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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
火の章

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05

 頭が、痛い。

 特に右側の側頭部が割れるほど痛む。

 首を小さく動かしてみて、激痛が走ったのに呻いた。

「くそ……痛ぇ」

「起きたのか」

 憮然とした声が降ってきて、眼を開く。

 蝋燭のぼんやりとした灯りに照らされて、一人の青年がこちらに視線を向けず、寝台の縁に腰掛けているのが見える。

「……ノウマード? 何で……」

「何でじゃないだろう!」

 が、問いかけた瞬間に、堪りかねたように顔を向けて言い返してくる。

「人に散々尽力させておいて、起きた途端にその言い草か? 私がどれだけ迷惑したと思ってるんだ!」

「いや、ええと、あの……悪ぃ」

 凄まじい剣幕に、とりあえず謝っておくことにする。僅かに冷静になったのか、ノウマードは不審そうな表情を浮かべた。

「覚えてないのか?」

「ちょっと待ってくれ。確か……」

 ざっと記憶を浚う。馬車に乗って、街へ出て、ロマに会って……。

「……そうか。ロマに、襲われたんだった」

 見えないところから鉈を打ちつけられた感覚が蘇り、アルマは背筋を震わせる。

 次の瞬間、あることに気づいて鋭く視線を上げた。

 今、自分は頭に布を巻いてない。

 青年が不機嫌そうに見返してくるのは、厭わしさによるものか。

 いたたまれなさがこみ上げ、衝動的に逃げだそうとしかけて。

「い……っ!」

 頭を起こしたところで激痛に襲われた。

「ああもう、無理をしない! しばらく角が痛むと言われてたから、安静にしなよ。折角私が連れてきたのに、台無しにしないでくれ」

 呆れたような声で諭される。痛みを堪えてそれを見上げた。

「その……ノウマード」

「なに?」

「気持ち……悪く、ないのか? こんな角……」

 おずおずと尋ねてみると、呆れたように見下ろされた。

「角を落とした断面なんて、家畜を飼ってたら何度でも見たことあるよ。貴族っていうのは、本当に軟弱だな」

「いや俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」

 ついそう言い返すが、ノウマードは不審そうに視線を返してきた。

 本当にそう思っているのか、少なくとも、判らない振りをしていてくれている。

 角を晒け出したまま、肩の力を抜いて、アルマは柔らかなクッションにもたれかかった。

「……あの時、お前が来てくれたのか?」

「悲鳴が聞こえたんだ。君の声に似てたから、行ってみたら案の定だった。大体何だって、あんな柄の悪いところに一人でふらふら入って行ったんだよ。君が産まれた時から住んでいる街だろう。足を踏み入れていい場所とそうじゃない場所ぐらい、把握しておけ!」

 変わらない調子で叱責されて、思わず首を竦める。

「すまん。その……、ありがとう」

「ありがとうで済むと思ってるのか? 気絶した君を抱えて、表通りまで戻って、まあすぐに君の馬車は見つかったし、御者に手伝って貰えたから、そこからはそんなに苦労はしなかったけど。竜王宮まで連れて来られて、しかもこんな時間まで拘束されてるんだぞ?」

 礼を伝えてもまだ治まらないらしい怒りに、流石に訝しさが募る。

「……何で?」

「君が、私の服を掴んで離さなかったからだよ!」

 ばん、と寝台を片手で叩く。視線を向けると、今も少年の手はしっかりとノウマードの服の裾を握っていた。

「うぉあっ!?」

 奇声を上げつつ、慌てて指を解く。

「全く……。力が強くて外すのは難しいし、外した途端にまた違うところを掴んでくるし。まあ、竜王宮に行くのが先だっていうのは判ったからそのまま馬車で進んだんだけど。着いても、火竜王の巫子たちは君の治療が最優先で私は放置だ。いや、単純に放置ならいいが、忙しく動き回る彼らにずっと囲まれてた私のいたたまれなさってのが君に判ってるのか!?」

「……ごめんなさい」

 おとなしく、横になった状態でできるだけ頭を下げる。そこそこ痛むであろうその行動に、ようやく溜飲が下がったか、ノウマードは長く溜め息をついた。

「これでよく判っただろう。ロマなんかに、もう関わるものじゃない」

「……ああ」

 頭では、判っていたつもりだった。周囲からずっと警告され続けてもいた。

 しかし、実際にあれほど剥き出しの悪意と、殺意を向けられるとは。

「まだ、保身を説いたら退いてくれる相手でよかった。失うものなどないという人間は、ロマには多いんだ。自分の身はちゃんと守れ」

「……あのさ」

 小さく呟く。

 憮然とした表情をさほど和らげもしないで、ノウマードが見返してくる。

 彼も、ロマだ。

 おそらくはひどく風変わりではあるのだろうが、ロマには違いない。

 彼も、心の中ではあれほどの悪意を、殺意を、嗜虐心を、アルマに向けているのだろうか。

 先ほど、露わになったままの角を気にしていないように振る舞ったのは、油断させるための演技ではないのか。

 それとも、アルマがこの三ヶ月で忘れかけていたように、彼もまた、忘れかけているのだろうか。

 だがそれを尋ねることができなくて、もう一つ、同じぐらい気になっていたことを口にした。

「俺を襲ってきたロマたちだけど。……死んだ、のか?」

 正直、角に鉈を叩きつけられてからの記憶は曖昧だ。

 だが、自制心なし、手加減なしの魔力が解放された感覚は覚えている。

 彼らの中には、まだ小さい子供もいたのに。

 ノウマードが小さく鼻を鳴らす。

「生きてたよ」

「本当に?」

 更に問いかけるのに、青年は無造作に片手を振った。

「人数分の呼吸音が聞こえてた。無事かどうか、という点ではよく判らないけどね。多少の火傷は負っていたかもしれない。君にも被害があったぐらいだし」

「俺に?」

「詳しいことは、君の上司に聞くといい」

 無造作に告げられて、瞬く。

 数秒遅れて、扉が軋んだ。


 扉の向こう側に人影を認めて、ゆっくりと上体を起こす。

「気がついたようだな」

「よぅ。世話になってるぜ、グラン」

 軽く、アルマナセルが声をかけた。

 ロマであるノウマードと寝室に二人きりにされるのは、火竜王宮の立場としてどうなのかと思っていたが、おそらく続き部屋に見張りの者がいたのだろう。見張り役から連絡が行って、しばらく扉の外で聞き耳を立てていたというところではないか。

 肩を竦め、火竜王の高位の巫子グラナティスは室内に足を踏み入れた。

 短い髪は、白に近いほどの金髪だ。表情に乏しい瞳は金茶。光の加減によっては金色に見えたりもする。

 額に嵌めた繊細なサークレットには、中央に豪奢なルビーが光っていた。

 身長百三十センチほどの身体に、純白の聖服を纏っている。

 その年齢は、十歳にも満たないように見えた。

「具合はどうだ? 吐き気はあるか?」

 彼は言葉の内容とは裏腹に、全く気遣わしさを感じさせない口調で尋ねた。

「ひたすら頭が痛ぇよ」

「それはしばらく我慢しろ。止血と内部の損傷を治療はしたが、抉られた角鞘の回復にはしばらくかかる。急いで治すと微妙な傷が残って、ちょっとした衝撃で折れたりしかねん」

「止めろそういう言い方は止めろ」

 想像しただけで血の気が退いて、アルマは両手を上げて言葉を止めた。

「角の頑丈さと、それが折られる前に救けが入ったことに感謝するんだな」

 僅かに笑みを浮かべ、グランは視線をノウマードに向けた。

「さて、この愚か者を救って頂けたこと、重ねてお礼申し上げる。こんな莫迦者でも、いないと困るものなのだ」

「本人前にしてどこまで言うんだよ……」

 この幼い少年に罵られるのは慣れてはいるが、流石に身内以外の人間にまで聞かれるとばつが悪い。

 だが、ノウマードは寝台に座り、無言で扉に背を向けていた。

「……ノウマード?」

 訝しげにアルマが呼ぶのにも反応しない。

 しかし、グランは全く動揺しなかった。

「お礼がてら、ゆっくりとこちらに滞在して貰いたい。できる限りの歓待をさせて頂く」

「お断りだね」

 視線を逸らせたまま、ノウマードは拒絶した。

「私はこれから予定があるんだ。ただでさえ準備が遅れている。アルマも起きたことだし、そろそろ失礼するよ」

「そうおっしゃらずに。このあと、部屋にご案内しよう。こちらへどうぞ」

 双方聞く耳を持っていない。

 が、立場で言えば火竜王宮の主であるグランの方が圧倒的に強い。しばらく沈黙したあと、ノウマードは口を開いた。

「……まだ、アルマに話がある。もう少しの間、二人だけにしてくれないか」

 ふむ、と小さく呟いて、グランは寝台に乗る二人を見比べた。アルマが小さく肩を竦める。

「承知した。ではのちほど」

 あっさりと告げて、踵を返す。扉が閉まると同時、ノウマードが溜め息を落とした。

「お前、何でそっぽ向いてるんだ?」

「火竜王の高位の巫子に関わるな、って、君が言ったんじゃないか!」

 噛みつくように返されて、僅かに怯む。

「あれが火竜王の不死なる巫子か……。本当に?」

 疲れた声で問いかけられて、眉を寄せた。

「俺は三百年前から知ってる訳じゃないからな。まあ、でも、俺の物心ついたあたりから、あいつはあんな感じだよ。親父に訊いてもそんなもんだって言ってた」

「伝承では、〈魔王〉アルマナセルが彼を不死にしたんだよね?」

「それだって伝承だ。俺としては、あいつを不死にするよりも、溺愛してたっていう王女レヴァンダを不死にして、ずっと一緒にいればよかったんじゃないかと思うけどな」

 ちょっと驚いたような視線が向けられる。

「意外と、君はロマンチストなんだな」

「うるせぇ」

 唇を尖らせて返す。眉間に皺を寄せて、青年を睨みつけた。

「で? 話って、何だ? 言っておくが、多分まだ隣には巫子か竜王兵がいるぜ」

「うん、まあ、それはそれで構わないんだけど」

 ふらりと立ち上がり、窓に近寄った。ガラスの嵌ったそれを開くと、冷たい夜気が流れこんでくる。そのまま、下を覗きこんだ。

「飛び降りようってんなら、無理だぞ。ここは三階だ」

 レヴァンダル大公家は、火竜王宮に住居を与えられている。管理されている都合上、時折長期間に渡って泊まりこむことがあるからだ。

 一度、別棟にして欲しいと頼んでみたが、グランに一蹴された。主に面倒だという理由で。

「そういえばお前の予定って何だ?」

「それは、何と言うか色々とね」

 はぐらかして、ノウマードは寝台へと近づいてきた。窓が開け放たれたままで、少々寒い。

「お前、まさかまだ、貴族に取り入ろうとかしてるんじゃないだろうな。お前が先刻(さっき)俺に忠告したことを、そっくりそのまま返してやるぞ」

「むしろ貴族は失うものが多い方だと思うけど」

 薄く笑って返される。

「屁理屈を言うなよ」

「そうだね。それに、これ以上遅れてしまうのは困る」

 かみ合わない返事を淡々と告げた次の瞬間、大きく開いた掌がアルマの顔に押しつけられた。そのまま、幾つも並べられた枕の上に押し倒される。

「……、ノウマード!?」

 軽い動きだけで身体の上に馬乗りになられて、動転する。

「ごめんよ。痛くしない、とは言えないから、できるだけ傷が残らないようには気をつける」

 柔らかく囁きかけられて、ぞくりと背筋が冷える。

 青年が鋭く右手を振ると、袖の内側から小さいナイフが滑り出た。

「やめ、ろ……!」

 両手で押さえつける腕を押し返そうとするが、そもそも体勢的に不利な上、昼間の出来事でアルマの体力は落ちている。

 そして、蘇った恐怖がその動きを更に竦ませた。

 指の間から覗く狭い視界が、斜めに遮るように向けられた右手で更に塞がれる。

 角の付け根を指の腹で辿られて、息を止めた。その動きだけで、絶叫しそうなほどに痛む。

 すぐに、角鞘が抉られた部位を見つけると、ノウマードのナイフは軽くそこを滑っていった。

「っぁあああああああああっ!」

 堪えることすらできない苦痛の叫びが、竜王宮を揺るがせる。

 素早く身を翻し、ノウマードは窓に駆け寄った。

「……っ、ノウ、マード……!」

 半身だけを何とか起こし、声を絞り出す。

 彼を行かせてしまってはならない気がしたのだ。

 しかし肩越しに振り返り、小さく何かを呟くと、ロマの青年はそのまま窓から姿を消した。

 巫子たちが大挙してアルマの寝室に押しかけるのは、そのほんの数秒後のことだった。



 エスタは動転していた。

 昼間にアルマが乗っていった馬車が、空になって戻ってきたのだ。

 御者の、要領を得ない話を根気よく聞き出して、何とか、彼の主人が怪我をして竜王宮に運ばれたということを把握する。

 すぐに単身竜王宮に駆けつけるが、しかし彼は頑として面会を断られていた。

「アルマナセル様のお世話は、竜王宮が看ることになります。これは高位の巫子自らの判断で、例え大公閣下でも覆すことはできません。お引き取りを」

 既に陽が落ちた正門前で、彼らは押し問答を続けていた。

「しかし、主人を放っておく訳には」

「アルマナセル様はご無事です。少々お怪我を負っておられますが、治らないものではありません。巫子も全力で治癒に当たっております。何かありましたら、すぐに屋敷の方へ早馬を出しますのでご安心を」

 ここは王都の火竜王宮だ。他はいざ知らず、ここにおいて高位の巫子グラナティスの権威は絶対である。

 彼に仕える巫子も竜王兵も、情に訴えようが賄賂をほのめかそうが、その忠誠を曲げることはない。

 竜王兵の、予想した通り一歩も譲らない態度に、かなりの時間を費やしてようやくエスタは折れた。

 内心で煩悶しながら、馬に乗って街路を一人進んでいく。

「……ん?」

 数ブロック離れたところで、視線を上げた。

 一人の青年が、細い路地の入口に身じろぎもせずに立っている。

 四つ角に設置された松明の灯りが、その金髪を鮮やかに照らし出していた。身なりは華美ではないものの、それなりにいいものを身につけている。

 この辺りはさほど治安が悪い訳ではないが、夜に彼のような人物が一人で立つのは、流石に不用心だ。

 その視線を辿ると、夜空に黒くそびえ立つ竜王宮があった。

 ……今、主人があそこで苦痛に耐えているというのに。

 エスタは、彼の力になれない自分の不甲斐なさに歯噛みし、それきり青年の存在を忘れていた。





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