その貴き黄金は。(下)
意気の上がった救助隊は、急いで通路を塞ぐ残りの崩落物を取り除いた。
こちらのカンテラの灯りに向かって、閉じこめられていた鉱夫たちがやってくる。
「怪我はないか?」
「俺達は無事だ。幸い、離れていたからな」
クセロの言葉に、一人の男が返す。数えてみると、十三人いる。
「残り四人はどこだ?」
僅かにほっとしたが、しかし人数が足りない。
「この先にいたのは、これで全員のようだ。おそらく、残りは横道にいたのだろう」
「横道?」
彼らは崩落した部分を、真っ直ぐ進んできた。首を傾げ、背後を振り向く。
「右手側に、横道が一本あったと……」
その壁は、ずっと、黒々とした土で覆われている。
「……塞いじまったかな」
ばつの悪そうな声で、クセロが呟く。
「……巫子様……」
鉱夫たちから小さく声が漏れたが、軽く片手を振ってそれをいなす。
「とりあえず、お前らは全員で一旦戻れ。そろそろ交代するといい。おれは横穴を見つけて、少し掘っておく」
今までにも何度か交代はしているが、ここまで掘り進め、土砂や破壊された材木を運び出し、極限状態に近かった状況で働いた鉱夫たちは、もうかなり疲弊しているだろう。カンテラを一つ受け取って、クセロは右側の壁に手を触れさせた。
先ほど締め固めたばかりの土の、その奥を探る。
十数メートル戻った辺りで、空間が感じられた。
「我が竜王の名とその誇りにかけて」
どさ、と、クセロの手の周辺から、一抱えほどの土が足元に落ちる。
慎重に、クセロは穴を広げていく。
既に、報せを受けてから何時間か経っている。生き埋めになっていたら、もう生命はないかもしれない。
しかし焦りのままに動いていては、いい結果は得られない。
それを、クセロは既に知っている。
土は、結局のところ、生命の塊だ。掘り進めた先に泥まみれのブーツが見えるまで、クセロにはそれが判別できなかった。
息を飲んで、跪く。周囲の土の状態を確認しながら、隙間を広げた。
「巫子様!」
背後から交代した鉱夫たちがやってくる。
「一人見つけた! おれが穴を掘るから、運び出せ!」
心得たように、鉱夫が一人、狭い穴の中へ身体を捩じ込ませた。クセロが少しずつ倒れた男の周囲の空間を広げ、取り除かれた土を鉱夫が両手で懸命に背後へ押しやる。
ようやく、全身が現れた。上半身が、丸太の下敷きになっている。
身体の上を跨ぐような格好で、クセロはそれに手をかけた。後ろで、倒れている男の脚や胴を掴んでいる者がいる。
「いくぞ」
小さく告げて、丸太を持ち上げる。僅かな隙間が開いた瞬間に、背後の仲間が引き摺り出した。
どれほど重いものでも、クセロにとってはその重量は意味がなくなる。地竜王の恩寵は、実に役に立った。
「怪我は?」
「頭から血が出てる。あと、肋を折ってるようだ」
「よし、揺らさずに連れて行け! 傷を手当てして、静かに寝かせておくんだ。おれが戻るまで、死なせるな!」
クセロが立て続けに命じる。
この先を掘り進むのに、地竜王の高位の巫子の力は不可欠だ。
かと言って、この場で傷を癒すこともできない。
このような危機と隣り合わせの、一瞬たりとも気が抜けない状況で、幾つもの御力を駆使することは難しい。特に、慣れていないクセロには。
鉱夫たちも、それをもう判っている。抗議など出ることもなく、数名が怪我人を運んでいった。
「あと三人だ。探すぞ」
額から頬に流れる汗を拭う。泥がこびりついたが、クセロはそんなことを気にしなかった。
人手が増えて、作業は早く進む。
その後すぐに、残る二人が見つかった。一人は落盤の端の方、土砂の層が薄い辺りにいて、まだ意識もあった。
つまり、もう誰もここには埋まっていない。
「あと一人、どうしたか知っているか?」
苦痛に顔を歪める鉱夫に尋ねる。意外としっかりした声で答えてきた。
「確か、奥に逃げて行くのが見えた」
この先、通路は崩壊していない。何故戻ってきていないのか、不審に思い、足を踏み出しかけた時に。
『止まれ、我が巫子よ』
重々しい声と共に、クセロの頭頂部に異形の竜王が現れた。
周囲の鉱夫たちが息を飲む。
「どうした、おやっさん」
だが、特に気に留めた様子もなく、クセロが尋ねる。
『この奥には瘴気が溜まっておる。行けば、人の子は死にかねんぞ』
その言葉に、一行が動きを止めた。
瘴気とは、大地から水のように湧き出る奇妙な空気のことだ。色もなく、大抵の場合匂いもないが、それを多く吸いこめば、死に至る。
「おれなら?」
無造作にクセロが尋ねるのに、更に鉱夫たちは驚愕した。
「運がよければ、さよう、生き延びられるやもしれん」
「よし。お前ら外へ退避だ」
「巫子!」
さらりと指示する言葉に、噛みつくように呼ばれる。
「全員ここで死にてぇのか? ぐずぐずすんな」
だが、言い置くが早いか、クセロは無造作に足を進めた。
「戻ってこいよ、クセロ!」
投げかけられる声に、苦笑する。
「名前で呼ぶな、っての」
振り向きもせず、クセロは片手を上げた。
瘴気は、火の気が近いと燃え上がることがある。カンテラは持っていけない。
「灯りを出せるか、おやっさん?」
頭上の竜王が聞きなれた風に鼻を鳴らした直後、ぼんやりと通路の床が明るくなる。燐光のような、気味の悪い光が、そこここの土や石から発しているのだ。
それに照らされて、前方、百メートルほど離れた地点に、黒い影があった。人が倒れこんでいるような。
「いた」
ほっとして、男は小走りに近づく。
『止まれ!』
滅多にない、焦りを含む竜王の声に、慌てて足を止める。
だが、次の瞬間、彼らの頭上を支えていた頼りない材木は、決壊した。
「ぐ……」
ぎしぎしと、骨が軋む。
落下してきた板を、倒れこんできた丸太を、押し潰さんとする土砂を、クセロの両腕はかろうじて受け止めていた。地面に膝をつき、背を丸めてはいたが、何とか。
ある程度の重さは、彼には何の問題にもならない。
だが、それにも限界というものが存在する。まして、この頭上にある山の全重量を払い除けられるかは、それは全く別の問題だ。
背後には、まだ空間がある。慎重に戻れば、彼一人ならば生還できるだろう。
しかし、クセロの目前で倒れていた男は、無理だ。
板が、丸太が、土砂が、その半身を覆い隠している。
もしも手が空いていて、そしてその手が届けば彼を引き出せるかもしれないが、それはどちらも満たされない条件だ。
もう、ここに救けは来ない。瘴気が出る坑道は、閉鎖するよりない。
「……おやっさん。ここ、頼めるか」
地竜王に、背負う重荷を任せ、この空間を維持できれば。クセロが直接、鉱夫を救いだせるかもしれない。
『何故じゃ?』
しかし、頭上の竜王はけろりとした声で尋ねる。
「なんで、って」
『それは我が民ではない。そなたの民でもない。救う義務などはない。人は死ぬものだ。山は崩れるものだ。わしが手を加える必要などは、ない』
この古き竜王は、徹頭徹尾、全てを自然の成り行きに任せている。
それを乱す龍神に対する怒りは、それは凄まじかったものだが。
『そなたでさえ、いずれ死ぬ。それがこの場になろうと、わしは全く不思議とは思わぬよ』
ぎり、と歯を噛み締める。
仕える竜王に、あっさりと見捨てられるから、ではない。
自らの気持ちが、他の竜王の巫子たちのものとはかけ離れているから、でもない。
そんなことは、最初から判っていることだ。
「……確かに、こいつはおれの民じゃねぇ」
流石に、呼吸が苦しい。
瘴気を吸いこんでいるのだろうか。眩暈がする。
「あんたが救ける筋合いのある奴じゃ、ねぇ」
土から覗く男の手は、固く、節くれ立ち、今までクセロを支えてきた、手だ。
竜王の言葉は、ただ。
クセロは勢いよく息を吸い、そして怒声を放つ。瘴気のことなど、気にもかけずに。
「だけど、おれのやりてぇことが、それだけがおれがするべきことなんだよ!」
竜王の言葉は、巫子の覚悟を試すものだ。
ざり、と地についた膝を持ち上げる。
少しでも前に進み、片手ででも男を掴めれば。
背後で土砂が崩れる、不吉な音がする。
『世話のやける巫子じゃの』
ふいに、頭上に乗っていた地竜王の気配が消えた。
次の瞬間、肩にかかっていた重みが失われる。
振り返ると、クセロが支えていた空間がやや広さを増していた。その土砂の塊の先に、地竜王が燐光に水晶を煌かせながら立つ。
「はん。おやっさんは気紛れすぎんだろ」
這うようにその場を進み、男の身体に手をかける。あまりにも呆気なく、それは引きずりだすことができた。
いい加減、気分が悪い。吐き気がする。
疲労や重さ以外の理由で膝が崩れそうになりながら、クセロは、地竜王の高位の巫子は、鉱山主は、出口を目指して足を進めた。
「巫子!」
「巫子様!」
「クセロ!」
坑道の出口で、人々が口々に呼びかける。
大の男を背負い、よろよろと出口へ向かってきたクセロは、それに苦笑した。
「名前で呼ぶな、って……。ま、いいか」
クセロが、この村で頑なに巫子、としか呼ばせないのには理由がある。
役職名で呼ばせることで、却って、彼らの巫子ではない、との意識を強めたかったのだ。
これが名前だと、親しみが増しすぎ、うやむやになりかねない。
だがまあ、あまり関係なかったかな、と自嘲する。
駆け寄ってきた男たちに、背負った男の身体を預ける。
「怪我人たちは?」
「倉庫で休ませてる」
頷いて、クセロは丸太で作られた巨大な建物へ向かった。が、足元がふらつく。
「大丈夫か?」
クセロは瘴気の中から戻ってきている。心配そうに、傍についてきた男が尋ねた。
「誰に訊いてんだ。……ああ、そうだ、酒」
歩きながら差し出した手に、蒸留酒の壜が乗せられる。
これから、怪我人を癒す。傷口に触れる手を、それで消毒するのだ。
が、壜の口を開くと、クセロはまずそれを大きく煽った。
周囲に集まっていた住人たちが、唖然とする。
一口飲み下して、ぶるぶると頭を振る。
「よし。目ぇ醒めた」
小さく呟くと、残った酒精で無造作に手を洗った。
「……普通酔うだろ……」
呆れた声を発した相手に空の酒瓶を押しつける。
「甘く見んなよ。さあ、巫子様がばんばん癒してやんぜ」
軽口を叩き、男は倉庫へ足を踏み入れる。
地竜王エザフォス。
民を持たぬ竜王は、ただ一人仕える巫子へと金脈を与えた。
彼は後々幾つもの金山を所有し、鉱山王とまで呼ばれるようになったことから、地竜王は鉱夫の守護者として長く崇められるようになる。




