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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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174/252

18

 カタラクタ王国のユーディキウム砦の周辺では、その日の未明から、イグニシア王国軍と叛乱軍との間で衝突が起きていた。

 やがて四竜王の高位の巫子と〈魔王〉の(すえ)が戦場へ出、それを庇護するかのように四竜王が出現する。

 その時点で、戦場は大混乱に陥っていた。

 竜王の巫子でもない、ただの兵士が、竜王の顕現を目にすることなど一生に一度もない。

 まして、その竜王たちに楯突く形になっていた王国軍の兵士は、相当数が怯え、逃亡してしまっている。

 戦場に留まった兵士たちも、状況を伺うのに精一杯で、戦闘どころではない者が多かった。

 だが、それもさほどの時間ではなく、ある時ふいに竜王たちは姿を消してしまった。

 高位の巫子たちと共に。

 砦に近い場所にいた者たちからは、不気味な門が突然現れた、などという報告もあったが、司令官たちはそれに取り合うことはなかった。


 何より、ゆっくりと我に返った兵士たちは、戦意を喪失したままでいることはなく、そのまま殺し合いを再開し始めたのだ。



 太陽は、頂点を過ぎた。

 火竜王宮竜王兵の隊長、ドゥクスは、馬上で周囲を見回した。

 流石に疲労が激しい。人間もだが、馬もだ。

 一旦退くべきか、という気持ちが過ぎる。

 だが、遠目で見ると、砦の正門周辺は敵兵が押し寄せているようだ。中へ戻るのは、少々難しい。

 竜王兵を率いるのが、ドゥクスの役目である。高位の巫子、グラナティスが戦場から姿を消しても、さほど彼は動じていない。

 ドゥクスは十五で竜王兵になるために竜王宮に入った頃からずっと、グランを見ている。あの幼い巫子は間違ってもへまはしない。

 もしもそんなことになったとしても、世界中の誰もそれ以上上手くはできなかっただろう。

 ドゥクスがすべきことは、今、ここで竜王の為に戦うことだ。

 ぐるりと周囲を見回すと、見慣れた緑色のマントの一団が遠くで馬を駆っている。

 風竜王宮親衛隊だ。

 彼らは、作戦の最初のうちは森の中に潜んでいた伏兵を狩る役割だった。が、その森の只中に地竜王が顕現してしまい、敵はあっという間に離散した。

 懸命な判断だ。

 その後、彼らは機動力を生かして戦場を駆け回り、敵に痛手を与え続けている。彼らの馬は、まるで疲労とは無縁のようだ。

 親衛隊の隊長は個人的に気に食わないが、親衛隊自体はそうでもない。今は敵を同じくしているし、彼らの訓練に関わったこともあって、火竜王宮竜王兵はどちらかといえば好意的だ。

 彼らの頭上を、黒い影が飛んでいく。

 どぉん、と空気が震えて僅かに目を眇めた。

 王国軍の投石器が、砦へ向けて時折岩を投げているのだ。

 この辺りはほぼゆるやかな丘陵地帯だ。イグニシアのように、その辺りに山があって岩を掘り出せる訳ではない。大した数の岩は準備できていないだろう。

 むしろ、矢の詰まった樽を投げられる方が堪えるものだ。まあ、敵も味方も乱戦状態であるこの時にそんなことはしないだろうが。

 さて、砦を回りこみ、東側からでも中に戻ろうか、と考えていた時に。

 再び、岩が頭上を跳び越した。

 さほど大きくはない。大人が一抱えで足りない程度だ。

 だが。

「低くないか?」

 小さく呟く。その放物線は、砦を狙うにしてはあまりに高さが足りない。

 案の定、地響きを立てて落下したのは、戦場の真ん中だった。

 見覚えのある緑色のマントを身に着けた集団の。

「……前進!」

 ドゥクスは、瞬時に決断した。


 円を描くように、風竜王宮親衛隊は陣形を組んでいた。

 普段、突然現れては相手を引っ掻き回して素早く逃げ出す、というスタイルを今は駆使しておらず、ただ一箇所に留まっている。

 その集団を格好の相手だと思ったか、王国軍は続々と彼らを取り囲みつつあった。

 ドゥクスが率いた一団が、その一角を切り崩す。

「どうした!」

 ほっとした表情の隊士に、先陣を切っていたドゥクスは尋ねた。

「イェティス様が……!」

 その言葉に、急いで人の間を透かし見る。

「ドゥクスか?」

 低い位置から、声が発した。意外としっかりしている。

 大したことはないのか、と判断し、急いで加勢にくる必要もなかった、と少しばかり苦々しく思う。

 が、人垣が割れ、円陣の中に通されたドゥクスは声を失った。

 イェティスの乗っていた栗毛は、腹部を潰されて地面に横たわっている。

 そこから少し離れた場所に、一抱えほどの岩に背をもたせかけ、風竜王宮親衛隊隊長は座っていた。

 投げ出した左脚に、隊士が数人、悲壮な顔で幾枚もの布を当てていた。細く割いた布で膝の上をきつく縛ってあるのに、押さえる布はすぐさま真っ赤に染まる。その布を境に、膝から上と先が、明らかに不自然な方向に繋がっていた。

「どうした。そんな顔をして」

 流石に息を荒げ、顔色は真っ青だ。しかし皮肉げな表情で訊いてくる。

「どう、とは、イェティス」

 それを訊くのはこちらの方ではないか。予想はしていたのだろう、青年はああ、と小さく呟いた。

「イグニシアの奴らの飛ばしてきた岩が、丁度私の馬に当たったのだ。可哀想に。奴らいい腕をしている」

「お前の運が悪いんだろう……」

 ドゥクスは力なく、そう言い返した。

「それで、どうなっているんだ?」

 尋ねない訳にはいかない。が、それに対してもイェティスは酷く軽く答える。

「ああ。膝の下で、ちょっと脚が折れた、というか、千切れかけた、というか。おそらく切断しなくてはならないのだろうが、流石に戦場でそれをすると死にそうだからな」

 ここには軍医もいなければ、清潔な医療器具もない。

「巫子が、いれば……」

 低く呻いたドゥクスに、イェティスは肩を竦める。

「おられないものを求めても、仕方がない。何を、お前が死にそうな顔をしているんだ? 片足がなくとも、馬に乗れば関係ない。そして、我らは騎馬の民だ」

「いや関係あるだろう」

 反射的に呆れて返す。

 少なくとも、片足は(あぶみ)にかけられないし、そうなると馬上で身体を安定させられない。膝の力だけで馬に乗るなど、ドゥクスは風竜王の高位の巫子ぐらいしか知らないが、ひょっとしてフルトゥナの民はそれぐらい当たり前なのか。

 それで少し頭が冷えて、すぅ、と小さく息を吸う。

「我々が道を切り開こう。何とかして、イェティスを砦まで運べ」

 周囲の風竜王宮親衛隊の隊士に告げる。それぞれが決意に満ちて頷く中、当の隊長はむっとした口調で反論した。

「馬が一頭いれば、自分で戻る」

「莫迦かお前は。振動で脚が千切れるぞ。こんなところで死んだら、お前の巫子がどれだけ失望されることかな」

 彼は巫子の名を出されると、弱い。憮然として、しかしおとなしくなったイェティスを確認し、ドゥクスは馬の向きを変えた。



「城壁東北部より、物資の補給要請です! 矢が三十箱、弓も予備を幾らかと」

「正門上より、そろそろ油の準備を開始すると連絡が」

「西門(やぐら)、食事はまだかという使者が参っておりますが」

 マグヌス子爵の息子、レグルスは、目の回るような忙しさだった。

 既に城砦の奥にある執務室での仕事など諦め、前庭に立っている。ここが、各倉庫から大体均等な距離にあるからだ。

 レグルスは城砦を預かる任に就いていた。この戦闘にあたり、物資の管理をするのもまた仕事だ。

 が、いちいち書類に署名をしている時間などはない。ほぼ口頭のみで、彼らはやりとりを終わらせていた。

 要請を、レグルスは殆ど断っていない。

 レグルス以外にも、倉庫の責任者などが判断をする。現場の者が無理だと言えばその方が適切だろう。

 何より出し惜しみをして戦に負けるなど、莫迦げたことだ。

 途切れることのない要請に、小さく息をつく。

 戦場へと出て行った友のことが、ずっと心の片隅にある。

 彼の副官が(たお)れた、と聞いて、無理を押して城門前まで駆けた。

 だが、レグルスは石畳に横たえられた男の前で悲嘆に暮れていた友に、一言も声をかけられなかった。

 アルマは、テナークス少佐に全面の信頼を寄せていた。王家に叛旗を翻した、殆ど何の恩義もない少年についてきた男だ。その喪失感は如何ほどのものか。それぐらい、レグルスにだって判る。

 だが、それでも。

 自分がもしも死を迎えた時に、あれほど悼んでくれる者がいるだろうか。

 出会って、まだ半月ほどであるのに、しかし、レグルスはあの若い友人に、自分を誇りに思ってほしい、と強く願っていた。

 それは、多分、自分がアルマのことを誇りに思えるからだ。

 だから、諦めることも、できる。

 城門前で、アルマにぴったりと寄り添っていた、水竜王の姫巫女。

 淡い思慕を持っていなかった、と言えば嘘になる。

 だが、自分がアルマと同じ立場になった時に、彼女はああして傍にいてくれるだろうか。

 可能性はある、と思う。だが、それは、言ってみれば彼女の性格と高位の巫女としての責務であって、多分、アルマに対する気持ちと同じところから発する行動ではないのだ。

 あの〈魔王〉の(すえ)は、本当にいい少年だ。

 彼が戦場で無事であることを祈りながら、レグルスは次の使者の要請に耳を傾けた。



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