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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
火の章

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27/252

10

 その名前を理解する間、沈黙が降りた。

 突然、がたん、と車輪が何かに乗り上げ、それに驚いて息を飲む音がする。

 どうやら街道に着いたらしい。車輪が回る音が変化して、僅かに速度が上がったようだ。

「龍神……?」

 訝しげにペルルが尋ねる。

「何だ、それは? 聞いたこともない」

 眉を寄せたまま、ノウマードが吐き捨てるように言った。

 至極真面目な表情で、グランが頷く。

「我らが竜王の存在理由は知っているな? 彼らは自然の具現者だ。火を、風を、水を司り、世界を体現し、四季という形で時間を廻す。だからこそ、彼らは神ではない。王だ。我らは竜王を敬い、崇め、仕えるが、しかし盲従はしない。してもしなくても、自然は立場を変えはしないからだ。

 しかし、龍神は違う。奴は神として全ての支配を望む。人も、自然も、竜王も、全てを。

 その一つの手段として、三百年前に、フルトゥナへ侵攻した。当時の王家を操って。

 〈魔王〉アルマナセルを召喚したのは、主にベラ・ラフマの力だ」

「それが、お前の口先だけでないとどうして判る?」

 ノウマードの苛立ちは募り続けているようだ。ずっと、きつくグランを見つめている。

「ふむ。……ならば、不審に思ったことはないか? 〈魔王〉アルマナセルが、どうして数十年で死んでしまったのか。どうして妻レヴァンダと共に永遠の生を生きなかったのか」

 ノウマードとアルマが、一瞬顔を見合わせる。

「簡単だ。そんなこと、〈魔王〉にはできなかったからだよ。僕を不老不死に作り替えたのは、主にベラ・ラフマの力だ。〈魔王〉にはできない。神でなくては。……まあそれも元々は、イーレクスへ施術する前の実験だったんだが、色々と乗り越えなくてはならない条件があってな。イーレクスは、それを躊躇したんだ。我が兄ながら、つくづく、優柔不断で決断力のない、調子がよくて流されやすいだけの人間だった」

 憂鬱そうに、グランは溜め息をついた。

「[奇襲王]が……?」

 歴史学の授業で学んだこととは、全く違う。不思議に思って、アルマが口に出した。疲れたように、幼い巫子は片目を軽く擦って続けた。

「フルトゥナ侵攻が成功したのは、ひとえに〈魔王〉アルマナセルの奇襲と、イーレクスに指示し、事実上軍を動かしたベラ・ラフマの下僕の力だ」

「下僕?」

「奴が何と名乗るのかは知らん。下僕だか巫子だか使徒だか使い魔だか、まあ好きに呼んでいたからな」

「お前がか」

 呆れて呟く。

「しばらく見なかったが、最近また王宮に顔を出しているらしい。お前は会ったことがないか? やたらと細い、見事な金髪で青い眼の、二十歳ばかりの男だ」

 心当たりがあって、またゆっくりとノウマードの方を向いた。僅かに、彼の顔色も悪い。

「会ったんだな」

 確認ではなく断定されて、頷く。

「ステラに取り入っていたように見えた。従軍前にあの男を見た覚えはないから、王宮に出入りしたならその後だと思うんだが」

「そんな訳があるか。カタラクタ侵攻は、奴の謀だ。今回の策に関して、何十年という単位で王宮に働きかけている筈だぞ」

「何十年!?」

 アルマが驚愕するのを、小さく鼻を鳴らして見つめた。

「無関係な僕でさえ、不老不死にできるんだ。下僕である奴に、もっと確実な施術をされていることに不思議はない。僕の知る限り、あいつが生きているのは三百年どころじゃないな」

「お待ち下さい、グラナティス様」

 今まで基本的におとなしく話を聞いていたペルルが口を挟む。口調は冷静に聞こえるが、僅かに身を乗り出しかけていた。

「カタラクタが、その龍神の謀に晒されているとおっしゃるのですか」

 グランは真面目な表情に戻り、重々しく頷いた。

「三百年前、奴は不完全とはいえ、フルトゥナを征し、風竜王を封じこめた。今度はカタラクタに対する番だ。以前の失敗を繰り返さないよう、あらん限りの手を尽くしているのは間違いない。時間がない。手数も足りない。僕に、力を貸してくれ。世界を、龍神の(もと)に貶めさせないために。頼む」

 言い淀むこともなく、一人一人の目を見つめる。

 水竜王の高位の巫女、ペルル。

 〈魔王〉の(すえ)、アルマナセル。

 そして。


 ノウマードは、沈黙の中で幾度か、言葉を出そうとして唇を開いた。が、それは声になることなく、合わされる。

 その表情は既に憎悪でも怒りでもなく、戸惑ったような、覚束なげなものになっていた。

 やがて言葉が出ないことに苛立ったか、片手で顔の下半分を押さえ、長く溜め息をつく。

 そして、決然とした動作で両手が頭の後ろに回された。

 時折指先の動きは止まるものの、ほどなく結び目を解かれた緑色の布が、ゆっくりと頭から外される。

 外気に晒された吟遊詩人の額には、大粒のエメラルドが一つ、光を放っていた。

 右手を胸に当て、恭しくグランが軽く頭を下げる。

「初めてお目にかかる、風竜王ニネミアの高位の巫子、オリヴィニス。無事に貴公と相まみえられたことを、全ての竜王に感謝しよう」

 グランの儀式張った挨拶に、しかし、青年は強ばった表情のまま、一言も返さなかった。


「………………は?」

 唖然として、小さく言葉を漏らす。

 ノウマードは無言のまま、僅かに視線を逸らせ気味にしている。

「なに……言ってんだ? お前……」

 まだリアクションが望めそうな、グランへと声をかけた。

「一体何が判らないんだ? かなり詳しく説明してやっている筈だが」

 しかし蔑むように、はぐらかすように訊き返される。

「いや、だって、風竜王の巫子って……。風竜王宮は、三百年前にフルトゥナが滅亡してから機能していないだろ。巫子だって、いるはずがないじゃないか」

 混乱した頭で、何とか言葉を続ける。

 幼い巫子は、これみよがしにまっすぐアルマを見つめた。

「お前の角が乗っている頭蓋の中は空洞なのか? 確かに、現在の風竜王宮は無人だ。だから、現存する風竜王の巫子は、即ち、三百年前にいた高位の巫子と同一となる」

「……何、を」

 嫌な汗が、背中を流れる。

 目の前で、沈痛な表情で黙りこんでいる青年は、あれは。

 しかしグラナティスは彼らの感情など全く黙殺して、続けた。

「彼は三百年前、〈魔王〉アルマナセルとベラ・ラフマの下僕とがフルトゥナに侵攻した際にそれを迎え討った高位の巫子、その当人だ」


 ただのロマだ、とは思えないことが多々あった。

 心に決めた相手がいる、と、額に手を乗せて誓うように告げられた。

 他の貴族にはそれなりにへりくだるというのに、自分にだけは酷く傍若無人な態度を取っていた。

 この三ヶ月で感じていた数々の違和感が、一つの事実によって心の中にぴたりと居場所を見つけていく。

 自分の顔が引きつっているのが判る。

 ペルルは、戸惑ったように、不思議そうな顔で彼らを見回していた。

 ノウマードは、やはり声も出さず、こちらの反応を伺っている。

 やがて、アルマは小さく息を吸い、憮然とした表情を作って腕を組んだ。

「全く、どうかしてるだろ。世界中の、俺以外の人間は、ひょっとして全員三百年以上生きてるのか?」

 その言葉に、呆気に取られていたペルルがくすくすと笑い出す。

「私は今年で十四になりますね。アルマ様」

「どうもありがとう。安心しました、ペルル」

 にっこりと笑んで返す。ノウマードが、ようやく身体の力を抜いた。

「にしても、何でお前が三百年も生きてるんだ? グランとか、あのイフテカールって野郎のは、例の龍神がかけた術なんだろ? お前もそいつにやられたのか?」

 不躾に、真っ直ぐに問いかける。

 この場にいるのが、彼以外は全員高位の巫子であり、しかも現状、彼らは風竜王の巫子には気を使わざるをえない。ずけずけと話しかけられるのは、〈魔王〉の子孫であるアルマしかないだろう。

 これは、自分の役目だ。

 その辺りはアルマの判断も慣れたものだった。

 そう、疎まれ、蔑まれるのは、慣れている。

「……いや」

 僅かに苦い表情を浮かべたが、今回はノウマードは言葉を発した。

「あの時、フルトゥナの風竜王の本宮に現れたイーレクス王子と〈魔王〉の目的は、はっきりしていた。風竜王ニネミアを消滅させ、フルトゥナの民を一人残らず殲滅する。何一つ、あの地には残さない、と」

 彼の掌の中にある、緑の布が、ぐしゃりと握り締められる。

「ニネミアは決断した。私以外のフルトゥナの民を、自らの庇護から放逐することを」

 ペルルの小さな手が、そっと、僅かに背を丸めているノウマードの肩に乗せられた。青年は青褪めた顔に、薄く感謝の笑みを浮かべる。

「それは……、何の意味があるんだ?」

「意味は二つある。風竜王の庇護を失うことにより、民は竜王と一蓮托生となる破滅の道から遠ざけられる。そしてもう一つ。ニネミアの全ての力が、分散することなく私一人の身に顕現することだ。長く生きているというのは、まあ、その副産物だね」

 ノウマードは力強く竜王の名を口にする。

 グランとはつきあいが長い。ペルルとも、それなりに気心が知れていると言っていいだろう。

 だが、彼らはこんなにも慣れたように、親密に竜王の名を呼ぶことはない。

 ひとりきりの、民。

 奇妙なところでその結果を目にして、アルマは痛ましさに小さく眉を寄せた。

「結局、ニネミアが私を通してフルトゥナ全土にかけた、一人だけの民以外を拒絶する術。それと、〈魔王〉か、ひょっとしたらその場にいたかもしれない、その龍神の手先がかけた風竜王を封じこめる術。それが合わさって、酷く不条理で強固な呪が、あの国そのものにかけられることになった。それ以来ずっと、フルトゥナの国土には誰も入ることはできず、反対に私はあそこから出ることもできなくなったんだ」

「出てるじゃねぇか」

 実際、目の前にいる青年に反論する。

 ようやくいつものように苦笑して、ノウマードが続ける。

「九ヶ月前ぐらいかな。いきなり、呪が緩んだんだよ。少し干渉してみたけど、それに対する反応はなかったから、一ヶ月ぐらいかけて少しずつ緩めていって。カタラクタの方から、ちょっと抜け出した」

「いやそんな塀の破れ目から脱走したみたいに言われても」

 さらりと告げられて、アルマが呟く。

「ああ、それは僕がやった」

 更に何気なく、グランが口を挟んだ。

「……脱走?」

「違う。封印を緩めた方だ。お前に渡した剣があるだろう」

 いきなり話を振られて、腰に()いた剣を見下ろす。

 この状態で座るのは、一人用の椅子であればまだ楽だが、馬車の座席は横に長い、ベンチ形のものが二つ、向かい合わせになっている。一メートルほどの長さがある剣を微妙に持て余し、アルマは座席の空いた面に、斜めに置いていた。

「それは、〈魔王〉アルマナセルが使っていた剣だ。フルトゥナで、封印の媒介に使った道具の一つだったらしい。それからずっとうちの竜王宮で安置していたんだが、今回のカタラクタ遠征にかこつけて、お前に渡した。媒介が力を弱めていったから、封印も緩んだんだろうな」

 ノウマードが、皮肉げな笑みを浮かべる。

「つまり、私は最初から君の掌の上だった、と言いたいのか?」

 挑発的な言葉に、しかしグランは肩を竦めただけで流す。

「さて、そろそろ、返事を聞かせてくれるだろうか。僕と共に、龍神の手から世界を救い出しに行って貰えるか?」

 再度、強い口調で問いかける。

「俺に選択権があるのか?」

 一縷の望みをかけて、アルマが聞き返す。

「お前にはないな」

 が、予想通りに否定されて、肩を落とした。

「あの、私にできることでしたら、何でも致します。世界を、カタラクタを救うためでしたら、私……」

 片手を胸に当て、身を乗り出すようにして言ってくるペルルに、グランは珍しく柔らかい笑みを浮かべて目を伏せた。

「ありがとう。ペルル」

 そして、全員の視線が再び一点へと集中する。

 額のエメラルドを衆目に晒して、ノウマードは自嘲した。

「私にも選択権はないな。前後に君の牙が控えている状態で、その手を振り払えるかどうかを考えると」

 その言葉に、ようやく気づく。

 グランは、一番に馬車に乗り込み、進行方向を向いて座った。

 互いに警戒心を抱いているノウマードは、いつ乗りこむにせよ、その前や隣に座ることはあり得ない。当然斜めの席に座り、アルマはその隣か前、どちらかに座るだろう。

 そして、ノウマードの背後は御者台だ。そこには、今、クセロが手綱を取っている。

 どちらも火竜王の巫子の命令があれば、ひと一人の生命(いのち)など、簡単に奪える位置だ。

 グランは、暗に示すその推測を無言でやり過ごした。

 小さく溜め息をつき、ノウマードが再び額を布で隠す。

「できるなら、しばらく考えさせて貰えないか。……まだ、腑に落ちないことも多少ある」

 その言葉に、幼い巫子はこれ見よがしに眉を上げた。




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