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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
キャラクター紹介・番外編

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233/252

黄昏に抱く冀望(上)

 朝日が、天幕の隙間から差しこんでくる。

 軽い足音が近づいてくるのを耳にして、固く毛布に包まった。

 ばさり、と天幕の布が持ち上げられる。

「朝ですよ、オーリ様! 早く起きてくださいって」

 聞きなれた、まだ幼さの残る声を耳にして、青年は大きく溜め息をついた。


「……働きたくない……」



 今日も、また、今までに何度も繰り返したような朝になりそうだ。

 徒労感を振り払い、ケルコスは大きく声を上げた。

「さあ、起きてください。プリムラが食事を用意して待ってますよ」

「先に食べればいいよ」

 くぐもった声が返してくる。

「貴方が来ないと、プリムラが起こしに来ちゃいますよ」

「君が止めてくれ」

 あの、決然とした表情の少女を思い起こし、身震いする。

「無理言わないでください。それに、あまりぐずぐずしていたら、イェティス様が来られる時間になってしまいますよ」

「私が来てはいけないような口ぶりだな」

 背後から声をかけられて、少年は飛び上がらんばかりに驚いた。

 慌てて振り返った先に、長身の青年が立っている。

「お、お早うございます、イェティス様!」

「ああ。毎日ご苦労だな、ケルコス」

 皮肉げな口調とは裏腹に、労うような視線を向けられ、ケルコスは身の置き所のない気分になった。

 暗い緑色のマントに身を包んだ青年は、風竜王宮親衛隊隊長のイェティスだ。先のカタラクタでの戦いで左膝から下を切断してしまったが、簡素な義足をつけて、未だ精力的に活動を続けている。馬に乗った彼は、驚くことにハンデなど全く感じさせない。

 ケルコスとは違い、彼が近づいてきていることを既に知っていたのだろう。天幕の奥で丸くなる風竜王の高位の巫子は、微動だにしなかった。

「オーリ様。無理をおっしゃらずにこちらへ」

「嫌だ」

「なるほど、熱でもおありですか? それともお怪我でもなさいましたか? どのみち、意識があればお役目はこなせるのですから、お早く願いますよ」

 イェティスの冷たい声音に、ケルコスが身震いする。

「どうしてお前が隊長で居続けられるのか判る気がするよ」

「責任感のない巫子を擁するのなら、これぐらいは当たり前です」

 苦情、というには遠慮がなさ過ぎる言葉を、しかしオーリは咎めない。

 ただ、長く、溜め息をつく。


「働きたく、ないんだ」



 とはいえ、十数分ごねたところで、何とかオーリも説得に応じて天幕から外へ出る。

 周辺には石畳が広がり、数キロ先に瓦礫の山が見える。

 そして、その間に、数多くの天幕が貼られ、色とりどりの馬車が停められていた。

 オーリが改めて暗い顔になる。


 そこは、かつて、港町アウィスのあった場所だった。




 先のカタラクタでの戦い。

 カタラクタ王国を侵略したイグニシア王国軍へ、カタラクタの貴族たちや、竜王の兵士たちが叛旗を翻し、そして勝利を収めた。

 その後の戦後処理で大きな議題の一つになったのが、元フルトゥナ王国に関することだった。

「そもそも、フルトゥナが滅び、我が民が流浪せざるを得なかったのは、(ひとえ)にイグニシア王国と、それに追従したカタラクタ王国の政策だ。よって、今後行われるフルトゥナの再建に対して、両国からの全面的な支援を要請する」

 断固としてそう主張し、決して譲らなかったのは、フルトゥナが崇める風竜王の高位の巫子、オリヴィニスだ。

 フルトゥナ侵攻は、三百年も前のことだ。その後、難民と化した元フルトゥナ国民の定住を許さなかったのも、当時の王室の判断である。今更言われても、と思うのもある意味当然ではあった。

 だがこの高位の巫子は、竜王の恩寵により、三百年前の戦いからずっと生き抜いてきた、完全なる当事者だ。彼の意思は固く、そして誰よりも弁が立つ。

 会議の上で、今更、という言葉は、二度は発せられなかった。


 結果として、フルトゥナへの帰国を望む民を、アウィスまで送り届けるための手段と費用を両国が負担することになった。

 アウィスが選ばれたのは、両国との国境からみて、ほぼ中心にある港町だったこと。

 そして、風竜王宮から最も近い街であったことだ。

 しかしアウィスは三百年の間に廃墟となっており、大人数が入りこんでは危険でもある。

 ひとまず街を取り壊し、一旦平地に戻す。更に、桟橋を改めて作り上げ、船で民を運べるようにすることなども、両国が資金と人員を裂くことになった。

 だが、一旦民が帰国してからは、それはもうフルトゥナの国内の問題だ、と強硬に主張もしている。

 道理から言えば、それは確かにその通りだ。

 その後にかかる費用と人手に関しては、火竜王宮と水竜王宮が協力するということで、とりあえずは落ち着いたのだ。



 フルトゥナの国土は、その大半が草原で占められている。

 鬱蒼と茂る森や、勇壮な山岳などは、殆どない。

 定住するための家や街を作り上げる資材が、自国からは充分に産出できないのだ。

 それに関しても、アウィスに限ってだけは、二国から資金を出させることを確約させている。

 実際に街を解体するにあたって、彼らは慎重に慎重を重ねた。

 基本的に、石造りの建物が劣化するのは、間に挟んで接着している漆喰が風化するからだ。

 石材自体は、ある程度まだ利用可能でもある。

 彼らは再利用できる資材をより分け、将来のために町外れに運んだ。

 この頃は、オーリは労働を全く(いと)うてはいなかった。

 むしろ、その竜王の恩寵を存分に活かして、先頭に立って働いていたほどだ。威厳が損なわれる、と、時折イェティスが苦言を呈するほどに。


 変化が起きたのは、フルトゥナの民が故郷へ帰ってきた頃だった。




 プリムラは、朝食の席に現れたオーリを一目見て、露骨に眉を寄せた。

 見るからに顔色が悪く、目の下に隈ができている。

 じろり、と隣にいるケルコスに視線を向けるが、少年は困ったように首を振るだけだ。

 イェティスと言えば、彼の巫子のそんな様子に気を配ることもない。

 彼女にできることは、せめて栄養のある食事をつくり、快適に生活できるように働くことだけだった。



 以前、草原に住んでいた遊牧民は、一生のうち一度も竜王宮へ参らない者も珍しくはなかった。

 それでも、彼らは民であった。過去、竜王の元に集った血族であったから。

 だが、フルトゥナ侵攻の折に、風竜王は高位の巫子以外の民を放逐(ほうちく)している。

 再びその絆を結ぶためには、一人一人、竜王からの祝福を与えていかねばならないのだ。


 高位の巫子、一人の力で。


 ロマとして世界を放浪していたフルトゥナの民が、故国へ戻り始めて、一ヶ月。

 オーリは日に日に憔悴していっていた。



 オーリたちが生活している一角は、民が天幕を張る場所からは離れており、周囲を風竜王宮親衛隊が警備している。故に、高位の巫子が民の前に出てくるのは、彼が祝福を与えにくる時だけだ。

 緑を基調とした長衣を纏い、竜王の瞳と称されるエメラルドを額に頂いた青年が姿を見せると、一帯にざわめきが広がっていく。

「巫子様!」

「竜王の巫子様だ!」

 そして、ロマたちは、我先にとオーリめがけて群がってくる。

 流石に、巫子が彼らにもみくちゃにされることを許す親衛隊ではないが、周囲に壁を作り、近寄らせないようにするだけだ。

 民は押し合いへし合いしながら、高位の巫子を目指して進んでくる。

 いつもその様子を見るにつけ、せめてきちんと並ばせればいいのに、とプリムラは思う。

 イグニシアでこのような事態が起きるなら、絶対に前もって順番すら決めておくに違いない。

 しかし、この場にいるイグニシア人として、プリムラは殊更出しゃばるような真似はしなかった。

 そんなことをしては、傍にいることを許してくれているオーリや、彼女を送り出してくれたグランまでも非難されかねない。

 いつになく殊勝な気持ちでいたプリムラは、オーリの支えになれないことに、やや気落ち気味だった。


「巫子様、よくぞご無事でいてくださいました」

「このような日が来ようとは」

「巫子様、どうかこの子にも祝福を」

 口々に声を上げ、手を延ばしてくる民を、薄く笑みを浮かべ、一人ずつオーリは祝福を与えていく。

 その姿からは、朝、この職務につきたくないとごねていた姿など想像できない。

 半ば呆れ、半ば安堵して、ケルコスはオーリのやや背後に立っていた。

 複雑な事情から、反乱軍において風竜王宮親衛隊に属していた少年は、そのまま彼らについてフルトゥナへ移動し、なし崩しにオーリの小姓のような仕事を任されている。

 別れた家族が恋しくない訳ではない。しかし、それでも彼に仕えることを決めてきたのだ。

 尤も、未だ当のオーリには正式には認められていないが。見習いでもいいから、巫子として迎えて欲しい、という願いすら一蹴されている。

 自身の立場が宙ぶらりんであることに、ケルコスは不安な日々を過ごしていた。



 ふいに、オーリは顔を上げた。

 鋭い目で、東の方向を見つめている。

「お待ちくださ……!」

 慌てて、傍らにいたイェティスが引きとめようとするが、その手が肩にかかる寸前に、高位の巫子は高く跳んだ。

 ほんの一歩で、周辺の人垣を飛び越える姿に、人々が騒然となる。

「すぐに戻る!」

 言い置くと、彼はもう一度跳躍し、厩舎の傍に降り立った。親衛隊が駆け寄る前に、既に一頭の馬に跨っている。

 そして、彼は姿を消した。

 人々は、不安げにざわめいている。

 イェティスは、苦虫を噛み潰したような顔で周囲を睥睨(へいげい)した。



「うわあああああ!」

 悲鳴が、誰もいない荒野に響く。

 箱型の馬車に乗り、草原を進んでいた一家は、今、懸命に馬に鞭を入れていた。

 背後から放たれた矢が、硬い音を立てて木製の壁に突き立つ。

 手綱を握る男は、びくりと背を震わせ、身を縮めた。

 背後から追ってきているのは、五名ほど。馬を駆り、二人が弓を構えている。

 二頭立てだとはいえ、馬車に追いつけない筈がない。

 中には、家族がいる。絶望を振り払い、男はひたすら馬を走らせ続ける。

 脂汗を滲ませていた男の視界に、騎影が一つ、見えた。


 ほんの一瞬前まで、確かにそこには誰もいなかった。

 新たに現れた、緑色の衣服を(なび)かせる人影は、まっすぐにこちらへ向けて弓の弦を引き絞っている。

 もう駄目か、と思った瞬間に、その矢は彼のすぐ傍を飛び去った。


 悲鳴と共に、一人が肩を押さえて落馬する。

 殆ど間を置かず、更に二の矢、三の矢が追っ手を捕らえた。

 そして、前方の青年が大きく左手を振る。

 慌てて、真っ直ぐ彼に突っこんでいきかねなかった馬車の進路を変えた。

 続いて放たれた矢が、うろたえ、逃げ出すかどうか迷う男たちを、次々に射倒していく。


 呻き声が響く場所へ、ゆっくりと青年は近づいてきた。

 短剣を隠し持ち、相手の隙を伺っていた賊が、ぽかん、と口を空ける。

 彼らを一人残らず足止めした青年の額には、緑色の宝石が(きらめ)いていた。

「……高位の巫子」

 一瞬で顔を青褪めさせて、男が呟いた。

 三百年前から生存し、イグニシア人もカタラクタ人も仇と恨む、風竜王の高位の巫子、オリヴィニス。

「ロマではないな」

 低く、オーリが呟く。

 巫子に目をつけられては、もう逃げ出す隙などない。がたがたと身を震わせる賊を見下ろして、青年は冷たく尋ねた。

「さあ、お前たちの拠点はどこだ?」



 ふいに、草原の中に出現した騎影を発見し、親衛隊の角笛が響く。

 イェティスは不機嫌な顔のまま、街へ戻ってきたオーリを出迎えた。彼の後ろへ続く五頭の馬には、気を失い、または青褪めて身を縮めている男たちが乗せられている。

「ご無事で何よりです」

 冷えた言葉に、肩を竦める。

「イグニシアの者らしい。執政官に連絡を」

 短い指示に、待ち受けていた隊員が走り出した。

 周辺に人がいなくなったのを見計らい、イェティスが口を開く。

「お一人で向かわないでください、と何度も申し上げているではないですか。我らの力をお使いになればよいものを」

「お前たちこそ、筋違いだ。それに、連れて行くと時間がかかる」

 が、オーリはさらりとそれを拒絶する。

 彼が手遅れになる前に現場へ向かえるのは、時間と距離を短縮できるという、風竜王の恩寵あってのことだ。それでも人を集めているとそれだけ時間はかかり、民を救えなくなってしまう。

 〈魔王〉アルマナセルの呪いが解けた今、フルトゥナの国土に人が入りこむことを防ぐ手段はない。国境の辺りこそ他の二国が警備しているが、湖から、また海から上陸することは容易い。

 そして、廃墟と化した都市から財宝を手に入れようとする盗賊たちは、今や後を絶たなかった。

 帰郷してきたロマは、基本的に貧しい。盗むことだけを考えるなら、盗賊が襲い掛かる理由はない。

 彼らがロマを襲うのは、単純な娯楽だ。

 幸い、民が正式に上陸する窓口はアウィスのみだ。ここから草原に出て行ったフルトゥナの新たなる民は、さほど数も多くなく、遠くへも行っていない。

 今ならばまだ、こうしてオーリが駆けつけられる。

 しかし、オーリは竜王に仕える者だ。賊を捕らえ、裁くのは、国家の役割である。そして今、フルトゥナには国家が存在しない。

 現在、二国から執政官がやってきているために、他国の罪人はそちらに任せることになっている。


 何もかも、足りないものばかりだ。

 オーリは、密かに唇を噛んだ。





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