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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
火の章

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23/252

06

 頭が、痛い。

 特に右側の側頭部が。

「………………あんの野郎ッ!」

 ぼんやりとした意識の中でその原因に思い至った時、アルマは勢いよく跳ね起きていた。

「きゃぁっ!」

 すぐ傍で小さな悲鳴が上がって、首を回す。

 寝台の横に置いた椅子に座り、驚いた顔でこちらを見つめ返す、ペルルの姿があった。

「……姫巫女……?」

「あ、はい。おはようございます」

 名前を呼ばれて、彼女はすぐに笑みを浮かべて返事をした。

「おはようございます……」

 その、長年に渡って培われた順応性を発揮してとりあえず無難に挨拶を返したが、アルマの意識は最大限の能力で状況を分析していた。

 時間は朝。

 場所は火竜王宮で与えられている自室。

 そして、状況として、自分はやはり角を晒け出したままである。

「……あの野郎……」

 僅かに俯き、先ほどとは違う相手を小さく罵倒する。

「アルマナセル様? ご気分が優れないのですか?」

 しかし心配そうにペルルに覗きこまれ、慌てて明るい表情を作った。

「いえ、とんでもない。……その、申し訳ありません。見苦しい格好で」

「あらそんな。私が無理を言って、傍にいさせて頂いたのですから。それも朝になってからですから、さほど長い間でもないのですよ。アルマナセル様は今までお休みになっていたのですし、お着物なんてお気になさらないでください」

 にっこりと笑みを浮かべて返してくる。

 話の通じてなさに、それでも少し救われて、アルマは小さく笑みを浮かべた。

「それは、ありがとうございます。ですが、あの、そういう意味ではなくて……」

 片手で、ペルルのいる側の角を隠すように触れる。それは、傷がついた方の角だった。前回意識を回復した時よりは、まだ痛みが減っている。流石に『不慮の事故』を考慮したのか、今回は傷口には包帯が巻かれていた。

「貴方の、角のことですか?」

 僅かに、ペルルの表情に哀しげなものが混じる。

「グラナティス様からお聞きした時には驚きましたけれど。〈魔王〉様の血筋では珍しくないということですし、行軍中は私たちをお気遣いになって隠しておられたのでしょう? 見苦しいなんて、おっしゃらないでください」

 むしろ、アルマが言った言葉を宥めてくる。

 グランが話したという内容には、かなりの嘘が混じっていたが。

 しかしノウマードといい、ペルルといい、ひょっとしてイグニシア以外の人間は、人間の頭から生えている角を見ても、それほど動揺しないのだろうか。

 うっかりそんな希望を持ちかける。

「ありがとうございます」

 苦笑して、再度礼を言う。

「……あの、アルマナセル様。不躾なお願いだとは思うのですが、一つ、宜しいですか?」

 少しばかり緊張した面持ちで、ペルルが切り出した。

 心当たりがなくて、小さく首を傾げる。

「はい。私に、できることなら」

「あの、駄目でしたら構わないのですが、貴方がお嫌でなければ」

 僅かに俯いて、続ける。手が、自分の膝の辺りの服をぎゅぅ、と掴んでいた。


「その、角を、触ってみても、いいですか……?」


 沈黙が続いた。

 アルマがロマにその角を立て続けに蹂躙されてから、一夜が明けたばかりである。

 ただでさえ過敏だった神経は、さらにそこを意識している。

 即答は、できなかった。

 ペルルは顔を上げようとしない。

「……申し訳ありません。私ったら、考えの浅いことを」

「ああ、いえ、突然でしたので驚いただけで、あの、触って楽しいものでもありませんし」

 慌てて口を開いたところで、事態は上手く運ばないものだ。

 不安そうな瞳で、ペルルはそっと見上げてきた。

 その姿に完全に敗北して、力づけるように薄く笑みを浮かべ、アルマは告げた。

「怪我をしていない方でしたら、どうぞ」


 ペルルはアルマの右側に座っている。そちらに近い角は、怪我を負っている方だ。

 必然的に、アルマは寝台の上で身を捩り、ペルルにまっすぐ向き合う姿勢となる。

 ペルルは僅かに腰を浮かし、身を乗り出すようにして角を見ていた。

 ……まずい。

 彼女が触りやすいように、と、心持ち俯き加減だったアルマの目線は、丁度ペルルの肩の高さだ。勿論、水竜王の姫巫女は宮廷の貴婦人たちのように襟ぐりの広いドレスなど身につけてはいないが、それでもその白い肌は充分目に入る。

 行軍中でも、これほど距離が近かったことはそうそうない。

 しかも、その時は大抵、何かしらの危機に陥っていて、そんなことを実感している場合ではなかった。

 ふわり、と香水とは違う、心地いい香りが漂ってくる。

 心臓が大きく跳ねた。

 ……身の程を弁えろ、アルマナセル。

 充分に痛感したはずだ。六日前の、あの舞踏会の夜に。

「触りますね」

 ペルルの声が発せられて、我に返る。

「はい、あの、どうぞ」

 今までこんなことを頼まれたことがないので、どう返していいか判らない。

 アルマの返事に、ペルルが小さく笑った気配がした。

 角は、それほど大きくはない。緩く握った拳程度の大きさで、くるりと一回巻いている。

 色は灰色で、角自体に螺旋を描くような筋が刻まれていた。

 ペルルの指が、そっとその中程に触れた。

 心の準備ができていたためか、さほどの恐怖はない。

 指が、軽く撫でてきた。

「ちょっと、ざらざらしているんですね」

 興味深げな声が発せられる。

 鼓動がどんどん大きくなり、容赦なく傷口から頭へと響いた。

 ごくり、と喉が鳴る。

「……ペルル様」

 俯いたまま、小さく呼ぶ。

 指の動きが止まる。訝しげにこちらを見つめる気配が感じられた。

「あの……」

「アルマ、起き……」

 幼い声が割って入り、そして唐突に途切れた。

 ペルルの背後にある、寝室の扉は元々半分ほど開いていた。

 家族でもない男女が二人きりで同室にいる場合、それは当然の慣習だ。特に疑問に思っていた訳ではない。

 だが、今、そこからグランが姿を見せているとすると、話は別だ。

 まだ幼い巫子は、珍しくややきょとんとした表情でこちらを見つめている。

「……たと聞いたが、なるほど元気そうだな」

 だがそれもほんの数秒のことで、すぐに皮肉げな口調で続けてくる。

「てめ……」

「あらおはようございます、グラナティス様」

 ペルルはくるりと相手に向き直り、優雅に一礼した。

「おはよう、ペルル。皆で一緒に朝食でもと思ったのだが、もう少し後の方がよさそうだ」

 意味ありげにこちらに視線を向けたグランに、思いのままに枕を一つ投げつける。

「うるせぇよ、とっとと出てけ!」

 幼い巫子は身動き一つせず、枕は虚しくその頭上を越えていく。

 ペルルは、少しばかりびっくりした顔で二人を見比べていた。



 午後も近くなった辺りで、アルマは再びグランの訪問を受けた。

 居間で、柔らかなクッション張りの椅子に身体を沈みこませながら対峙する。

「さて。具合はどうだ?」

 おもむろにグランが尋ねてきた。

 朝の騒動の後、彼らは共に朝食を摂っていたが、その場にはペルルも同席していたために詳しい話は避けていたのだ。

「昨夜よりは随分とましだよ」

 僅かに頭を傾けて、返した。竜王宮の中では、自宅と同じように、彼は頭に布を巻いて過ごすことはない。関係者以外と会う時は別だが。

「二度目の傷は、最初と違って傷口が荒れていなかったからな。まだ綺麗に治せた。それに、同じ日に二度も、となると、こちらの面子もある」

 面子、という言葉に隠された幾つかの意図に思い至って、眉を寄せた。

「……ノウマードは、どうなった?」

 尋ねてはみたが、大体のところは予想できていた。

 アルマの部屋は三階だ。しかも竜王宮の建物は、一階毎の天井までの高さはかなりある。そこから飛び降りた、というなら、良くて重傷を負っているか、もしくはかなりの確率で死んでいるかだ。

 だが、グランの答えは、完全にアルマの意表を衝いた。

「判らん」

「は?」

 少年の間抜けな声に、高位の巫子は椅子の肘掛けに頬杖をつき、こちらを眺めてきた。

「あの時、お前の悲鳴に、厳戒態勢を敷いていた巫子たちは殆ど全員がこの部屋にやってきた。通常警備だった竜王兵の注意も、完全に逸れた。その隙を衝いて、どうやら逃げおおせたらしい」

「逃げた……って、無理だろ!」

 アルマが反論する。

 三階から飛び降りた、というだけではない。竜王宮はその広い敷地の三方を、五メートルはある壁で囲まれている。しかもその最上部には、先端を尖らせた鉄の棒が林立していて、とても乗り越えられる代物ではない。

 ちなみに、残る一方は街を囲む外壁に接しているので、その高さは五メートルといったレベルを越えている。

 通常警備、ということは、全ての門扉は二人以上の竜王兵で護られている。抜け出すことなど、不可能だ。

「全くだ。少々、甘く見すぎていた」

 呟きに不穏な響きが混じって、ついその動向を伺ってしまう。

「お前の働きを期待した僕が莫迦だった」

「そっちかよ!」

「当たり前だ。一体何のためにお前を飼っていると思っている」

 きっぱりと言い渡されて、憮然として背もたれに体重をかけた。

「しかしまあ、それはいい。行方は捜させているし、そのうち見つかるだろう」

 露骨に話題を切り上げようとするのに、違和感を感じる。

「どうしてそんなにノウマードを気にかけるんだ?」

 いくら自分の窮地を救けてくれたとはいえ、一介のロマに対し、高位の巫子が固執する理由はない。

 一体何が、彼を重要視させるのか。

 うっすらと、グランは笑みを浮かべた。

「奴の安否が気になるのか?」

「……そりゃあ、まあ」

 素直に返した言葉に、今度こそ呆れたように鼻で笑う。

「あんなに躊躇なく切られていてか? 僕がお前なら、相手を即座にミンチにしているが」

「やめろ洒落にならねぇだろ」

「そうだな。僕ならそもそも、角に触らせもしないな」

 思わず止めるが、違う方向に駄目押しをしてきた。

 いつものように自分の生まれを呪いながら、アルマが沈黙する。

「全く……。人がいいにもほどがある。血筋か」

「人がいい、とかじゃねぇよ。ただ、何て言うか」

 言葉を探して、一旦口を噤む。

「一回殴ってやりたいぐらいには怒ってるけどさ。何か、あいつといると調子が狂うんだ。最初に会った時から」

「……なるほど。血筋だな」

 小さく呟いて、グランは仕切り直すように、ぱん、と一度手を叩いた。

「ついでだ。行軍中の話をしよう。魔術を使いすぎて倒れたって?」

「何でそんなことお前が知ってるんだよ!」

「何故僕が知らないと思っている。報告書は僕のところにちゃんと届いているぞ」

 かつての副官、テナークスの生真面目さを諦めと共に思い出す。

 しかし、倒れたことをテナークスが知っているのは一度だけで、しかも麓に辿りついた時だった、ということには思い至っていない。

「魔術を使った回数と頻度、倒れた時はどういう状況だったか、覚えているか?」

「回数は忘れた。一時間に多くて五回程度、下手をするとそれが間を置かずに連続だ。多分体力が追いついてなくて、疲労が溜まっていた感じだと思う。寝たら回復したし」

「回復したのか?」

「……動ける程度には」

 グランが溜め息をつく。

「まだ早すぎたかな。まあ、今回の戦で、そこまで実際に魔術を使うことになる、という予測はできなかったから仕方がないか」

 考えこみながら、二人の間のテーブルに供されていた紅茶を手に取る。つられて、アルマも一口、口に含んだ。この幼い巫子が静かにしているのは、飲食している瞬間だけだな、と痛感しながら。

 しかしその間ですら、ろくでもないことを考えていることは確実なので、決して平和な訳ではない。

 少し温まっていたそれに眉を寄せて、グランは口を開く。

「昨日のことは、覚えているか?」

「昨日?」

「ここに担ぎこまれた時、身体の数カ所に軽い火傷をしていた。殆どが服の下だし、場所もまちまちだ。あれは、危害を加えられたのではなく、魔力の制御に失敗したな」

「あー……」

 ぼんやりと、あの感覚を思い出す。が。

「すまん。よく覚えてない」

 事実ではある。だが、思い出したくない、ということも事実だった。

 幸いその辺りは追求されず、グランはおとなしく頷いた。

「となると、制御と持久力の双方に難があるということか。……最低だな」

「何を評してそう言うんだよ!」

 流石に聞き捨てならなくて、怒鳴りつける。だが、今までもそうだったように、銀髪の巫子は顔色一つ変えなかった。

「よし。アルマ、お前、しばらくここで療養していろ」



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