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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
火の章

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02

 冷や汗が滲むのを感じながら、振り返る。

 扉が開いて、戸口に一人の少女が立っていた。

 十数分前の自分を、口に出さずに罵る。

 鍵をかけておくべきだった。いや、鍵ぐらい、彼女には簡単に開けられる。机や椅子もあるのだから、扉の前に積んでおくべきだった。物理的に扉を開けなくすることも、盗み聞きを禁じることも、魔術でできなくはなかった。

 この近辺に人気がないことなど、彼女も熟知していたのに!

 しかし、その心の(うち)を一切表に出さず、アルマは優雅に一礼した。

「ご無沙汰致しておりました、ステラ王女」

 呼びかけに、後ろでノウマードが小さく息を飲んだ。

「本当に。無事でなによりだったわ。でも、帰ってきてすぐに私に会いにきてくれないなんて、酷いこと」

「申し訳ありません。王には帰国の際、ご報告のために拝謁致しましたが、殿下には仕立屋とのお約束がおありだということで遠慮させて頂きました」

 アルマの言葉にも、表情一つ変えない。まるで、仕立屋やその他の用事が全て終わるまで待っていなかったことがどうしようもない罪悪ででもあるかのように。

「冷たいのね。昔はもっと、親しく接してくれていたのに」

「私もいつまでも子供ではありません。それに、今は父の名代ですので」

「ああ、そうだったわね。おじさまはお元気?」

 元気ならそもそも自分が名代にならない、という件は飲みこんで、笑みを浮かべる。

「父も歳ですから。ですが、徐々に快復はしているようです」

「そう。おじさまに宜しくお伝えしておいて」

「お気遣いありがとうございます。父も喜ぶでしょう」

 少年が恭しく感謝して、そこで二人とも言葉を切った。

 何かを待ち受けるかのような王女の瞳に、次第に苛立ちが浮かぶ。

 それに微かに満足を感じるが、しかし根本的な解決ではない。

 一分ほどが経って、ステラ王女は痺れを切らしたか、ようやく口を開いた。

「ところでアルマナセル。そちらの方は一体どなたなのかしら?」

 手にした扇子で無造作に指し示しながら尋ねる。

 小さく唇を噛む。見逃して貰えると本気で願っていた訳ではないが。

「ああ、こちらはノウマードという吟遊詩人ですよ。ちょっとした、知り合いで」

 背後にちらりと視線を流しながら、告げる。

 アルマの背後に立つ青年は、呆然としたまま、王女を見つめていた。

 まあ無理はない。

 彼女の豊かな黒髪は巻き毛となり、合間に散らしている真珠が柔らかく光を反射している。年齢こそは十代半ばと言った辺りだが、その身体はむしろもう大人の女性のものだ。バラ色のドレスにはふんだんにレースが使われていて、慎み深く足元までを隠している。しかしその慎みは、胸元に関しては少々おろそかになっているようで、透き通るような白い肌が目を引いた。

 そして、何よりも、彼女はイグニシア国王の一人娘だ。

 一介のロマが、おいそれと目にすることができる相手ではない。

「貴方に吟遊詩人の知り合いがいるとは意外ね」

 真っ直ぐに視線を向けられて、はっとしたようにノウマードは瞬いた。

「こ……これは、ご無礼を」

 慌てて床に跪く。その動作が普段のように滑らかではなく、やや焦っているように見えたのは、流石に王族の前だからか。

 その反応に、ステラは少しばかり満足げに微笑んだ。

「ノウマード、といったかしら。アルマナセルとはどうやって知り合いに?」

「殿下のお耳に入れるには、少々憚る事情がありまして」

 素っ気なくアルマが口を挟む。軍事に関する情報は、例え王女にも話してはならないことになっている。嘘ではない。

 が、あからさまにかわしたことが意外だったのか、ステラは彼女に似合わないきょとんとした表情を浮かべた。

「……あら。あらあら。貴方も、いつまでも子供だとばかり思っていたけど」

「先ほども申し上げましたが、私でも毎年歳はとるものです。従軍だってしたんですから」

 僅かにむきになって言い返す。それに、王女はくすくすと楽しげに笑った。

「ご無礼のほど、申し訳ございません、殿下。噂にはお聞きしておりましたイグニシアの美しき姫君が、実際にお目にかかると言葉では言い表せないほどの麗しさであることに、我を忘れておりました」

 ノウマードからすらすらと美辞麗句が出てくるのは、調子が戻ったのか。

 それとも。

「気にすることはないわ。アルマナセルの大切なお友達だもの」

 ステラの言い回しは、嫌みだろうか。内心眉を寄せるが、何とか平静を保つ。

「お許し頂けますか」

 僅かにその視線に熱を籠めて、青年はステラを見上げている。

「勿論よ」

 鷹揚に笑むその様子は、ロマとは言え男からの賛美に機嫌をよくしているからだ。

 何とか宥め賺してやり過ごせるかもしれない、と思ったところで。

「それにしても、まるであの叙情詩にも残る美姫、レヴァンダ王女もかくやといった美しさでいらっしゃる。アルマナセル様とお並びになっていると、伝説の再来のようですね」

 ノウマードの言葉に、一瞬彼らは顔を見合わせる。

 すぐに、扇子で口元を隠して、ステラが声を上げて笑った。

「まあ、貴方、勘違いをしているわね、ノウマード。私にとって、アルマナセルは弟のようなものだし、それに、王家と大公家は婚姻できないのよ」

 僅かに戸惑ったように、ノウマードがアルマに視線を向けた。とりあえず、それはきっぱりと無視する。

「ステラ王女。そろそろ舞踏会にお戻りになられませんと、賛美者たちが麗しの姫君を失って今頃大騒ぎになっていますよ」

「貴方に言われると、新鮮を通り越して疑わしいわね」

 ちくりと棘のある言葉を返される。

 このまま居座り続けるつもりであるのは、明白だった。

 だが。

「アルマナセル様のおっしゃる通りですよ、王女殿下」

 戸口から再び声をかけられて、アルマは半ばうんざりして視線を向けた。

 アルマが創りだした光球の支配する空間から少し外れた薄闇の中に、一人の青年が立っていた。

 すらりとした身体を、紺色の服で包んでいる。丈の短い上着が、青年の身体の腺を必要以上に強調していた。その暗さの中でさえ、短く揃えられた髪が、絹糸のように細く、輝かんばかりの金髪であることが見て取れる。一見穏やかなその瞳は、明るい青だ。

「イフテカール」

 王女が名前を呼んだ声が僅かに柔らかさを増して、アルマはまじまじと二人を見つめた。

「お迎えに上がりました、ステラ様。大広間では一人残らず、貴女のおいでを今か今かとお待ちしておりますよ」

 歯の浮くような言葉に、ステラは余裕のある笑みを浮かべて頷いた。

「そうね、イフテカール。こんなところまでわざわざありがとう」

 王女が片手を伸ばす。それを受けるように差しのべた青年の手に、無骨な指輪が光った。蝙蝠の翼を背に負った、竜の意匠のようだ。

 馴染みのない竜の姿に、僅かに気を引かれる。が、王女が振り向いてきて、慌てて意識を集中した。

「アルマナセル、それでは今宵はこれで。でも、いずれ、ちゃんと彼と引き合わせてね」

「ええ、ぜひとも」

 熱心に返事を返すノウマードの後頭部を、思い切り張り飛ばしたい欲求を抑えこんだ。

「ああ、それから。王宮の中で魔術なんてものを使わないように以前からお話ししていたこと、忘れないで」

「燭台が見つからなかったんですよ」

 小さく肩を竦め、言い逃れる。

 微かに眉を上げて、それでもそれには反論せず、王女と青年は扉を抜けた。

 アルマはその後ろから王女を見送り、彼らが角を曲がったことを確認した瞬間に、素早く扉を閉めた。

「封鎖せよ、堅牢なる扉、忠実なる鍵穴。其の使命に誓いて我らを擁護せよ」

 略式ではなく、厳重に魔術を放つ。王女の皮肉など、意に介する必要はない。それどころか、むしろ簡単に満足できる状態ではなくなった。

「乱れ、軋み、爆ぜよ、波紋。渦巻いて消失し、我が前に静寂を晒せ」

 きん、と一瞬耳の奥が痛む。

 扉を閉ざし、室内の物音を外部へ漏れ出さないように手配したのだ。アルマは肺の中の空気を全て吐き出すと、部屋の中ほどにある椅子にどさりと身を落とした。

「あー……」

 色々と考えなくてはならないのに、頭の中がごちゃごちゃしている。力なく呻くアルマに、おずおずと声がかけられた。

「疲れてるみたいだね?」

「誰のせいだよ!」

 吠えるように返す。立ち上がって様子を伺っていたノウマードが、びくり、と肩を震わせる。

 その動作がいちいち彼らしくなくて、嫌な予感が増大した。

「……座れよ」

 傍にある椅子に、投げやりに片手を振る。

 無言でそこに腰を下ろしたノウマードをじっと見つめる。

「あー……。あのな。とりあえず、単刀直入に忠告しておくぞ」

「ああ」

 戸惑いを表しながら、それでもノウマードが頷く。

「あの女には、近づくな」


 むっとしたように目に力を籠めて、青年が口を開く。

「君、仮にも自分の国の王女様に、あの女呼ばわりはどうなんだ? 先刻(さっき)まであれほど丁重に接してたのに。君の腹黒さは多少知ってたつもりだけど、今回ばかりはどうかと思うよ」

「お前が言うなよ」

 とことん、自分とその他の貴族への対応が違う吟遊詩人に、呆れながら告げる。まあ、それに関してはもう殆ど諦めていたが。今更態度を改められても、気持ちが悪い。

「……それに、私だって幾ら何でも分を弁えているつもりだ。私はただのロマだし、彼女が言ったことは全て社交辞令だと判ってる。君に対する、ね」

「違ぇよ」

 ノウマードの自戒を、ばっさりと、ぞんざいに切って捨てる。小首を傾げて、青年が見つめてきた。

「俺に対する、って言うなら、それは社交辞令じゃない。嫌みと牽制だ。イグニシアじゃ、王家と竜王宮がやたらと仲が悪いんだよ。俺は一応貴族だが、大公家の管轄権は竜王宮が握ってる。だから、王家と王家派の貴族からは敵対勢力と見なされているんだ」

 絶対に止めさせたいが、彼が今後ともイグニシアの貴族階級と関わるつもりなら、知っておいた方がいい。

 その当人は、訝しげに口を開いた。

「確かに王家も竜王宮も、国の中では権力者だけど。双方がいがみ合う理由なんて、あるのかい?」

「あるんだろうよ。俺は知らねぇ。ずっと昔からの話らしいし。けど、まあ、グラナティスは敵を作るのが上手いからな。王家派の気持ちも判る」

「敵対しているのに?」

「俺個人が、好きで竜王宮につくのを決めた訳じゃない。とりあえず、何があっても、グラナティスに関わり合うことだけは避けろ」

「そのつもりはないよ」

 それについてはあっさりと、ノウマードは頷いた。

「ああ、それじゃ、先ほど王女がおっしゃった、君と婚姻できないっていうのは」

「その関連だろうな。王家は〈魔王〉の血を入れたくないし、竜王宮は王家の干渉を強めたくはない。妥当な取り決めだよ。俺としても、あの王女が相手っていうのは勘弁願いたい」

 暗く笑いながら、告げる。

先刻(さっき)から聞いていると、君は王家との確執というよりは、王女自身を嫌っているようだけど」

「……鋭いな。はっきり言って、あの女はやばい」

 再度の『あの女』呼ばわりにノウマードは不快な表情になったが、アルマは気にも留めない。

「いいか、ステラは今年で十八だ。貴族の姫なら、幼い時から婚約者が決められているのも珍しくない。王家なら、尚更申し込みが殺到するだろう。今は動乱の時だし、カタラクタとは戦争状態だから、あの国との婚姻は無理だとしても、国内の有力な貴族と縁を結んでおいて悪い訳がない。なのに、ステラにはもうずっと婚約者がいないんだ」

 眉を寄せながら、青年はアルマの言葉から何かを読みとろうとしている。

「我が儘で気紛れで人を踏み躙るのが好きだ、っていうのは、まあ、百歩譲って容認できなくもない。仮にも一国の王女だしな。しかし、酷く気が多い、っていうのは、それこそ加速度的に被害を拡大させる。それに残忍さが加わるとなると、尚更だ」

「……アルマ」

 僅かに顔を青褪めさせたノウマードは、しかし信じ難いというように見返してきていた。

 それに対して、真っ直ぐに指を突きつける。

「俺は、産まれた時から彼女を知っている。俺を信用しろ、ノウマード。あの女には一切近づくな。死ぬよりも酷い目に会いたい訳じゃないだろう」

 まあ、ステラはどうやら今はあのイフテカールという青年と親しいようだ。このまま接触を断てば、ノウマードも無事でいられるだろう。そう、願いたい。

 流石のノウマードも、少しは考えてくれたのか。数分間、沈黙が続いた。



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