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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
火の章

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08

 つかつかと進み、隣の部屋に通じる扉を開く。

 居間にも、人影は全くなかった。が、暖炉に火が入っているにも関わらず、空気は僅かに冷えている。

 窓と廊下と少し迷ったが、廊下へと足を向けた。この時期の夜の屋外は、酷く冷える。

「ノウマード!」

 大声で呼びつけるのに、少し離れた部屋の扉が開いた。ほっとした気持ちと、苛立ちとが混じり合って、それを睨みつける。

 だが。

「お気に入りがいなくなったのですか、王女殿下?」

 扉から姿を見せたのは、金髪の青年だった。


「イフテカール。まさか、貴方がノウマードをどうこうした訳じゃないわよね」

 苛立たしげに問い詰める。ひょい、と相手は肩を竦めた。

「私が、事もあろうに貴方のお楽しみを邪魔する訳がないでしょう」

 だが、その唇に浮かぶ楽しげな笑みが今ばかりは信用できない。

 ステラ王女は、賛美され、奉仕され、尽くされる側の人間だ。他者の心の動きなど、殆ど理解できない。

 ただ、自分を挟んで複数の人間が関係する場合、彼らの行動の原動力が嫉妬によるものが多いことぐらいは知っていた。

 豊かな胸の前で、腕を組む。

「その言葉に嘘はないわね?」

「勿論ですとも、姫君」

 優雅に一礼して、熱っぽい瞳で少女を見つめる。

「だとしたら、どこへ行ったのかしら。……やっと、九日目だったのに」

 悩ましげに溜め息をついて呟く。

「夜の王宮から出ることは、さほど困難ではないでしょう。毎日どこかしらで夜会は開かれています。貴族の召使いの振りでもしていれば、門を抜けることは可能だ」

「王宮から逃げたというの?」

「貴方の前から消えたというのに、まだ王宮に残っているのは自殺行為ですよ」

 うっすらと笑みを浮かべて、イフテカールが穏やかに返す。

「彼がそこまで知っているとは思えないけど。……でも、そうすると居所はすぐには掴めないわね」

「そうですか? 少なくとも、アルマナセル様は彼と知り合いではあったのでしょう?」

 告げられた人名に、僅かに眉を寄せる。

 アルマナセル。〈魔王〉の血を引く大公家の嫡子。

 彼との間に、好意と呼べるものが欠片も存在しないことは、ステラもよく判っていた。

「まさか、あの子が全て企んだの? 私を嘲るために」

「いきなりそう決めつけるのは、流石に乱暴ではないですか?」

 疑心暗鬼に駆られたステラをイフテカールが諫めてくる。そう、彼は今までもこうしてよく自分を支えてくれていた。自分の関心が彼から逸れている間でさえ。

 珍しく、自らをほんの少しだけ恥じて、ステラは踵を返した。

「アルマを呼び出して。まだ宵の口よ、来られないとは言わさないわ」

「ですが、確かアルマナセル様は、先日から火竜王宮に滞在中だったかと」

 その言葉に、更に不快感が増す。火竜王宮を相手にするのは、流石の王女でも少々分が悪い。

「ああ、そう言えば、先日火竜王宮の近くを通りかかったのですが。あのロマがあの辺りを歩いていたのを見たような気がします」

 ふと、思い出したように告げられて、振り返った。

「確かなの?」

「おそらくは。声をかけることはしませんでしたが。私の立場も判ってくださいますね?」

 青年の言い訳を上の空で流す。

「……そう。つまり、アルマどころか、グラナティスがいるということね……」

 唇を引き結び、王女は居心地のいい居間へと戻り始めた。

「いらっしゃい、イフテカール。貴方の策が必要だわ」

「必要なのはそれだけですか、王女?」

「欲張らないで。一度に一つずつよ、判ってるでしょう?」

 暗い笑みを深めて、金髪の青年はステラの後に続いた。




 目の前が暗くなる。

 幾つもの手で押さえつけられ、どれほど藻掻いてもそれからは逃れられない。

 全身に流れる汗が、冷える。

 そして背後から、何の予兆もなく、頭に鋭い衝撃を受けた。


 ばつん、と重い音が響く。


「…………ッ!」

 鋭く息を飲んで、身を起こした。

 周囲は闇に沈んでいた。シーツと上掛けの白さが、ぼんやりと浮かんで見える。

 荒い息を抑えて、寝台の上で膝を抱えた。

 先刻(さっき)の音は、光球が消えた時の音だ。

 角が折れた音では、ない。

 どれほどの時が過ぎたか、ようやくのろのろと顔を上げた。

 小さく呪文を呟いて、光球を再び創り出す。

 明るく照らし出された室内に一人きりであることを確認して、安堵に息をついた。

 何となく眠れなくて、そのままぼんやりと座っている。

 やがて、どことなく遠慮がちに、扉が叩かれた。


「……どうぞ」

 訝しく思いつつ、答える。

 火竜王宮で、彼の寝室の扉がノックされることはあまりない。グランは主人として、どこへでも勝手に進んでいくし、治療を施してくれる巫子は彼が居間に出て行くまで待っている。

 まさかペルルがこんな夜中に訪れる訳もないだろう。

 ゆっくりと開く扉を眺めつつ、そう考える。

 が、現れた人影は完全に彼の意表を衝いていた。

 栗色の髪、額を一周する緑色の布、驚いたような瞳。

「……アルマ、君が……?」

「……ノウマード? お前、何で……」


「ほら、さっさと入りなって」

 呆然とするノウマードの背後から、声が放たれた。慎重な表情を浮かべて、ノウマードは室内へ足を踏み入れる。

 続いて戸口から姿を見せたのは、奇妙な男だった。

 明るい金髪を、短く刈りこんでいる。背は高い方ではあるが、その身体は細く、更に手足が長いために実際以上に長身に見えた。頬も()けていて不健康に見えそうだが、顔色は悪くない。年齢も老けて見えているのかもしれないが、それでも三十に届くかどうか、といったところだろう。にやにやとした薄笑いを浮かべている。

 しかも、貴族の召使いが着るようなお仕着せを身に纏っている。だが、どの家のものか判るような印は見受けられなかった。

 アルマとノウマードの視線が、男に集中する。全く気負う様子もなく、男は肩を竦めて告げた。

「旦那にも伝言だ。こいつを一発殴るなり何なりして、とりあえず遺恨を晴らしておくように、だとさ。おれはこれから大将に報告に行くから、小一時間程度で全部済ましておいてくれ」

 一方的に告げて、さっさと扉を閉める。

 呆然としたままその扉を眺めていた二人が、ゆっくりと視線を合わせた。

「ええと……」

「まあ、なんだ……」

 二人ともが口を開きかけたところで、何の前触れもなく再び扉が開いた。

 びくりと身体を震わせるアルマとノウマードをよそに、金髪の男がこともなげに顔を見せる。

「ああ、それから。奥の衣装部屋に黒い櫃があるはずだが、その中の服に着替えておくように、とも言われてた。時間に遅れると、大将は酷く不機嫌になるんだ。気をつけてくれ」

 また一方的に言うと、扉を閉めていく。

「……火竜王宮には、色んな人がいるんだな……」

「いや、少なくとも俺は今まで見たことないぞ、あいつ」

 何となく二人で感想を述べる。そして顔を会わせ、互いに苦笑した。二人とも、すっかり毒気が抜かれている。

「で? 何でお前がここに来たんだ?」

「彼に連れてこられたんだよ。彼の〈大将〉から、話があるとかで。いきなりここに直行したから、君がそうなのかと思ったけど……違うみたいだね」

「大将、ねぇ」

 眉を寄せて、首を捻る。王国軍などには、確かに存在する階級ではあるが、ここは竜王宮だ。どうにも不釣り合いである。

 一方、こちらはそれに関しては既に考え尽くしていたのだろう。その言葉には乗らず、ノウマードは話を変えた。

「……アルマ。その、この間はすまないことをした」

 眉を寄せたままで、青年を見上げる。視線を逸らせたいのだろうが、あえてそうはせずに、ノウマードは真っ直ぐアルマを見つめていた。

「落ち着いて考えれば、君を傷つけなくても、一人で何とかできた筈だった。焦ってはいたけど、君との間の何もかもを投げ捨ててでもとまで思い詰めなくてもよかったんだ。すまない。あの男も言っていたように、殴って気が済むのならいくらでもやって欲しい」

 真っ直ぐに、真摯に、少年に向かう。

 小さく溜め息をついて、アルマは片手を振った。

「……いいよ。そりゃ、あの後は腹も立ったけど、まあ順調に治りかけてるしな。大体、無抵抗で受け入れる相手を殴りつけるとか、気が進まねぇ」

 治りかけている、という言葉に、ノウマードは安堵の表情を見せる。

 ……だが、彼がそうやって見せてくる感情が、もう全て本心であるのだと信じることはできない。

 僅かに感じた喪失感を、しかしアルマは黙殺した。



 一時間ほどして、再度訪れた金髪の男が二人を連れ出したのは、火竜王宮の敷地の隅にある小さな礼拝堂だった。一般に開放されている大礼拝堂ではなく、十数人程度で使う規模のものだ。

 この程度の規模の礼拝堂では、常時祭壇に火を燃やしてはいない。壁際に設けられた、ぽつぽつと火の灯った燭台に照らされてその場にいたのは、グランとペルルの二人だった。

「お連れしやしたぜ、大将」

「ああ」

 短くグランが応じる。アルマが肩を落とした。

「意外性のかけらもないな……」

「何を期待している」

 素っ気なくグランが返し、三人の一番後ろに立つノウマードに視線を向けた。吟遊詩人は、強ばった顔でそれを見つめ返している。その顔に傷ひとつないことに気づいたか、グランは意味ありげにアルマを見上げた。

 その無言の圧力を無視しようとしながら、結局抗しきれずに、アルマは視線を逸らせた。

「……いいだろ、別に」

「お前が決めたことなら、まあいいさ」

 色々と言い訳を考えて、結果開き直った言葉に、あっさりと幼い巫子は頷いた。

「あの、ちょっと先に訊きたいんだけど」

 困惑した表情を浮かべ、ノウマードが口を開いた。

「ひょっとして、これからどこかへ出かけるのか?」

 アルマが着替えた辺りから、彼が抱いていた疑問だった。櫃の中には、分厚いマントや頭を包む布も用意してあった。そして、この場にいる二人の巫子も外出用のマントに身を包んでいる。

「ああ。貴公にもつき合って頂くことになる」

 相変わらず、グランはノウマードに対して慇懃に答えた。初めてその様子を目にしたペルルが、僅かに首を傾げる。

「すぐに戻ってこられるのなら構わないけれど」

「無理だ。数ヶ月はかかるだろう」

「だったら、私はついていけない」

 きっぱりと、ノウマードは言い切った。

 グランの、無言で向けてくる視線にはかなりの力があるが、彼がロマであるせいなのか、ノウマードはさほど気圧されもせずに続けた。

「私は彼に、身一つで連れ出されたんだ。商売道具のリュートも、身を護る武器もない。そんな状態で、長期間過ごすことなんてできない」

 ふむ、とグランが呟く。彼は強引で傲慢ではあるが、少なくとも公平だ。

「それは、代替の効かない、何か思い入れがあるものなのか?」

「いや。借り物だったり、店で買ったりしたものだけど」

 頷いて、グランは一歩退いて立っていた金髪の男に向き直った。

「クセロ。彼を武器庫と法具室に案内してやれ。好きな得物を持ってきて構わん」

「けど、大将。おれ、武器庫の場所なんざ知らねぇぞ」

 軽く両手を広げ、クセロと呼ばれた男が返す。グランが嘲るような笑みを浮かべた。

「お前が忍びこむのに失敗した、宝物庫の真上の部屋だ。まさか迷う訳がないよな?」

「……あーもー、判ったよ、畜生!」

 半ば自棄になったように返すと、出口へと向かった。ノウマードに、身振りでついてくるように示す。

 唖然として見下ろしてくるアルマに、グランは声をかける。

「どうした?」

「いや……。あいつが何者なのか訊こうと思ってたけど、大体判ったからもういい……」

「察しが良くて結構だ」

 あっさりと返ってくる言葉に、アルマは長く溜め息をついた。ペルルが座っている近くの、作りつけの椅子に乱暴に腰を下ろす。

「で? 何ヶ月もどこに行くつもりなんだ? 俺、家に一言も伝言を出してないんだけど」

「それはこっちでちゃんとやっておく。お前は今、レヴァンダル大公の名代で、大公家の第一の義務は火竜王宮に対するものだ。文句を言わずについてこい」

「いや文句はともかく、どこに行くかぐらい教えてくれよ」

 ないがしろにされるのはまあ慣れている。何となくもの悲しい気分になりながらも、再度問い質した。

「それは奴らが戻ってきてからにしよう。二度も説明を繰り返したくないし、何より一言で済む話ではない」

 だがあっさりと返されて、憮然としてアルマは椅子の背もたれに寄りかかった。


 やがて二人が戻ってくると、何を持ってきたか確認もせずにグランは腰を上げた。

「では行っていいか?」

 硬い表情で、ノウマードが頷く。

「おい、説明は……」

「後だ。とにかく今はここを離れなければならない」

 素っ気なく命令して、彼は礼拝堂の奥の扉を開いた。そこは薄暗い廊下に続いていて、巫子の控え室への扉が幾つか設けられている。

 一番奥の部屋の前まで進むと、クセロが先に立った。扉を開け、中央にある無骨なテーブルを無造作に寄せる。

 腰から引き抜いた重い短剣を、小さな掛け声と共に床板に突き刺す。がちん、と金属音がして、床から細い棒のようなものが撥ね出てきた。

 それを掴み、引き上げる。一メートル四方ほどの床板が、一辺が蝶番で固定された形で持ち上がった。

「何だ……?」

 イグニシアの貴族の中では、レヴァンダル大公家が最も火竜王宮と関係が深い。それでも全く知らなかった抜け穴の存在に、アルマが呟く。

「灯りを、アルマ」

 グランの指示に、小さく呪文を唱えて光球を発生させる。穴の中には、階段が下方へ延びていた。

「ここを降りる。アルマ、ペルルに手を貸してやれ。クセロは彼と一緒に来い」

 簡単に告げて、グランは一人さっさと階段を下りていった。

 思わずペルルと顔を見合わせる。今まで言われるがままについてきた姫巫女は、流石にやや不安げに見えた。

「大丈夫です。足元に気をつけて」

「はい」

 数段、アルマが先行し、ペルルの手を取って支えてやる。おずおずと、彼女は足を進めた。

 降りきったところでグランと合流する。そこは、四面が石造りの通路だった。アルマの光球が、ぼろぼろのカーテンのように天井から垂れ下がってくる幾つもの蜘蛛の巣を照らし出している。

 周囲を見回していると、続いてノウマードとクセロが降りてきた。途中、ごとん、と床板をはめ直した音がする。

「何だ? ここ」

 アルマの問いに、ようやくグランはまともに口を開いた。

「緊急脱出路だ。あれが、街壁の下部になる」

 通路は十数メートル進んだところで、石の壁が遮っていた。その中央を、人一人が通れる程度の大きさでアーチ型の開口が開いている。

 目を凝らしてみたところ、その石壁は厚みが一メートル以上ありそうだった。

「何だってこんなものが?」

「二百年ほど前かな。火竜王宮と王家の間の諍いが激化してきていてな。危機感を持った当時の高位の巫子が作らせたらしい」

「お前じゃねぇかよ」

 とりあえず事実を突きつけておく。肩を竦め、グランは地下道を歩き始めた。



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