13
戦況は、ほぼ思い通りに進んでいる。
国土も人口も殆ど同じ程度とはいえ、諸侯の兵士を一つの王国軍として纏め上げたイグニシアに対し、貴族や部族レベルでしか兵を出せないフルトゥナの軍は押され気味だ。
イーレクスとアルマには、既に[標]をつけている。彼らが死んでしまうことも考えて、側近にも、[標]を与えた者を数名を配していた。
状況は、殆ど遅れることなく、王都に届く。
やがて、〈魔王〉アルマナセルが風竜王宮の本宮であるアーラ宮に到達した。
そして数日の攻防の末、周辺の街を業火で燃やし尽くしている、という報告と同時に、アルマが倒れた、という連絡も入る。
「一体何をしたんです」
呆れ顔で、イフテカールは寝台に横たわる〈魔王〉を見下ろした。
一見したところでは、高熱を発しているようだ。息が荒く、瞳が濁り、半ば朦朧として身を起こしていられない。
「竜王、の巫子の、矢を幾らか受け、た」
嗄れた声で、途切れ途切れに告げた。
イフテカールが、ふいに、その首筋に視線を止める。
アルマナセルの、首から肩にかけての皮膚が一部、紫色に変色していた。
「服を脱げますか」
小さく頷いて、手を上げかけるが、それはぱたりと力なく落ちる。小さく舌打ちして、イフテカールは無造作に寝台の上に膝を乗せた。
胸元をはだけると、肩や腹部の一部が、同様に変色していた。しかし傷口は見えない。既に癒しているのだろう。
「ここが、射られた場所ですか?」
最も色の濃い辺りに指先を触れさせて、尋ねる。それだけの刺激で、男はびくり、と身体を痙攣させた。
「どうなって、いる」
『竜王の意思が混ざりこんでいるのだな。儂も、遥か昔にくらったものだ』
嫌悪に眉を寄せ、尋ねるアルマに、しみじみと龍神が口を挟んだ。
「意思?」
『我ら、地獄から来たりしものは、この世界に祝福されてはおらん。故に、この世界を統べるものである竜王の祝福は、我らにとって、言わば毒のような働きをする。これは、受けてから結構な日数が経っておるな』
「治りますか?」
アルマがこの調子であれば、風竜王宮を落とすことは不可能だ。燃え盛る街の熱が冷めるまで、猶予は数日しかない。
イフテカールの問いかけに、ふむ、と数秒龍神は考えこんだ。
『吾子の肉体は、未だこの世界のものだ。片手から竜王の祝福を吸い出し、吾子の存在で浄化する。そのまま、我が分身である指輪のある手から〈魔王〉に戻してやれば、地獄の因子が少しは含まれるだろう。祝福が消えるだけでもいいだろうが、回復が遅くなるのでな』
頷いて、右手を患部に当てた。指輪のある左手は、心臓の真上に置く。
意識を集中すると、苦痛からか、アルマが小さく呻く。
自らの身体の中を何かが通過していく、というのは、奇妙に不快なものだった。
その原因は〈魔王〉の存在なのか、竜王の祝福なのか。
自らは龍神の力を解放するだけの、ただの管だ。そう自分に言い聞かせ続ける。
しかし、毒素の染みが薄くなっていくには、相当な時間がかかりそうだ。
「……何だか貴方の生殺与奪を握っているようで、ぞくぞくしますね」
口調とは裏腹に、ややうんざりした顔で、そう告げる。
「口の減らない奴だ」
苦痛に身体を強張らせたまま、アルマも憎まれ口を叩いた。
再度アーラ宮へ攻めこむ直前、イフテカールはイーレクスを連れて来るために少しばかりその地を離れた。
単純に往復するだけなら数分で事足りるが、おそらく向こうの軍の者たちに説明してこなくてはならない。半日はかかると見ていいだろう。
イフテカールはそれなりに貴族たちを掌握しているが、彼らは不平を漏らすのが仕事のようなものなのだ。
くれぐれも無茶はしないように、とアルマに言い含め、イフテカールは大陸西部へと転移する。
予想した通りに向こうから戻ってくるのは手間取り、野営地へ転移したのは夕暮れ近くになっていた。口論を始めたのが、現地の時間では夜からであることを思えば、彼らは頑張った方だろう。時差を考慮に入れたイフテカールの小狡い策がなければ、丸一日はかかっていたに違いない。
イーレクスは、彼らの大切な王太子であるのだから。
しかし、ようやく戻ってきた司令部に、アルマの姿はない。
不審に思って司令部の面々に問いかけると、つい先ほど戦場へと向かったという。
「何故止めなかったのですか?」
つい先ほどまでの舌戦の余韻が残ったまま、冷たい口調で尋ねるが、諸侯は口を濁すばかりだ。
まあ、あの〈魔王〉を容易く制止できる者はいないのだろう。
溜め息をついて、イフテカールは戦場へ向かうことにした。イーレクスも共に行動することになる。
そもそも、王子をここへ連れてきたのは、彼にアルマの実力を知らしめる為だ。
この戦乱に勝利し、契約を果たせた場合、〈魔王〉は王室の一員となる。
つまり、長期に渡り、イグニシア王家と関わるのだ。
アルマの実力や考え方など、将来の王であるイーレクスは熟知しておかなくてはならない。
馬に乗り、アーラ宮へと近づくにつれ、イーレクスの顔は強張っていく。
アーラ宮は、見上げるほどに巨大な岩山だ。その威容は、野営地からでも容易に伺える。
しかし、その周辺にあったと思われる街は、焼け落ち、溶けた石の醜悪な塊として広がっている。
「これをどうやったのだ、あの男は……」
イーレクスが、畏怖に声を震わせる。
「詳しくお知りになりたいのなら、将軍たちにお尋ねになると宜しいでしょう。ですが、気押されないことです、イーレクス様。貴方はやがて、王となって彼の上に立つお方だ」
イフテカールの言葉に、ごくり、と喉を鳴らす。
二人は街路だった場所を通り、アーラ宮へと到達した。正門の中は既に制圧されており、兵士たちは敵兵の死体を壁際へ寄せ始めている。
「イーレクス様?」
驚愕の声が漏れる。イーレクスは西部の前線にいた筈なのだから、無理もない。
「アルマナセル殿は?」
周囲を見回しながら、イフテカールは手近な兵士に訊いた。
「礼拝堂の中におられます。我々は先だって、中央の大階段へ突撃を開始しましたので」
「こちらへおいで頂きたい。イーレクス様がお呼びです」
兵士は緊張した面持ちで敬礼すると踵を返し、岩山に開けられた大きな扉へ向かった。
こんな前線近くまで来たことはないイーレクスは、やや呆然として周囲を見回している。
さほど待つこともなく、アルマは姿を見せた。
「おぅ、イーレクス。向こうの様子はどうだ?」
「ああ、順調だ。こちらもよくやっていてくれるようだな」
できるだけ威厳を保ち、王子はそう返す。馬上にいると、巨漢であるアルマよりも流石に目線は高い。
イフテカールは僅かに眉を寄せて苦言を囁いた。
「無茶をしないでくださいと言っておいたでしょう」
「無茶ではない。今日は一度も倒れていないしな」
さらりと告げられた反論に、ため息を落とす。
「そういう問題じゃないんですよ。もしも貴方に何かあったらどんなことになるか、少しは考えてみてください」
アルマが首を傾げる。
「レヴァンダに会えなくなるのは困るな」
「それ以前ですよ、問題は!」
イフテカールが声を荒げる。
「なあ。わしは、莫迦か?」
が、突然脈絡もなく尋ねられて、きょとんとする。
「どうしましたいきなり。まあかなり莫迦だと思いますが」
「ふむ。いや、先ほど、風竜王の高位の巫子に莫迦だと言われたのだ」
やや考えこむような風情で、〈魔王〉が答える。
「ああ。それは、ここまで追いこまれた巫子としては、罵詈雑言も吐きたくなるでしょう。莫迦で済むなんて、むしろ優しい方ですね。気にすることはありませんよ」
「いや今お前が肯定していたのでは」
あっさりとアルマの杞憂を晴らしたというのに、イーレクスが小声で口を挟んできた。
「それはそうと、状況はどうなっていますか?」
「うむ。今、三層目を突破した。一層ずつ探索しなくてはならない、と言い張られているから、時間はかかりそうだ」
気にも留めずに、会話を進める。それに乗ってきたアルマと共に、イーレクスから胡乱な視線を向けられた。
「ここまできて、時間を取られる訳にもいきませんね。夜間も作業を継続してください」
「夜に?」
驚いたように、イーレクスが漏らす。
「どうせ、アーラ宮の内部は殆ど暗闇でしょう。昼も夜もない。こちらの兵士を、一度に投入できる訳ではないのだから、頻繁に交代させればいいのです。高位の巫子さえ倒してしまえば、あとはどうとでもなる」
淡々と告げるイフテカールを、王子は冷徹だと思ったかもしれない。
だが、この龍神の使徒は、内心煮え滾るような感情を持て余してさえいたのだ。
順調に、イグニシア軍はアーラ宮を制圧しつつあった。
安全が確認された階に、イフテカールとイーレクスも上がっていく。
王侯貴族は、意外と足腰が強い。
庶民には暮らせない、広く、階数の多い屋敷や宮殿、城塞に住んでいるからだ。イーレクスは居室が塔の上だったこともあったほどで、このアーラ宮を登ることも、最初はさほど苦にしていなかった。
だが、アーラ宮は、その塔のざっと三倍は高い。あまり立て続けに上へ進めないことが、むしろありがたいほどだ。
「……風竜王宮の巫子たちは何を考えているんだろうな……」
大階段の中心、アーラ宮を貫く虚を見下ろして、イーレクスが小さく呟く。
「風竜王を喜ばせることでしょう」
さらりとイフテカールが返した。
少しばかり意外そうに、イーレクスは傍らの青年を見る。
この王子は、まだ、イフテカールのことを王室の相談役としか知らない。不思議な力を持ってはいるものの、その真の主の存在など知らないのだ。
しかし、それでも、彼は王家を喜ばせるために動いているのだろうか、と考えて、イーレクスは僅かに違和感を感じた。
〈魔王〉アルマナセルは、アーラ宮最上階の祭壇の間に足を踏み入れた。
イフテカールたちは、その一階層下で待機する。
[標]が上手く働かない。流石に、高位の巫子のみが入るを許された場所だからか。
だが、アルマと巫子たちとの会話は、途切れ途切れではあるが把握できる。
どうも、手間取っているようだ。
マントの下から、用意してきた道具を取り出す。
「イーレクス様。アルマに、これを渡してきては頂けないですか」
いきなりそのような要請をされて、イーレクスは数度瞬いた。
「私に、使い走りをしろと言うのか?」
「いいえ、上ではそろそろ決着がつきそうなのです。最後まで抵抗した高位の巫子に、王国軍最高指揮官であるイーレクス王子のお姿を示しておくのは、必要なことですよ」
「そ……そうなのか」
イフテカールの甘言に、あっさりと王子は納得する。
その手に乗せた水晶の結晶の使い方を簡単に教えて、龍神の使徒は仮の主を戦場へ送り出した。
数十分程度経過したところで、頭上から圧迫感を覚えた。
「……風竜王」
小さく呟く。無意識に、指に嵌めた龍神の指輪を隠すように手で覆った。
竜王が顕現したということは、高位の巫子は死んだのだろう。
「アルマ。早く高位の巫子の心臓をこちらへ。次代の巫子がどう動くか判らないのですから」
小声で、アルマへ[標]を介して告げる。
だが、〈魔王〉の返答はない。
焦れたイフテカールが、もう一度呼びかけようかと思ったところで、目前に両手で抱えられる程度の立方体が出現した。
半透明に白く濁るその中央には、人間の心臓が閉じこめられている。
流石に、生きたまま、というのは無理だ。手に入れられただけでも僥倖だった。心臓を大切にマントの中へしまいこむ。
「受け取りました。アルマ、イーレクスと一緒に撤退してください。合流次第、この国から抜け出しますよ」
もう、呪いは発動している。フルトゥナの国土の中で、この先、生存する人間は皆無となるだろう。
風竜王の高位の巫子が、無駄な足掻きを叫んでいた。
祭壇の間にいた、生き残りの巫子のうちの一人が、次代の高位の巫子となったのだろうか。あり得ない話ではない。
最初からフルトゥナを全滅させるつもりで、全く彼らに関心を持たずにいたイフテカールは、高位の巫子の名前すら覚えていなかった。
階段を降りてきた二人に手を差し延べる。
その手が触れた瞬間に、イフテカールは一瞬の迷いもなく転移した。
三人は、即座に王都に出現した。しかしイーレクスが西の国境へ残してきた軍が心配だと言い出し、彼を送り届けることになる。一国の王子の責任感としては、悪くない。
静かにその様を見つめていたアルマは、彼らについては行かず、王都に残った。
アーラ宮と大陸の半分は離れている西側の前線ですら、風竜王の高位の巫子の言葉が聞こえていたらしい。ざわめいた戦場では、戦いは散発的にしか続いていない。
国境からある程度後退することをしっかりと言い含めると、イフテカールはすぐに王都へ取って返した。
イーレクスは、結局、この後七日間に渡り、フルトゥナに呪いが巡らされるのを見届けることになる。
逃げ出してきた多くの民と、彼らの間に起きた無秩序な殺戮の様子までを。




