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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
終章

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218/252

01

 その男は、一人、街道を馬に揺られていた。

 すれ違い、または追い越す者たちが、ぎょっとした顔で彼を見つめていく。

 午後を回った辺りには、目的地が見えてきた。

 街の巨大な門を通るためには、門衛の誰何(すいか)を受けなくてはならない。自然、荷馬、荷馬車など取り混ぜた行列が長く街から延びている。

 だが、その最後に並ぼうと馬を進めていた男に、衛兵が二名、近づいてきた。

「こちらへどうぞ」

 礼儀正しく、畏怖さえ滲ませる言葉をかけられて、軽く頷く。先行していった旅人が知らせていったのか。

 こんなことは、既に慣れていた。

 衛兵の先導で行列の横を進むが、じろじろと向けられる視線は、しかし誰も異議を唱えようとしていない。

「どちらへ向かわれますか? 宜しければ、護衛をおつけ致します」

 門を抜けたところで、衛兵が申し出た。

「いや。場所さえ確認できりゃ、一人で行くさ。水竜王宮は、あのでっかいやつか?」

 男は、無造作に、街の中央に(そび)える丸屋根の建物を指差した。



 来客の報せを受けて、廊下を走り抜ける。

 礼拝堂を見下ろす階段に出て、彼は大声を上げた。

「クセロ!」

 広大な空間で、周囲を遠巻きにされながら面白そうに立っていた男は、その言葉に顔を上げた。

「よぅ。旦那。久しぶり」

 金髪の男と、その頭部にちょこんと乗っている竜王とが、揃って片手を挙げてくる。


 彼らがイグニシア王国の王都、アエトスで別れてから、三年が経っていた。



「背ぇ伸びたな……。じきに追い越されんじゃね?」

 水竜王宮の廊下を奥へと案内されるクセロに、訝しげにそう言われて、アルマは苦笑した。

「お前たちに追いつけるとは思ってないよ」

 クセロと、もう一人の仲間ほどの長身は、そうそういるものではない。

「姫さんは?」

「今、会議中だった。報せは行っているだろうから、もうすぐ切り上げてくるだろう」

 こじんまりとした館の、居心地のいい居間に通す。クセロに椅子を勧めると、アルマは壁際の飾り棚へ向かう。

「何か飲むか?」

「まだ昼間だろ。いいよ」

 断られて、少しばかり驚く。

 以前は、泥酔することはなかったものの、酒を飲む機会があればそれを逃さない男であったのに。

「今日着いたのか?」

「ああ。そのまま、真っ直ぐここへ来た。汚れてるのは勘弁してくれ」

 土埃にまみれたブーツを示す。

「気にするなよ。泊まっていくんだろう?」

「その申し出を期待してたんだ」

 にやりと笑う男に、苦笑する。

「向こうの様子は? 皆はどうしてるんだ?」

 クセロは今、王都に住んでいない。だがイグニシア国内に居住しているし、国内の仲間たちの現状についてはアルマより詳しいだろう。

 だがその質問に、クセロは僅かに顔を曇らせた。

「姫さんが来るまで待とう。何度も同じことを話すのも無駄だ」


 ペルルは、予想通り十数分後には現れた。

「まあクセロ、お久しぶり! 地竜王様も、お変わりなく」

 満面の笑顔で、姫巫女が歓迎の言葉を述べる。

 クセロは、呆気にとられたようにそれを見つめていた。

「こりゃ驚いた。綺麗になったな、姫さん」

 男の言葉に、はにかむように目を伏せる。

「もう、子供の頃から知ってるのに、そんなことを言わないで」

「いや子供って」

 彼らが共に旅をしていた時は、ペルルは十四歳。三年経って、確かに彼女は輝かんばかりに成長していた。

 だが、クセロにとっては今も昔もまだまだ子供だ。苦笑して、アルマを見る。

『うむ。フリーギドゥムも自慢じゃろうて』

 重々しく地竜王も同調した。

 この竜王を見つけ出す時には、ペルルは酷く怯えていたものだが、既にそんな感情は消えている。

「皆様お元気? グラン様は?」

 椅子に掛け、嬉しげに尋ねるペルルとアルマを見て、クセロは上着の内側に手を入れた。

「まずは、仕事を済ませちまおう。火竜王宮から、親書を預かってきてる」

「親書?」

 クセロが卓の上に置いた封筒には、見慣れた火竜王宮の蝋印が押されている。

「一週間前、火竜王の高位の巫女の戴冠式があった。これは、巫女からの挨拶だ」


 その言葉が理解できるまで、しばらくかかる。

 火竜王に、新たな高位の巫女が立ったということは、つまり、今までの高位の巫子は。

「……なんで……」

 掠れた声を出すのが、やっとだ。

 ペルルは顔を青褪めさせて、クセロを見つめている。

「何でだよ! 俺に、何の連絡もなかったのに!」

 怒声を真っ直ぐに受けて、クセロは冷静に口を開く。

「大将が誰にも知らせるな、と命令してた。あんたもそれがどれぐらいの効力があるか知ってるだろう。最後まで、王都から外にその情報は漏れていない」

「……じゃあ、何でお前は知ってるんだ」

 きつく、拳を握り締めて、尋ねる。下手なことを聞いたら、目の前の男を殴りつけてしまいそうだ。

「うちには、ありとあらゆる戒律を無視する厄介な奴がいてね」

 頭頂部に竜王を乗せたまま、クセロは器用に肩を竦める。

「おやっさんが、大将が危ないって言うんで、王都に駆けつけたんだ。俺は散々罵倒されたが、まあ、おやっさんには何も言わなかったよ」

 理不尽には既に慣れているのだろうが、愚痴を零す。

 アルマは努力して手から力を抜き、大きく息をついた。

「俺だって、知ってたらすぐに王都まで戻ったのに」

 アルマには[門]を開くという奥の手がある。王都には父親や従兄(いとこ)、そして元とはいえ契約を結んでいた主人がいたのだ。(しるべ)には事欠かない。

「あんたが来たら、また生き延びちまうかもしれないからな」

 だが、更なる言葉に鋭く顔を上げた。

「クセロ、お前……!」

「忘れるなよ、旦那。三年前、当人の意向を無視して、大将を生き延びさせたのはおれたちだ。全部、おれたちのエゴだ。あん時、大将が起きた後の罵倒っぷりったら、おれが知る限り、最大限に凄まじかった。それでも、結局、大将はそれを受け入れた。受け入れて、くれたんだ。ただ、今回の身体が限界を迎えたときに、絶対に次はない、とあの人は決めたんだよ」

「だけど……」

 突きつけられる事実に、混乱が深まる。

「おれだって、大将に死んで欲しかった訳じゃない」

 ぽつり、とクセロは呟いた。ペルルが俯いて、肩を震わせている。

「また、お会いできると思っていましたのに……。三年なんて」

「正直、三年保ったのも奇跡に近いんだ、姫さん。聞いた話だが、元々あの身体は長く保つもんじゃなかったらしい。最近は精々五、六年がいいところだった。しかも、三年前に施術しようとした時には、既に龍神がこの世界から消えて数時間経っている。その間、保管されていた身体は、どんどんと死に向かっていた。魔力が足りなくて、旦那とエスタが二人がかりで何とかしたが、それでも多分、充分じゃなかった。……おれが会った時、大将はぼろぼろだったよ。それに比べれば、三年前の状況なんて、軽いものだった」

 多分、今回も延命を望んでいたとしても、次の身体はもうなかったのだろう。

 覚悟はしていた。ただ、早すぎただけで。

 ペルルの手が、膝の上で服を掴む。アルマは、ぎこちなくその背に手を添えた。

 クセロは謝らない。他の誰に話さなくてもいいが、彼らには告げねばならないことだったのだ。

 それでも、彼が立ち会った惨状に比べれば、言葉で伝え聞くことなんて楽なものだ。

「……大将から、伝言も預かってる」

 そして、金髪の男は、静かに告げた。


「幸せになれ、と」


 堪らずに、ペルルは泣き伏した。




 重苦しい雰囲気の中で食事を済ませ、ペルルは早々に部屋に引き取った。

 アルマとクセロは、なんとなく二人で酒杯を交わしている。

「旦那、最近凄い活躍だったそうじゃねぇか。こっちまで噂が流れてきたぜ」

 クセロが軽く言うのに、苦笑する。

「どんな噂なんだよ」

 アルマは、三年前に休戦協定を締結し、その後のごたごたが終わった後に、正式に水竜王宮に所属することになった。

 カタラクタ王国において、水竜王宮には表立っての敵はいない。王家とも貴族とも商人とも庶民とも、そこそこ友好的にやってきていた。

 だが、それだけに、交渉ごとの専門家がいなかったのだ。

 〈魔王〉の(すえ)は竜王には帰依しない。世俗と関わってはならない、という戒律の外にある。

 アルマは、水竜王宮で渉外を担当することになった。彼の父祖が、火竜王宮でそうしていたように。

 竜王宮の利益のために貴族と渡り合える人材というのは、実に貴重なのだ。

 尤も、社交界に引っ張り出される頻度も高いため、その点だけはペルルはややむくれ気味である。

「お前の噂だって、よく聞くぞ。羽振りがいいそうじゃないか、鉱山王」

 茶化すように言うと、クセロはにやりと笑う。

 三年前、イグニシア王国は地竜王へ直轄地の提供を申し出た。

 一つの国に二柱の竜王がいる、というのは、なかなかのステータスではある。

 勢力が小さい分、大した準備も要らないので、その時は王室が上手だと思われた。

 だが、相手は地竜王だ。大地を知り尽くした竜王が望んだのは、クレプスクルム山脈に近い、一つの山。

 王室がその地を支配する領主にかけあい、地竜王宮の直轄地となった地に乗りこんだクセロは、その山の中で(きん)の鉱脈を掘り当てる。

 いや、最初からそのことは判っていたに違いない。

 今やその土地には鉱山街ができ、賑わい、人々は鉱山の権利を持つクセロに従っている。

 鉱夫の守護者としての地竜王を参拝しに、各地から人々がやってくるほどだと言う。

 竜王宮の直轄地からは、税は取れない。ステラはさぞかし悔やんでいるだろうな、とアルマは小さく笑んだ。 

「他の山にも幾つか目星をつけてはいるんだが、どいつもこいつも慎重になっててよ。なかなか譲ってくれねぇんだ」

 それなりに金は払うってのに、と、クセロが零す。

「お前も真っ当になったよなぁ」

「鉱山主なんて、本来山師もいいとこだ。考えが甘ぇよ、旦那」

 人の悪い笑みを崩さずに、男は杯に酒を注いだ。

「フルトゥナにはこれからか?」

 アエトスを発って一週間、となると、おそらくここへ直行したのだろう。そう思って話を変えると、クセロは頷いた。

「大丈夫なのかな、あいつら」

 気遣わしげに眉を寄せ、アルマは呟いた。

 三年前、カタラクタに戻り、反乱軍に合流した彼らは、オーリの部下イェティスの負傷に直面した。

 彼は、左足を膝のすぐ下で切断していたのだ。

 そして、その状況で、しかも切断して一ヶ月しか経っていないというのに、平然と馬に乗っていた。

 その時、アルマは中途半端な慰めしか出てこない自分に、不甲斐なさを感じたものだ。……無論、オーリに対して。

「ドゥクスが時々フルトゥナに行ってるから、話は聞こえてきてるぜ」

「ドゥクスが?」

 少しばかり驚く。あの火竜王宮竜王兵隊長は、風竜王宮親衛隊隊長とは犬猿の仲だったのだが。

「ほら、イェティスがやられた時、近くにいたのがドゥクスだっただろ。ちょっと気にやんでいるところがあるんだ。責任感の強い奴だからな」

 それに、フルトゥナは国家と竜王宮を共に再建している途中だ。人手は幾らあっても足りないだろう。

「当然、ごたごたはしてるらしい。できる限りフルトゥナの民だけを受け入れたいらしいが、商人だの何だのが入りこんでる。盗賊の類は、勿論こっそり国境を越えてるしな」

 荒れ果てた都市に入りこみ、財宝を探しているのだ。

 基本遊牧民だったフルトゥナの民は、判りやすい財産はあまり残していないのだが。

「国王だとか貴族だとか、あと、氏族か? あの辺りの血統はもう全然辿れない。子孫だ、って連中が林立してるらしいが、それを認めたら際限がないからな。オーリが統治にも駆りだされかねない状況だとさ」

 まあ、世俗に関わらない、という戒律を盾に逃げ延びはするだろうが。

 それでも、落ち着くまで、あの青年が関わらないわけにはいかないだろう。

「大変だな……」

「ああ。おれもとっとと帰ることにするよ。長くいたら、手を貸せとか言われかねない」

 他人事のように笑いながら、クセロは不人情な予定を立てている。

「お前がオーリから逃げられるかどうかは、かなり分の悪い賭けだぜ」

 アルマも苦笑した。



 酒杯を重ね、近い、遠い関係の者たちの近況を語り合い、時間は真夜中を回る。

 やがて閉ざしがちになった口を、クセロは開いた。

「……なあ。大将はさ。大将自身は、幸福だったのかね」

 らしくない言葉だ。酔っているのだろう。

 そういうことにして、アルマも熱い息を吐く。

「さあな。俺は、グランの人生を全部知ってる訳じゃないが……」

 言葉を捜して、指がグラスの縁をなぞった。

「そうだな。きっと、満足してたんじゃないか」

「そう、か」

 金髪の巫子は小さく呟く。

「……なぁ、旦那。おれは、幸福ってのが、何だかよく判んねぇ。少なくとも、生きていくのに充分な金が稼げてる今は、ある意味幸福なんだろうって思う。けど、多分、大将が言いたかったのはそうじゃないだろ。その程度のことなら、大将の下で働いてた時だって、おれは幸福だった筈で、大将は今、おれにそれを言い残さなかった筈だ」

「ああ」

 ぎし、と木が軋む。クセロが、椅子の背に(もた)れ、天井を見上げているのだ。

「旦那の幸福は、すぐ傍にあって、手が届くんだからよ。ぐだぐだやってないで、とっとと幸せになっておけよ。心配かけんな」

 ぼそりと告げられる言葉に、僅かに怯む。

 心配する相手は、クセロではないのだろう。

「……にしても、慣れてんな、お前」

 クセロが頭上の地竜王を気にも留めず、また、地竜王も平然とそのままの姿勢を保っていることに、半ば感心し、半ば強引に話を変えたくて、アルマは呟いた。





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