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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
キャラクター紹介・番外編

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222/252

暁の誓約(下)

 翌日、オーリはアーラ宮の倉庫を探っていた。

 死体を捜す傍らで見つけ出した物資は、一まとめにしてある。それを数日分、革袋へ詰める。

 そして、厩舎へと足を向けた。

 七日間も呪いにかかりきりになっていた時点で、正直馬のことは諦めていた。

 しかし、その後様子を見に行ってみると、厩舎は扉が開かれ、馬房も仕切りの丸太が外されていた。

 逃げ延びろ、と送り出した親衛隊たちがやっていったのか。彼らが逃亡するのにも馬が必要だった。そして、彼らは皆草原の民だ。馬をこのまま餓死させることなど忍びなかったのだろう。

 殆どの馬は姿を消していた。人々が乗って行ったか、逃げ出していったか。

 それでも数頭はアーラ宮の周辺で草を食み、厩舎の傍に湧く水飲み場を使っていた。死者の埋葬をしていた間は、オーリもできる限り世話をしていた。

 その中から二頭を選び出し、片方に鞍をつけ、荷を積むと、背に(またが)る。もう一頭の手綱を手に、彼はアーラ宮を出た。

 まず目指すは、最も近い街、アウィスだ。

 湖に面したこの街には、アーラ宮から逃亡した風竜王宮親衛隊やイグニシア王国軍が向かっただろう。とっかかりとしては、丁度いい。


 街道沿いには、ぽつぽつと死体が散乱している。

 衣類が酷く破れている者が多いことから、おそらく逃走する途中ですら戦い合っていたのだろう。

 オーリはその度に彼らを埋葬した。

 結局、馬に乗っていれば三日で着くだろうアウィスの街には、五日後に到着することになった。


 酷く、静かだ。

 オーリの聴力をもってしても、人の声や、生活音といったものは全く聞き取れない。

 頭では、判っていた筈だ。竜王の言葉を疑う理由もない。

 だが、本当に、この国に生きた人間が自分一人になってしまった、という実感がようやくじわじわと沁みこんでくる。

 石畳に蹄の音が、酷く虚しく響く。

 ゆっくりと大通りを抜け、竜王宮の傍を通り、港にまで行き着いた。

 どうやら、アウィスに辿りついた者たちは、殆どが湖に逃れたようだった。船は一艘も残っていなかったし、水に浮かぶものなら何でも、丸太や板でさえ使ったらしく、港の近くの建物は多くが破壊された痕跡がある。

 僅かな異臭を感じ、オーリはとある扉を蹴破り、建物の中へと押し入った。

 異臭の根源は、どうやら立ち上がれずに逃げられなかった数十人。寝室でこと切れている者が殆どだ。あとは、厩舎に繋がれたままの馬やごく僅かな数の家畜たちだった。

 オーリは、見つけ次第黙々と彼らを埋葬した。

 結局、どの建物に死体があるか判らない。街の全ての建物に入りこむことになる。

 捜索の傍ら、食料も手に入れられた。彼は、そう簡単には死なない身体になってはいたが、全く食べずにいるわけにもいかないのだ。


 高位の巫子は、その後も街道を辿り、街や農村、遊牧民の居留地を巡った。

 農村では、新鮮な野菜がある程度手に入る。

 だが、来年以降はそうもいかないだろう。自分で作るということも考えなくてはならない。

 オーリには農作業の経験がなく、やや途方に暮れかけたが、しかしそれもまずやらねばならないことを終わらせてからだ。


 数ヶ月が経った頃、オーリは奇妙な声を聞いた。

 苦しげな、呻き声だ。

 それを追って進むと、ごつごつとした岩山に突き当たる。

 裂け目の内側から、その声は聞こえてくる。

 オーリは馬を手近な岩に繋ぎ、慎重に裂け目へと降りていった。

 その気配を察したか、ぴたりと声は途絶えた。緊張したような荒い息だけが響く。

「怯えなくていい」

 と言っても、判らぬだろうが。その奥にいたのは、一頭の羊だった。

 裂け目から落ちてしまったのだろう。蹲って、こちらを警戒するように見つめている。

 どうやら、片脚が折れてしまっている。それは簡単に治癒できるが。

「仔がいるのか……」

 遠目にも腹部が大きい。

 近づこうとすると、羊は動かぬ脚で逃げ出そうとする。まずは警戒を解くことが必要だ。

 一旦馬のところまで戻り、水袋と椀を取り出した。できるだけ近づき、水を満たした椀を置くと、もう一度外へ出る。

 一抱え程度の草を刈り取る。戻ってみると、水を飲み干した羊はやや落ち着いたように見えた。

 元々は遊牧民の飼っていた羊だ。人には慣れている。

 飢えと渇きが満たされれば、多少近づくのも許容されるだろう。

 小さく声をかけながら草を差し出した。食べ始めるのを確認し、少しずつ残りを地面に置いていく。やがて、羊の意識が逸れたことを見計らってそっと位置を移動し、片手を折れた脚に近づけた。

「我が竜王の名とその誇りにかけて」

 呟いた請願が、みるみるうちにその傷を癒す。

 羊がまだそれを認識しないうちに、素早く首に縄をかける。

 遊牧民が飼っていた、または定住者が逃がした家畜は、もう半ば野生と化して草原を群れで移動している。

 だが、近辺に羊の群れがいる様子はなかった。はぐれて置いていかれてしまったか。

 少なくとも、仔が生まれるまでは共にいた方がいい。

 刈ってきた草を食べつくした羊に苦笑して、縄を軽く引いた。おとなしく、羊は後についてくる。


 羊を連れて、馬を駆るのは無理だ。群れなら馬もそれなりに気にするが、一頭だけでは、近くにいてうっかり蹴られてしまったら死んでしまう。

 幸い、数日程度で産まれそうだ。オーリはそのまま先に進むのを諦めた。

 どうせ、もう、急ぐ理由もない。

 ようやく、そう判断することができた。

 岩山の影に隠れるように天幕を張る。その両側に馬と羊をそれぞれ繋いでおいた。


 ぼんやりと、空を見上げる。

 何もしないでいる、ということは何ヶ月ぶりか。

 イグニシアの侵攻が始まってからは、本当に気が休まる時がなかった。

 まあ、それ以前も高位の巫子として竜王宮を動かさなくてはならず、決して暇な時などなかったのだが。

 となると、何年ぶり、なのか。

 空が高い。

 風が、見渡す限りの草原を渡っていく。

 遠くに牛の群れがいる。

 ただ、人だけが、いない。

 オーリは、もうあまり心が揺り動かされないことに、僅かに驚いた。



 甲高い鳴き声に、目を覚ます。

 眠っていると、竜王の恩寵は鈍る。とはいえ、すぐに気がつかなかったのは、やはり疲れているからか。

 天幕を飛び出して、繋いでいた羊の傍へ駆け寄った。

 既に仔羊の前肢が胎外に出始めている。

 羊はよろめいてはいるが、大丈夫そうだ。

 家畜の出産は、昔は日常茶飯事だった。オーリは熾になっていた焚火を掻き立てた。


 仔羊は無事に産まれてきた。

 数歩離れた場所に腰を下ろす。難産ではなかったとは言え、流石に汗だくだ。

 手に沁みついた、血と、肉と、内臓の臭い。

 数ヶ月前からずっと、彼の皮膚に、心に沁みこんでいたものと同じ。

 だが、これは、死を象徴するだけのものではなかった。

 新たに生まれ出た、生命(いのち)から発したものだ。

 ふいに視界が滲む。

「……あれ……」

 ぽたり、と掌に滴が落ちるのを呆然として見下ろした。

 人の死に慣れすぎて、もう、涙など枯れたと思っていた。

 ぼやけた視界の中で、仔羊は懸命に母羊の乳に吸いついている。

 泣き笑いのような表情で、その身体を撫でようと手を伸ばすと、母羊は胡散臭い表情で威嚇してきた。



 よく晴れた朝だ。

 オーリは手早く天幕を畳み、馬の背に乗せた。

 二頭の馬の手綱を片手に持ち、もう一方の手に仔羊を抱く。

 そのまま歩き出すと、声を上げながら母羊もついてきた。

「頼みますよ、ニネミア」

 小さく呟く。

 ほんの数分、ゆっくりと歩いていくと、突然、目の前の岩だらけの大地が緑色の草原に変わった。

 低い鳴き声があちこちから響く。

 風竜王の御力で、手近な場所にいる羊の群れのところまで時間と距離を短縮したのだ。

 そっと、オーリは仔羊を地面に下ろした。

「ほら」

 とことこと、母羊について、仔羊は群れへと向かっていった。やがて、二頭はどこにいるのかすら判別できなくなる。

「……そろそろ刈ってやらないと、暑そうだな……」

 ふわふわもこもこといった風の羊たちの毛皮を眺めて、オーリは呟いた。

 勿論、彼一人きりで、フルトゥナ全土の羊たちの世話をできると思っている訳ではない。まして、馬や牛などを含めては。

 それでも、民を悼み、ひたすらに自らを責めるだけの気持ちだけではなくなった。

 大きく、伸びをする。

 草原は、ひたすらに広い。

 一つ息をつき、そして軽い動きで馬に跨る。

「さて、じゃあ行こうか」

 踵を馬の脇腹に軽く当て、オーリは再び草原を進んだ。




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