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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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211/252

18

 むっつりとした顔で、指先に目をやる。

 爪が割れている箇所が幾つかある。

 これは兆候だ。

 昔であれば、ここから激痛に我を失うまではおよそ一年。だが、もうずっと、そこまで進行するよりも前に身体を交換していた。最近はその期間も短くなってきている。

 限界がくるのは、昔よりも早いのかもしれない。

 理論的に考えれば、行動を起こすよりも前に身体を変えておくべきだ。この先、どれほどの時間が必要になるか判らないのだから。

 だが、流石に今では通常よりも早い。イフテカールが疑問に思うかもしれない。彼がそれを放置しておく性質でないことは、よく知っていた。

 それに、できるならば、これ以上一滴たりとも高位の巫子の血を龍神へと捧げることなどしたくない。

 その一滴で、奴が蘇るのかもしれないのだから。

 事態はぎりぎり順調に運んでいる。

 この先の一年に、グランは賭けることにした。




 王都を脱出して、西へ向かう。

 道中、今の状況を一通り暴露する。ペルルは意外にもあっさりと、全てを納得した。アルマは疑問に思うところもあるのだろうが、しかし結局は火竜王の高位の巫子に従うだろう。

 オリヴィニスは、今はおとなしくついてきてはいる。

 だが、その瞳は時折探るように彼らを見つめていた。

 特に気にすることはない。グランは何も嘘をついていない。

 ただ、話していないことがまだあるだけで。



 ドロモス河を渡り、ロポスの岩山へと入る。

 そして一行は、かつての風竜王宮親衛隊の末裔に掴まった。

 基本的に、ここでの行動はオリヴィニスに一任する。

 親衛隊は風竜王の高位の巫子である彼を敬愛しており、彼の言葉にはまだしも従うこと。

 また、彼らを強制的にでも関わらせるためだ。

「お前には味方が必要だ」

 そう告げたオリヴィニスは、なんとも言えないような表情を浮かべていたが。



 その夜、激痛がグランの身体を苛んだ。


 予想していたよりも、早い。

 あと数ヶ月は猶予があると思っていた。旅に出て、否応なく疲労は身体に蓄積する。それで進行が早まったか。

 奥歯を噛み締め、呻き声すら上げないことだけを意識に残す。

 オリヴィニスは今夜、少しばかり飲んでいた。そして、この地は、絶対に彼に敵対しない。数日振りに寝台で眠ることもあり、上手くいけば彼が夜中に目を覚ますことはないだろう。

「大将……」

 寝台の傍にいるクセロが、眉を寄せて呼ぶ。

「……お前も、休んでこい。ここにいたところで、何ができる訳、でもないんだ」

 切れ切れに、指示を出す。額に脂汗が滲み、きつくシーツを握り締めている姿では、大丈夫だと言っても説得力はない。

「誰かが来たときにごまかすぐらいはできるだろ」

 何でもないように、男は肩を竦める。

 痛みが途切れた辺りに、ほんの短時間うとうとし、そして次の苦痛に目を覚ます、ということを繰り返し、ようやく何とか治まってきたのは、もう夜明けが近かった。

 この苦痛が始まったからと言って、即座に身体が使い物にならなくなる、という訳ではない。

 できる限り負担をかけないようにしていけば、まだしばらくは保つ筈だ。




 翌日には、風竜王宮の本宮であるアーラ砦に辿りつく。

 その最上階の祭壇にて出現した風竜王ニネミアは、予想した通り彼らに敵意を向けてきた。

 一行を背後に置くように、グランが一歩前へ出る。

 竜王は、人の心を読む。何も隠し事はできない。

 それだけに、こちらに(やま)しいことがなければ、ただ感情的に対応するなどということはないだろう。

 オリヴィニスは宥めるように竜王へ話しかけていたが、やがて毅然として告げた。

「あなたを自由にしたいんです。そのために私は三百年の生き恥を晒してきたのだし、これからもそれを続けることになっても何も後悔なんて、しない」

 身体が強張るのを、自覚する。

 三百年の、生。

 オリヴィニスにとっては、それは恥辱だった。戦に負け、民を失い、主と共に封じられて。

 グラナティスにとっては、どうだっただろうか。

 死の恐怖が消えた訳ではない。龍神の術が失敗するならば、即座にグランの生命(いのち)を終わらせてしまう。そして、その術は十年も経たずに繰り返されるのだ。

 自分の生命(いのち)が敵に握られていることの、屈辱。竜王に敵対する者への憎悪。

 だが、〈魔王〉アルマナセルの子供たちに出会えた。多くの民を持った。彼らを庇護することが、できた。

 自分は恵まれていたことを実感する。

 しかし、だからと言って、イフテカールの行動による負の側面が帳消しになるわけではない。まして、オリヴィニスの苦難が。

 それが、今日、ここで解放されるのだ。

 ぞくり、と身体の内部が猛るのを押さえこむ。

 やがて納得したらしい風竜王が許可を出し、彼はアルマに剣を抜かせた。

 三百年前、この場で振るわれた、剣を。

 オリヴィニスが複雑そうな、不安そうな視線でそれを見つめる。

 幼い少年は、無造作にその刀身に触れた。

 カタラクタ侵攻前にこの剣に触れた時は、火竜王の高位の巫子としてだった。今は、龍神の(にえ)として、その力を抽出し、(こご)らせる。

 さほど長くもない剣が、赤黒い炎に包まれた。



 フルトゥナと風竜王を戒めていた呪が消滅し、オリヴィニスの警戒心もようやくなくなったか、と思われた。

 彼はアーラ砦に着いてから丸一日、最上階の祭壇の間から殆ど出てこないが。

 奴を再びここから引き摺り出すのは少々骨かもしれないな、などと考えていた時に。

 遠方でアルマの魔術が発動し、そして弾けるのを感じ取る。

 火の入った暖炉がある、という理由で、皆が集まっていた厨房から静かに外へ出た。

「大将?」

 素早く後をついてきたクセロが小さく声をかけてくる。

「アルマに何かがあった。オリヴィニスを呼んで、少し見てくる。お前は二人を護っていろ」

「だが、あんたは……」

「高位の巫子が二人に、〈魔王〉の(すえ)が揃っていて、何が不安だ? ここは、お前が得意とする街中(まちなか)じゃない。あの二人が無事でいることの方が大切だ」

「判ったよ」

 渋々足を止めるクセロを置いて、中央の虚へと到達する。

 そこには、既にオリヴィニスが立っていた。先ほどクセロと話していた内容も聞こえているだろう。

「何があったか判るか?」

「草原の中から、光球が上空に向けて打ち上げられて、消えた。あれはアルマだろう?」

「おそらく」

 渋い顔で、オリヴィニスが見下ろしてくる。

「上まで跳んで、それから外に向かう。それが一番早い。君が一緒の方がいいと思うけど」

「頼む」

 頷いたグランを、青年はあっさりと小脇に抱えた。


 重力を裏切る動きに、腰の辺りが僅かに冷える。

 オリヴィニスでも、ほぼ最上階までを流石に一気には跳べないらしい。二度ほど、虚の壁に設えられた階段の踊り場に降り立つ。

 この地を覆っていた呪は、ほぼ大部分がイフテカールに依るものだ。それが消滅して、彼に知られない訳がない。

 ここまで早く手を打ってくるというのは想定しなかったが。

 アーラ砦は、風竜王のおわす地だ。この近辺に、彼が(しるべ)を設置でき、それが三百年も活きているとは思わなかった。

 祭壇の間のすぐ下の層に降り立つと、オリヴィニスは何の躊躇いもなく外へ向けて開いている壁に走り寄り、そしてそのまま跳んだ。

「……っ!」

 流石に、七十メートル近い高さを一気に落下するのは、平常心ではいられない。ぐんぐんと迫ってくる石畳に、冷や汗が滲む。

 が、すとん、と軽くオリヴィニスは着地した。

「今は何も話していないし、動いてもいない。場所が特定できないから、大体の見当で跳ぶよ。君も、下をよく見ていてくれ」

 囁くような声に、頷く。

 風竜王の高位の巫子は、無造作に地を蹴った。

 耳の横を、風が切っていく。

 グランの目は、暗い地上にぼんやりと魔力の残滓(ざんし)を見つけた。

「右前方だ。あの岩山の辺り」

 囁くと、オリヴィニスは次の跳躍でそこまで一気に進んだ。

 上空から、アルマが岩山に追い詰められているのを確認する。

「我が竜王の名とその誇りにかけて!」

 グランの請願に応じて、拳大の炎が二人に降り注いだ。


 アルマと共にいた男には、見覚えがあった。

「ああ。どこかで見たと思えば、お付きの人か。しばらく会わない間に、酷く面変わりしたんじゃないか?」

 オリヴィニスが皮肉げな口調で言い放つ。そう言えば、フルトゥナ侵攻における報告書を書いたのは、エスタだ。同行したロマの青年に対し、あまり好意的な表現がなかったことを思い出す。二人の間に、何らかの確執でもあったか。

 それよりも、今最も大事なことは、エスタのこめかみから長く延びている、一対の角だ。

 嫌な予感が、胸に(きざ)す。

 まさか、この世界に他の〈魔王〉が存在していたのか。

 〈魔王〉アルマナセルの血筋であれば、グランは契約によってその力を制御できる。だが、そうではない者がいて、しかも敵対してきたとすれば。

 しかし、続くエスタの告白で、それが違う、ということが知れる。

「リアンステッドか……」

 小さく呟く。

 アルマの祖父。やや頑固ではあったが、理が判る男だと思っていた。

 しかし、目の前の青年が〈魔王〉の血筋であったとすると、まだ契約が利くだろう。

 それよりも、また別の問題がある。ほんの数日前まで人のままだった彼が変異したとするなら、それは、龍神の力を以ってするより他に手段はない。

 あの、龍神の使徒の手によって。

 グランは、目の前でアルマを組み敷く青年を真っ直ぐに見つめた。

「金髪に青い目の、色の白い、二十代半ばほどの男だろう。長いつきあいだよ。顔を合わせたことはさほどないが。再度言おう。あいつは、竜王宮の、民の、ひいては王家の、そして世界の、敵だ。絶対に関わるな。お前とて、〈魔王〉の(すえ)に連なる者だ。奴に堕とされるのは、忍びない」

 エスタの瞳が揺れる。

 彼は、レヴァンダル大公家の者たちのように、火竜王宮に仕えることをその契約と習慣によって身につけている訳ではない。

 最初が肝心だ。

「例え、お前が救いようがないほど愚かな雑種だったとしてもな」

 一瞬で、エスタの顔が強張る。

「ぅおいっ!」

 アルマが声を上げた。

「いやー……。君は、本当に大事なところで一言多いよねぇ」

 ほぼ傍観者に徹していたオリヴィニスが、しみじみといった風に告げる。

 失礼な。


 激昂したエスタは、アルマを説得しようとし、その血を呼び起こした。

 流石に、契約主とは言え人間である自分が行うよりも、血縁の行為はより直截的だ。効果的ですらあるかもしれない。

 やがて、ゆらり、と少年は立ち上がる。

 長く延びた角が、ぬらりと鈍く月光を反射する。

 反応は、オリヴィニスが最も早かった。

 素早くグランを再び小脇に抱え、一瞬でエスタをひっ掴むと、更に跳ぶ。

 それでもアルマの放つ魔力の範囲からは完全には逃れられなかったが。

 吹き飛ばされ、砂を被ったことを気にしつつ、遠く、身体の周囲に小さく稲光を纏わせているアルマを見る。

 確かに、今までとは段違いの魔力を有している。だが、始祖である〈魔王〉アルマナセルを知っている身としては、まだまだ足元にも及ばない、と感じていた。

 だから。

「アルマはお前が止めろ」

「……え?」

 あっさりと仲間に対応を任せたのだが、オリヴィニスは呆気にとられたように小さく呟いた。


 予想した通り、エスタは半ば陥落しかけていた。

 〈魔王〉の血が、否応なく契約に従うように強制する。

 グランは彼を押さえつけることに、ある程度手加減すらしていたのだ。

 だから、さほどの時間もかけず、オリヴィニスの手助けに行くつもりだった。

 なのに。

 エスタが、指に嵌めていた指輪を外す。

「……お前、それは……!」

 それは、過去に何度も見たものと同じ。

 同一である訳がない。龍神の真髄を籠めた指輪を、あのイフテカールが手放す訳もない。

 まして、それを飲み下して、たとえ〈魔王〉の(すえ)であっても、無事でいられる訳が、ない。

 だから、指輪は模造品だ。

 その行為によって、龍神との契約が成立するという、ただそれだけの。

 エスタが口を覆った指の隙間から、濃い、白い吐息が流れ出す。

「……莫迦者が……」

 グランは、吐き捨てるように告げ、敵と対峙した。


 確かに、グランは直接敵とやりあったことは少ない。特に、只人でない者とは。

 それだけに、高位の巫子はもう気を緩めなかった。

「……殺してやる」

 目を血走らせ、エスタは低く呻る。

「殺してやるぞ、グラナティス!」

 そして、彼を中心に、足元から白い腕が蠢きながら伸びてきた。

 つい前日に目にしたものと似た。

「燃え尽きろ」

 短い請願に応じ、四方へ放たれた炎がその呪いの腕を焼き払う。

 だがすぐに腕は再度生じ、しなりながら伸び上がり、彼らの頭上でまるで蕾のように閉じようとする。

「グラナティス! 貴様を、呪い殺す!」

 追い詰められ、行く先が見えなくなっている青年が、血走った目で見据えてくる。

 彼の瞳は黒い。だが、それでも、僅かながら子供たちの面影があって、痛ましさに眉を寄せた。

「憐れな男だ。本当に」

 静かに告げる幼い巫子の身体を、一本の呪いが抉った。




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