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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
キャラクター紹介・番外編

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221/252

暁の誓約(上)


(※僅かながらグロ描写と呼べるものが存在します。お気をつけください。)



 夜が明けた。


 この七日、〈魔王〉のかけた呪いに全身全霊で立ち向かっていた。考えつく限りの手段を試し、躊躇いなく血を流し、助言を、力を受け入れ、放ち続けた。

 だがそれも、呪いの進行を僅かに遅らせるだけしか効果はなかったのだ。

 祭壇が暁光に煌く中、ぴったりと、国境の際まで呪いの範囲が行き渡ったことを感じ取る。

「……ニネミア。そろそろ、決断しなくては」

 声を出すだけで、痛みが胸を焼く。

 この七日間、掛け値なしに不眠不休で飲まず食わずだ。それ以前も、大して彼を取り巻く状況はよかった訳ではない。

 竜王の恩寵を一身に受けていることだけが、彼をまだ立ち続けさせていた。

「決まっているでしょう。続けるか、諦めるかですよ。尤も、続けたところでもう事態は好転しないと思いますけどね」

 掠れた声が、苦い響きを帯びる。

 呪いが、フルトゥナの国内全てに行き渡った。

 もう、この地に生存する民は一人もいない。

 そして、七日をかけても、この呪いを破れなかった。今からどれほど奮起しても、今以上の力は絶対に出せない。

 不承不承、といった風竜王の承諾を得て、オリヴィニスはその場に倒れこんだ。十数分間、荒く呼吸を繰り返している。

 このまま死んでしまっても構わないほどに、身体は眠りを欲していた。だが、青年はやがてよろり、と立ち上がる。

 力なく歩いて、祭壇の間に横たわる遺体に近づいた。

 この地は、呪いの発生源だ。彼は、この地に残った者たちは、今から七日以上前に亡くなってしまっている。時期としては、あまりよくない。

 覗きこんで、予期した通りの状態に眉を寄せるが、しかし躊躇いもなくその身体を抱き起こす。

 階段へと向かいかけた彼は、視線をふと横へと流した。薄く緑色がかった球体が、祭壇の間の外の虚空に浮いている。

「……ありがとうございます、ニネミア」

 小さく礼を告げて、オーリはその中にそっと友の身体を横たえた。

「下を見てきます」

 このアーラ砦は、激戦地となった。敵も味方も、この周辺でかなりの人数が息絶えている。

 気持ちを奮い立たせ、高位の巫子はただ一人、暗い階段を下りた。



 十人程度集めたところで、一度地上に降り立つ。

 街の敷地は、街路が石畳で舗装されているから、上部の建物が消滅した今でも現在地を大体は把握できる。

 オーリは、竜王の御力を引き連れて、見晴らしのいい道を街外れへと向けて歩いた。


 岩の少なそうな辺りの草地を掘り返す。

 本当は手作業でやりたかったが、倉庫から道具を持ち出そうとした時点で、体力が残っていないことを痛感し、諦めた。

 それに、おそらくは長い期間に渡る作業になりそうだ。できる限り、時間を短縮した方がいい。

 よって、オーリは今も竜王の御力に頼っている。

 幸いと言うべきか、彼には今、七日前までとは比べ物にならないほどの力があった。

 最低でも二、三メートルの深さは確保する。あまり浅くては、狼や野犬や狐に荒らされそうだ。

 事実、人がいなくなった街の跡地に獣が入りこんでいる姿を見つけている。何か、対応策を講じなくてはならないだろう。

 そして、穴の底へ降り立った。棺は用意できない。花もだ。ただ、竜王が運んでくれた遺体を、一人ずつ穴の底へ横たえる。

「……すまない」

 幾度詫びても、足りない。

 民への後悔と執着とを苦く抱き、オーリは静かに穴を埋めにかかった。

 大方終わった辺りで、ふらりと身体が傾ぐ。

「あ、れ……」

 足をもつれさせて大地に倒れこんだ青年は、そのままぴくりとも動かなかった。



 目が覚めた頃には、もう陽が沈みかけていた。

 疲労のあまり貪ってしまった眠りは深く、少しばかり頭もはっきりし始めている。

 ゆらり、と起き上がり、アーラ宮へと向かう。

 やるべきことは山積みだ。だが、まずは身体を維持しなくてはならない、と痛感する。

 それが例え最低限の線だとしても。



 アーラ宮での戦いは、想定したよりも早く終わっている。

 戦いに際して準備していた食料は保存食が多く、また、さほど減ってもいない。略奪されるほどの時間もなかったため、殆ど全てが残っていた。

 尤も、侵入されることも考えて保管場所は分散され、巧妙に隠されていたため、数年経ってから思いもしなかった場所で発見したこともある。

 ともあれ、干し肉を(かじ)り、水を飲んでいるオリヴィニスは、酷く無表情だった。

 まるで、砂を噛んでいるような味しかしない。

 早々に食べ終わると、休む間もなく立ち上がる。

 この先は、持久戦だ。動けるうちに、休息を取るための場所を確保しておくべきだ。

 オーリは、例えどんな状況であっても現実を直視し、最善の道を取るために全力であがく青年だった。

 幸い、裏口に近い場所に、風竜王宮親衛隊の休憩所があった。夜間の警備をする者たちが使っていた部屋だ。

 通用口からの道は、さほど複雑ではない。それを確認すると、オーリは即座に中央の虚に向かった。

 虚の最下部に、敵も味方も入り乱れ、死体が転がっている。

 イグニシア王国軍の死体まで埋葬するのは正直業腹だが、しかしこのまま放置していると自分が困る。

 せめて、埋める場所は離そう、と思い、オーリは彼らの身体を次々に竜王の作り上げた球体へ乗せた。

 外へ出るために礼拝堂に足を踏み入れる。そこもまた死体が散乱し、青年はやや通り抜けるのに苦労した。

 彼は徹底した現実主義者だが、しかし系統だった行動は苦手だ。思いついたところから手をつけるそのやり方は、後々彼を困らせることになる。

 だが、この時、彼が鬱陶しそうに頭を振ったのは、他の理由だった。



 先代の高位の巫子の遺品から、野犬避けの笛を見つけ出す。それを幾つかアーラ宮を囲む壁に下げ、四六時中風が通るように小細工をした。

 その笛から発生する音は野犬や狼、狐などにとって不快な音を発し続ける。獣たちは、この地には近寄らなくなるだろう。

 幸い、オーリの聴力をもってしても、それは聞こえる音ではなかったので、それに関しては彼は不便を感じなかった。


 彼は、元々遊牧民の出身だ。家畜を殺し、肉にする過程はよく判っている。

 この何ヶ月もの間戦場に居続け、人の死体を目にする程度ではもう動揺もしない。

 血と、肉と、内臓の匂いを全身に沁みこませながら、それでも彼は黙々と埋葬し続けた。

 食事も休息も、ぎりぎりになるまで耐える。ようやく手にする時にも、(かび)臭い食料と寝台に何の感慨も抱かない。

 彼が敵も味方も関係なく同じ墓穴に埋めるようになるまで、時間はかからなかった。

 アーラ宮の外は業火に焼かれているため、その時に生命(いのち)を落とした死体は影すら残っていない。彼らを埋葬できないことに僅かに胸が痛むが、しかし、多分、彼らにとってはどちらでも構わないのだろう。

 これは、自分の感傷だ。



「……くそ」

 苛立たしげに、首を振る。ふらり、と眩暈がして倒れかけるのを堪えた。

 また限界が近いのか。とりあえず、ゆっくりと土の上に座る。

 この辺りは、現在やたらと見晴らしがいい。アーラ宮に背を向ければ、視界を遮るものなどなかった。

 高く澄んだ空に、鳥が飛ぶ。

 ざわざわと遠くに話し声が聞こえて、オーリは耳を塞いだ。

 この感覚は、覚えがある。

 まだ風竜王に認められてすぐの頃だ。聴力がやたらと鋭敏になったのが竜王の恩寵だと知らず、遠くに居るはずの人々の声を聞き、気が狂ってしまったのかと怯えていた頃の。

 だが、今は違う。この故郷には、もう生きている人間などはいない。その筈だ。

 流石に風竜王の恩寵とはいえ、草原を越え、湖を越えて、国境の外の者の声まで可聴とはしないだろう。

 つまり、これは。

「幻聴か。……結構早かったな……」

 溜め息をついて、空を見上げる。

 友を失い、民を失い、国を失った。

 ただ一人で、黙々と死者を葬る作業だけを続けている。

 早晩、正気を失うだろう予測は薄々ついていたのだ。

 それを認めれば、すとん、と楽になった。

「まあ恨まれているだろうしな」

 傍らに横たわる、親衛隊員の制服を身に着けた身体に目を向ける。既に彼は、一体誰なのか見分けがつかない。

 ふわり、と周囲の空気が変わる。

「ニネミア」

 目の前の存在に驚いて、小さく名前を呼んだ。

 顕現を請願してもいないのに、こうして実体化することは、初めてだ。

 普段、神殿で逢う時よりもやや小柄になった竜王は、宥めるように顔を高位の巫子へ近づけた。

「……呪いの壁に、穴が?」

 驚きのあまり呆然として、オーリは呟く。

「それは、何故です? その形が、アルマナセルが作り上げた、思った通りの呪いの形なのですか?」

 勢いこんで尋ねる。が、風竜王の答えは、少なくともその高位の巫子にとって満足できるものではなかったようだ。

 どちらにせよ、あの〈魔王〉の思惑は今は関係ない。青年はすぐに思考を巡らせる。

「穴が空いている、ということは、抜け出す隙がある、ということだ。ニネミア、私たちがこの地から脱出することは可能ですか?」

 続いての問いには、明確に竜王は否定の意思を示した。

 穴は、彼らが通り抜けられるほど広くはない。

 この場合の広さは、単純に面積ではない。世界を統べる三竜王のうち一柱の竜王と、その加護を一身に受けた高位の巫子は、その存在において巨大すぎるのだ。

 現在、穴は、フルトゥナの外の情勢を知らせてくる程度で、それ以上は望むことはできない。

 オーリは暗い表情で溜め息をつく。

 くるり、と、風竜王ニネミアは彼の身体の周囲にその身を置いた。

 僅かに、青年の身体が硬直する。

「……ニネミア?」

 幾度目のことか、呼んだ名は僅かに戸惑いを含んでいた。

 促すように、そのエメラルドの瞳が見つめてくる。

 溜め息をつき、どこか決然とした表情で、オーリはその背を仕える竜王の胴へ(もた)せかけた。

 瞬間、竜王の恩寵の威力が上がる。小さく、ざわざわと聞こえるだけだった声が、克明に巫子の意識を蹂躙した。

「……っ!」

 堪らず、素早く身を起こす。ほんの数秒だというのに、掌が汗に濡れていた。

「あれが、民の現状だと……?」

 聞こえてきたのは、絶叫と罵声。怨嗟の声。

 安全だと信じて逃がした民は、国境線の外で、未だ殺戮(さつりく)の対象とされている。

 だというのに、自分たちは、この呪いの境界線から出ることはできない。

 焦燥と憎悪とが湧き上がり、手当たり次第に叩きつけたいという衝動を抑えこむのに精一杯だ。

 ひび割れた唇を噛み、泥の沁みこんだ爪を掌に食いこませる青年を、風竜王ニネミアはその翼でそっと包みこんだ。

 やがて、ゆっくりと、オーリは身体の力を抜いた。

 ささくれ立っていた神経が、少しは穏やかになっている。

「ありがとう、ニネミア。……私は、やるべきことをする。だから、どうか、もしも呪いの穴が広がったら、すぐに教えて欲しい。絶対だ」

 風竜王は静かに巫子の顔を覗きこんでいた。



 アーラ宮に残った死体の埋葬が終わるまでどれほどの期間が必要だったか、オーリは覚えていない。

 疲れきって貪る眠りは一体何時間摂ったものなのか判らず、そもそも岩山であるアーラ宮の内部では時刻を判別する術がない。

 巫子がいた頃は、定期的に時刻を知らせる鐘が鳴っていたものだが。

 それでも、最後の一体を埋葬して、ようやくオーリは安堵した。

 周囲は、地面を掘り返した跡が生々しいが、一年も経たぬうちにまた草原と見分けがつかないようになるだろう。

 オーリは、か細い声で歌う。

 声は()れ、一年前の歌声とは似ても似つかないような状態だ。

 それでも、彼は歌う。

 死者へと手向けるものはもうこれしかなく。

 生者へは何もできはしないのだ。




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