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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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198/252

05

 〈魔王〉アルマナセルは、うろうろと居間の中を歩き回っていた。

「……少しは落ち着かれたらどうですか」

 呆れて、グランが声をかける。

「ああ、いや、しかしいても立ってもいられんのだよ」

 そして扉に近づき、そっと開いては廊下の奥の様子を伺っている。

 レヴァンダが産気づいた、という知らせと共に、グランは強引にレヴァンダル大公家へ連れてこられていた。

 もしも妻に何かあったら、という、アルマの思いからだ。

 しかし、産婆はもう何人も貴族の子供たちを取り上げている者に頼んでいる。医者だとて、何名も控えているのだ。

 それに、どの道男性は部屋に入ってはならないと、夫と弟は離れた部屋に隔離されている。

 それでも数時間、彼らは辛抱強く待っていたのだが。

 前触れもなく、突然扉が開いた。

「旦那様、奥様が!」

 若い侍従が、蒼白になって叫ぶ。

 表情を硬くしたアルマは、一瞬でグランを小脇に抱え、廊下を全力疾走する。

 そして、一枚の扉を勢いよく押し開けた。

 状況を把握できないまま運ばれていたグランが、瞬間、室内から漏れ出てきた血の匂いに、息を飲む。

「レヴァンダ!」

 カーテンを閉めきられ、蝋燭の灯りのみの室内には、寝台の周囲に数名の人間がいた。明らかに緊迫した空気が満ちている。

 躊躇いもせずに、アルマは寝台に横たわる女性の傍に駆けつけた。

 その手を取るために、無造作にグランから手を離す。自然、高位の巫子は床に落ちかけるが、何とか体勢を立て直し、寝台へと身を乗り出した。

 血の気の失せた姉が、汗を流し、力なく目を閉じて横たわっている。

 ほぼ反射的に、上掛けの上からグランはその身体に触れた。

「我が竜王の御名とその誇りにかけて!」

 無我夢中だった。何がどうなっているのかも判っていなかった。

 寝台の足元にいた者たちが、慌しく動き出す。

「……アルマ」

 細い声に、顔を上げる。レヴァンダが、小さく瞼を開いていた。

「ここにいる、レヴァンダ」

「……赤ちゃんは……?」

 ぼうっとした風に、続ける。

 年配の女性が、腕に小さな包みを抱えて近づいてきた。身を屈め、それを夫婦に見せる。

「お元気なお坊ちゃまですよ」

 産声は聞いた覚えがない。もう、産まれ落ちてから時間が経っていたのだろう。

 しかしグランは、その様子を見てはいなかった。

 アルマは気にも留めていないようだが、この血臭は、彼には酷く堪える。

 その場から離れようと身を起こす。数歩、扉に向けて歩いたところで、よろめいた。

 誰かがその身体を支える。

「こちらへ、グラナティス様」

 小さく囁かれて、頷いた。

 血の気が引いているのが、自分でもよく判る。

 近くの部屋に通され、椅子に腰かけた。深く呼吸を繰り返して、ようやく気分が持ち直す。

「何か薬をお持ちしましょうか」

「いや、いい」

 心配そうな声に、短く返す。視線を上げると、覗きこんでいるのは王室づきの医師だった。数年前まで、よく世話になっていた男だ。

「ありがとうございました、グラナティス様。奥様の出血が止まらず、もう駄目かと思っておりました」

「ああ、いや、安心しないでくれ。竜王の御力で癒せるのは、傷だけだ。つまり、出血の原因は癒されたが、失われた血液が増える訳ではない。人間の生命力自体は各々の肉体に依るもので、竜王はそこには干渉されないのだ」

 医師の安堵していた表情が、僅かに曇る。

「そうでしたか。では、それに対しての手配を致しましょう」

 失礼、と言い残し、男は廊下へ出た。小さな話し声が漏れ聞こえてくる。

 数分して戻ってきた医師は、しげしげとグランを見つめた。

「三年ぶり、でしょうか。グラナティス様。その後、お身体のご調子は?」

「もうすっかり健康だ。その、今日こんな風になったのは」

「判っておりますよ。血の臭いに慣れるのは、医師か軍人かぐらいです。高位の巫子様には慣れぬものでしょう」

 やんわりと、グランの対面を保ってくれる。

 ばつが悪く、少年は僅かに視線を外した。

「しかし、竜王様では治すことのできなかったご病気も、〈魔王〉様の御力で完治できたのですね。おめでとうございます」

 ふと、その言葉に違和感を覚える。

 その内容と、口調の双方に。

 嫌味として発した言葉ではない。だが、医師は少々腑に落ちないようだった。

「……何か?」

「いえ。私は門外漢ですので、きっと的外れなことを考えているのでしょう」

 慌てて、医師は首を振る。

「話して頂きたい。何を、考えられた?」

 強く、グランが尋ねる。

 僅かに困ったように、医師は口を開いた。

「グラナティス様。その、私が最後にお会いした時から、殆ど体型がお変わりでないようなのですが、いかがされたのですか?」



 アルマを問い詰めるのはやめた。

 ただでさえ、今、子供が生まれ、レヴァンダが死に瀕していたところだ。そんな余裕はあるまい。

 火竜王宮に戻ったグランは、気難しい顔をしていた。が、それはよくあることである。

「お帰りなさいませ、グラナティス様。レヴァンダ様のご様子は」

 すぐに執務室にやってきた副竜王宮長、コミコスが礼儀正しく尋ねる。

「少々危なかったようだが、今は安定している。産まれたのは息子らしい」

「それはおめでとうございます」

 コミコスの言葉は、やや冷淡に聞こえた。

 普段なら気にも留めなかっただろうが、今、グランの神経はささくれ立っている。

「何かあったのか」

「いいえ、特には」

「ならば、何か言いたいことが?」

 機嫌が悪いことぐらいは、コミコスにも察することはできているだろう。だが、それに気後れするような者ではない。グランを侮っている、という意味で。

「それでは、おそれながら申し上げます。グラナティス様が竜王宮へ入宮されてから、もう六年以上が経っております。幾ら高位の巫子であらせられるとはいえ、それ以前の血縁とあまり親しくなされますな。他の巫子たちに、示しがつきません」

 グランは片方の眉を上げ、じっと副竜王宮長を見つめた。

「レヴァンダル大公家は、火竜王宮の管轄下にある。その嫡子の誕生は、重要事項だ。お前の言うことは的外れだな」

「そう考える者たちばかりではございません」

 言い募られて、小さく溜め息をつく。

 最近、王宮からの献金が少なくなってきたのだろうか。

 ふと思いついて、グランは相手を見つめ直した。

「コミコス」

「はい」

「お前は、僕の身体が成長を止めていることに関して、何か知っているのか?」

 (ほの)めかす、などということすらなく、そのままの問いをぶつけてみる。

 コミコスは、明らかに顔を強張らせた。

 だが、口は開かない。

「お前は先代の高位の巫女が在籍だった頃から、副竜王宮長だった。僕の『治療』が行われた時は、厳密には高位の巫子は不在だ。お前が、ここでの一切を取り仕切っていた。知らない訳がないだろう」

「私はお話しできる立場にはございません」

 コミコスは短く告げる。

「ならば、誰なら話せる? 王家か? 〈魔王〉アルマナセルか? お前が僕から引き離したがっている相手ばかりだな」

「偶然です」

 あくまで、コミコスは頑なだった。

 まあ、最後の一言は言いがかりだ。本気であれば、イフテカールの名前も出す。

 だがグランが色々と勘ぐっている、と思われれば、今後はさほど干渉してこないだろう。

 実際、それ以上強くは言わず、コミコスはそそくさと退席した。

 豪華な椅子に、どさりとかけた。彼の身体は、代々高位の巫子に使われてきた椅子に比べて、あまりにも小さい。



 巫子は、それも要職についている者は、大抵がイフテカールか王宮の手が入っていると見ていい。グランと利害が対立した時に、どちらにつくか、は現状、分が悪い。

 グランは、空いた時間に、こっそりと火竜王宮の内部を歩き回った。

 人目が少なく、それでいて警備はしっかりとされている場所。

 やがて、彼は幾つか目をつけた場所に姿を見せることにした。


「任務中にすまない。少し、いいだろうか」

 おずおずと声をかけてきた相手に視線を向け、その親衛隊員は仰天した。

 まだ幼い少年。銀に近い金色の前髪の間からは、楕円形のルビーが覗いている。

 彼のことを知らない者は、ここにはいない。

「高位の巫子様……!」

 慌てて跪きかけるのを、急いで少年は止めた。

「ああ、やめてくれ。僕はただ、あなたとお話がしたいだけなのだ」

「話、ですか?」

 戸惑って、問い返す。

 竜王宮の中で、親衛隊の地位はさほど高くはない。竜王に直接お仕えするのは巫子の役割であり、彼らを護るのが親衛隊の役目だ。自然、彼らは巫子たちの下に位置するとされていた。

 総隊長ならともかく、一介の隊員に、高位の巫子が話しかけてくるなど、前代未聞である。

 だが、まだ幼い巫子は、少しばかりはにかむような表情を浮かべた。

「実は、その、〈魔王〉アルマナセルに、子供が産まれたんだ。僕の甥になる」

「聞き及んでおります。おめでとうございます」

 失礼のないように答える。嬉しげに、グランはそれに頷いた。

「それで、赤ん坊にどういう風に接していいか、僕には判らなくて。竜王宮に入る前のことを話しちゃいけないのだけど、僕は兄弟の一番下で、小さい子供に接したことがないんだ」

 グランが王家の末息子であることは、よく知られた事実である。思わず、隊員は小さく笑みを浮かべた。

「巫子たちは、家族との縁を切って入宮しているから、こういうことを訊きにくくて。親衛隊の方は、そうではないのだよね?」

 期待に満ちた視線で、見上げられる。

 親衛隊には、確かにそのような規律はない。生まれ育った家庭と縁を切ることはなく、勿論新しく家族を迎えることも止められてはいないのだ。

「はい、高位の巫子」

「その、では、少し相談に乗っては貰えないだろうか。あの子は僕の家族ではないけれど、でも、大切にしたいんだ」

 元々、高い身分であった巫子は多い。それが、彼らの傲慢さにも通じていて、親衛隊員たちは常々苦々しく思っていた。

 だが、この高位の巫子の思いは、歳相応の少年のものだ。微笑ましさに、男はつい気を緩めてしまった。

「私にできることでしたら、何でも。グラナティス様」




 次にアルマと顔を合わせたのは、二週間は経ってからのことになった。

 男は明らかに憔悴した様子だ。

「レヴァンダ様のご容態は?」

 グランがかけた言葉に、力なく頷く。

「何とか安定してきた。短い間であれば、床から離れることもできる。そなたが、あの時ついてきてくれたおかげだ。礼を言う」

 そして、深々と頭を下げた。

 その姿に、複雑な感情を抱く。

「大したことではないよ。……ご子息のご様子は?」

「ああ、そう言えば、そなたは会わずに帰ってしまったのだな。近いうちに会いに来てくれ。あれは、小さくて、壊してしまいそうに柔らかい。だが、もの凄い大声で泣くのだ」

「大きくなったのか?」

「少しな。人の子供というのは、成長が遅い」

 そう言いながら、愛おしげに笑う。

「……成長するだけ、ましだろう」

 小さく呟いた言葉に、はっとアルマが表情を変えた。

「グラン……」

 この夫妻を、心底から祝福できない今の自分を、苦々しく思う。

 だけど。

「アルマ。僕が、お前たちに救われてから、全く成長していないのは、一体誰が仕組んだことなんだ?」



 親衛隊員たちに近づいたのは、勿論第一に手駒を増やす為である。

 一人前の大人であれば、他にも手段はあっただろう。単純に、金や権力といった欲望に働きかけるなり。

 しかし年若く、権威も確立されていないグランにはまだ無理だ。

 そこで、彼は情に訴えた。信頼感を見せることで、まずはグラン個人に親近感を持たせる。そもそも、彼は高位の巫子だ。親衛隊はまず、何よりも竜王と高位の巫子に仕える者たちである。大義名分と情が揃えば、忠誠の針が傾きやすくなるだろう。

 無論、直接的な欲望が満たされるためなら、と裏切られることもある。

 だがグランにはまだそこまでを望むことはできないのだ。

 そして、彼らに近づく手段として、生まれたばかりの甥を利用した。

 まずは子供を、孫を持つ年齢の者たちに声をかけた。

 水を向けると、彼らは可愛くて仕方がない、というように満面の笑みで子供のことを話し、相手の言葉にも親身に返してきた。

 グランは現在、十一歳。本来ならもう少し身体が大きいだろう、というのが子供を身近に持つ彼らの共通した認識だった。

 しかし、身体が弱かったグランが小柄なのは無理もない、と慰めてもくれたが。

 それがいつまでも通じる訳もないのに。



 戸惑ったような、困ったような顔で、アルマはこちらを見つめている。

 それ以上促してやるつもりもなく、ただじっとグランはそれを見返した。

 小さく溜め息をついて、男は口を開く。

「詳しいことは、すまんがわしは知らん。あの時わしに任せられたのは、足りぬ分の魔力の後押しと、術のバランスだ。細かな取り決めはイフテカールと王が行った。その中に、そなたの不死と不老があったことは確かだ。だが、その意図を説明してはやれん。すまぬ」

 その言葉が進むにつれて、すぅっと血の気が引いていく。

「……不老、不死」

 どさ、と、少年は椅子の背にもたれかかった。

「僕は、死なないのか?」

 力なく言葉が漏れる。

 アルマは、生真面目に口を開いた。

「少し違う。生き続ける、と言った方が近い」

「一体何が違うんだ?」

 我ながら、少々投げやりに返す。

「生命を維持できなければ、死ぬだろう。維持し続けられれば、生き続ける。そして、その維持の責任を、イフテカールが負っているのだ」

「僕の生死は、イフテカール次第ってことか。ありがたいね」

 だが、アルマは首を振る。

「そうではない。契約主次第だ。契約主が望むことが第一で、イフテカールの意向など関係ない」

「本当に?」

 色々と掻き集めた文献から伺える、あの金髪の青年の行動からは、他人の意思ぐらい簡単に操れるようにしか思えない。

 むむ、と、〈魔王〉が呻く。

「それは……確かにその可能性はあるが、しかし、契約上は変えられぬところなのだ」

 契約は、アルマのいた世界では何よりも重要視される。契約主は他人とはいえ、隙を突いていいように結ばされた、というのはあまり嬉しい状況ではないようだ。

「詐欺師のような男だな。彼は」

 だが、その辺りは今のところどうでもいい。

「それで。僕は、もう、これ以上成長しないのか?」

 もう一度尋ねる。

「ああ」

「永遠に? 八歳のままで? 大人になることもなく、死ぬこともないと?」

「グラン……」

 宥めるような言葉に、不思議そうな視線を向けた。

「それでお前は、どうしてのうのうと僕の前にいられるんだ?」




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