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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
贄の章

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184/252

10

 グランが火竜王の巫子となってから、竜王宮と王家との関係は親密となった。

 俗世での立場は通用しない、などということになっているが、勿論そんなことはただの名目だ。グランは特別に竜王への勤めを外され、ただ安静に療養していた。

 竜王宮には時折兄や姉、ごく稀に王妃などが様子を見にやってくる。そして、それ以上に彼らの使いとして、イフテカールは足繁く通っていた。

 手ぶらでなどということは全くなく、その度に王家は気前よく寄進を弾む。当然、イフテカールに対しても竜王宮の対応は甘くなりつつあった。


「いつも来てくれて、ありがとう」

 青褪めた顔色で、それでも嬉しそうに少年は微笑む。

「私なぞに感謝などされないでください。グラナティス様」

 イフテカールが励ますような声をかける。

 部屋から一歩も出られなかったが、それでも少年は竜王に祈り続けている。

 家族の安寧と健康を、そして民の。

 だが、当のグランの容態は一進一退であった。彼の身体自体が弱いのであり、火竜王の高位の巫女ですら、竜王の恩寵でそれを癒すことはできない。

 自分ならば、できるだろうか。

 竜王にできぬことを、自分と龍神がやってのければ、これほど痛快なことはない。

 折をみて、イフテカールはそのための術を考え続けるようになった。


 だが、彼は決して目的を忘れていた訳ではない。

 イフテカールは竜王宮へ通う間に、竜王の高位の巫女に幾度も接触した。

 この頃の高位の巫女に就いていたのは、四十をやや過ぎたほどの年齢の女性だ。清楚な純白の聖服を身に纏い、真紅のルビーを額に頂いている。

 そして、その指や腕、胸元には、控えめながら王家からの贈り物が光っていた。

「これはイフテカール殿。陛下にはお変わりなく?」

 穏やかな挨拶を、深く会釈して受ける。

 しばらく他愛もないやりとりをした後に、彼は切り出した。

「実は高位の巫女様。陛下が内密にお会いしたいと望んでおられます」

「陛下が?」

 戸惑ったように、高位の巫女が繰り返す。

「はい。グラナティス様が竜王宮にお入りになられて、もう三年です。陛下がこちらへ参られることは難しく、せめてご子息の容態をお聞かせ頂きたいと。世俗に関わらぬという規律は存じておりますので、大がかりなことはいたしません。ごく内密に、身内のみの晩餐会でございます」

「……そう。ならば構わぬでしょう」

 数秒逡巡したが、しかし高位の巫女はそう頷いた。

「あくまで内密に、ということですので、誰にもお話しにならないで頂きたい。当日、私がお迎えに参ります」

「あら、大げさだこと」

 面白そうに彼女は笑う。


 人の気配が全くない王宮の一室で、イフテカールに(くび)り殺されるまで、彼女は何も疑っていなかったことだろう。



 手の中の身体から、力が抜ける。

 だらり、と弛緩した肉体をそっと支えた。


 次の瞬間、眼前に炎を纏う竜王が顕現する。



 これは、賭けだった。

 イフテカールは息もできずに火竜王を見上げる。

 狭い部屋の中、その竜王は凄まじい圧迫感で龍神の使徒を見据えている。

 竜王は、自身の力で高位の巫女を護ることはない、と聞く。

 ならば、直接手をかけたイフテカールは生き延びられる可能性はある。

 だが、この場に龍神がいれば勿論その限りではない。そのような危険を冒すつもりは毛頭なかったために、龍神自身はおろか、指輪すらイフテカールは置いてきていた。

 指輪がなければ、彼は殆ど魔術を使えない。

 万が一、怒り狂った竜王がイフテカールに襲い掛かった場合、身を護ることなどできまい。

 まあ、指輪を持っていたとしても、この存在に太刀打ちできるとは思えないが。

 意識の片隅で、自嘲気味にそう思う。

 それほどに、火竜王の存在は強い。

 ごく普通の人間であれば、そして罪を犯し、(やま)しい思いのある人間ならば、竜王に見据えられただけで心臓を止めてしまいそうだ。

 しかし、イフテカールは普通の人間ではない。

 竜王に対する信心も畏れも全く抱いていない。

 むしろ。


 竜王が、あの方をあのような状態に貶めたのだ。

 竜王が、民を死ぬに任せ、一切救おうとしなかったのだ。

 竜王が。


 むしろ、眼前の竜王に対する敵意が膨れ上がるのを自制するのに精一杯だ。

 そんな彼をどちらにせよ一顧だにせず、竜王は一声、悲しげな声を上げた。

 そして、何の余韻も残さずに消え失せる。

 数分、周囲の様子を伺って、そしてイフテカールは長く息をついた。




 すっきりとした顔で、イフテカールは自宅に帰る。

 先ほどまで纏わりついていた濃い血臭は、今は微塵も感じられない。

 火竜王の高位の巫女の心臓は、確かに効果があった。一本の鎖に明らかにひびが入ったのだ。

 だが、龍神を戒める鎖は未だ何本も健在だ。完全に解放されるまで、この先、何人の高位の巫女が必要となるのか。

「……短期間で何人も失踪すれば、流石に不審に思われる。一体どれほどの年数がかかることか」

 数百年単位で果たせることではないかもしれない。

 流石のイフテカールでも、千年の時を考えると気が遠くなりそうだ。

 とりとめのない思考に身を任せていると、扉が叩かれる。

「どうした」

「お戻りでしたか、イフテカール様。数時間前に、竜王宮より使いが参りまして」

 高位の巫女が死に、竜王が顕現したことは巫子たちには知れる。問題は、それにイフテカールが関わっていることまで知られているかどうかだ。

 だが、使者の言葉は、イフテカールが予想もしなかったことを伝えてきた。


「次代の高位の巫子に、グラナティス様が選ばれたとのことです!」




 グランは、普段よりもやや顔色が悪いようだった。

「来てくれてありがとう、イフテカール」

 それでも嬉しそうな笑顔を見せる。

「この度はおめでとうございます、グラナティス様。……お加減が宜しくないのですか」

 高位の巫子に選ばれた、ということは、只人ではなくなったということだ。

 彼の病状は改善されてもよいものなのに。

「うん。今日はお父様やお母様、お兄様にお姉さまも来てくださったんだ。久しぶりにお会いできて嬉しくて、はしゃぎすぎちゃった」

 幸せそうに、幼い巫子は笑う。

 高位の巫子に選ばれたことよりも、家族に会えた方が嬉しいのだろう。

「きっと戴冠されれば、お身体もよくおなりですよ」

 励ますようにそう告げる。だがグランは、今度は弱く笑んだ。

「無理だと思う。竜王様は、高位の巫子には期待されているようだから。その期待に応えられなければ、巫子は死んでしまうんだって」

「……何ですって?」

 流石にそれは初耳だ。

「それに、先代の高位の巫女様がどちらでお亡くなりになっているか、まだ判らないんだ。ご葬儀を先にしたいから、戴冠式はできる限り延ばす、って話になっている。……僕、それまで生きていられるかどうか判らないけど」

 少年は、笑みを絶やさない。

 だがその声は弱く震えている。

「そんなことをおっしゃいますな。きっと全て上手くいきますとも」

 イフテカールが、何の慰めにもならない言葉を吐く。


 それだけであれば、彼は龍神の使徒として失格だ。



 イフテカールは、真っ直ぐに王宮にある竜王宮へと足を向けた。

 うらびれた雰囲気のその建造物の扉を開き、礼拝堂へと入りこむ。

『どうした、吾子(あがこ)よ。こんな時間に』

 決めていた訳ではないが、礼拝堂へ来るのは夜間が多い。少しばかり訝しげに、龍神は問いかけた。

 眉間に皺を寄せ、思考を巡らせたままイフテカールが口を開く。

「ベラ・ラフマ様。……私の考えが実行できるかどうか、お力をお貸し頂きたい」


『無理だ』

 まだとりとめのない使徒の言葉を聞いて、龍神の出した結論は一言だけだった。

「そうですか……」

 イフテカールが肩を落とす。

 その様子を見て取ったか、龍神は言葉を継いだ。

『術のみを問題とすれば、儂ならば構築できなくはない。だが、それを実行に移すには、この封じられた身ではあまりにも魔力が足りぬのだ』

「ならば、私が微力ながら助力を」

 使徒がそう言いかけるが、龍神はそれを遮る。

『それも無理だ。そなたの力は、もともと我が物だ。全てをあわせたとて、封じられていることに変わりはない』

 イフテカールがうろうろと礼拝堂を歩き回る。

「魔力が足りない。……助力。私以外の、誰か」

吾子(あがこ)?』

「我がきみ。ひょっとすると、一度に幾つかの問題が解決するかもしれません」

 うっすらと笑みを浮かべ、イフテカールは思いついたままを話し始めた。

 龍神がそれを聞き、細部に渡って策を練り上げる。

 あとは実行するために必要な人員を篭絡するだけだ。そして、それは使徒の最も得意とするところであった。




 月のない夜。礼拝堂に、三人の人間が集まった。

 龍神の使徒、イフテカール。イグニシア王国第一王子、イーレクス。第一王女、レヴァンダ。

 兄妹は、心細そうに寄り添って立っている。

「ようこそおいでくださいました、両殿下」

 深々と、わざとらしいほどにうやうやしく、青年はお辞儀をしてみせる。

「イフテカール。本当に、これでグランは治るんだろうな?」

 不安のせいか、睨みつけるようにイーレクスは問い質した。

「可能性はございます、王子。この世界を統べる竜王ですら、グラナティス様へ健康を授けてはくださいませんでした。高位の巫子という地位に就いても。ならば、この世界の外に救けを求めるほかありません」

「この世界の外……」

 怯えたような顔で、レヴァンダが呟く。

「ご安心ください、姫君。私が、決してお二人を危険な状況に置いたりは致しません」

 胸に手を当てて誓うように告げる。むっとした顔で、イーレクスはやや彼と彼女の間を遮るように立った。

 レヴァンダはこの時十五歳。イフテカールは一見したところ二十代半ばだ。兄が危機感を持ったとしても、まあ不思議はない。

 だが、イフテカールはにこやかな表情を保ったまま、奥へと二人を(いざな)った。

 外観は荒れ果てているが、礼拝堂の内部は綺麗なものだ。その滑らかな石造りの床に、今、最も大きなところで直径が五メートルはある巨大な円が描かれていた。幾重にも波紋を描くように円は連なり、幾何学的な文様が内外に撒かれ、奇妙な文字のようなものが縁取っている。更に、細い蝋燭が無数に周囲に立てられ、その小さな光はまるで星のようだった。

「これは……?」

「これが、召喚陣です。我らへ救けをもたらす者の」

  恐ろしげに、レヴァンダがそれを見下ろした。

 イフテカールが、円の周囲へ、等距離になるように三人を配置する。その足元には、小さなナイフと清い水を満たした硝子の器が置かれていた。

 自らに視線が集まっているのに頷き、イフテカールは朗々と呪文を口にする。それは、王家の二人には理解できない言語だ。

 尤も、意味のない言語でもある。術自体は、礼拝堂の奥に安置してある龍神が構成する。イフテカールはそれを現世に解き放つ門のような役目であり、実際は何もしなくてもその場にいるだけで機能する。だが、それらしく見せることは大切だ。彼にも、評判というものがあるのだから。

 他の理由からも、それなりの雰囲気は必要だ。この兄妹が、今後起きる事態に対し、一定の責任感と罪悪感を持って貰うために。

 窓も扉も締め切っているのに、蝋燭の炎がゆらりと動く。

 未だ怯えた表情を拭えない二人に、励ますような笑みを向ける。

「では聖なる王家の血を継ぐ両殿下。その血を、聖水へ溶かして頂けますか」

 硬い表情で、彼らはナイフを手に取った。ほんの数滴でよい、とは言っているが、指先を掠らせたぐらいでは、出血は一滴にも満たない。結果、高貴な若い肉体に、そこそこ大きな傷がつくことになった。

 僅かな愉悦を押し殺す。

 透き通った清水は、彼らの血が交じり合った途端に、真紅に変わる。

 少年少女が思わず息を飲んだ次の瞬間、彼らの中心の空気が激しく音を立てた。


 四方へ吹き荒れる風に、蝋燭の炎が消える寸前まで小さくなる。

 闇に沈みかけた空間の中、今までにない威圧感がその場を支配していた。

 密かに、気を引き締める。実質的なところは龍神がついているとはいえ、彼がしくじれば全てが水泡に帰すのだ。

 ゆっくりと、炎の大きさが戻っていく。

 陣の中央に立つ、人物の影がうっすらと見えた。

 大柄ではあるが、人間とさほど変わらない。やがてその姿は光に照らされ、尚も影を濃く残す髪は黒く、体型の判りづらい身体は、マントのようなもので覆われていたからだと知れる。その瞳は明るい紫色で、興味深げにこちらを見つめてきていた。そして、こめかみから伸びる、白に近い灰色の、一対の角。

「……〈魔王〉アルマナセル……?」

 問いかけた言葉を耳にした筈の〈魔王〉は、それには応えずにぐるりと周囲を一瞥した。

 特に、イフテカールの背後にいる、龍神ベラ・ラフマへ強く視線を向け。

 そして、右側を向いたところで、ぴたりと動きを止めた。

 つい先ほどまでの、悠然とした態度がゆっくりと崩れる。目を僅かに見開き、彼はそこに座す相手を見つめていた。

 まだ幼い頃からイグニシアの宝石、と讃えられた王女レヴァンダは、小柄な少女だ。艶のある黒髪は柔らかな巻き毛になって背に胸にと流れ落ちている。透き通るような白い肌の上、僅かに頬に残った赤みが鮮やかだ。細い肩は慎ましやかなドレスに包まれ、小さな手が手袋も嵌めずに露になっていた。瞳は明るい青で、まっすぐに〈魔王〉を見つめ返している。驚いたような、畏れたような、戸惑ったような顔で。

 二人が視線を外さぬまま、気まずくなるのに充分な時間が経過し、イフテカールはもう一度声を上げた。

「〈魔王〉……」

「我がものになれ、美しき乙女よ」

 一瞬の躊躇いさえも見せず、〈魔王〉アルマナセルはそう言い放った。


 しくじった。




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