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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
キャラクター紹介・番外編

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228/252

悪の幹部がいなくなったら故国が傾きそうなんだが。(上)

 王宮の廊下を、規則正しい足音が進む。

 運悪くそれに行き会った廷臣たちは、慌てて道を空けた。

 彼の存在の全てが、忌避の対象だ。不機嫌そうな顔も、勢いよく繰り出される長い脚も、控えめな濃いグレイで纏めた衣服も、その立場も、後ろ盾だった者も。

 そう、かつても、今も。

 彼は執務室の前で礼儀正しく脚を止めた。扉の両脇に立つ衛兵が、恭しく一礼し、そして室内の主に向けて声を上げる。

「レヴァンダル大公家より、エスタ様が参られました」

「通して頂戴」

 数秒も待たずに、返事が放たれた。扉を開ける衛兵に小さく頷いて、青年は室内へと足を踏み入れる。


 広大な机の上に羊皮紙を山と積み上げ、眉間に皺を寄せた王女ステラがこちらを睨みつけてきていた。


「進捗状況はいかがですか、殿下」

「増えたわ」

 苦々しく返すと、鵞ペンをインク壷へ放りこんだ。不審そうな顔で、扉の前に立つ青年を見つめる。

「それで? おじさまの方はいかが?」

「おかげさまで、本日は傷も痛まないようです」

 慇懃に頭を下げるエスタを、不吉に睨みつける。

「そう。それはよかった。でも、昨日、おじさまが手を貸してくださるかどうか尋ねて頂戴って言ったでしょ」

「旦那様は、まず、自らの手で成し遂げることが大切だと。私を派遣されただけでも、充分以上の厚意ではないですか」

 冷淡に返す青年に視線を固定するが、しかし相手は動じようとしない。

 ステラは小さく溜め息をついた。

「全く、貴方、本当にイフテカールの懐刀だったの?」

「彼にとってその立場だったことはありませんが……、共謀者だったことは確かですね」

 肩を竦めると、ようやくエスタはステラの正面に設えられた椅子へ腰を下ろした。



 龍神ベラ・ラフマと、四竜王の間の戦いが終わって、一ヶ月ほど。

 まずは何とかカタラクタ王国との休戦協定の叩き台を作り上げ、それを携えたイグニシア王家からの使者と竜王の高位の巫子たちが出立して、ようやく一息つけるか、と思われたのだが。

 ステラは、すぐに、王国の建て直しを迫られた。

 いや、ここまで一ヶ月、延ばしに延ばしていたと言った方がいい。

 龍神の使徒、イフテカールは一ヶ月前まで完全にこの王国を手中に収めており、彼がいなくなってしまったことで、このままの体制で動かし続けるにはどうにも無理が出てきたのだ。

 あの金髪の青年の白く長い指は、政務は勿論のこと、軍務、財務にまで入りこんでいた。

 それを王家の手に取り戻すには、思い切った改革が必要だ。

 しかし、彼に篭絡された貴族や官吏は数知れず、それらを全て排除してしまうと、完全に王国は機能を停止してしまう。

 まずはイフテカールと彼の配下たちへ、金と情報が流れこむ状況を阻止する。

 そして、害となる人材は厳しく罪を追求し、やや益になりそうな人材は残すことで、王国を保っていく。

 それを、まだ若いステラ王女が、一ヶ月前まで宝石とドレスと舞踏会と愛のことしか頭になかった少女がこなさなくてはならないのだ。

 彼女には味方が必要だった。

 イフテカールと長く敵対してきた火竜王宮と、その守護者であるレヴァンダル大公家。

 彼らの助力を求めたのは、彼女にしては苦渋の決断であったのだ。

 だが、それに応じて送りこまれたのは、この仏頂面の青年一人である。

 曰く、火竜王の高位の巫子グラナティスも、大公家の当主も、先の戦いで受けた傷が重く、療養生活にあること。

 エスタは、イフテカールが消滅するまでの三ヶ月の間行動を共にしており、彼の陰謀に対しても知識があること、などが理由ではあった。

 特に大公の怪我を理由にされると、ステラも強くは出られない。

 そういった経緯で、ここのところ毎日、エスタは独り王宮へ出仕しているのである。


 目の前に積まれた書類に目を通していく。

 エスタにしても、この状況は内心穏やかではなかった。

 変節を繰り返した自分が、竜王宮で静養している当主の傍にいられるだけでもありがたいことではある。それは不服ながらも判っていたので、彼はずっとひっそりと生活していた。

 だから、高位の巫子と当主からこの仕事を与えられた時も、不満を露にしたりはしなかったのだ。

 彼らの『静養』が、全くのまやかしであることを判っていても。



「セーリア伯はどうなの?」

「東部の農産物の管理をしていた方ですね。確か、王国軍に納入する時にかなり着服していたようですよ」

 ステラの言う名前について、記憶を探りながら答える。

 エスタは、一時、レヴァンダル大公家当主の名代となったことがある。

 勿論、イフテカールのごり押しだ。

 その際に、彼が懇意にしている貴族たちに紹介された。

 訳知り顔で近づいてくる貴族を、にこやかに、しかし彼らには聞こえない声で辛辣にこき下ろすイフテカールに呆れたものだ。

 そのせいでエスタが貴族社会への厭世感にとりつかれたことを考えれば、龍神の使徒の意図は全く違った方向へ作用したと言える。

 だが、おかげでどの貴族が何を目当てに接近してきたのか、大体は判っている。

 その知識をステラに教えることも、今のエスタの仕事だ。

 自分はどこまでも裏切り者だな、と、内心自嘲する。

「ねぇ」

「子爵ですか男爵ですか伯爵ですか」

 流石にそれ以上の階位にある貴族の名前は覚えている。

 が、沈黙が返ってきて視線を上げた。

 美しい顔に苦々しい表情を浮かべたステラが睨みつけてきている。

「どうしました」

「貴方、本当にイフテカールの……、ああ、その前はアルマナセルの傍にいたのね」

 では仕方がない、と言わんばかりに溜め息をつく。何となくかつての主人を侮られた気分がして、彼も目を眇めた。

「私は今すぐ失礼しても構いませんよ」

 更に苛立ちを増すか、と思ったが、ステラは軽く片手を振った。

「それは困るわ」

 率直な言葉に僅かに驚く。

 戸惑いを含んだ視線を受けて、ステラが言葉を継ぐ。

「あのね。イフテカールは、どんな人間だったの?」


 今度こそ明確に、戸惑う。

「貴女の方が、彼とは長いつきあいであったと思いますが」

 そして、おそらくは、深い。

 だが、ステラは首を振る。

「私は、イフテカールが騙していた相手だもの。彼の本当の姿なんて、見せてくれていない筈よ」

 イフテカールと王女が共にいるところに居合わせたことなどないが、それは確かだろう。

「大体、それを聞いてどうされるんですか。彼の思い出が壊れてしまいかねませんよ」

 エスタにしては王女を気遣う言葉だった。

「私は、これから国を動かしていかなくてはならないの。彼への気持ちで判断を誤る訳にはいかないわ。イフテカールに関して、きちんとした情報が必要なのよ」

 思いの外、しっかりとした意志に驚いて、相手を見返す。ステラがそれに、小さく笑みを向ける。

「そもそも、イフテカールに騙されていたと判った時点で、彼との思い出なんて無事に残っていないわよ」

 気丈で、したたかで、ふてぶてしいとも言えそうな強さを持つ王女だが、まだ十八歳の少女でもある。あの龍神の使徒の裏切りにはやはり傷ついたのだろうか。

 エスタは僅かに背筋を伸ばした。




 エスタが初めてイフテカールに会った時点では、彼は酷く慇懃(いんぎん)な態度を取っていた。

 おそらく、(たぶら)かそうと決めた全ての人間に対して、そうであったのだろう。

 だが、今まで彼が狙った相手は、大抵が貴族や豪商のような地位の高い人間だったが、エスタはただの貴族の使用人である。

 不審を覚えた青年は、イフテカールに対して必要以上に警戒心を抱いた。

 それでも、当時必死になって探していたアルマナセルの行方は全く知れず、エスタは徐々に焦りを募らせていた。

 じりじりと時間だけが過ぎ、そして、とうとう、彼の甘言に乗ってしまったのだ。


「決心して頂けましたか」

 満足そうなイフテカールの表情に、僅かにむっとする。

「言っておきますが、私は大公家に仕える身です。貴方の意図がどうであろうと、その思いのままに動くつもりはありません」

 きっぱりと、イフテカールの下心を拒絶する。が、嫌になるほど優雅に、金髪の青年は一礼した。

「勿論ですとも。偉大なる〈魔王〉アルマナセルの血を引く方の意向に逆らおうなどと、かけらも思ってはおりません」

 今に至っても、一体どうしてイフテカールがその隠された事実を知ることができたのか、判らない。

 僅かにエスタは視線を逸らせた。

「私は、……私の祖母は身分が低かった。庶子の子供などが、そんな大それた者にはなれない」

 だが、彼は、滑らかに反論してきたのだ。

「レヴァンダル大公家が特別であるのは、その始祖、〈魔王〉アルマナセルが存在故のこと。混ざり合った血が貴族であろうと庶民であろうと、さほど変わりはないのですよ」

 はっきりと、顔が強張るのを自覚した。

 それはあり得ない主張であり、受け入れがたい事実であり、そして、渇望してきた言葉であった。

 〈魔王〉アルマナセルの血を引く、子孫。

 それだけが、この二十六年の彼の心の支えであったことを、イフテカールはあっさりと見抜いていた。




「そうですね、イフテカールは……。自分の目的のためには非情に粘り強く、辛抱強く、他人をじわじわと追い立てる人間でした。それまで気づいていなかった、又は思ってもみなかった欲望を、まるで元から自分が抱いていたかのように誘導するのが、酷く巧みだった」




 人間の体から、〈魔王〉の肉体へ変異するのは、それは凄まじい経験だった。

 正直、何ヶ月か経った今でも思い出したくもない。

 ただ、脳裏から離れないのは、苦痛にのた打ち回るエスタの傍に、気遣うようにずっとついていたイフテカールだ。

 その視線には、時折、隠し切れない愉悦が滲んでいた。

 変異がようやく終わり、疲労、というよりもむしろ衰弱したかのような身体を横たえたまま、エスタは途切れ途切れの記憶の中からそれを拾い出した。

 彼に対して、警戒以外に嫌悪の情を持ったのは、その時が初めてだった。


 結局、その後、アルマを王都へ連れ戻そうとした行動は、全くの失敗に終わった。

 失敗どころか、彼らの関係は思いもしなかったほどに悪化し、断絶し、決裂した。

 その遠因を、彼の前でずっと遠まわしに火竜王宮を非難し続けていたイフテカールへ求めるのは、流石に穿(うが)ちすぎだろうか。


 そう、イフテカールは、徐々にエスタに対して色々なことを吐露し始めていた。

 火竜王宮への非難は、やがて竜王への憎悪に変化し。

 王女の公然の愛人という立場だったのが、そのうちに龍神の使徒だと打ち明けられ。

 異界の龍神を解放するために、竜王の高位の巫子の肉体が必要なのだと、薄く笑みを浮かべたままで真意を語った。

「貴方は、我がきみと同じ世界から来た者の末裔。本来なら、火竜王とその巫子などではなく、我がきみと私と共に歩む筈だった相手ですよ。この世界で信用する人間を選ぶのであれば、貴方以外にはいないでしょう」

「お前の信用がどれほど重いものなのかが問題だな」

 その頃には、エスタは最も敬愛していた者たちへの気持ちが壊れ、半ば自暴自棄だったために、大して感銘も受けなかったが。

 それでも、まあ、彼らの間に奇妙な連帯感が芽生えてきていたのは、確かであった。




「彼が憎んでいたのは、竜王でした。そういえば、王家への憎悪や蔑みは聞いたことがありません。自分が王家を支配していることを私に報せてはいましたが、それも、王家を軽んじている、という風ではなかったと思いますよ」



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