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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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173/252

17

 ちらり、とクセロは背中越しに視線を向ける。

 プリムラが保護され、グランの元へと向かっていくのが見える。

「全く、無茶苦茶だ。運よく受け止められたからよかったものの、下手をすると彼女は死ぬところだったじゃないですか」

 嘲るように、イフテカールが口を開く。

 少々動転していたのが、落ち着いてきたようだ。

 流石に、龍神の石像は手から離さぬよう、しっかりと抱きかかえられていた。

 地竜王は、他の三竜王とは厳密には立場が違う。三竜王が人の世に介在する領分をしっかりと決めているのに対し、つい先日この時代に解放された地竜王には、そのような戒律は存在しない。

 気ままに人の世へ介入し、好きなように(ことわり)を捻じこむ地竜王の力は、イフテカールでさえそう簡単には防げないのだ。

「莫迦言え。プリムラがここで死のうが、それがどうしたってんだ。おれたちは、そんな覚悟とっくの昔に決めてきてる」

 クセロがそう言い放つのに、少しばかり不愉快そうにイフテカールが顔をしかめる。

「薄情ですね。貴方が育てたも同然なのでしょう?」

 自分たちについて調べられている。だが、そんなことはクセロを全く動揺させはしなかった。

「だから、なんだ。あいつの生命(いのち)だとか、竜王の面子だとか、龍神の復活だとか、そんなこたぁ正直どうでもいいんだよ!」

 思い通りに感情を揺らせられない相手に、龍神の使徒は僅かに戸惑った気配を漏らす。

 そもそも彼の言葉には、どうでもいい、などと流せない事項が幾つも混じっているのだが。

「何を考えているのです」

「あ? てめぇが大将にやったことをまず考えやがれ!」

 怒りのままに、クセロは手にしたままだった短剣で、相手の腕を切り裂いた。




 一年前。火竜王宮に進入したクセロは、宝物庫だと思いこんで、地下の一つの扉を開いてしまった。

 その部屋の中にあったものは、金属製の台に乗せられた、ガラスの(ひつぎ)だ。

 ぼんやりと光る、透明な棺の中に、小さな身体が納められていた。

 しかも、何体も。

 その幼い少年の顔は、直後にクセロを断罪しに現れた、火竜王の高位の巫子に瓜二つだったのだ。

 その後いろいろあった末、落ち着いた頃になんとなく尋ねてみると、グランは微に入り細を穿って説明し始めた。

 三百年前に、契約によって果たされた『不死』の実情を。

 グランの身体は酷く脆く、数年程度しか保たないこと。

 あの棺で作られる肉体に、精神と魂とを移し変えて、それで生命(いのち)を繋いでいること。

 だが、新しいうちは大丈夫、ということもなく、幼い巫子は頻繁に苦痛に襲われていた。

 クセロも、時折は一晩中呻き続ける巫子の傍についていたものだった。

 この旅に出てからは、竜王宮にいるよりも環境が苛酷だったからか、予想より肉体の劣化が早くなっていたようだ。皮膚の変色が進み、極力彼は素肌を見せないようになってきた。

 指で触れれば、熟れすぎた果実のように柔らかくへこむ場所すらあった。

 勿論、彼が死んでしまえばいい、と思っていた訳ではない。だが、何故そうまでして生き続けているのか、と尋ねたことがある。

 --あれが、奴と僕自身との間の契約であれば、そもそも結ぶことなどなかったよ。

 珍しく、僅かに寂しそうな瞳で、グランは一言そう言ったのだ。



「がぁ……っ!」

 立て続けの苦痛に、流石にイフテカールも悲鳴を上げる。

 ぼたぼたと血が溢れ落ちる。下方へと向かって。

 イフテカールにとっての重力は通常通りなのだから、当然だ。が、クセロには思い至らなかったことで、短剣がまともに返り血を浴びてしまう。

 ぬる、と手が滑りかけて、内心舌打ちした。

 一瞬、意識がそちらへそれた瞬間に。

 イフテカールの右手が、クセロの左胸、鎖骨の辺りに触れた。

 ばつん、と鈍い音がして、その部分が弾ける。

「……っ」

 悲鳴と罵声を、押し殺す。

 まるで対称の姿であふれ出した血液は、天井へ向けて降り注ぐ。

 イフテカールの身体の上に。

 龍神ベラ・ラフマの像の上に。

 反射的に、竜王の力で傷は塞いだ。が、既に流された血液が滴ることは防げない。

 ぱきん、と今度は鋭い金属音がして、龍神を戒める鎖が一本、切れた。

「なるほど。流石は、地竜王だ。我がきみを貶めた当事者の巫子の血は、効果が高いらしい。グラナティスの場合はもっと大量に必要だった。結果的には、今の状況は悪くないですね」

 彼も傷は塞いだのだろう。感心したように、イフテカールが呟く。

「てめぇ……!」

 かっとなり、クセロは再度短剣を突き立てようとする。だが、イフテカールに届く寸前で、それは軋むような音を立てて防がれた。

 イフテカールは、クセロの破かれた衣類を撫でるように、やんわりと指先をやや右下へと向ける。

 心臓の真上へ。

 流石に、ぞくり、と背筋が粟立つ。

 が、男は更に短剣を持つ手に力を入れた。

 イフテカールの指先がつい、と軽く動いたそのままに、幾枚もの分厚い布地と、その下の肌が破られる。

 ばしゃ、と血液が溢れ、そして数秒で止まった。

 また数箇所、龍神を戒める鎖が切れる。

「無駄なことはおやめなさい。貴方の忠誠は、グラナティスにも、地竜王にも届いてはいないのですよ。彼らが貴方を救う素振りなど、一度たりとて見せたことがあるのですか?」

 穏やかに、心を弄ぶ。

 イフテカールにとっては、いつもの手段だった。心の真っ直ぐな者も、腐り果てた者も、彼の言葉に揺れぬ者などいなかった。

 なのに、この男は不敵に笑むのだ。

「てめぇ、本当に何も判ってねぇんだな。自分で龍神の使徒だの下僕だの名乗ってる割には」

 いや自分では名乗っていない呼称が混じっている。

 そこを指摘しようか迷ったところで、クセロは気にせずに続けた。

「大将ってなぁ、駒の生死やら心やらを気にしてたんじゃ、大将でいられやしねぇんだよ!」

 ぎしぎしと、短剣の切っ先が軋む。

 その刃には、火竜王の紋章が刻まれていた。

 彼らからは伺うことのできない場所で、グランは静かにその争いを見守っている。

 イフテカールは訝しげに眉を寄せた。

「それだけのことをするに足る何が、彼らにあると言うのですか」

「てめぇにゃねぇのか? 何も?」

 問いかけに呆れたように返される。

 ふ、と、イフテカールは滅多にない柔らかな笑みを浮かべた。

「そうですね。ありますよ、我がきみには」

 全く、上手く育てたものだ。

 そして、掌をクセロの心臓の真上に押しつける。

「せめて、次の一度で死なせてあげましょう。同じ駒の情けとして」

 短剣の切っ先が、相手の肌まで届かぬままで小さくひび割れる。

 ぎり、とクセロが歯噛みした。視線は、最後までイフテカールから離れない。


『誰が不肖の巫子を救わぬ、と?』


 クセロの黄金色の髪の上に出現した異形の竜王は、視線をまっすぐに龍神の使徒と合わせて、不吉に口を開けた。



 クセロの身体に触れていた腕が、ばん、と天井に叩きつけられる。

「……っ、地竜、王……!」

 苦痛に顔を歪ませ、イフテカールは声を絞り出した。

 竜王の干渉で、彼にまで上方への重力がかかったのだ。しかも、とてつもなく強い。

 今や、イフテカールは指一本動かせない。みしみしと軋む音が、龍神の石像から発せられるものでないことを、ただ祈る。

「ちょ、おい、おやっさん! 重い!」

 しかしその重力はクセロにも多少かかっていたようで、彼は自ら仕える竜王に文句を言った。

『相変わらずやかましいの。ほれ、早いところ、そやつを何とかせんか』

 地竜王が片方の前肢を延ばし、クセロの髪をぽふんぽふんと叩く。

「できねぇから、頑張ってんだろうが……!」

 未だ、イフテカールを護る何かは健在だ。歯を食いしばり、男は短剣を突き立てるべく更に力を籠める。

 地竜王は呆れたように小さく鼻を鳴らした。

 と、イフテカールを護っていた目に見えない防壁が、ふっと姿を消す。

「うぉあっ!?」

 勢い余って、短剣は青年の身体を深く、長く滑った。ひびの入った刀身は、殊更に傷痕を荒くする。

「あぁあああああああ!」

 絶叫が響く。

 噴出す赤い液体が、この重力下でさえクセロに降りかかる。無様に返り血を浴びたことが気に入らないか、男はあからさまに眉を寄せた。

 竜神の石像を、きつく、縋りつくように抱えこんだ手は、もう感覚がなくなりかけている。

「わ、がき、み、」

 細い声が、ぎしぎしと建物を揺らす音に混じって、漏れる。

 その左手の指輪が、とうとう重力に耐えかねて割れた。

 無骨な、龍神を模して形成された金属の中から、黒く光る物体が現れる。

 滑らかな曲面を持ち、先端が鋭く尖った、そう、まるで鉤爪か牙のような物体だった。

 ころころと石像の上を転がり、小さく跳ねて、それは大きく開いた龍神の口の中へと陥っていく。


 次の瞬間、イグニシア王宮の忘れられた火竜王宮は、凄まじい音と共に崩壊した。



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