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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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199/252

06

 陽が落ち始める。室内はどんどんと暗くなっていくが、グランはただぼんやりと座っていた。

 アルマは無言のまま、竜王宮を辞した。

 王家の立場ならば、末息子を病と縁のない身体にすることまでは、その意向は理解できる。

 だが、不老不死となると、一体何の利点があるものか。

 個人が、自分を、と望むのならばともかく。

 しかも、その時にはグランは既に竜王宮に在籍している。不老不死の高位の巫子を奉ることで、王家の何が満たされるのか、さっぱり理解が及ばない。

 ……いや。むしろ、そこか。

 竜王宮がそれによって何かしらの不利益をこうむるとしたら。

 王家には、イフテカールにはそれなりの利となるのかもしれない。

 しかし、それでも、こんな大仰な事態を引き起こさなくても足りる気もするのだが。

 小さく溜め息を漏らす。

 こうやって色々と思考を巡らせているのは、結局のところ、現実逃避に他ならない。

 幼い頃から、周りに同年代の子供などいなかった。

 時が経てば、周りの大人たちと同じように成長するのだと思っていた。

 成長の可能性を絶たれるなど、考えもしなかった。

「そこまでして、何故生き続けさせるんだ……?」

 グランはただ、ぐるぐるととりとめのない思考の中へ沈んでいった。


 彼のその卓越した理解力、洞察力が仇になったのだろう。

 じわじわと、幼い巫子は人生へ絶望していく。



 最初に表に現れたのは、食の細さだ。

 元々、グランはさほど食べる方ではない。だが、その量は目に見えて減った。

 そして、あまり眠れなくなった。

 夜の間、闇の中でぼんやりと色々なことを考える。

 最初の頃はそれなりに論理立った、しっかりとした思考であった。

 だが、日が経つにつれ、それはあやふやな、筋道すらないものへと変わっていく。

 それでも、昼間の、巫子としての業務だけは真面目にこなしていたのだ。

 十日も経った頃だろうか。部屋から、出られなくなったのは。

 部屋の外が恐ろしかった訳ではない。部屋の中が、安心できたという訳ではない。

 どちらも同じならば、外へ出る理由が判らなくなったのだ。


 その時点で、流石に副竜王宮長が動いた。

「いい加減になさいませ」

 眉間に皺を寄せ、男は苦言を呈する。

 グランは、寝巻きではないが、聖服とも違うゆったりとした服を纏い、だらしなく椅子に座っている。膝に頬杖をつき、くっきりと目の下に隈を作った少年は部下を無感動に見上げた。

「一体何を困ることがある? 僕がいてもいなくても、竜王宮は動くだろう」

 突き詰めて言えば、高位の巫子とは名誉職のようなものだ。

 ただ、竜王の恩寵を受けた、というだけの。

「しかし、グラナティス様……」

「実務に支障はない。儀式にもだ。竜王が顕現される必要のあるものはないのだからな。後は何だ? 僕がこんな状態では、献金でも集まらないのか?」

 不本意だ、と言いたげに、コミコスは口を引き結ぶ。

「それに面子か? そんなもの、お前たちが僕を人で無くす状態にすることに協力した時に、もう失われてしまっている」

「巫子様」

 咎めるような声に、片手を振った。

「頑張って竜王宮を維持するがいい。この状況に火竜王がお怒りになれば、流石に僕も死ぬのだろうからな」


 王宮に連絡が行くかどうか、というのは可能性としては半々だ。

 王宮と竜王宮の誰と誰が通じているのか、を見極める機会でもあった。

 だが、グランは、もうそんなことに興味を持てはしなかったのだ。



 死んでしまうことが恐ろしかった。

 朝、目を覚まし、苦しさを感じることが生きているという実感だった。

 そんなことすら、もう忘れてしまっていた。

 朝、目を覚まして、また日々が続いていることに対して気落ちするほどに。



 アルマはその間も、数日おきに竜王宮を訪ねてきていた。

 しかし、定期報告を巫子へ伝えさせるだけで、グランは頑なに彼と会おうとしなかった。

 とうとうレヴァンダル大公夫妻が揃って火竜王宮を訪れたのは、息子が誕生して三ヶ月ほど経ってからだった。

 その時点で、未だ、王宮からもイフテカールからも何の行動も起こされていない。

 流石に、この状態で一家を追い返すことはしづらい。副竜王宮長の説得に応じ、渋々とグランは彼らの前に姿を見せた。


 レヴァンダは、幸福の絶頂にいるようだった。以前よりもやや痩せてしまっているが、腕に抱く幼子へ向ける笑みは穏やかだ。

「お久しぶりね、グラン。たまには顔を見せてちょうだい」

 にこやかに挨拶されて、肩を竦める。

「僕も忙しいのです、レヴァンダ様」

 素っ気なく告げる。正面の椅子に腰を下ろすのを待っていたように、レヴァンダが立ち上がった。グランの傍らで身を屈める。

「私たちの赤ちゃんよ。ラスダフリックと名づけたの」

 それは、本当に小さな生き物だった。

 まるく膨らんだ顔。ぷくぷくとした腕や指。ふわふわの髪の毛は、両親に似て黒い。何の邪心もなく見上げてくる瞳は、淡い紫色だ。

「ラスダフリック……?」

 全く聞き慣れない名前だ。

「わしの故郷の言葉だ。誠実、といった意味がある」

 静かに、アルマが説明した。

「誠実?」

 意味ありげに、グランは男に視線を向ける。

「さあ、抱いてあげてちょうだい、グラン」

 だが、姉が嬉しそうに子供を押しつけてきて、流石に慌てた。

「いや、それは、無理です、姉さま! 僕はこんな子供、初めてですし」

「あら、私たちだって初めてだったわよ。大丈夫、椅子に座っているのだし、落としはしないわ」

 強引にレヴァンダが胸元に押しつけてきて、グランはこわごわその赤ん坊を受け取った。

 ずしり、とした重みが、腕にかかる。

 その温かさが、じわじわと沁みてくる。

 アルマがそっと立ち上がり、レヴァンダとは反対側に近づくと、床に跪いた。

「ラスダフリック。この方が、お前の義務だ。生涯、高位の巫子にお仕えしろ」

 タイミングよく、赤ん坊があー、とか、うう、とかいう声を上げる。

「義務だって?」

 意図が読めずに、問いかける。

 アルマは真面目な顔で頷いた。

「ああ。わしが死んでも、この子がお前の剣となり、盾となるだろう。この子が死んでも、その子が後を継ぐ。元々、そういう約束だった。忘れたのか? 心配はいらん、グラン。我らは、お前を独りにはせんよ」

 呆然として、義兄を見詰める。

 しかし、指先に違和感を覚えて、視線を向けた。

 赤ん坊の顔の傍にあったグランの指を、その小さな手で握りこんでいたのだ。

 その握力に、眉を寄せる。

「強いだろう。わしに似たのだな」

 にやにやと笑いながら、アルマが自慢げに呟く。

「赤ちゃんなんて、みんなそうよ。グランだって、力が強くて大変だったわ。私、髪の毛を何本か抜かれてしまったもの」

 笑いながら、レヴァンダが告げる。慌てて、グランは姉のほうを向いた。

「あの、すみません、姉さま……」

「いいのよ。貴方、一生懸命生きようとしていたのだから。みんな、そうなの」

 ねぇ、と、子供へ向けて声をかける。

 応じるように笑い声を上げるラスダフリックに、胸が詰まった。



 勿論、そんなにすぐに、グランの気持ちが落ち着いた訳ではない。

 レヴァンダル大公家は、その後しばらくの間竜王宮に滞在した。

 副竜王宮長(コミコス)は少々渋い顔をしたが、アルマは元から傍若無人でそのようなことを気に留めない。まして、王族出身であるレヴァンダはそんな対応をされるなど思いもしないように振舞っていた。

 名目上は、火竜王宮の管轄下にある大公家の嫡子、ラスダフリックのお披露目だ。

 まずは巫子を、十数人ずつ呼び出す。グランがその場を外す訳にはいかなかったので、ずっと同席することになった。

 コミコスは全く顔を出さなかったが。

 巫子たちの反応は様々だ。礼儀正しいが、冷淡に祝いを述べる者、心からの言葉を述べているような者。巫女たちは、大抵が赤ん坊に夢中になった。

 無論、これらの反応を額面通りに受け止める訳にはいかない。

 しかし、そもそも今までグランは巫子たちと個人的に顔を合わせることはなかった。周到に、遠ざけられていたとも言える。彼は、一人一人を記憶に刻みつけることに専念した。

 ふいに我に却って、何をやっているのか、と自嘲したこともある。

 結局のところ、彼の立場では用心深くならざるをえないのだ。

 やがて、面談の相手は親衛隊員にも及んだ。

 グランとも面識のある幾人かは、予想通り、ラスダフリックに会えて喜んだ。レヴァンダル大公家とも。

 だが、それ以上に、グランと顔を合わせたことにほっとしたようだ。

「またお身体を悪くされたのかと、心配しましたよ」

「これ、うちの女房の作った桃の砂糖煮ですが、よかったら」

 口々に気遣い、小さな品物を渡してくる。

「ありがとう。……その、心配をかけてすまない」

 微笑ましげにレヴァンダル一家が見つめてくるのを気にしつつ、礼を述べる。

 彼らだけになった時に、頼むからやめてくれ、と夫妻に頼んでみた。

 彼としても、体面というものがある。色々と。

 だが、アルマはあっさりと言い返した。

「なに、そなたには味方が必要だ。一人でも多くな。よいことではないか、グラン」



「その子には、角がないのですね」

 ある晩、のんびりと談笑している時に、ふとグランは尋ねた。

「ああ。レヴァンダに似たのだな」

 穏やかに笑んで、アルマはかわす。

 だが、その程度でごまかされていい話題ではない。

「では、魔術は……」

「使えぬだろう」

 さらり、と父親は告げた。

「まだ判らないわ。大きくなれば……」

 レヴァンダが、苦しげな表情で呟く。

「いや。以前も言っただろう。魔術は、個人の血と肉と魂に依るものだ。ないものが湧いて出ることはない」

 だが、アルマの言葉に、肩を落とす。

 〈魔王〉は、まっすぐに視線をグランに向けた。

「心配はいらん。魔術だけが、そなたを護るものではない。我が誇りにかけて、誓いは守ろう」

 高位の巫子は少しばかり醒めた視線で、守護者を見つめる。

「これから先に、魔術が使える子供が産まれる可能性は?」

 淡々と尋ねられて、男は首を傾げた。

「それは……、あるだろうな。わしの子孫である限りは」

 想像した通りの答えに、頷く。

「そして、その時に貴方が生きておられるとは限らない。魔術の扱い方を、その子供たちに教えなければなりませんね。アルマ、貴方が生きているうちに、その方法について、何とか形を作っておきましょう」

「やる気が出てきたか?」

 にやりと笑う〈魔王〉に、グランは、思い切り顔をしかめて見せた。



 また、ある時は、アルマは奇妙な知らせを持ってきた。

「イフテカールが、歌劇に干渉している?」

 眉を寄せ、グランはあからさまに不快さを表している。

「ああ。お前が依頼したという戯曲家に接触している。話の流れを、少々変えているところがある、と」

「どうやってそれを突き止めた?」

 不審に思って、問いただす。この〈魔王〉は、こっそり情報を探るという行動には到底向いていない。

「奴から直接訊いたんだ」

 半ば予想できた答えを、あっさりと相手は口にする。

 この時期、まだ、彼らはイフテカールと袂を別ってはいない。諦めて、グランは続きを促した。

「基本的には、龍神とイフテカールの存在を徹底して隠しているな。それから、わしやイーレクス、そしてお前を英雄化しているようだ」

「僕を?」

 きょとん、として呟いた。彼は、フルトゥナ侵攻には一切関わっていない。

「わしを召喚したのがお前で、その際に不老不死になったのだ、と喧伝したいらしい。火竜王の不死なる幼い巫子、と呼ばれておるぞ」

「……なんだそれは……」

 その言葉に、頭を抱える。

「わしは、そう悪くはないのではないか、と思っている」

 だが、そう続けられて、じろりとアルマを睨め上げた。

 からかっている風でもなく、男は口を開く。

「お前が不老であることは、そろそろ隠しおおせはしないだろう。いっそ、そのように劇的な理由にしてしまえば、それなりに理解されもする。そなたが、奇異の目で見られることも少なくなる。全てわしのせいになるからな」

「そんなに都合よく運ぶものかな……」

 かなり疲れた心持で呟く。

 しかし、そろそろ方針を決めなくてはならない時期でもあった。

「判った。だが、最終的には僕が通しで歌劇を見て、許可を出す。容認できない表現があったら、ばっさりと削らせるからな」

「まあ、それは依頼者として当たり前だろうよ」

 鷹揚に、アルマは頷いた。




 その後も、ふとしたきっかけで、グランは再び自暴自棄の状態に戻ってしまうことがよくあった。

 日に日に大きくなっていくラスダフリックを見る度に、心が痛むことも。

 それでも、グランは、その不屈の精神で少しずつその思いを克服していった。


 彼の肉体が、膿み爛れ、崩れ始めるまでは。



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