表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

201/252

08

 グランは、柔らかな椅子にぐったりと身体をもたせかけていた。

「遅かったじゃないか」

 非難するような口調は、イーレクスを送り出すのに時間をとられてしまったせいではない。

「レヴァンダに引き止められていたんだ」

 イーレクスが訪問する間、妻に色々と話しかけられ、連絡を受けるのが遅くなったことを説明する。

「姉さまか……」

 溜め息を落とす。肩を竦め、アルマは手近な椅子に腰を下ろした。

「イーレクスに知れるのが今になったことがむしろ意外ではあったがな」

「竜王宮からの報告が渡っていないことがか? お前は目端が利かないな。数年前から、本宮の人間を入れ替え始めている。以前要職にあった者たちは、とっくに他地方へ栄転させた。今、王宮から粉をかけられているのは、全て僕の配下だ」

 不敵に笑んで、グランがそう告げる。驚いた顔で、アルマは幼い主を見つめた。

 流石に副竜王宮長が異動になったことには気づいていたが。

「だが、王子が知った以上、すぐにイフテカールには伝わるだろう。正念場だな」

 もの思わしげに、呟く。

「わしも少しばかりあいつに釘は刺してきたが、どこまで効くかは判らんしな」

 アルマの言葉に、グランは胡散臭げな視線を向けた。


 しかし、その後数日間は王宮からもイフテカールからも何の接触もなかった。

 グランの容態が急変するまでは。




 高熱が続き、意識を保つのも難しくなり、苦痛に叫び声を上げることすら増えてくる。

 家族が次々にやってきたことにも気づかない。

 最後に、イフテカールがとうとう竜王宮へ乗りこんできたことも。

 ただ、苦しくて、辛くて、痛くて、ひたすら全てが終わることだけを待ち望んでいた。




 そして、瞼を開いた瞬間の、呼吸の軽さに驚いた。

 手を頭上に掲げてみる。あの、膿み爛れていた指先は、つるりとした綺麗な皮膚に戻っていた。

「気分はどうだ?」

 傍らから、静かな声がかけられる。

「最悪だ」

「そうか」

 ぶっきらぼうに返すが、相手には動揺した様子もなく応じた。それはそれでまた苛立つ。

「……結局、僕は、また生き永らえさせられたのだな」

「ああ」

 ぱたん、と腕を寝台へ落とす。

 新しい身体に馴染むには数日かかる。が、以前の衰えた身体と、今まで動かすことが殆どなかった新しい身体とでは、使いづらさは大体似たようなものだ。

「それで、一体誰が契約者だったんだ?」

 ただ、冷徹に尋ねる。

 視界に入らない場所から、アルマは答えてきた。

「王妃だ」

 母か。

 僅かに絶望がよぎる。

 子に死なれることは、それは酷く動揺するだろう。それはレヴァンダを見ていても想像がつくし、もしもラスダフリックに何かあったら、と思えば、自分でさえ平静でいられるとは思えない。

 つまり、彼女に説得は通用しない。

「王妃が亡くなるまで、僕はこのままか……」

 ぽつりと呟く。

 だが、義兄は更なる絶望を与えてきた。

「亡くなられても、継続を望んだままであれば、イフテカールはそれに従うだろう」

 反射的に上体を起こし、振り返る。瞬間、ぐらりと視界が歪んで、グランは再び倒れ伏した。

「無理をするな」

「どういう意味だ?」

 ぎりぎり、視線を上げて、問い詰める。アルマは、部屋の隅に置かれた椅子に座ったまま、身動きひとつしていない。

「子供たちを永遠に生かしておきたい。王妃が、そう考えておられるのならば」

「莫迦莫迦しい!」

 吐き捨てるように言う。だが、今の状況は既に充分莫迦莫迦しいものだ。

「……子供たち?」

 ふと、心に引っかかった単語を尋ねる。

 アルマは一度頷いた。

「イーレクス王子も、そのうち同様の術を受けるらしい。不死なる王と巫子とが、イグニシアを支えていくという訳だ」

 唖然として、言葉も出ない。

 どさり、と寝台に顔を伏せた。

「……王妃に心変わりを求めるよりないのか?」

 小さな呟きも、アルマはきちんと拾いあげた。

「手段は、もう一つある。イフテカールが死ぬことだ」

 重々しい声に、息を止める。

「契約は、施術者の死後までは継続しないのか?」

「あまり例はないが、おそらく。そもそも、死後、どうやって奴がお前を生かし続けるのだ? イフテカールは、毎回、お前を直接新しい肉体へ移動させなくてはならないのに」

「僕はその時意識がなかったんだから知る訳がないだろう」

 憮然として返す。ごろり、と、仰向けに転がった。

「……それも何とかしたいところだな。奴と顔を合わせなくてはならない、というのは、どうも嫌だ」

 グランにしては珍しく、好悪の情を露にする。

 疲れたように額にかかる前髪をかき上げた。普段、手に触れる火竜王の瞳が、今はない。



 グランは、術後を心配して訪れる元家族を、全て拒絶した。姉、レヴァンダまでも。

 唯一面会を許されたのは、〈魔王〉アルマナセルと、その息子ラスダフリックのみだ。

 幼い息子は、時折、高位の巫子に母親へ会って欲しい、と頼んできたりしたが、しかし相手は薄く笑んだままでそれに応じようとはしない。

 やがて、徐々にその頻度も下がっていく。




 〈魔王〉の魔術を体系づけ、それをグランが理解するには、膨大な時間が必要だった。

 アルマは、優秀な教師ではなかった。特に意識もせずに扱える魔術を、そうではない人間に説明する、というのは、酷く困難だ。

 グランの卓越した理解力がなければ、成しえなかったことだろう。

 その過程で、彼らはグランを延命させる魔術を、無人で執り行うことができないか、という命題にも取り組んでいく。

「魔術の構成を順次発動していくこと、龍神の魔力を累積させておくことが可能であれば、できる筈だ。僕の身体が十年程度保つと仮定して、その間、流れ出していくだけの魔力を取りこみ続けられればいい」

 グランの提案に、アルマが眉を寄せる。

「手順があるから、一度には無理だな。数個の媒体をそれぞれ稼動させれば、あるいは」

 念入りに問題点を改良し、作り上げていくのには、数年を要した。

 これを使うことになるのなら、それは、イフテカールと完全に決別する、ということだ。

 拒絶されたイフテカールが、どれほど怒りを露にするか、彼らには予測がつかなかった。


 だから、かなりあっさりと承諾されたことに、肩透かしを食らった気分であったのだ。

「結局、イーレクスが不老不死の術を受け入れない、と強弁していたらしいからな。人によっては嫌がられるものであるのだ、という認識はあるようだ」

 一人交渉に赴いたアルマが、そう告げる。

 イフテカール自身も、延命している。彼が不満に思っていないことが他者はそうではない、ということにようやく気づいたのか。

「都合のいい男だな」

 憮然として非難したのは、しかしイフテカールのことではないだろう。

「そう言ってやるな。お前は、火竜王の加護の下にある。イーレクスはそうではない。彼が、イフテカールを拒絶するのは、かなりの覚悟が必要だ」

 グランは、僅かに顔を曇らせた。

「そう気に病むな。わしがいる」

 悠然と構える男に、少しばかりむっとしながら、幼い巫子は頷いた。



 レヴァンダル大公家の義務は、勿論竜王宮に対するものだけではない。

 貴族として、王家にも忠誠を誓っている。

 そして、かなりの時間を王宮へ出仕していた。主に社交的な理由で。

 イーレクス王子には、息子が一人いた。エヴィエニス王子だ。

 彼はラスダフリックと歳が近く、従兄弟ということもあり、とても親しく、まるで兄弟のように育っていた。

 ラスダフリックが竜王宮の管轄にあるという名目で、少しずつこちらの手の者を王宮へ送りこんでいたのはグランだ。そして、その影響は、エヴィエニス王子にも及びつつあった。

 王家を、イフテカールの、龍神の手から取り戻す。

 それが、グランのもう一つの目的だった。




 やがて、国王夫妻が病に倒れた。

 火竜王宮に祈祷の依頼が来るのを、グラナティスは粛々とこなす。

 だが、竜王は人の寿命には干渉しない。

 そして、人の世のことにも。

 無駄だということを、最もよく判っているのが、この火竜王の高位の巫子だ。

 それでも、彼はただひたすらに、祈った。



 数ヵ月後、国王が崩御する。

 葬儀のために、前もって礼拝堂に安置された遺体を、グランはしげしげと見つめた。

 子供の頃に、数えるほどしか会っていない父親は、殆ど記憶に残っていない。

 老い、病み衰えたその姿は、哀れなものであった。

 だが、確かに彼の父親だ。

 グランは、深く、王に対して頭を下げた。


 盛大に国葬として王が葬られ、その直後、王太子イーレクスが即位する。

 火竜王の加護の下、彼に王冠を載せたのはグランだ。

 跪くイーレクスは、しかし表情が酷く硬い。

 幾度も自分を拒絶した弟に、そろそろ甘い感情も持てなくなってきたか。

 王宮に、イフテカールの干渉が強くなってきた、という情報もある。

 兄弟は、互いに無感動に式典を行った。


 そして、それを見届けたかのように、王太后が数日後に崩御した。

 葬儀の前の晩、やはり、グランはその棺の横でぼんやりと時間を過ごしていた。

「……どうして、貴女は、僕を解放してくださらなかったのですか……」

 もしも死後の契約破棄が成ったのであれば、イフテカールから連絡がくるだろう、とアルマは話していた。それはどれほど個人感情に反しようと、契約上避けられない行動だ。

 それがなかった、ということは、つまりグランの不老と不死は継続する、という意味だ。

 夜も更けた頃、礼拝堂の隅の扉が小さく音を立てて開いた。

 姿を見せたのは、すぐ上の姉だ。

「……レヴァンダ様」

 滑らかに向き直り、一礼する。そのまま踵を返した。

「待って、グラン。最後なのだから、しばらく一緒にいてちょうだい」

 だが、決意を秘めた言葉に、足を止める。

 ゆっくりと戻ってきたグランに、視線を向けることなく、レヴァンダは口を開く。

「グラン。貴方には、もう一人兄がいたのよ」

 幼い巫子は、僅かに眉を寄せた。

「貴方が生まれる、二年少し前に生まれたの。その子も身体が弱くて、本当に半年でいなくなってしまった。お母様は、ずっとお嘆きになっていて、後を追って死んでしまわれるのではないかと思ったほどよ。私はまだ幼かったけれど、よく覚えている。きっと、お兄様も」

 棺に納められた、純白の百合の花弁に、レヴァンダはそっと触れた。

「そして、貴方が生まれて、また、長くは生きられないだろう、と言われたの。お母様は、もう二度と、あんな思いをしたくないと思われて」

「それで、僕をこのような境遇に貶めたと?」

 冷たい声音に、レヴァンダははっとして向き直る。

 グランは、怒りを露にしてはいなかった。

「僕のためじゃない。全て、貴方がたの自己満足だ。そこまでして、一体何を求めておられたのだ?」

「グラン……、私たちは、ただ、貴方に死んで欲しくはなくて」

「人は死ぬものですよ、レヴァンダ。高位の巫子となってから、僕が幾人の葬儀を執り行ってきたとお思いですか? 親しい人の死を受け入れる方は、結局、悲しみを癒すのが早い。貴方がたは、僕を生かすことによって、その子供の死から受けた傷を癒そうとした。だが、それは成しえない。筋が違うからだ」

 グランの発する感情は、ただ、呆れと苛立ちのみだった。

「皆が、貴方ほど強い訳じゃないわ」

 ぽつり、とレヴァンダは呟く。

「僕だって、最初から強かった訳じゃない。その僕に、貴方がたが欲求を押しつけた結果が、これだ! 誰かに、ほんの一人でも、僅かでも満足感が残ったのですか? 哀れな僕の兄は、こんな目にあわなかっただけ幸福だったでしょうよ」

「グラナティス!」

 レヴァンダが、驚愕したような、非難するような声を上げる。

 だがグランは静かにそれを見返すと、今度こそ礼拝堂を辞した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ