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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
竜の章

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03

 レヴァンダル大公の屋敷は、王宮から適度に離れた辺りにあった。周囲は貴族や豪商たちの邸宅が立ち並ぶ、治安のいい場所だ。

 グランが訪ねた時のレヴァンダは、いつもの明るい姉に見えた。

「まあまあ、グラン、よく来てくれたわね。貴方は、この屋敷は初めてじゃなかったかしら」

 嬉しそうに、彼女は弟を応接室へ通す。表向き、アルマを疎んじている様子は見えない。

 しばらくの間談笑して、雰囲気もほぐれてきたか、と思われた頃に、グランが口火を切る。

「そう言えば、レヴァンダ様。先日、どこかの舞踏会に吟遊詩人が紛れていたようですね」

 僅かに、レヴァンダは表情を硬くした。

「ええ。貴方の耳にまで入っているの?」

 彼女は物憂げに溜め息をついて、頷く。

「そのように、王家に楯突く者が堂々と入ってきているとは、嘆かわしい。街の警備を強化するべきなのかもしれません」

 生真面目な顔で続ける弟に、宥めるような笑顔を向けた。

「まあ、そんなこと、貴方が考えることではないのよ」

「ですが、その者は明らかに王家に反逆の意思を示しています」

「そうね。でも、彼らは住む土地を奪われて、とても辛い思いをしているのだから……」

「レヴァンダ様。降嫁なされたとはいえ、貴女は未だ王家の一員であらせられる。そのような見解、国王陛下やイーレクス王太子、そしてアルマナセル様に対して不敬と思われても仕方がありません」

 少年の言葉に、レヴァンダはさっと顔色を変えた。そして、素早く傍らの夫の方を向く。

「アルマ! 貴方、この子に何を吹きこんだの!」

 その剣幕に、アルマは勿論、グランまでも思わず身構える。

「いや、その、わしは別に」

「ごまかそうなんて、本当に男らしくない人ね! グランは、まだ子供なのよ。あることないこと吹きこんで、自分の味方にしようだなんて、最低だわ!」

 だが、その言葉に、更にレヴァンダは激昂した。

 アルマとグランが顔を見合わせる。

「子供……と言っても、グランはもう充分大人だと思うのだが」

「何を言ってるの! この子はまだ十歳なのよ? そんな小さな子供を自分の思うように動かそうだなんて、なんて残酷なの。だから、フルトゥナであんなことができたんでしょう。本当に、獣のような、化物のようなひとね!」

 レヴァンダは衝動的にグランの隣に座り、彼を庇うように両手で抱きしめた。

 〈魔王〉の顔が、傷ついたように歪む。

「あの、姉さま、僕は」

 困って声を上げるが、既に彼女は聞く耳を持っていない。

「何も心配いらないのよ、グラン。貴方の顔はもう見たくないわ、アルマ。出て行って。すぐに!」

 そして、レヴァンダは、高らかにそう言い放った。




「……あんな姉さまは初めて見ましたよ……」

 椅子の背に身体を(もた)せかけ、グランが呟く。

「お前は幸運だ。いや、幸運だった、か」

 近くで、ぼんやりと窓の外を眺めながら、アルマは返した。

 結局、アルマはそのまま自宅を追い出され、その後グランはレヴァンダを宥めることに専念した。

 何とか、直接の怒り自体は静まったものの、根本的なところが解決した訳ではない。彼女の、夫に対する嫌悪感や義憤が消えた訳では。

 ともあれ、〈魔王〉を現在管轄するのは火竜王宮であり、行き場のない彼がここに滞在することになるのは当然なのだが、レヴァンダはそこまで考えていなかったのだろうか。

 穏やかでも理性的でもない姉を目の当たりにして、グランはかなりショックを受けていた。

「……姉さまはいつもあんな風なんですか?」

「いつもではない。幸いなことに。だが、わしがレヴァンダを失望させた時には、大体聞く耳を持たないな。初対面で求婚した時も、酷いものだった」

 初対面でそんな態度を取られて、それでも気持ちが変わらないアルマも大概だ、と、珍しく問題からかけ離れた感想を抱く。

 グランも、これでかなり狼狽しているのだ。

「……なあ。十歳、というのは、そんなに子供扱いされるものなのか?」

 アルマは、また別の問題に意識を向けていた。

「さあ。他の十歳のことを、僕はよく知らないので」

 小首を傾げ、グランは答えた。

 彼はずっと身体が弱く、家族や使用人以外の人間と関わったことが殆どない。宮廷に仕える貴族たちと会ったこともなければ、彼らの子供のことなど、話にも聞いたことはない。

 一方、アルマにとっては、産まれてから十年生き延びた者は、もう充分に一人で生きていける者だ。そういう世界に、彼は生きていた。

 子供というものが、慈しみ、護り育てていくものだ、という想いが、いま一つ判っていない。

 しかもそれは、生活に余裕のある、貴族や豪商などの家庭でようやく行えることなのだ、ということも。

 貧困の中で、家族は子供を働き手として扱い、時に売り飛ばしもするのだ、という事実を、もしもイフテカールに尋ねれば説明されただろうか。

 だが、そのような機会はもうなく、彼らは二人で首を捻るよりなかったのだ。


 元イグニシア王家第二王子、そして火竜王の高位の巫子、グラナティス。

 彼は、今まで生き続けることだけで精一杯だった。周囲も、それ以上を求めたりはしなかった。

 結局のところ、グランの生まれ持っていた冷静さ、客観性、天才的とでも言うべき理解力や洞察力は、この時まで殆ど発揮されず、評価もされたことはなかった。

 だがそれは、次第に開花され始めていたのだ。

 決して彼を子供扱いせず、一人前の、共犯者として扱う〈魔王〉の存在によって。

 尤も、経験によってしか得られることのない類の知識、人の心の動きや、欲望による行動への理解などはまだまだ足りなくはあったが。

 その不足は、やがて時間が埋めていくだろう。

 この時にはまだ彼は実感してはいないが、とても長い時間が。



 ともあれ、目下の最大の問題は、レヴァンダの怒りである。

 彼らは、愚かにもしばらく時間を置こう、と決めた。頭が冷えれば、もう少し聞く耳も持つだろう、と。

 しかし、それは特に女性への対応としては、決してお勧めできない方法であった。

 アルマは屋敷にいる者たちからこっそりと妻の様子を聞いては、全く怒りが収まっていないことに項垂れていた。

 二週間ほどが経ち、彼はようやく、自ら屋敷へと赴いた。そして、直接レヴァンダと話し合ったのだ。

 結局その日もアルマは火竜王宮へと戻ってきた。グランへ何も報告することなく、じっと部屋に籠っている。

 そして二日後、ようやくアルマは竜王宮の高位の巫子を訪ねてきた。


「グラン。わしを、人間の肉体へと変化させて欲しい」


 全く思いもしなかった要求と、共に。




「……人の肉体に?」

 訝しげに尋ねるグランに、アルマはしっかりと頷いた。

「ああ」

「しかし義兄上(あにうえ)、それは果たして賢明なことでしょうか。貴方のお言葉によれば、未だイフテカールとその主はこの世界を破壊すべく動いているというのに」

 この高位の巫子はあくまでも論理的だ。

 それに反論はせずに、アルマは口を開く。

「それは、確かに無責任と謗られても仕方はない。だが、わしはレヴァンダと生きていきたいのだ。生きて、子を()し、共に老い、そして共に死にたいのだよ」

 僅かに切なげにそう告げられて、グランは戸惑った。結局のところ、これは、それなりの人生経験を積まなくては理解できない感情だ。

 僅かに沈痛な表情で、幼い巫子が首を振った。

「貴方は、まだ、死ということをよくお判りでない。あれは、恐ろしいものだ。この身体も、意識も、全て消えてしまう。全くの無となってしまう。今日と同じ明日が、もう来ないのですよ。永遠に」

 そう。逆に、そのことは、彼はよく知っている。

 死に瀕する経験は人一倍積んでいたのだから。

 だが、グランから見れば酷く楽観的に、〈魔王〉は笑んだ。

「そなたは確かに死に近かったかもしれん。だが、まだ若いな。わしは今まで充分に生きた。人生を共に終えたい、と思える相手と出会えたは、むしろ僥倖だ。……そなたも、いつかそんな相手と会えればよいな」

 珍しく、慈しむような目で見られて、グランは視線を外した。

「無茶をおっしゃらないでください」

 そんな少年を、アルマは小さく笑う。

「まあいい。話を戻そう。我らの間に子供が生まれれば、その子が使命を継ぐだろう。わしがいつまでもこの国に存在するよりも、その方がいい。そもそも、この世界はそうやって歴史を継いできたのだろう?」

 その辺りは、グランが折に触れて話してきたことだ。彼がこの世界で生きていくのなら、常識とされる範囲の知識は最低限必要だ。それは、慣習という意味でもあり、歴史に根ざして発展している。

 不承不承、グランが頷く。

「それに、もしも、我が子が産まれなかったとしたなら。少々手間はかかるが、わしが再び〈魔王〉の、異界の肉体に戻ろう。ならば、そなたも心配する必要はない」

「そんなことが、できるのですか?」

 少しばかり驚いて、尋ねた。

「簡単ではないがな。もしも魔術を持って生まれなんだ子がいたとしても、それで何とか〈魔王〉と化すことはできる。だが、かなり力任せの手段だ。子に負担もかかろう。できるなら、その手は取って欲しくはないが」

 魔術を持っておれば、さほどでもないが、と〈魔王〉は笑う。

 その魔術の構成を推測して、グランは知らず、眉間に皺を寄せた。

 異界の因果律に依る魔術を、この世界にいる少年が完全に理解できる筈もないが、それは彼の持って生まれた知識欲による衝動だ。止められるものではない。その結果を判っていても、普段からアルマも根気よく彼に説明していた。

「〈魔王〉アルマナセルを、レヴァンダル大公家を統轄する、火竜王宮の高位の巫子、グラナティスがそれを習得するに相応しかろう。できる限り、外へ漏らすでないぞ」

 結局グランは、アルマの強い意志に、そして自らの知らぬ知識への渇望に、負けた。




 ある日、レヴァンダル大公夫人は、火竜王宮へ呼び出された。

 彼女は僅かに不機嫌な表情で馬車から降り、石造りの建造物を見上げる。どんよりとした曇り空に(そび)えるそれは、やや不吉に思えた。

 出迎えた下位の巫子に連れられて通されたのは、敷地の片隅にある小さな礼拝堂だった。

 この建物に入るのは初めてだ。最も大きな礼拝堂や、グランのいる本館に行くのが常だった。

 不審に思いながら、軋む扉をくぐる。

 内部は、信徒のために並べられている筈の椅子もなく、がらんとした空間が広がっていた。

 過去の記憶が蘇り、僅かに不安を感じる。

「ご足労頂き、ありがとうございます。レヴァンダ様」

 奥から、グランが声をかけてきた。

「一体何の用事なの、グラン」

 僅かに表情を和らげて、彼女は言葉を返した。

 それに、グランはまっすぐに視線を向けて口を開く。

「アルマ様を、人に変化させるのです」


「……え?」

 思いもしなかった言葉に、小さく呟く。

「大公閣下は、ご自分が〈魔王〉であるうちは、この世界に受け入れられないとお考えです。故に、その肉体を変化させ、人として生き、人として死ぬ運命をお選びになった」

 幼い巫子の表情は、酷く暗い。その声に、僅かに非難するような響きが混じる。

「レヴァンダ様。万が一、今後イグニシアに危機が迫った時に、〈魔王〉アルマナセルが健在でなければどうなるか、お考え頂きたい。貴女の(いと)うた惨状が、我が国に降りかかるのですよ。罪のない民が、子供たちが殺され、農地は焼かれ、略奪される。現在、それを抑えているのは、〈魔王〉アルマナセルの存在だけだと言ってもいいのですから」

 強く、政治を語る弟に、あからさまにレヴァンダは怯んだ。

 まだまだ幼い、(いとけな)い子供であると思っていたのに。

「私、は……」

「貴方が止めれば、あの方は聞き入れます。レヴァンダ様」

「それは、人となってもわしが何とかできることだ、グラン。そもそも、レヴァンダのことはきっかけでしかないとお前は知っている筈だが」

 礼拝堂の奥から、低い声が轟いた。

 ばつが悪そうな顔で、グランが振り返る。

 〈魔王〉アルマナセルは、やや呆れた顔で小さな扉から中へ入ってきていた。珍しく、簡素な白い服を着用している。

「アルマ……」

「呼び出してすまぬ、レヴァンダ。わしが召喚された時にその場にいた者が今回もいた方がよいらしいのでな」

 男は妻に向けていた視線を、礼拝堂の中央へと転じる。

 そこには、床の上に白い灰で幾つもの円や幾何学的な模様が描かれていた。

 ますます、二年前のことを思い出して、レヴァンダが複雑な表情を浮かべる。

 滑らかにアルマは彼女の前に跪いた。

「愛しきレヴァンダ。そなたと共に生き、そなたと共に笑い、そなたと共に嘆き、そなたと共に死ぬことを、今再びここに誓おう。その為にわしはこの〈魔王〉の肉体を捨て、人間としてこの美しき世界に生きる。どうか見届けてくれ、我が人生の光よ」

 熱い視線を向けられて、レヴァンダは口ごもる。

 だが、掌を差し出されてそれを拒絶することはなかった。アルマはレヴァンダの白く細い手を取り、恭しく唇を触れさせる。

 そして、意を決したように立ち上がった。

「待たせたな、グラン。始めよう」


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