愛するひとよ
「ばれんたいん?」
水竜王の姫巫女は、幼い侍女が内緒話のように口にした言葉に、小首を傾げた。
「はい。その日に、大好きな異性に甘いお菓子を渡すと幸せになれるという言い伝えがあるそうなんですよ!」
「まあ」
少女というものは、大概このようなおまじないが大好きだ。まして、恋に恋するような年齢であれば。
「ね、ペルル様、一緒にお菓子を用意しませんか?」
楽しげに見つめてくるのは、おそらく費用を持って貰うためでもあるのだろう。だが、ペルルは少し考えた末に微笑んだ。
「いいですよ」
その日、意中のひとはなかなか一人になってくれなかった。
吟遊詩人にからかわれていたり。
護衛役からナイフ投げを教わっていたり。
火竜王の巫子に長々とお説教をされていたり。
そわそわと立ち歩きながら、ペルルは彼の様子を伺っていた。
しかし、とうとう夕食後の団欒も終わり、もうあとは各自寝室へ引き取るだけになってしまっている。
これを逃すと、もう明日までチャンスはないし、そうすると日付は変わってしまう。
意を決して、少女は少年の後を追った。
緊張に掠れた声で、名前を呼ぶ。
暗い廊下を歩きながら生欠伸をしていた少年が、慌てて振り返った。
「ペルル?」
一人、こんなところにいるのを不審に思ったのだろう。彼からこちらへ近づいてきた。
「どうされました?」
心配そうに尋ねる彼が、今日一日、多くの人に囲まれていたことを思い出す。
ああ、彼は本当に皆から愛されているのだ。
「あの、実は……」
そして、ペルルは、ずっと渡せなかった彼女の真心を手渡した。
「渡せましたか、ペルル様?」
寝室で髪を解かしながら、侍女が尋ねてくる。
「ええ。あなたは?」
「勿論ですよ! クセロにオリヴィニスにアルマナセルに、グラナティス様にもお渡ししました!」
えへん、と胸を張る少女が可愛らしい。
「プリムラは皆が大好きなのね」
自然に微笑みが浮かんでくる。
「はい! これで、一ヶ月後には、『三倍返しのおまじない』が発動する筈なのです!」
その幸せを期待してか、ぐっと力強く拳を握っている。
でも、そんなものが効かなくても、自分はもう幸せだ。
ペルルは、そっと瞳を閉じて、その思いを噛みしめた。




