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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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215/252

22

 背後の気配が、次第に濃密さを増す。

 それがゆらり、と動いた頃に、流石に気づいたのかオーリが振り向いた。

「グラン……!」

 喘ぐような声に、だが、グランはただ真っ直ぐに少年に向き合った。

 存在を大きく変化させた彼は、ほんの小さな仕草一つで、仲間たちを捕えていた龍神の罠を崩壊させる。

「全く、俺がちょっといない間に、お前らは何もできてなかったのかよ?」


 軽く、泥のこびりついた聖服の裾をはたく。その音に紛れさせて、小さく溜め息を落とした。

 成功した。

「お前こそ、随分と時間がかかったじゃないか」

 気を取り直して皮肉を言うと、アルマは見るからに顔を歪めた。

「俺がどんだけ酷い目に会ったと思ってるんだよ。まだ身体中がみしみしするぜ」

 以前、魔力を成熟させる時も、かなりの負担がかかったようだった。存在を転換させるのは、確かにそれ以上なのかもしれない。

 とりあえず、ざっと全員に状況を説明する。エスタもその場に加わり、彼らは行動を開始した。


「僕が地面に形を作る。それをなぞるように、魔力を流しこめ。形を変化させるなよ、効果がなくなってしまう」

「それぐらい判っている。私に命令をするな」

 アルマとオーリが地上を離れたところで、グランはエスタに説明を始めていた。

 アルマが立てた作戦だということもあり、渋々とそれに従っている青年だったが、それでもグランに対してはまだ思うところがあるようだ。

「命令ではない。指示だ。頼む」

 長身の男を見上げ、告げる。

 それは何が違うのだ、と言いたげな相手はもう放置して、右手を延ばす。

「我が竜王カリドゥスの御名とその燃え盛る誇りにかけて。邪なる龍神を縛り上げる縄を()え」

 足元の石畳が、淡く赤い光を放つ。

 それは見る間に左右へ広がり、巨大な円を描いた。その内側に滑るように様々な直線や曲線、文字のような文様を描いていく。

 陣をぐるりと回りこむように、エスタは移動した。グランから円の中心を経て正面の位置に跪き、両手を陣の傍に置く。

 慎重に魔力を流しこんでいく様子をしばらく見守る。順調であることを確認し、グランは頭上を見上げた。

 やがて、地竜王が顕現する気配が感じられる。

 陣を示す淡い光を、やや抑えた。奴らに勘づかれては、意味がない。


 赤黒く蠢く闇が、こちらへ向けて落下してくる。

 それは地響きを立てて石畳へと激突した。

 同時に、グランが抑制を解き放つ。

 真紅の光に晒されて、闇が泡のように崩れ、溶けて、消えていく。

 巨大なる龍神と、その掌に跪いているイフテカールの姿が露になる。

 憎悪を籠めた視線が、真っ直ぐに向けられた。

「グラナティス……!」

 もう、彼に侮られない。もう、生命(いのち)を掴まれたりは、しない。

「僕を生かし続けたのが、お前たちの敗因だよ。イフテカール」

 嘲りと、何よりも歓喜が湧き上がり、浮かび上がる笑みを抑えられない。

 アルマが無造作に龍神を縛る陣へと踏み入った。

 抵抗する意思を見せたイフテカールを、陣の外へと放り出す。

 そのまま〈魔王〉の(すえ)が龍神の四肢を、風竜王の高位の巫子が頭部を傷つける。

 そして、龍神を閉じこめる陣は、煮え(たぎ)る溶岩の坩堝(るつぼ)と化した。


『何故だ! 何故、この儂が、龍神である儂が、このような人間如きに!』

 龍神が絶叫する。

 その身は、遥か眼下に満ちる溶岩にゆっくりと沈んでいった。

 視界の隅に、ゆらりと動く影がある。

 グランの正面、エスタのすぐ傍で、イフテカールが立っていた。

 二人は何か話しているようだが、その内容は聞こえない。

 金髪の青年は、小さく笑みを浮かべたようだった。

「……イフテカール」

 グランが呟いた名前は、決して耳に届いてはいまい。

 幼い頃から見知っていた、現在ただ一人生存する人間が、その身を地獄へ向けて落下させる。

 何とはなしに、視線を上へと向ける。

 熱気に滲む視界に、明るくなってきた空が映し出された。




 王女を救い出して戻ってきたアルマを、目の前に座らせる。

 このまま〈魔王〉の状態で彼を放置しておくのは、少々危険だ。

 一通りの説明を済ませると、アルマは驚いたような、困ったような顔で見返してきていた。

「……お前、ここまで考えて」

「陰謀を巡らせているなかで、奴らを倒した後どうするか、が一番楽しかったよ」

 顔を僅かに伏せて、呟く。

 奴らを倒した後に。

 そんなことは、もう悩むまでもない。

 〈魔王〉の額に片手を触れさせる。

 そして、グランは彼を人へと変異させた。

 苦痛にのたうち回る少年を、慣れた口調でクセロに抑えつけさせながら。


 とりあえず順調に事は進み、その場をペルルとクセロに明け渡す。

 仲間の注意は、アルマの傷へと向いている。誰も、こちらを見てはいない。

 少し離れた場所まで、ふらつきながら歩く。

 そして、瓦礫に背を預けて座った。


 龍神とその下僕を倒した後に、なすべきこと。


 軽く目を閉じる。

 ただの呼吸が、随分と重い。

 だがそれも、もう少しの間だけだ。


 そう。すぐに。




 火竜王の高位の巫子、不死なる幼き巫子グラナティスは、その意識をゆっくりと闇へ沈めた。






 そして、瞼を開いた瞬間の、呼吸の軽さに驚いた。


 現実が把握できなくて、しばらく呆然とする。

 視界に入るのは、見慣れた竜王宮の天蓋だ。傍らの小さな卓に燭台が置かれ、蝋燭の炎が揺れている。

 ゆっくりと片手を上げた。小さな白い手には、膿み爛れた痕はおろか、傷の一つも見受けられない。

「……夢、か……?」

 混乱して、小さく呟く。

 火竜王宮を出て、長い旅をしたことも。

 イフテカールと龍神をこの世界から追放したことも。

 腐敗が進み、もう幾らも身体が保ちそうになかった、ことも。

 溜め息を落とし、ゆっくりと身を起こした。その身体がぴたりと止まったのは、動かすのに支障があったからだけではない。

 壁際に椅子を寄せて座る、金髪の男と赤銅色の髪の少女。二人とも深く眠っているらしく、身動き一つしない。

 そして男の頭の上からは、異形の竜王がじっとこちらを見つめてきていた。

「……地竜王、エザフォス」

『気分はどうじゃな、カリドゥスの子よ』

 グランは、一気に記憶が蘇る感覚に、目を閉じた。

「夢では、ないのですね」

『応。ぬしらは首尾よく、龍神ベラ・ラフマを放逐した。上出来じゃ』

 淡々と告げられる言葉に、ぎゅぅ、と拳を握る。

「では何故、僕は生き延びているのですか」

 龍神はこの世界から消えた。

 ならば、その龍神の力を利用する、幼き巫子の延命手段はもう使えない筈だ。

 だが、地竜王は淡々とそれを説明する。

『ニネミアの子が、まずこの地まで先行し、巫子たちにそなたの状況を伝えた。そして、わしらが龍神を送ったあの地より、馬車を仕立てて全員で移動した。ここに着いた時には、どうやらもう準備が整っておったらしいな。どうも出力とやらが足りなかったようだが、あの〈魔王〉の子らが、無理矢理動かしおったよ』

「〈魔王〉の、子ら……」

 アルマと、エスタ。

 アルマの〈魔王〉化を解いたのは、それを成せないように、という思惑もあったのだが。

 まさか、エスタがグランの生命(いのち)を繋ぐために動くなど、予想もしていなかった。

 おそらくレヴァンダル大公家当主の生命(いのち)を人質にでもしたのだろう。その辺り、グランは青年の忠義に対して露ほどの幻想も抱いてはいない。

「余計なことを……」

 溜め息をついて、どさり、と寝台に倒れこんだ。

 失望感に、起きている気力が失せたのだ。

『前にも言うたであろうが。カリドゥスの巫子、グラナティスよ。そなたの生命(いのち)は、犠牲にするには大きすぎると』

 地竜王が続ける。おそらくは、したり顔で。

「そんなもの、火竜王の前では一片の価値もない」

 小さく呟く。

 竜王は、巫子を大事にするだろう。生きて、利用価値がある間は。

 だが人間の生命(いのち)が終わることはごく自然の成り行きであり、それに関して竜王は関知しない。

 巫子の生命(いのち)を惜しむことなどは、ない。

 彼の肉体が、幾ら消費されていようと、今までに一度たりとも。

『だから侮っておる、と申しているのだよ。幸い、そなたには時間が与えられた。使命にも恨みにも惑わされず、しばらく考えてみるがいい』

 しかし、地竜王はなおもそう告げる。

 グランはそれには答えなかった。

『さて、そろそろこやつを起こしてやろうかの』

 のそり、と、異形の竜王は金色の髪の上で身じろぎする。

「疲れているのでしょう。寝かせておいてやればいい。全く、妙なところで義理堅い奴らだ」

 地竜王と二人きり、というのは、少しばかり歓迎できないが、しかしグランはそう提言した。クセロを起こせば、仲間たちが大挙してやってくることは容易に予想できる。冷静になれるまで、もう少し時間が欲しい。

 まだ混乱しているのか、なかなか思考はまとまらないが。



 もしも落ち着いて死が迎えられる時が来たら、彼らに何を言い残そうか、とふと考えた。




 龍神との戦いより、二日後。

 アルマとクセロは、王宮の中を歩いていた。

 イフテカールは王宮の内部に多くの拠点を設けていた。それを逐一探し出し、残された遺物を回収するのが目的だ。

 アルマは王宮に詳しいし、クセロは地竜王の御力で龍神の気配を感知することができる。

 既に幾つかの部屋を巡り、次の拠点へ向かっている時だった。

「あら」

 目の前の部屋から、ステラ王女が姿を現した。


「ごきげんいかが、アルマ?」

「かなり疑わしいところだよ、ステラ」

 あからさまに胡散臭い顔で、アルマは答える。

「社交辞令も忘れてしまったの?」

 呆れた顔で、ステラは返した。

「そろそろここでは体面を取り繕う必要がなくなったんだ」

 あっさりと返された返事に、やれやれというように王女は溜め息を落とす。

「それはそうと、もう一人誰かいたようだけど……」

 クセロは、最初のやり取りを始める前に、素早くどこかへ姿を消していた。

 懸命な判断だ。

「俺の仲間を毒牙にかけないでくれ」

「酷い言い方ね。ノウマードなの?」

「いや。あいつは、今日は街に行っているよ」

 ふぅん、と呟く。

「まだあいつを殺したいのか?」

 緊張しつつ尋ねる。が、ステラはそれに苦笑した。

「まさか。あの日、傷を治して貰った時に、色々事情は聞いたのよ。傷痕一つ残さないでくれた恩もあるしね。……見る?」

「それについてはあんたの言葉を信じるよ」

 軽くドレスの裾を持ち上げかけた少女に、きっぱりと言い渡す。ステラは楽しげに、ころころと笑った。

「今日は何のご用事?」

「イフテカールの巣穴を探してるのさ」

「ああ、彼の部屋ならこっちよ」

 さらりと告げて、廊下を歩き始める。イフテカールは、ステラの公然の愛人だった。彼女の宮殿に部屋を持っていても、不思議はない。

「あいつはどんな男だったんだ?」

 ぽつり、と尋ねる。

「それは夜の話?」

「一般的に、だ」

 ぴしゃりと断言する。ステラは面白そうに見上げてきた顔を、ふと暗くさせた。

「従順だったわ。私のどんな要求にも、滞りなく応えてきた。一つだけ、ノウマードを捕らえて来い、というのは無理だった。だから、それが少し不思議だったの。ノウマードがただのロマでなかったことで、少し判った気がしたけど。……でも、彼にした他の命令は、本当に私が望んだことだったのかしら。イフテカールが、自分にできることを、私に命令させていたのではないのかしら」

 王女の信頼を勝ち得るために。

「奴にできなかったことなんて、殆どないんだろう」

 アルマは憮然として呟いた。

 龍神の祀られていた礼拝堂で、彼女はイフテカールにいいように操られている。

 自分の意思が、一体どこまで本当に自分のものだったのか。その曖昧な境界に不安を持っていたステラは、小さく、そうね、と返す。

「ずっと小さな頃から、傍にいた気がしていたの。姿が変わっていなかったから、思い違いだと思っていたけど。私は、彼に育てられたようなものなのかもね」

 しんみりと続ける。

 やがて質素な扉の前で彼女は立ち止まった。

「遺品は、全て持っていってしまうの?」

「いや。必要なのは、力を残しているものと、あいつの陰謀に関わるものだけだ。日用品なんかは持っていかないよ。あんたが好きに処分したらいい、ステラ」

「そうね。ありがとう、アルマ」

 細かいレースで編まれた手袋越しに、片手を少年の頬に触れる。そのまま指先が長く延びた角を辿り、先端に被せられた金製の飾りから下がる、滴型のアメジストを軽く摘み上げる。一見無邪気な、悪戯っぽい視線を流した後でステラは廊下を戻っていった。

「……おっそろしい女だな」

 どこからか、しみじみとしたクセロの声が響く。

生命(いのち)が惜しかったら、あれには関わらない方がいい」

 半年前、オーリにした忠告を再び口にして、アルマは扉に手をかけた。




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