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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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172/252

16

「オーリ」

 眉を寄せ、グランが傍らの青年を見上げる。

 だが、当人は視線を向けもしなかった。

「悪いね。私は、もう、君に協力はできないよ」

 短く告げて、一歩前に出た。

「それは駄目ですよ、風竜王の巫子」

 が、イフテカールから拒絶されて、足を止める。

「貴方には、この娘を救い、私に挑み、そして勝利するだけの能力と実行力と決断力がある。水竜王の姫巫女とは違う。そう簡単に近づいて頂いては困ります。貴方がたを相手にする前に、せめてもう少し、我がきみの封印を緩めておきたいのです。だから、まずはペルル様からですよ」

「私は抵抗しない。我が竜王にかけて誓おう。それでも、信用できないか?」

 両手を軽く広げ、オーリは宣言した。

 どこか空々しく聞こえるのはやっぱり人望なんだろうな、とこんな時だがアルマは思う。

 慎重な視線を彼から外さずに、イフテカールは告げる。

「信用しておりますとも。貴方が油断ならない方だということは、存分に。三百年前、〈魔王〉アルマナセルを(たばか)って、偽者の高位の巫子の心臓を掴ませたこと、まさかお忘れではありますまい?」


「……何のことだ?」

 首を傾げ、オーリが問いかける。

「フルトゥナに侵攻した当時のことですよ。アーラ宮の最上階、風竜王の祭壇の間に、貴方は〈魔王〉アルマナセルをおびき寄せたでしょう」

 僅かにむっとした雰囲気で、イフテカールは説明し始めた。

「ああ」

「その時に、貴方は偽者の高位の巫子をでっち上げ、それを〈魔王〉に殺させて、私へと心臓を送るままにさせた。私はその当時の高位の巫子は亡くなったものだと判断して、彼らを引き上げさせたのですよ。まさかそれが偽者だったなんて」

「いやちょっと待て。待ってくれ」

 僅かに目を開き、オーリが声を上げる。

「アルマが、心臓を送ったって? いつそんなことを」

「彼は生粋の〈魔王〉ですよ。傷をつけずに、死体から心臓を取り出して転移させるぐらい、お手の物です」

 あの時、あの三百年前の惨劇で。

 オーリは、彼の秘書官だった巫子を目の前で亡くした。

 彼の遺体を高位の巫子に偽装したのは、〈魔王〉の意表を一瞬でも衝ければ、という苦肉の策だった。だが、それだけではない。

 最期に一度だけでも、その巫子を『高位の巫子』として遇してやりたかったのだ。

 それが偽善であり、思い上がりであり、死者にとって何の意味もないことであったとしても。

「……アルマナセル。君って、やつは……」

 オーリがやや俯き、片手で顔を覆う。僅かに覗く口角は、確かに楽しげに上がっていた。

「どうしました?」

 訝しげに、イフテカールが訊いた。

「アルマは、彼を貫いてすぐ、それが高位の巫子じゃない、ということに気づいていた」

 龍神の使徒は、僅かに身体を強張らせた。

「お前の〈魔王〉は、一切お前に説明をしなかったのか? 墓に至るまで、ずっと?」

「お黙りなさい」

 嘲るような口ぶりで言い募ったオーリは、固い声を発せられて、僅かにしまった、という顔をした。

 これで、オーリが今日最初の生贄になる機会は、失われてしまったのだ。

 イフテカールは、決して彼に対する警戒を解くまい。

「さあ、どうするのですか、ペルル? この娘を、傷ひとつなく解放する、という約束は、そろそろ守れそうになくなってきましたよ」

 苛々と、金髪の使徒は視線をこちらへ向けた。

「……行かせません」

 そこで、ペルルとイフテカールの間を遮るように、ゆらり、とエスタが立ち上がる。

 思いもしなかった人物の制止に、全員の視線が集中する。

「もしも貴女が死んでしまったら、旦那様はどうなってしまうのですか」

 この数十分で随分と憔悴した顔で真っ直ぐにペルルを見据え、エスタは声を荒げた。

「せめて邪魔はしないでくれませんか、エスタ」

 ややうんざりとした声音で、イフテカールが口を挟む。

「お前にとやかく言われることは……」

 かっとなってつっかかりそうになったエスタの腕に、ペルルが触れる。

「大丈夫。私が息絶えたならば、すぐに次の水竜王の高位の巫子が選ばれます。その者でも、ちゃんと大公様の治療はできますよ。ここへ来るまで時間がかかるかもしれませんが、術を解かない限り、大公様は決してこれ以上損なわれません」

 穏やかに告げる言葉に、エスタの表情が歪む。

 それならば、彼女が犠牲になってもいい、とは今の彼は思えないのだろう。

 しかし姫巫女は、次いで顔をアルマへと向けた。

「……ペルル……!」

「階段を降りるまで手を貸して頂けますか、アルマ」

 アルマの呼びかけに、にこり、と笑んだ少女は、差し出した指先ひとつ震わせてはいなかった。



 二人の靴は、血溜まりに濡れてしまっている。滑ってしまわないよう、彼らは慎重に足を進めた。

 慎重に。ゆっくり、と。

 下階に降りるまでは数分程度しかかからない。とん、と最後の一段を降り切って、アルマは足を止めた。

 ぐっ、と掌の上の小さな手を握る。

「……、イフテカール……」

 再度、オーリが口を開きかける。が、酷くきつい目つきで睨みつけられた。

「頼む、イフテカール。彼らはまだ若い」

 それでも、僅かな望みにかけて言い募る。

「貴方に比べたら、世界の大抵の人間は若いでしょう」

 だが、事実を告げられただけであっさりといなされた。

「それに、どうせ奴は最終的には全員の血を搾り取るつもりだからな」

 オーリの背後から、火竜王の高位の巫子が断言した。胡散臭そうな目つきでイフテカールが見つめてくる。

「妙な行動は控えることですね。先ほどまでならともかく、貴方がたが竜王の御力を振るっても、今の私はそれを止められるのだから」

 次いで、アルマへと視線を向ける。

「貴方はそこから動かないでください。いいですね」

 相手から顔を背けるようにして、ペルルに向き直る。

「俺が……、俺が何とかするから、だから」

「大丈夫ですよ、アルマ。私たちには竜王様がついていてくださいます」

 アルマの言葉にふわり、と笑んで、あっさりとペルルは手を離す。そのまま、薄手のマントの裾を揺らしながら、イフテカールへ向かった。


 水竜王の姫巫女が近づくのを待ちながら、ふとイフテカールが迷う。

 今、彼は片手に龍神の像を持ち、もう一方の手でプリムラを捕らえている。

 どちらかを離さなくては、高位の巫女から心臓を抉り出せない。

 この場合、魔術によって手を触れずに事を成す、というのは、彼にとっては論外だった。折角の機会だ。その温かさも、弾力も、匂いも、全てを味わい尽くしたい。

 人質の娘に手を下させる、というのもそれはそれで面白そうだが、この少女に短剣を持たせれば、即座に自害でもしてしまいそうだ。グラナティスは、全く駒の育て方だけは上手い。

 結局、イフテカールは龍神の像を足元へ置くこととした。どちらにせよ、生き血を浴びせるには安定したところにあった方がいい。

 竜王の巫子たちから視線を外さずに、ゆっくりと膝を曲げる。

 ペルルが静かに近づいてくる。

 グラナティスもオリヴィニスも、アルマナセルもエスタも、もどかしげな表情を浮かべながらもその場を動いてはいない。

 僅かな違和感に眉を寄せた、その直後。

 頭上から、何かが龍神の使徒へ襲い掛かった。


 反射的に、イフテカールは身を捻る。相手が振り下ろした短剣は空振りし、かろうじて左手が肩を抑えた程度で済んだ。

 鮮やかな黄金色が、青年の視界に流れる。

 相手は地竜王の高位の巫子、クセロだった。

 彼は、レヴァンダル大公の傍にいた。殆ど立ち上がらず、階段の手摺の陰に座っていたクセロは、秘かに二階の回廊へと移動していたのだ。

 近くにいたアルマやペルル、エスタに無言で口止めして。

 彼ら三人は、クセロが動くための時間を稼ぎ、目を惹きつけていたようなものだ。

 イフテカールは、最初のうちは礼拝堂の回廊と外壁の間の中央辺りにいたが、ステラから石像を受け取った時点で回廊の傍へ近づいている。一旦、プリムラを攫うために転移した後も、同じ位置に戻っていた。

 イフテカールに気づかれずに回廊を進み、上階から飛び掛ることなど、彼には容易い仕事だった。

 地竜王の加護でも御力でもない、クセロの、彼の人生で培った技術のみで。


 だが、その一撃は外れた。龍神の石像も、未だイフテカールの手の中だ。

 怒りに燃えた目で、イフテカールがクセロを睨めつける。

 しかし、クセロは、その左手の指をしっかりと青年の肩に食いこませた。

「今だ、おやっさん! ひっくり返せ!」

 力任せに発せられた声が、びりびりと響く。

 瞬間、クセロは勢いよく落下した。

 礼拝堂の、距離が十数メートルはあろうかという、天井へ向けて。


 長い腕を極限まで活かし、掴んでいる身体を『床』へ向けて叩きつけるための体勢をとる。

「うきゃああああああああああっ!?」

 イフテカールが咄嗟に服を掴み直したせいで、未だその手に捕らわれたままの少女が、背後で奇妙な悲鳴を上げている。

「舌噛むぞ!」

 簡潔な警告に、長く続く悲鳴が怒りの色を帯びた。

 器用だ。

 そして数秒も経たぬうちに、激しい衝突音が大天井に響いた。

 ぱらぱらと、割れた漆喰が地上へ向けて落ちていく。

「う……」

 苦痛に目を眇め、イフテカールが身を強張らせる。

 天井に膝をつき、安定した状態でいるのは、地竜王の力によって重力をひっくり返させた、その巫子であるクセロのみだ。

 現在、イフテカールは、クセロが叩きつけた肩と、腹部に膝を叩きこまれた部分で天井に押しつけられているだけに過ぎない。

 ぶらぶらと、青年の手足やプリムラの身体が天井から吊り下げられて揺れている。

「気でも違っているのか……!」

 苦しげに、イフテカールは呻く。

「あー? てめぇには言われたかねぇな!」

 ぎりぎりと指先を肩にめりこませながら、クセロが返す。

 元々、イフテカールはしっかりとプリムラを掴んでいた訳ではない。この状況で、いつまでも彼女を確保しておくことはできなかった。

 ずる、と指先が滑り、少女の身体が落下する。

「……っきゃあああああああああっ!」

 悲鳴が響くより前に、アルマとオーリが地を蹴った。

 遮るもののない屋外ならば、オーリの方が距離も時間も稼げるだろう。

 だが、彼が跳ぶには、ある程度の高さが必要だ。

 そして、二人ともがクセロの行動に呆気に取られていたとはいえ、まだ彼が何かをしようとしている、ということを知っていたアルマの方が、やや我に返るのが早かった。

 落下地点の手前で身を(よじ)り、腹を上にする形で滑りこむ。

 見事に、プリムラはアルマに抱きかかえられるように着地した。

 小柄であるとはいえ、落下の加速度がついている。それが激突した衝撃に、アルマは声も上げられず、ただ、喘ぐ。

 身体の上で、がたがたと少女は震えている。

 内臓が押し潰され、骨が砕けたような苦痛の中で、それでも彼女が無事でいることに安堵した。

「プリムラ!」

 数メートルの距離を、ペルルが走り寄る。二人の傍で跪き、プリムラに手を差し延べた。

「……ペルル様……っ!」

 痛みに顔をしかめていた少女が、みるみる涙を浮かべる。そのまま、ペルルの腕に飛びこんだ。アルマの身体を勢いよく踏みつけて。

「よく頑張ったわね、プリムラ。もう大丈夫よ」

 ペルルは穏やかに笑みを浮かべ、片手でゆっくりとプリムラの背を撫でてやっている。

「……全く、敵わないね」

 苦笑して、追いついてきたオーリが二人の傍で膝を折り、床に倒れたまま悶絶しているアルマに片手をかけた。小さく請願を呟く。

 じわり、とその掌を中心に仄かな熱が広がり、痛みが退いていく。

「動けるようなら、少し下がろう。クセロが何をやらかすか、ちょっと心配だ」

 囁く青年に、その場の皆はそれぞれの状態で頷いた。


 プリムラが、無言でこちらを見つめているグランの前へ小走りに近づいていった。

「……ご迷惑おかけしました」

 身を竦めて、頭を下げる。むっつりとした顔のまま、グランは右手を上げた。

 自分とさほど変わらぬ背丈の少女の頭に、ぽんぽんと軽く触れる。

「無事ならそれでいい」

 小さくはい、と返して、再び上げた顔はもう笑顔だ。

 グランがまだ左手の手袋を嵌めていないことに気づき、赤銅色の髪の少女はいそいそとその世話にかかった。

 無残な姿を晒す掌に、嫌な顔ひとつしない。

 どうしてここまで、このグランに対して献身的になれるのだろう。

 アルマはそう疑問に思いかけるが、もしも自分が同じ状況で傍にいたら、それぐらいは普通にするだろうということに思い至り、軽くへこんだ。




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