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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
贄の章

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07

 そのようなことが数度繰り返された後。

 夏も終わりに近づいたある日、ケイリスはこう切り出した。

「イフテカールを、しばらく私に預けてみないか?」

 男爵一家は、きょとんとして男を見つめた。

「兄さんは、この先彼を鍛え上げるつもりでいるんだろう? 仕事を教えこむつもりだ、と前に言っていた。なら、その教育に取り掛かる前に、始めておいた方がいいことがある」

「何だね?」

 不審そうに、男爵が尋ねる。

「コネクションだ」


 開け放した窓から、心地よい風が入りこみ、イフテカールの金髪を揺らす。

 僅かに緊張して、彼は話に聞き入っていた。

「数ヶ月に一度、私の館に、近隣の若い貴族たちが集まることは知っているだろう? 王都の大貴族ほどではないが、ちょっとしたサロンのようになっている。イフテカールに、彼らと(よしみ)を結ばせておくことは、悪くない」

 ケイリスがそう続ける。

「しかし、彼はまだ子供だ」

 僅かに臆したように、男爵が呟く。

「彼に時間はあまりないと思うね。ああいう場では、爵位のない人間は大抵一蹴されるが、兄さんの後ろ盾があって、そしてサロンの主催者の私がついているなら、それなりに扱われるだろう。ここしばらく様子を見ていて、彼ならまあ大丈夫だろうと私も判断した。そう長い期間ではないよ。半月、といった程度かな」

 後半は、お気に入りの遊び相手を取り上げられそうになったルシィに対してだ。

 男爵は無言で考えこんでいる。

「失敗するなら、早い方がいい。彼にとっても、兄さんにとってもだ」

「あら、イフティは失敗なんてしないわよ」

 気分を害したか、ルシィが言い返す。

 だが、イフテカールの背には、嫌な汗が滲んでいた。

 期待外れなら、早いうちに切り捨てた方が傷が浅い、と、彼は言っているのだ。

「どうだね、イフテカール。行ってみるかね」

 男爵は気持ちを固めたのだろう。こちらに視線を向けて、尋ねてくる。

「はい。ご迷惑でなければ、宜しくお願いします」

 緊張に、後ろで組んだ手をきつく握り締めながら、イフテカールは頭を下げた。




 ケイリスの屋敷に着いたのは、もう秋が深まりかけた頃だ。

 男爵の館は、ヘミオノスの藩都を囲む外壁の中にあり、堅牢な作りだった。

 が、ケイリスの屋敷は、ややこじんまりとした館である。聞くと、ここは彼の本宅ではなくて別邸だということだった。確かに、街からは少々離れている。

「そもそも私は独り身だからね。あまり、大きな屋敷は要らないんだ」

 邸内を案内しながら、ケイリスは(うそぶ)く。

 それでも、豪華絢爛なことには違いない。イフテカールは興味深げに周囲を見回していた。

 初めて男爵家の居城に足を踏み入れたときよりは、彼の目は肥えていた。この館は、派手な装飾こそはないが、品のいい、上質なものを選んでいる。壁紙や絨毯、燭台、壁にかけられた絵画など。

 なるほど、飾り立てるのが好きなのは、人相手だけではないようだ。

 そして、ケイリスはやや芝居がかった仕草で、屋敷の奥の扉を開けた。

「さあ、イフテカール。ようこそ、我が花園へ」


 その扉の向こう側は、庭園に向けて大きな窓が開かれた明るい部屋だった。

 椅子やソファ、様々な高さの卓がそこここにまばらに置かれ、居心地のいい雰囲気を醸し出している。

 それらには、勿論人が座していた。

 好奇心も露に、または物憂げにこちらへ視線を向けるのは、十代後半から二十代半ばぐらいまでの青年たちだ。殆どが男性だが、数名、女性も混じっている。

「彼らは、数年後にはこのイグニシアを背負うことになる者たちだよ。実に将来有望な才能の持ち主たちだ」

 誇らしげに、ケイリスが告げる。

 自分に集中する視線に、イフテカールが顔を強張らせた。

「では、その子が貴方がご執心の坊やですか、ケイリス様?」

 どこからか、笑みを含んだ声をかけられる。

「そうだよ、エリオン。素晴らしい原石だ」

 ケイリスの声の調子は、変わらない。

「それはそれは。こちらへどうぞ、坊や」

 一人の青年が立ち上がり、片手を広げて促した。小さく息を吸い、イフテカールは足を踏み入れる。

 金髪の少年がソファに腰掛けると、周辺からふらりと数名が近づいてくる。彼らはイフテカールを囲むようにソファの背に腰掛けたり、後ろから身を乗り出したりしてきた。

「小さいな」

「幾つ?」

「十一、です」

「もっと子供なのかと思ったわ。お菓子を食べる?」

「見てよこの金髪。凄い綺麗」

「君はどんなものが好き? 絵画? 音楽? 詩?」

「いえ、僕はまだ勉強中の身なので」

 こんなにも多くの若者に囲まれたのは、初めてだ。

 緊張を隠せない表情で、それでも懸命にイフテカールは話し続けた。

 できる限りのことを、学ばなくてはならないのだ。

 彼のそんな姿を、満足そうな笑みを浮かべ、ケイリスは眺めていた。



 まだ夜になったばかりなのに、イフテカールはふらり、と身体を傾がせた。

「おちびちゃんはもう眠いのか?」

 からかうような声がかけられる。

「いえ、大丈夫です」

 目を瞬かせて、イフテカールが否定する。

「夕方着いたばかりだし、疲れているんだろう。今日はもう休むといい。部屋まで送ろう」

 さほど傍にいた訳でもないケイリスが、そっと肩に手を置いてくる。気を配ってくれていたのだ。

 確かに、酷く眠い。まだ十日は滞在する予定ではあるし、イフテカールは今日のところは彼の気遣いに甘えることにした。

「おやおや。残念だ」

「仕方がないだろう。ケイリス様のおおせのままに、だよ」

 くすくすと笑い声がこぼれるのを背に、部屋を出る。

「上手くやっていたようだね」

 廊下の燭台から放たれる灯りに影を揺らしながら、前を歩くケイリスが話しかけてきた。

「はい、あの、皆様よくしてくださるので」

「普段はそうでもないのだよ。彼らの大半は、新しく入ってくる者に対する警戒心と敵愾心が強い。君がまだ若い、ということもあるのかな。でも、そうやって人から敵意を抱かれにくい、というのは、君の強みでもある。大事にしなさい」

 それは、龍神の力によるものだ。感慨深く、イフテカールは、はい、と呟いた。

 やがて、彼らは一つの扉に辿り着いた。

「さあ、ここが君の部屋だ。鍵を渡しておこう」

 小さな銀の鍵を手渡される。そしてケイリスは、もう一つの鍵で扉を開けた。

 中には既に灯りも点されている。部屋の片隅に、イフテカールの持ちこんだ数少ない荷物が積んであった。

 ケイリスが滑らかな動きで部屋を横切り、もう一つの扉へと手をかける。おそらく、そこが寝室なのだろう。

 ……何か、変だ。

 違和感に、イフテカールは足を止めた。

 彼が、館の主人が、鍵を持っている、というのは、全くおかしくない。それは当然のことで、不審感を覚えることではない筈だ。

 部屋の中に入ってしまったことだって、主人としては当たり前なのかもしれない。案内の延長のように。

 そうだ、これは違和感ではない。

 警戒心だ。

「イフテカール?」

 扉に手をかけ、笑みを貼りつけてケイリスが金髪の少年を呼ぶ。

 思わず一歩、後ずさりかけて。


『幸運を』


 その声に、足を止めた。

 そうだ。彼の主は、彼の為にならない幸運を授けたりは、しない。

 ごくり、と喉を鳴らし、右手で指輪に触れる。

 そして彼は意を決して、待ち受けるケイリスへ向けて、足を進めた。



 そのような集まりを、数ヶ月に一度繰り返す。

 イフテカールは、その場で様々なことを学んだ。

 芸術を解する心を。貴族社会の基礎を。貴族の若者たちの考え方を。

 人間の抱く好意を。愛情を。嫌悪を。憎悪を。享楽を。

 少年は、注意深くそれらを観察し、理解し、そして追体験する。

 万が一失敗するのならば、傷が浅い方がいい。



「幾つになった? イフテカール」

 物憂げに、少年の金髪に指をくぐらせながら、ケイリスは尋ねた。

「十四になります」

 従順に、イフテカールが答える。

「そうか。ルシィも同じ歳だったな」

 自らが仕える少女の名を口にされて、僅かに胸がざわめいた。

「お前は、彼女のことをどう思う?」

 突然思いもしなかったことを訊かれ、動揺する。

 この貴族は、時に酷く残酷であることを、彼は既に知っていた。

「ケイリス様、まさか……」

「おいおい。私が、可愛い姪に何をすると思っているんだ?」

 薄く笑って、言葉を遮る。だが、この男は少しばかり満足げであった。

「兄も、ルシィも、私の安らぎだ。彼らを妙なことに巻きこむような真似はしないさ」

 しかし続けて発せられた声は微かに切なげで、イフテカールはやや戸惑ったような表情を作った。

「それはそれとして。お前、もう少し私としっかりした関係を結ぶ気はないかね?」



 所在なげに、イフテカールは男爵家の庭に立っていた。

 共にこちらへ戻ってきたケイリスは、男爵と話し合いの最中だ。イフテカールは今の段階では加われない。

 微かな風に、薔薇の茂みが揺れる。

「イフティ?」

 呼びかけにゆっくりと振り返る。

 淡い金髪を可愛らしく結い、はにかむように笑うルシィがいた。

 お転婆だった彼女も、もう徐々に娘らしくなっている。今では滅多なことでは大声を出したりはしない。

「早かったのね」

「はい。ケイリス様が、旦那様とお話があるとのことで。お嬢様は、お勉強はよろしいのですか?」

 その問いかけに、ルシィは僅かに驚いたような顔になる。

「貴方が戻ってきたのに、そんなことを優先しなきゃいけないの?」

 瞳を無邪気に大きく見開いた顔は、確かに愛らしい。イフテカールは努めて冷たい声を発した。

「何のお勉強だったのですか?」

「刺繍の練習よ」

 くすり、と笑んで、ルシィが悪戯っぽく告げる。

 結局、抜け出す口実にいいように使われたのだ。

「お嬢様……」

「またそんな呼び方。昔は名前で呼んでくれたじゃない」

「時々ですよ」

 不満そうな少女に、きっぱりと返事を返す。肩を竦めて、ルシィはじっとイフテカールを見た。

「この十日で、背が伸びたのね」

「そんな短時間では変わりません」

「嘘よ。おじさまのところに行く度に、ちょっとずつ大人っぽくなっていってるわ」

「しばらく顔を合わせないから、そう思うだけですよ」

 拗ねたような言葉を、宥める。少しばかり後ろ暗いところはあったが、それはきっぱりと無視した。

「つまらない。貴方は、私が見つけたのに」

 続く言葉には、何も返せない。

 そうではないのだ。彼を、見つけ出したのは。

 黙りこむ彼に、少しばかり気まずさを感じたか、強引に明るい表情を作り、彼女は話題を変えた。

「おじさま、お父様と何をお話されているのかしら」

 しかし、それに返す言葉も、彼は持っていなかった。



 イフテカールが男爵に呼び出されたのは、その日の夜のことだった。


「お前がうちに来て、もう四年だ。あっという間だったな」

 感慨深そうに、男爵は呟く。

「だが、イフテカール。お前は、まだ幼い。しばらくは自由を残しておいてやりたかったが、そろそろそうもいかないのだ」

「僕は、男爵さまにお仕えする、と決めています。あの日、冬の湖から救い上げられてから、ずっと。何度お訊きになられても、返事は変わりません」

 イフテカールはきっぱりと答えた。困ったように、男爵が苦笑する。

「もう少し、話は踏みこんだものになるのだよ。ルシィも十四だ。早ければそろそろ、遅くとももう二、三年のうちに、結婚相手を見つけなくてはならない」

 その言葉に、イフテカールの顔が強張った。

「うちには嫡男がいないのでね。婿を取って、ルシィが爵位を継ぐことになる。だが、だからと言って婿が誰でもいい訳ではない」

「……はい」

 小さく呟く。その表情を、その言葉を、冷静に男爵は観察しているのだ。

「縁談も、もう幾つか持ちこまれている。しかし困ったことに、ルシィは聞く耳を持ってくれないのだよ。この男爵家を任せる相手だ、それなりの家柄と手腕が必要で、それを評価されるとなると、そこそこの年齢になってしまう。私やケイリスと似たような年齢の夫などごめんだ、と怒られたよ」

 やれやれ、と男爵は首を振った。

 しかしそのような縁談、貴族の間では珍しくもない。

 イフテカールは、それをもう知っている。

 少年は唇を引き結び、しかし視線を逸らさずに恩人を見つめていた。

「イフテカール。お前、ルシィと結婚するつもりはないかね?」

 目を見開く。驚きに、彼はしばらく声も出なかった。

「……まさか、そんな。お嬢様と僕なんかでは、そんなこと、考えられない」

 だがすぐに、俯き、苦しげな声を漏らす。

 ヘミオノス男爵は、そっと肩に手を置いた。いつか感じた時のまま、大きく、温かい手を。

「勿論、色々と問題はある。ルシィが承諾するかどうかとかね。まあ、その辺りは心配ないと私は思っているが。身分が気になるのなら、それも大丈夫だ。ケイリスが、お前を養子にしてもいい、と言い出した」

 ゆっくりと、顔を上げる。呆けたような顔に、男爵は力づけるように頷いた。

「あれには爵位はないが、私の親族だ。体裁はつく。これから二年、私の仕事をしっかり手伝って貰う。それでも、お前たちは十六だ。お前に私の仕事を預けられるようになるのは、その後十年ほどはかかるだろう。その判断を、二年後にすることは難しい。いいかね。これは、私たちにとっても大きな賭けなのだよ。その時に、少しでもお前の才覚に望みがないようであれば、ルシィとは結婚させられないし、ケイリスも養子の関係を続けてはいかないだろう。このまま、ただの使用人として生きる方が、楽ではある。この話を断っても、この家からお前を放り出したりはしないことは、約束しよう。……どうするね?」

 イフテカールは、顔を歪めた。困ったような、恐ろしいような、戸惑ったような。

 喜んでもいいのか判断がつかずに、怯えている、ような。

「……お嬢様が、僕でも構わないとおっしゃってくださるのなら。この身が潰れるまで、お仕え致します」

 ヘミオノス男爵が、破顔する。

「それは大丈夫だ。私が保証しよう」


 そしてルシィは、近年にしては珍しく、怒り狂った。



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