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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
贄の章

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191/252

17

 轟音が、床を削る。

 龍神から放たれた深い闇は、しかし地竜王の意思によって方向を変え、巫子たちの周囲で破壊を撒き散らした。

「竜王に護って頂けるっていうのは、頼もしいね」

 オーリがしみじみと呟く。

「何だ、改宗すんのか?」

 クセロがそれに軽口を叩いた。地竜王は細かい(つぶて)を放っておくため、彼はこちらに飛び散ってくるそれを御力で逐一叩き落していた。夜明け前のこの気温で、しかも身体は殆ど動かしていないにも関わらず、既に汗だくだ。

「龍神はかなり力を抑えているように思えるのですが」

 平然とそれらを見据えながら、グランが地竜王に問いかけた。

『うむ。以前対峙した時は、このようなものではなかったな。かと言って、それほど力が戻っていない、という訳でもなかろう』

「何の意図があると思われますか?」

 更なる問いに、地竜王はちらりと幼い巫子を見下ろした。

『そなたらしくはないな、カリドゥスの子よ。わしに訊くよりも、まず己で考えてみればどうだ』

「僕はイフテカールなら少々見知っておりますが、龍神とは初対面ですのでね。考えつくことなど、(らち)もないことでしかありません」

 片手をひらりと振って、グランが返す。

「一万年前と今とで、龍神が最も変わったことは、使徒としてイフテカールを得たことだから、などと」

『わしが巫子を得たように、か? なるほど、確かに埒もない』

「……イフテカールの居場所は判るかな?」

 さり気なく、オーリが尋ねる。いつの間に拾ったのか、彼は先ほど打ち捨てた弓と矢筒を再び手にしていた。調子を調べるように、数度軽く弦を引いている。

「あの闇の中だな。ほぼ中心に近い場所にいるようだ」

 グランの言葉に一つ頷いて、無造作に矢を放つ。夜空を飛行するそれは、僅かに緑色の光の尾を引いていた。

 盾のように、ぐぅ、と広く延びた赤黒い闇が、矢を消滅させる。だが、同時に闇も大きく穴を空けた。

 ゆっくりと塞がっていくそれをじっと見つめる。

「竜王の祝福はやはり効きそうだね」

「消耗戦か? 僕らの方が早く力尽きそうだ。相手はあれでも龍神だぞ」

「その前に私の矢が尽きるよ。さほど多く残ってる訳じゃない」

 肩を竦め、言い返す。

 そう、これは決定打には程遠い。

 彼らは、龍神が一気に潰しにかかってこなかったことで、ある意味気を抜いてしまっていた。

 突如、石畳の敷かれた床が、赤黒い、どろりとした何かに変化してしまうまで。


「なん……っ!?」

 驚愕の叫びが漏れる。

 粘つくそれは体重を支えるには酷く頼りなく、見る間にずぶずぶと彼らの足を沈め、動きを絡めとりつつあった。

『数百年に渡り、我が隠遁の地であったそこを、汝らの墓場としよう。我が像が、勿体なくもその墓標となるであろうな』

 龍神の声が轟く。

「吹き散れ!」

 オーリの声に下方へ向けて風が吹きつけ、彼の周辺の床が、ぶわりとへこむ。が、全てを散らすことはできず、足元は埋まったままだ。

 むしろ、確かな足場など、もうないのではないか……?

「何とかできねぇのか、おやっさん!」

『できんことはないが……。この周辺の湖の形が、また少々変わることになるぞ』

 焦るクセロに、悠然と地竜王が返す。

 王都カクトスは、岬の上に築かれた街だ。

 沿岸線が変わるということは、つまり。

「ああ、くそ!」

 ほんの二、三メートル離れたところは、未だ石畳のままだ。クセロは闇雲にそこまで進もうとしてみるが、既に膝近くまで沈んでしまっている身としては、そうそう動けない。

『……待つつもりでいるのじゃな?』

 地竜王が小さく問いかける。

 この状況に、動じた様子を全く見せないグランは、それには答えなかった。



 異変に気づいたのは、半ば呆然としたまま座っていたエスタだった。

 アルマの頭から五十センチほど離れた床に、ぼんやりと淡い揺らめきが現れたのだ。大きさは、両手で包みこめそうなほど。

 眉を寄せ、それを凝視する。

 さほど間を置かずに、それは少年の足元にも出現した。

 素早く身を起こす。

「姫巫女……!」

 そのまま、ペルルの肩を掴み、アルマから引き剥がした。

「きゃ……!」

「あんた、何を!」

 虚を衝かれたペルルとプリムラが、声を上げる。

 が、じっと足元を見下ろすエスタに、二人も視線を向けた。

 ペルルがつい先刻(さっき)まで蹲っていた場所に、例の淡い揺らめきが発生している。

「何……ですか、これは……」

 嗄れかけた声で、ペルルが呟いた。

「〈魔王〉の、魔力そのものです。貴女も、私が使うところを何度かご覧になっている筈だ」

 固い声で、エスタは告げた。

「人の身に触れれば、害がある。まして、竜王の巫女であれば、あれは、竜王の祝福とは相反する存在です。近寄らない方がいい」

「何故、こんな……?」

 戸惑うペルルの肩から、そっと手を外した。

「判りません。私が何かした訳ではないので」

 彼らの視線の先で、それは更に数を増す。やがてアルマを中心とした円を作り出すと、それから四方八方へと無秩序に広がり始めた。

「放っておいて、平気なの……?」

 気遣わしげに、ペルルは呟く。

「アルマなら、死んだのです。これ以上もう傷つくことはない筈だ。……平気ではないのは、残された者たちですよ」

 エスタの言葉に、再び少女の瞳に涙がこみあげる。

 だが、青年はそれを気にもしなかった。

 ただ魔力を以って床に描かれる文様を、どこかで見た気がして。


 魔力は描く。

 〈魔王〉の(すえ)を中心とした幾つもの同心円を。

 幾何学的な、または曲線的な文様を。

 幾つも連なるそれらは、異国の文字のようにも見える。

 ……いや。異界の、だろう。

 形が増えるにつれ、面積が広がるにつれ、魔力の輝きは増す。

 淡い紫色の光に照らされて、三人は息を飲んでそれを見守っていた。




 父がいた。

 いつものように、どこか人を食ったような表情で。

 祖父がいた。

 幼い頃に亡くなったために、よく覚えてはいないが、気難しい表情を崩さなかった。

 曽祖父がいた。

 この辺りになると、もう、肖像画でしか見知っていない。

 次々に、この血に連なる者たちが現れる。

 そして常にその傍らにいるのは、火竜王の高位の巫子だ。

 ……これは、以前も見たことがある。

 ぼんやりとそう考えた。

 そう、フルトゥナの荒野で、角が伸びた時に見た、記憶だ。

 なんとなく、この先に待ち受けるものを察して、身構える。


 そして、絶大な存在感と共に現れたのは、彼らの始祖、〈魔王〉アルマナセルの姿だった。



「……人の肉体に?」

 グランが、不思議そうな表情で問いかけた。

 彼は見慣れた姿だが、しかしその風貌には何故か少々違和感がある。

「ああ」

 重々しく、〈魔王〉アルマナセルが頷く。

「しかし義兄上(あにうえ)、それは果たして賢明なことでしょうか。貴方のお言葉によれば、未だイフテカールとその主はこの世界を破壊すべく動いているというのに」

 グランは、手にしていた分厚い書籍を閉じ、傍らの机の上に置いた。周辺には、似たような書籍や巻物が幾つも置かれている。

 ここは、火竜王宮の書庫だ。

 懐かしさに、胸が詰まる。

 だが、そんなことには頓着せず、〈魔王〉は言葉を継いだ。

「それは、確かに無責任と(そし)られても仕方はない。だが、わしはレヴァンダと生きていきたいのだ。生きて、子を()し、共に老い、そして共に死にたいのだよ」

「貴方は、まだ、死ということをよくお判りでない。あれは、恐ろしいものだ。この身体も、意識も、全て消えてしまう。全くの無となってしまう。今日と同じ明日が、もう来ないのですよ。永遠に」

 僅かに目を伏せ、グランは呟いた。

 だが、〈魔王〉アルマナセルは苦笑する。

「そなたは確かに死に近かったかもしれん。だが、まだ若いな。わしは今まで充分に生きた。人生を共に終えたい、と思える相手と出会えたは、むしろ僥倖(ぎょうこう)だ。……そなたも、いつかそんな相手と会えればよいな」

「無茶をおっしゃらないでください」

 高位の巫子は、素っ気なく返す。

 ふと、グランに、そういう、共に人生を終えたいと思えるような相手はいたのだろうか、という疑問に思い至る。

 あの幼い巫子は、外見の印象も大きいながら、その断固とした生き様から、そんなことを想像もできなかったのだが。

「まあいい。話を戻そう。我らの間に子供が生まれれば、その子が使命を継ぐだろう。わしがいつまでもこの国に存在するよりも、その方がいい。そもそも、この世界はそうやって歴史を継いできたのだろう?」

 〈魔王〉の言葉に、憮然とした顔でグランは頷いた。

 オーリが言うところの、『莫迦』であった〈魔王〉アルマナセルに、どうやら彼は色々と教えこんでいたらしい。

「それに、もしも、我が子が産まれなかったとしたなら。少々手間はかかるが、わしが再び〈魔王〉の、異界の肉体に戻ろう。ならば、そなたも心配する必要はない」

「そんなことが、できるのですか?」

 きょとんとして、グランが尋ねる。

「簡単ではないがな。もしも魔術を持って生まれなんだ子がいたとしても、それで何とか〈魔王〉と化すことはできる。だが、かなり力任せの手段だ。子に負担もかかろう。できるなら、その手は取って欲しくはないが」

 魔術を持っておれば、さほどでもないが、と〈魔王〉は笑う。

「〈魔王〉アルマナセルを、レヴァンダル大公家を統轄する、火竜王宮の高位の巫子、グラナティスがそれを習得するに相応しかろう。できる限り、外へ漏らすでないぞ」

 生真面目な顔で、グランは頷く。

 彼に対する、ほんの僅かな違和感が、まるで幼い子供のような仕草をすることに依るのだと、ようやく気がついた。


 記憶が遠ざかる。

 意識が朦朧とする。


 やがて彼は、『力任せ』という言葉の意味を痛感した。これ以上ないほど。




 ゆらり、とその身体が立ち上がる。

 その場の皆が小さく息を飲んだ。

 あの身体は、確かに鼓動を止めていた筈だ。

「……アルマ……?」

 恐る恐る、小さく声をかける。

 しかし、彼は全く何の反応も見せない。

 彼を中心として床に描かれた巨大な文様が、光を強めていく。

「そうか。……布だ」

 エスタがようやく思い至って、呟いた。

 アルマが、ほんの半年ほど前まで、角を隠すために頭に巻いていた、布。

 あの、赤地に染め抜かれた黒い奇妙な模様。幾つもの円や、直線的な、曲線的な、文字を思わせるような、数々の模様。

 一枚の布に散りばめられていたそれらを全て組み合わせれば、今、この場に出現した文様となる。

 彼らは知らない。

 それが、三百年前、まさにこの場所で〈魔王〉アルマナセルを召喚するのに使われた陣と同一であることなど。

 彼らが知っているのは、今の状態のアルマを、以前に見たことがある、ということだ。

 ペルルとプリムラは、イグニシアの山中で。

 エスタは、フルトゥナの荒野で。

 いずれも、アルマが〈魔王〉の力に飲みこまれていた時だった。

 現在の状況にどうしても警戒感が勝って、エスタは少しばかり身構えている。

 身を傾げるような姿勢で、アルマは一歩踏み出した。

 反射的に、エスタはペルルとプリムラを庇うように前に出る。

 彼らの周囲に巡らせた防御壁の内部が、激しい光に満たされた。

「きゃぁあっ!?」

 背後から悲鳴が上がるが、エスタは生身でアルマの雷撃に耐えるのに精一杯だ。

 防御のための魔術を龍神からの攻撃に対するべきか、アルマから発する魔力へ向かわせるべきか、切羽詰った選択を迫られている。

 が、その悩みはすぐに解決した。防御壁内部を荒れ狂う魔力の威力が勝り、呆気なくそれは崩壊したのだ。

「……っ!」

 こめかみの辺りを殴られたような衝撃が襲う。今や、彼にとっても角は急所に近い。眩暈に立っていられなくなりそうなのを、何とか堪えた。

 霞みかけた視界の中、黒衣の少年がこちらへ視線を向けて立っている。

「全く……、何をしているんですか、アルマ」

 荒い息の下で、エスタは呟いた。



 突然背後に生じた気配に、オーリは反射的に振り向いた。

 瓦礫の間を抜けて、一人の少年が大股にこちらへ歩いてきている。

「……まさか……」

「旦那!?」

 それに気づいて振り返ったクセロが、素っ頓狂な声を上げた。

 ぞくり、とオーリの背筋が冷える。

 この、圧倒的な気配は。

 三百年前に、〈魔王〉が衝動のままに荒れ狂った時と、同じものだ。

「グラン……!」

 注意を向けようと、声をかける。

 が、幼い巫子は、腰近くまでを拘束されたまま、ただじっと少年を見据えていた。

 アルマの数メートル後ろをついてくるペルルが、救いを求めるような視線を向けてくる。

 ある程度の距離を保ったところで、少年は足を止めた。

 その唇が、嘲るような曲線を描く。

 そして右手を軽く持ち上げ、くるり、と掌をひっくり返すような仕草をする。

 瞬間、泥沼に陥っていたかのような彼らの足元が、ふいに確かになった。

「うわ……!?」

 そのまま、一メートル近くは沈んでいた身体が、足場と共にぐんぐんと上昇する。

 龍神の施した、流動性の何かはそれに連れて押し上げられ、周辺へと溢れ出す。が、すぐに乾き始め、土塊のようになって辺りに転がった。

 ほんの十数秒で、高位の巫子たちはすっかり元に戻った礼拝堂に立っていた。

「全く、俺がちょっといない間に、お前らは何もできてなかったのかよ?」

 にやりと笑んで、アルマは仲間たちに告げた。



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