮る。
「ん……。まあ」
愚痴を言いに来た、という割には歯切れが悪く、アルマは口ごもった。
「それこそ私に話すことじゃないんじゃないかなぁ」
アルマが来訪した直後とは違い、僅かに余裕すら見せて、ノウマードは苦笑する。が、心なしか少年が肩を落とした気配に、続けた。
「君、友達いないだろう」
「余計な世話だ!」
追い打ちをかけられ、間髪を容れずに吠える。まあ、いたところで、今この場に存在する訳もないのだから、同じことだが。
彼に会いに来たことすら後悔しかけたところに、ノウマードが肩を竦めた。
「でもまあ、それぐらい構わないよ。私の考え事ぐらいなら、君の話を聞く片手間にできるし」
「凄ぇなそれ」
素で驚いたらしいアルマに、無言で柔らかな笑みだけを向ける。
ちょっとはぐらかされた気分になり、何となくアルマは頬杖をついて、視線を逸らせた。
「ええと……。だから、ペルルのことなんだが。俺と、親しくなりたいらしいんだ」
青年が、数十秒ほど沈黙した。
「それはおめでとう。それこそ愚痴を言うところじゃないとは思うけど」
「俺がお前やグランに対するような親しさを要求されていてもか?」
じろり、と睨みつけるような視線を向けて返す。
「あー……」
小さく、低い声を漏らしながら、ノウマードが窓の外を注視し始めた。
「まあ、姫巫女っていうのは大体が世間知らずだからなぁ。ペルル様はまだお若いし、竜王宮に入られたのも幼い頃からだろう。女性が、男性と親しくなるってパターンをあまりよく知らないんじゃないかな。そもそも、その要求に従うなら、彼女もグラナティスや私が君に対するような態度をとるべきだし」
「お前女性に対してなに要求しようとしてるんだよ」
呆れて少年が呟く。
「とにかく、ただ相手を変えることは難しいんだから、君が彼女に対する態度を適切に変えていけば、軌道修正もできるんじゃないか? こっちはさほど難しくもないだろう」
さらりと、いかにも簡単だという風にノウマードは結論づけた。大した愚痴でもない、と言いたげに。
しかし、憮然としたままのアルマに、小首を傾げる。
「……まさか、君の方が女性と親しくなるパターンを知らないとか言うんじゃないよね?」
「悪いかよ」
僅かに顔を赤くして、少年はぶっきらぼうに返した。
「いや、悪くはないよ。ただ、貴族の子弟がまさかそんな初心な状況にあるとは思わなかったというか」
「初心じゃねぇよ! 単純に、個人的に親しくなったことが今までないだけだ!」
威張れることではないが、彼の育った境遇を聞いた限り、まあ仕方がないのかもしれない。
何より、彼は母親と生き別れている。子供が成長する過程で、最も親しい大人の男女の関係性を知らない、というのは、そこそこハンデではあるだろう。
「……君、許嫁がいたよね」
「ああ」
いきなり話を飛ばされて、不審に思いつつ頷く。
「もし将来、その許嫁と結婚するとして、どういった態度で接するつもりでいたんだ?」
ノウマードの質問の意図が掴めない。眉を寄せ、アルマは椅子の背に体重を寄せた。胸の前で腕を組んで見返す。
「どういうも何も。普通にしてるだろ、多分」
しかし、彼の普通は、大目に見て貴族としての普通としても外れていそうだ。
「常に礼儀正しく、敬語で会話をして、ただ跡継ぎを産むことだけを期待するのか? 最初から希望の持てない結婚だと思っていても、それじゃあ継続すら望めない」
「お前に、そんなことを言われる筋合いは……」
激昂しかけたが、にやりと人の悪い笑みを浮かべ、人差し指を突きつけてきたノウマードに、反射的に言葉を止める。
「私を、誰だと思っている? これでも吟遊詩人として、古今東西の恋歌を全て身につけているんだ。安心するといい。君に足りないものぐらい、ちゃんと教えこんであげられるよ」
「……ごく普通の関係性の知り合いが欲しいもんだな……」
「それは君の人徳の問題だね」
皮肉をさらりと返されて、悩める少年は、長々と溜め息をついた。




