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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
贄の章

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193/252

19

 アルマが、血の混じった唾を吐く。

 そのまま、彼は再び亀裂の縁を蹴りつけ、穴を広げた。その動きで傷が開いたのだろう、ぼたぼたと血液が滴り落ちる。割れた外殻の、血の色にも似た赤黒い破片は龍神とイフテカールの上に落下し、ふわりと溶けるように消えていく。

「ああ、俺たちには、無理かもな」

 にやり、と意味ありげな笑みを浮かべ、アルマは声を張り上げた。

「……そろそろいいぜ、地竜王!」

 呼ぶ声に応じ、彼らの頭上に異形の竜王が顕現する。

 イフテカールが鋭く息を飲んだ。

 他の三竜王と違い、この竜王は常にその四本の足をしっかりと大地につけていた。

 それが、こうも簡単に、空中に顕現するなど、予想もしていなかったのだ。

 だが、竜王は、この世界のどこにでもあまねく存在する。

『……貴様か、地竜王』

 龍神が空気を轟かせる。

 ぎろり、と地竜王の黄金色の瞳が龍神を見下ろした。

()けぃ。我が子よ』

 低い声が他を圧倒した瞬間、その背から金髪の男が飛び降りる。

 赤黒い、龍神を護る外殻の亀裂を抜け、たん、とクセロは龍神の頭上に降り立った。

「貴様……!」

 龍神は、蝿が止まったとも思わなかっただろう。だが、イフテカールは即座にクセロへ右手を向けた。

 アルマナセルは、忠実な副官の死に。

 オリヴィニスは、滅亡させられた故郷に。

 クセロは、仕えていた主に対する非道に。

 イフテカールは、主君への敵意と不敬に。

 そして地竜王と龍神は、互いの、一万年にも遡る因縁に。

 その場に交錯する視線は、全てが憎悪に満ちている。

 龍神の使徒が動きを見せる前に、ただ憤りのままに、クセロは叫んだ。


「堕ちろ!」


 龍神は、その身を包む外殻と共に、大地へと落下した。



「来るぞ。遅れるな」

「判っている!」

 堕ちる龍神を地上で待ち受けるのは、火竜王の高位の巫子と、もう一人の〈魔王〉の(すえ)だ。

 礼拝堂の中央を大きく空け、離れて立つ二人は、徐々に大きくなってくる龍神を見つめている。

「誤差は殆どないな。ほぼ鉛直落下だ」

 満足そうに、グランが呟く。

 やがて、凄まじい轟音と地響きと共に、その赤黒い塊が石畳を蜘蛛の巣状にひび割らせた。

 が、直後に、その表層に真紅の光が立ち上る。

『これは……!?』

 龍神の声に、初めて驚愕が滲む。

 その光が描く文様は、先ほどアルマの身体の周囲に出現した陣と、よく似たものだ。

 グランとエスタとが、龍神の落下に合わせ、それを出現させた。

「龍神ベラ・ラフマ。忌まわしきお前の名がここに刻まれている!」

 高揚を隠せない表情で、グランが告げた。

 龍神を護っていた二種類の外殻が、泡のように溶け、消えていく。

「我がきみ、これは……!?」

 (あらわ)となった龍神の掌の上で膝をつくイフテカールが、呆然として尋ねる。

『捕縛の陣だ。これでは身動きはほぼとれぬし、魔術も使えんだろう。アルマナセルめ、まさかこのようなものを残しておったとは……』

 苦々しく、ベラ・ラフマが返した。

 龍神の使徒が、現在凄まじい疲労感に苛まれているのも、そのせいか。

 イフテカールは、地上からこちらを見上げる幼い巫子に視線を向ける。

「グラナティス……!」

「僕を生かし続けたのが、お前たちの敗因だよ。イフテカール」

 嘲るような笑みを崩さず、幼い巫子がそう告げる。

 地面に激突する前に、アルマたちは龍神の上から飛び退いていた。礼拝堂に立つ〈魔王〉の(すえ)は、その手に握ったブロードソードを一度大きく振る。

「これで、お前はもう何もできない。おとなしく、俺たちに滅せられるがいい。不和と混迷をもたらす龍神よ」

 そして、前へ一歩踏み出した。真紅の陣に足を踏み入れるが、ブーツの底で小さく、しゅん、と音がしただけだ。

 この陣の中で無事でいられるのは、〈魔王〉の肉体を持ち、火竜王の高位の巫子と契約を結んでいる、アルマだけだった。

『また、儂を封ずるつもりでおるのか!』

 怒りのままに、龍神は咆哮する。無理に身を捩ったかのように、空間が軋んだ。

 だがアルマは、その脅威に対して僅かに眉を動かしただけだ。

「莫迦言え。今の俺たちが、その程度のことしかできないとか思ってんじゃねぇぞ」

 そして少年は龍神へ近づくと、無造作に剣を振る。それは、まるでチーズの塊にナイフを差しこんだ程度の抵抗しか見せずに、太い脚を切り裂いた。剣の長さが足りなかったせいで、両断はできなかったが。

 ばしゃ、と、赤黒い液体が傷口から噴出する。

『がぁあああああああ!』

 絶叫が、空気をびりびりと響かせる。

 そのまま身体を反転させ、アルマは反対側の脚にも剣を突き立てた。

「この剣の銘を知っているか、ベラ・ラフマ? 〈龍神殺し〉って言うんだそうだぜ?」

 勢いよく剣を振り抜くと、アルマは言い放つ。

「……アルマナセル!」

 イフテカールは動かしにくい身体に力を入れ、何とか龍神の掌から下方へ落下した。が、受身も取れずにそのまま地面に叩きつけられる。

 視界に踊る真紅の光が、更なる憎悪を煽った。

 その鼻先まできて、ブーツの爪先が止まった。血と泥に汚れたそれは、今まで感じたことがないほどの威圧感を圧しつけてくる。

 無感動にイフテカールを見下ろしていたアルマが、剣を鞘に収め、身を屈めた。片手で青年の胸倉を掴み、持ち上げる。

 アルマ自身、先ほど上空で龍神に身体を杭で貫かれているのだが。その傷が彼の動きに障る様子など、微塵も見られない。

「貴、様……」

 震える手が、灰色の角を戴く少年へと伸ばされる。

 それを気にも止めず、アルマはもう一方の手を軽く握り、イフテカールの鳩尾へとめりこませた。

「……っ!」

 悲鳴も上げられない青年の身体を、軽く放り投げる。呆気なく陣を抜け、石畳に叩きつけられ、数度跳ねるように転がってから、ようやくイフテカールの身体は止まった。

 陣の拘束からは逃れられた筈だが、苦痛に身動き一つできない。

吾子(あがこ)……!』

 反射的に、龍神の意識が逸れる。

 その隙を見逃さず、一本の矢が、ベラ・ラフマの左眼に突き立った。

 一瞬で、その眼窩から緑色の炎が噴き上がる。

 更なる雄叫びに、アルマが眉を寄せた。

「さあ、これが最後の一本だ。後は頼むよ、アルマ」

 空になった矢筒を背から外しながら、オーリが告げた。

 肩を竦め、アルマは軽く跳んだ。

 つい数分前までイフテカールを乗せていた掌に降り立つと、撫でるように剣で切りつける。次はひょい、と隣の腕に飛び乗って、その肌にも傷を負わせた。

 この二箇所はさほど深手ではないのか、龍神は苦痛に叫ぶことはなかった。が、それらの傷口からは、ぼたぼたと異界の神の体液が溢れ出している。

 軽く、アルマは陣の外、グランの隣へ降り立った。そして振り向くと、剣の切っ先を、その陣の縁へ触れさせる。

「この、四肢と頭部への(くさび)が、貴様を戒める。火竜王カリドゥス、水竜王フリーギドゥム、風竜王ニネミア、地竜王エザフォス。この世界を統べる四竜王の御名とそのいと高き誇りにかけて。〈魔王〉アルマナセルの誓いにかけて、龍神、ベラ・ラフマよ。そなたを、地獄へと召還させる」

 どん、と大地が震える。真紅に光る陣をかき消すように赤黒い体液が満ちて。


 そして、その巨大な円の内側は、煮え(たぎ)る溶岩の坩堝と化した。



 声も上げられず、冷たい石畳に横たわったまま、イフテカールが目を見開く。

 直径十数メートルの陣の内側は見る間に溶け、崩れ、へこみ、抉れ、竪穴となる。

 ずぶずぶと、龍神の巨体はそれに沈みこんでいった。

 それは、つい数十分前、龍神自身が竜王の巫子たちへかけた魔術によく似ている。だが、それ以上に強固で、遥かに時間をかけることなく進行していく。

「我が、きみ……」

 ようやく喉から出た声は、酷く掠れている。

『何故だ! 何故、この儂が、龍神である儂が、このような人間如きに!』

 おそらく、竜王に仕える巫子や、自らを裏切った〈魔王〉の子孫たちは、今まで憎悪の対象ではあったとしても、脅威だとは思ってもいなかった筈だ。

 それが、殆ど竜王自身を介在させることなく、龍神は今、この世界から滅せられようとしている。

『時代が変わったのでな、ベラ・ラフマよ。今は、「人の世のことは、人に」という風潮らしい。わしとしてもいささか不満がないでもないが、まあ若造たちに従うも年寄りの分別よ』

 既に見慣れた位置、金髪の巫子の頭の上に乗っている地竜王が、知った風に告げる。

「……性格悪ぃな、おやっさん」

 げんなりした顔で、クセロが呟いた。彼は地上に降りてから、疲れきったように瓦礫の上へ腰を下ろしている。

『わしが?』

 至極心外だ、というように、地竜王は鼻を鳴らした。


 筋肉の痛む腹部を庇いながら、よろり、と身を起こした。

 ふらふらと、かつて陣が描かれていた縁に立つ。

「イフテカール……」

 龍神の使徒に、最も近い場所にいたのは、エスタだ。だが、龍神を戒める陣を維持するのにやっとで、彼に視線を向けるぐらいしかできない。

 しかし、イフテカールはただ眼下を見下ろしていた。

 龍神の身体は、既に地面よりもずっと下にある。

 その周囲を満たす溶岩は、まさに[地獄]と言っていい状況だ。

 吹き上げる熱い風が、青年の細い金髪を乱した。血の気を失い、青褪めた顔が露になる。

「……エスタ。私、貴方にまだ言っていないことがあったんです」

 小さく呟く。決して、視線は向けないままで。

 眉を寄せるエスタの前で、金髪の青年は僅かに笑んだ。

「まあ、どの道言いませんけど。結構、色々と楽しかったですよ」

 そして、イフテカールは、全く気負いも見せないままに虚空へと足を踏み出した。

「イフテカール!」

 目を大きく見開き、エスタが絶叫する。



 凄まじい激痛に、意識が戻るのを拒否する。

 だが。

「イフテカール!」

 聞き覚えのない男の絶叫に、彼女は薄く目を開けた。

 瞬間、下半身が潰されたような痛みと、炎で焼かれているかのような熱さの理由が判り、悲鳴を上げる。

 王女ステラは、龍神を葬るための陣の縁が崩落し、面積を広げたその端に倒れていた。力の入らない足が、だらりと縁から垂れ下がっている。

「ステラ……!」

 悲鳴を聞き咎めたオーリが声を上げる。だが、ステラがいるのは陣の向こう側だ。この、[地獄]へ通じる穴の上を跳び越えるのは、いくら風竜王の高位の巫子であっても、凄まじい危険を伴う。

 ぐるりと陣の周囲を走らねばならないか、と思ったところで。

 軽く、アルマが彼の横で地を踏み切る。

 そして陣の向こう側で、どん、と少年が着地した衝撃が、周囲の地面を震わせた。

「莫迦……!」

 オーリが悪態をつく。

 彼と違って、アルマは風竜王の恩寵を受けていない。踏み切る時にも、着地する時も、それなりの力が足元にかかるのだ。

 ぐらり、と、ステラの身体が傾ぐ。

「きゃあああああああ!」

 恐怖に大きく悲鳴を上げ、穴の中へ落ちていく少女の手を、ぎりぎりでアルマは掴んだ。

「大丈夫か、ステラ!」

 流石に焦って声をかける。

「ア……、アルマ」

 ステラは、恐怖と苦痛に、今にも恐慌を起こしそうだ。

「いいか、ステラ。もう一方の手をゆっくり上げろ。今、引き上げてやるから」

 この暑さでは、汗で手が滑りかねない。片手だけでは危険だ。

 ステラが伸ばした手を、しっかりと握る。

 恐々と下を覗いて、ステラは更に身を竦めた。

「下を見るな」

「ねえ、あれなに? あの大きなもの、何なの? それに、イフテカールが」

「見るんじゃない!」

 強く制止されて、視線を逸らせた。彼女にそのような口をきくのは、父親ですら滅多にない。

 だが、文句を言おうかと思った矢先、アルマの胸や腹を貫く杭に気づいて息を飲む。

「アルマ、貴方、それ」

「ん? ああ、大丈夫だ。お前を引き上げるぐらい簡単だから」

 アルマは地面についた膝と足の位置を確認して、ゆっくりと、上半身の筋肉のみで少女を引き上げる。流石に傷口が引き攣れて、僅かに顔をしかめた。

「……どうして、私を救けてくれるの」

 考えるほどに奇妙で、ぽつりと問いかけた。

「あ?」

 不審そうな顔で、アルマは見下ろしてくる。

 この不安定な立場に、身体を襲う激痛に、王女の気は弱っていたのだ。

 だが、アルマはあっさりと続けた。

「俺は、あんたが昔、俺を助けてくれたことを覚えてる」

 その言葉に、目を見開く。

 それは、ほんの数回あったかどうか、ということだった。王宮で幼いアルマを苛む貴族の子弟たちをステラが追い払ったことがあったのだ。

 その頃はまだ、彼らは敵同士である、という意識が希薄だったこと。

 そして、彼女の王宮で彼女の命令もなしに、という苛立ちが勝っていたこと。

 気まぐれともいうべきその行為を、しかしアルマはずっと覚えていたのか。

「……莫迦ね」

「よく言われるんだよ」

 憮然としてアルマは返し、ゆっくりと少女の身体を引き上げにかかった。



 [地獄]へと落下するイフテカールに驚愕したのは、かつての盟友だけではない。

吾子(あがこ)!?』

 龍神が、大声を上げる。

 溶岩の上に落ち、ゆっくりと沈んでいく青年は、この場にそぐわない柔らかな笑みを浮かべている。

「どこまでもお供致しますよ、我がきみ」

『莫迦なことを考えるな! 我が故郷において、そなたのような弱きものは、下手をすれば存在すらできぬ!』

 龍神が吠える。今までになかったほど、焦りを滲ませて。

 この、じりじりと熱を発する溶岩で焼けるものは、肉体ではない。魂だ。

「それならば、それで。貴方のおられない世界などに、未練はございません」

 さらりと断言して、イフテカールは腕を伸ばした。

 その輪郭は、既に弱弱しく薄れていってしまっている。

 そして、指先が龍神の鉤爪に触れたかと思えば、すぅ、と姿を消した。

『……吾子(あがこ)……』

 それきり、一言も喋らず、もがきもせず、ゆっくりと溶岩に沈んでいく龍神ベラ・ラフマは、やがてこの世界より消滅した。



 龍神を送り返した陣が、この世のものではない光と熱を失っていく。


 そして、空からは夜明けの太陽の光が彼らの上に降り注いできていた。




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