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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
贄の章

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183/252

09

 イフテカールは、蝋燭の光に目を眇めた。

 図書館は酷く暗く、掠れかけた線が見えにくい。

 卓の上に広げているのは、一枚の大きな地図だ。

 地図が正確になればなるほど、その数は少なくなり、所有者の地位は高くなる。彼が我が物顔で占拠しているのは、イグニシア王室の所蔵品だ。

「大体のところは判りますか、ベラ・ラフマ様」

 眉を寄せて、呟く。

『世界を線で表現する、というのはお前たちには理解しやすいのかもしれんが、儂にはそうでもない』

 そもそも、他の世界からやってきた龍神は、この世界の見方そのものが違う。希望は持っていたが、予測もできていたので、あっさりとイフテカールは頷いた。

「男爵は、ペルロからヤカスへ向かっていた。その二つの都市を結ぶ間で、私は船に拾い上げられている」

 ゆっくりと、指先で羊皮紙の表面をなぞる。変色し、ざらついた紙の感触が残った。

「ヤカスまでは、当時の船で約三日の距離。だが、私の乗っていた船が襲われた場所と、発見された場所では少々ずれがあったようだから、何十キロかは誤差を見ていた方がいいようですね」

 考えこみつつ、イフテカールは呟き続ける。

『ある程度近くまでくれば、水底からでもそなたやその指輪の気配を察することができよう。無論、そなた自ら来るのだろう?』

「勿論ですとも。貴方が再び地上に顕現するのを出迎えるのが、私以外のものでいい筈がない」

『顕現と言っても、封じられたままだがな』

 珍しく、僅かに自嘲気味に龍神は零した。

「それでも、第一歩です。私が貴方のお傍にいられれば、きっとその封印も解くことができますよ」

 穏やかに告げて、イフテカールは無造作に地図を巻いた。帯出禁止のそれを持つと、部屋を出る。

 国王に、恫喝混じりの要請をするために。



 船縁に頬杖をつき、水平線を眺めている。風が柔らかくその金髪を揺らした。

 実際に船を出すのは夏まで待たざるを得なかった。潜水夫を雇うことにしていたが、あまり深い場所では水が冷たすぎる、と拒絶されたのだ。

 そして、実際に潜らねばならない場所がはっきりしないため、彼らはもう何日も湖上をうろうろしている。

 現在、世界を支配する三国は『バーラエナの協定』により、好き勝手に船を動かすことができない。彼らも既に二度、ぺルロに戻っては行き先変更の書類を出している。

 その度に二、三日は街に据え置かれ、イフテカールの忍耐力を試していた。

 ぺルロはフルトゥナの都市だ。イグニシアにいる時のように、横車が押せる訳ではない。

 彼はじりじりと焦りを感じながらも、待った。

 尤も、彼らが待たされたのは特に嫌がらせではなく、単純にフルトゥナの執政所の仕事が遅いだけだったのだが。その事実が知れたところで、大した慰めにはならなかっただろう。

 そして、書類を無視することはできなかった。イグニシア王室直々の命令書のため、彼らは護衛という名目でフルトゥナの監視船を伴っていたからだ。

 それは今も、やや離れてこちらの船を追尾してきている。

 苛立ちは、遅れや監視によるものだけではない。正直、彼は船が嫌いだったのだ。できるなら二度と乗りたくはなかった。

 だが、彼の主、龍神ベラ・ラフマを掬い上げるためなら、そんなことは言っていられない。

 ゆっくりと波を乗り越えていく揺れに身を任せ、ささくれ立つ神経を押し殺す。

 そんな日々が続いていた、ある時。

『……近い』

 突然、彼は主からそう言い渡された。


「東だ。東に舵を取れ!」

 イフテカールの言葉に、直ちに船長が命令を怒鳴り、操舵手がそれに従う。

 期待と焦りを胸に船首を見つめるイフテカールは、やがて速度が落ちたのを感じた。

「どうした」

 青年の言葉に、船長が首を振る。

「停止命令が出ています。申請した境界を出ようとしているんでしょう」

 指差した先にいる、フルトゥナの監視船が主帆柱の上で旗を振っている。

 ぎろり、とイフテカールが監視船を睨みつける。

「構わない。進め」

「そうはいきません」

「私が行けと言っている」

 だが、船長はイフテカールを見下ろして首を振った。

「協定を無視することはできません。旦那はお若いからご存知ないでしょうが、この数十年、ペルデル湖はそりゃあ酷い状況だったんです。船が出会い頭に殺しあうなんて当然だった。それを止めた協定を無視するなんて、できやしませんよ」

「私が、何を知らないだと?」

 磨り潰すような声が漏れる。

 飢えは身に染みている。歩けるようになった頃には売り飛ばされた。大人と同じ労働を要求され、奴隷のように扱われ、意味もなく虐げられた。船を襲われた経験もある。

 そして、殺されたのだ。

 人と竜王に裏切られ、見捨てられ、救われることなく。

 再び湖に戻ってきて、イフテカールの記憶は更に鮮明になっていた。

 こうして死にもせずに生きている者が、苦労を、苦痛を、悲惨さを語るなど、おこがましい。

「……燃え落ちろ。その卑しき魂を我がきみへ捧げよ」

 呟くと同時、フルトゥナの船から火柱が上がる。

「何だ……!?」

 船上が一気にざわめく。

「戻れ! 救助を……」

「必要ない。進め」

「しかし、旦那!」

「誰も生き延びない。戻るだけ、無駄だ。行け」

 暗い瞳で見上げてくる青年を、ぞっとした風に船長は見つめた。

「私はもう一度船を雇い直してもいいんだぞ?」

 そしてその言葉に身を震わせる。

 それは、単純に解雇されるという意味では、ない。

 莫迦げた直感だ、と思いつつも、逆らえない。

「……東だ。進め」

 船長の声に、船は従順に波を乗り越えた。



 龍神が誘うままに指示を出す。そして船を泊めると、イフテカールは湖に潜るようにと命じた。

 おどおどとした態度で、潜水夫たちがそれに従う。

 予測はしていたが湖底までの水深は深く、捜索は難航した。

 沈んだ船の残骸を掘り起こし、彼らは様々なものを持ち帰った。

 金貨や銀貨、宝飾品、そして両端に鉄の輪のついた鎖。

 イフテカールはそれに見向きもしなかった。財宝を手にする度に、船員たちの意気は上がっていたからだ。ただ、それに躍起になりすぎるな、とだけ注意したぐらいだ。

 彼の目的は、それらではなかったから。


 そして、二日目の午後。

『……ようやくか』

 微かな声が響いて、イフテカールは船縁に取りついた。

 十数秒後に水面に顔を出し、大きく息を吸う潜水夫を急かす。

 彼が船上へ持ち帰ったのは、一抱えほどの大きさの黒い岩だった。水苔がこびりつき、ぬめった表面には、しかし錆の一つも見られない鎖が幾本も巻きついている。

「……我が、きみ」

 泣き出しそうな顔で、イフテカールがそれに手を伸ばす。

 その青年の様子を、困惑した顔で船員たちが見つめていた。

 上等な衣類が濡れるのも構わずに、そっとその岩を抱え上げる。イフテカールは、真っ直ぐに船長を見つめた。

「私はすぐに王都に戻らなくてはならない」

「……う、あ、はあ」

 船長の歯切れは悪かった。

 この真下には、財宝を積んだ沈没船がある。イフテカールを送り届けてから再度ここへやってくるのは、至難の業だ。正確に場所も判らないし、何より協定に抵触する。

 しかし、イフテカールは物分りよく笑んだ。

「心配はいらない。お前たちについて来い、とは言わないから」

 反射的に歓喜した船員たちの周囲を、一瞬で炎が巡る。

「な……、何だ!?」

 驚愕と、恐怖の叫びが蔓延する。

 船縁を一周する炎は、船員たちが救命艇で逃げ出すことを阻む。

「あんた、一体何を!」

 混乱し、怒声を上げる船長を、イフテカールは薄く微笑んだまま見上げた。

「この方に穢れた手で触れて、よもや生きていられるなどと思っていたのか?」

 その、冷たい声に絶句する。

 最初から、自分たちを殺すつもりでいたのだ。

「……くそ!」

 手に手にナイフや棒を持ち、闇雲に襲いかかってくる男たちを、イフテカールは冷静に見つめていた。



 こんなものかな、と呟いて、周囲を見回す。

 ふと思いついて、甲板を歩き出した。幾つか障害物を踏み越えてきたのは、湖底からの戦利品の傍だ。

 その中の、足環のついた鎖を持ち上げ、刻印された数字を確かめた。

 四本目に手にしたものに、眉を寄せる。そして、イフテカールはそれを勢いよく放り投げた。

 燃え盛る炎の中に入った瞬間、鉄製のそれは一瞬で蒸発した。

 溜め息をついて、立ち上がる。

『気は済んだか』

「ええ。……では参りましょう、我がきみ。私たちの王国へ」

 小さく呟いて、イフテカールはその場から転移した。


 さほど時間も経たず、その燃える船は湖底へと沈んでいった。




「……上手くいきませんね」

 龍神を王都へ迎えてから、もう随分の時が経った。

 しかし、彼を封印から解き放つことは未だできずにいる。

 イフテカールは思案げに暖炉の炎を見つめていた。


 問題点は、幾つかある。

 まず、龍神を解放するために確実な方法が見つかっていないこと。

 封じた当事者である竜王なら何とかできるかもしれないが、その所在が判っていないこと。

 ただし、これは竜王を安易に目覚めさせて、より状況が悪化することは充分考えられるため、どちらにせよ手を出すのは最後の手段だ。

 単純に生命力を捧げようか、と、人間の生き血、心臓、その他もろもろを利用してみたが、全く効果がない。

 勿論、それはイフテカールだけを除いていた訳ではない。幾度となくその血を捧げてみたが、龍神を戒める鎖にはひび一つ入らなかった。

 ただし、一度、火竜王の下位の巫子を使ってみた時だけ、やや変質したようだ、と龍神は告げた。

 イフテカールが見たところは、全く変化はなかったが。

 人数を増やしたところで、効果が出るまで何百人が必要となることか。

「竜王の巫子。ならば、高位の巫女であれば……」

 小さく呟く。

 今までイフテカールは意図的に竜王宮からは存在を隠し通してきた。あの組織に対する影響力は、まるでない。

「どこかからか、進入口を作るべきでしょうかね」


 その機会は、ほんの数年後に訪れた。



 王家に新たなる王子が生まれたのだ。

 既に嫡子である第一王子、その妹姫が存在しているが、彼らに何があるかなど判らない。新たな王子の誕生は、めでたい出来事である筈だった。

 だが。


「この子は、十までも生きられないでしょう」

 身体が弱く、産まれてからほぼずっと寝たきりで過ごす王子は、既に医者にも匙を投げられていた。

 王妃は嘆き悲しんだ。心優しい王女も、王子も目に見えて心を痛めている。

 王は、相談役という名目の青年に解決を求めた。

 そして素晴らしい金髪を持つ彼は、こともなげに告げたのだ。

「火竜王へお仕えされればいかがですか?」


 元々王妃は信心深い質で、今までもよく竜王宮に使いを出し、息子の健康を祈っていた。

 しかし、竜王宮に入る、ということは、それとは次元が違う。入宮する人間の、俗世の関係を全て断ち切る、ということである。

 一家は酷く動揺した。

「王都の竜王宮であれば、皆様はいつでもお会いすることができます。勿論、王位継承権は失効してしまうでしょうが、このまま幼くしてその生命(いのち)を散らすのであれば、それは同じことでしょう。竜王のお情けに縋れば、生き延びる可能性は高くなりますよ」

 だが青年は穏やかにそう諭し、王家はかなり逡巡した末にその提案を受け入れた。


 勿論、そのような根拠など全くない。

 ましてイフテカールは竜王に信頼感など欠片も寄せてはいない。

 それはただ、彼が竜王宮へ近づくための方便だった。

 王家の者たちの乗る馬車に同乗を許されて竜王宮へ向かうイフテカールは、努めて表情を冷静に保とうとしている。

 青い顔でぐったりと座席の背にもたれている幼子は、薄く目を開けていた。

「竜王宮へ行けば、病気が治るの?」

「勿論ですとも、王子。ですからご安心ください」

 にこやかに答えるイフテカールにつられたのか、ふと王子は頬を緩ませた。

「だったら、お父さまもお母さまも、お兄さまもお姉さまも、もうぼくのことで心配しなくてもいいんだね」

 何故だか、ふいに胸を衝かれる。

 幼い王子は五歳。

 家族が生き延びるために、イフテカールが売られた年齢と、同じだった。

「まあ、そんなことを気にせずともいいのよ」

 明らかに涙を堪え、王妃が優しく王子の頬を撫でる。

「ご安心ください、グラナティス王子。きっと、貴方を死なせたりは致しません」

 イフテカールのその言葉は、本心だったのか、偽りだったのか。

 既に自らでさえ、その真偽をはっきりと区別はできなくなっていた。

 彼にとって確かなものは、ただ龍神に対する忠誠心しかなかったからだ。




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