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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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171/252

15

 イフテカールは、蹲る王女にゆっくりと近づいた。

「よくやった、ステラ」

 愛おしささえ感じられるような甘い声に、ステラは顔を上げる。

 脚は、ドレスに覆われて見えない。が、どう考えても最低でも骨折はしている筈だ。

 しかし、苦痛の欠片も表情に表さず、少女は大事そうに抱いていた石像をまるで捧げるかのように両手で持ち上げた。


 ステラがこの礼拝堂に現れた後、イフテカールに対して反抗や上位に立つ様子を殆ど見せなかったこと。

 それは、イフテカールがもう何年もの間、彼女にかけてきた術を発動させたからだ。

 この二人が、二人きりのときにどんな関係性であるか、この場に知る者などいない。

 だから、王女であるステラに高圧的に対しても、特に不審には思われなかった。

 しかし、それこそが、今まで従順に王女に仕えてきたこの龍神の使徒が、彼女の意思を失わせ、操り人形のように使うための鍵だったのだ。

 「控えなさい」という言葉は、彼女の行動だけではなく、彼女の意思にも命令していた。

 当然、ステラとはとっくの昔に[直結]していたのだから、それは容易なことだった。

 王女を大公の元へ送りこみ、エスタとアルマナセルを戦わせ、その場の全員の意識をひきつけたところで、大公を殺し、石像を取り戻すために。

 大公の生命(いのち)が尽きようとしているのが、徐々に流れこみつつある魔力ではっきりと判る。

 うやうやしさすら感じられる手つきで、そっと、イフテカールは龍神の石像を手に取った。

 目を細めてその黒い姿を見つめる青年は、もう、ステラを一顧だにしない。


 グランが、それを遠目に眺めつつ、奥歯を噛み締めた。

「……全く、使えぬ駒ばかりだ」



 階段を駆け上がってきたのは、クセロだ。その胸には、片手で軽く抱き上げられているペルルの姿がある。

 まだ、どこか呆然としている意識は、それを認めるのでやっとだ。

 アルマを押し退けるように、クセロが死に瀕した男の傍に膝をついた。

「いいんだな、姫さん」

「はい!」

 決然とした表情でペルルが頷き、二人の手が大公の身体に触れる。

 次の瞬間、その場所から、薄い霜のようなものが、レヴァンダル大公の身体を覆っていった。

 ぱきぱきという小さな音が耳に入って、それでようやく我に返る。

「何をする!」

「落ち着けよ、旦那!」

 くってかかったところで、思い切り言葉の初めにアクセントを乗せられて怒鳴り返された。

 その勢いに、思わず怯む。

「安心してください。出血を止めるために、身体を凍らせたのです」

「そんなこと……」

 ぽつり、とエスタが呟く。

 二人の〈魔王〉の(すえ)を交互に見つめてから、ペルルが口を開いた。

「お父様は、血が流れすぎています。傷を塞ぐだけならすぐできますが、その先、身体を維持するための血液を増やすには時間がかかります。この場できちんとした治癒を行うには、今は時間も猶予もないのです。ですから、一旦、この状態から更に悪化しないことだけを考えて、水竜王と地竜王の御力を使いました。この後、落ち着いて治癒に当たれる状態になれば、ちゃんと溶かしますとも」

「回復、するのか?」

 呆然として、アルマが呟く。

「大丈夫ですよ」

 穏やかに笑むペルルに、全身から力が抜ける。

「ありがとう……」

「言っとくが、全部済んだ後でそんな余裕があれば、の話だぜ」

 クセロが苦い表情で警告した。

「判ってるよ」

「大将は酷く怒ってるだろうからな」

「……判ってる」

 駄目押しに、ちょっと落ちこみながらも、そう返す。

 そして、視線をエスタに向けた。

「アルマ……」

 青年は、まだ、目に涙が溜まっている。

「エスタ。お前が、この先どう生きようと自由だよ。また、俺を殺しに来たっていい。……だけど」

 アルマを護り、また敵対した時でさえ、常に揺るがずにいた青年が、今は途方に暮れた子供のような顔で見つめてくる。

 その、黒い髪。黒い瞳。灰色の、角。

 絶対に戻れないことは、あるのだ。

「だけど、親父の言葉は忘れないでいてくれ。……俺は、そのために、行くよ」

 そして、アルマは立ち上がる。

 幾つもの死と、生とをその背に負って。



 アルマが立ち上がった動きに、イフテカールが視線を向けた。

「エスタは……ああ、もう駄目なようですね。少々惜しい気はしますが」

 未だ踊り場で蹲ったままの代理人を認め、肩を竦める。

「仕方がありません。では、次は私が出ましょうか」

「いつまでそんな茶番を続けるつもりだ」

 吐き捨てるように、グランが毒づく。

「一度始めたことを、そう簡単に止めるのは青少年の教育に悪いですよ。グラナティス。丁度いい機会でもありますしね」

 意味ありげな言葉に、幾人かが眉を寄せる。

 その次の瞬間、イフテカールの姿は一瞬でかき消えた。

「きゃ……!」

 そして、グランたちの背後で小さな悲鳴が響く。

 視線を向けた時には、もうそこには誰もいない。

「イフテカール!」

 かれらを横手から見ていたアルマが怒声を上げる。

 イフテカールは、グランの背後に出現したかと思うと、プリムラを抱きかかえ、また元の場所まで転移したのだ。

 それは、まさに一瞬。カタラクタの戦場から王都へと転移した時の様な時間はかかっていない。

 あの時、これほどの速さで転移が行われていたら、いくら目前であっても、アルマにはその手段が判らなかっただろう。

 幼い少女の首筋に手をかけ、イフテカールは立っている。

 プリムラは青褪めながら、気丈に唇を引き結んでいた。

「その手を離せ!」

 オーリが叫ぶが、当然イフテカールは動じない。

「滞りなく全てが終われば、傷一つつけずに解放致しますよ。さて、次のお相手ですが。水竜王の高位の巫女、ペルル様。ご自身にお願いしたい」

 その青い瞳は、抑えきれない愉悦を滲ませながら、アルマの傍に立つ少女に向けられていた。


「いいでしょう」

 涼やかな声が、響く。

 恐れなど微塵も見せず、ペルルは凛として立っていた。

「駄目だ!」

「駄目です、ペルル様!」

 アルマとプリムラとが、揃って声を上げる。

「グランはよくて、女性に代理人を認めないなんて、どれだけ野蛮人なんだ、君は?」

 オーリが侮辱を籠めて嘲笑う。

「別に、グラナティスは子供だから認めたという訳ではありませんよ。彼はもう必要ないからです」

「必要ない……?」

「イフテカール。よせ」

 グランは、短く制止した。

 おそらくは皆の前で初めて、彼の名を呼んでの言葉は、しかし完全に裏目に出る。

「おや。グラナティス、ひょっとして何も話していないのですか? 一番大事なところだと思うのですが」

「説明などいらん。黙れ」

 面白そうな声に対し、断固として告げる。だが仲間たちからの更に訝しげな視線が集まり、幼い巫子は口を(つぐ)んだ。

「私の最終的な目的が、竜王に封じられた我がきみ、ベラ・ラフマ様を解放することだ、ということはご存知ですか? ……そう。ならば、それをどうやって成すか、ということは?」

 その場の全員を眺め渡しながら、イフテカールは尋ねる。

 そんなことは、誰も知らない。

 ただ、嫌な予感だけが膨れ上がる。

 グランは、眉を寄せ、ただ龍神の使徒を睨みつけていた。

「封じた当の竜王は、人の世には介在しない。元より、彼らに直接楯突くような力など、私にはない。だが、我がきみは私にその役目をお与えになった。ならば、私の手が届く、人の世における竜王の代理人、高位の巫子の力でなら、龍神の封印は解けるということ。つまり」

 ちろり、とイフテカールの紅い唇を、舌先が舐めた。

「竜王の高位の巫子の心臓を、この龍神に捧げる、ということです」



 礼拝堂の中は、物音ひとつしない。

 全員が息を飲み、血の気が退いた顔で、イフテカールを見つめていた。

 突然、背後で、がた、と音がして、アルマは振り返る。

 金髪の男が、蒼白になって立ち上がっていた。

「てめぇ……、じゃあ、じゃああれはそのためか!」

 拳を震わせながら、怒鳴る。

「憤るな、クセロ」

 ただ静かに、グランはそれを止めた。

 毒づいて、クセロはその場に捨て鉢に再び座りこむ。

「……君は、知っていた、のか?」

 乾いた声で、オーリはすぐ傍に立つ幼い少年へと問いかけた。

「知っていた、も何も。グラナティスは、火竜王の聖なる高位の巫子は、もう何度もその心臓を我がきみに捧げているのですよ。先ほど、必要ないといったのは、そのためです」

 イフテカールが、満足そうに言葉を紡ぐ。

 それに真っ直ぐ対峙するグランは、動揺など欠片も見せはしていなかった。

「グラン……?」

 呆然として、アルマはただ名前を呼んだ。

 彼を管理する巫子は、こちらへ視線を向けもしない。

「その手袋を外して見せて差し上げたらどうですか、グラナティス?」

 猫なで声と言えるようなイフテカールの声は、酷く甘い。

 だが、それは甘い毒だ。

 それは判っていても、しかし、その毒は既に皆に回っていた。

 どうしても消えない疑問が、当惑が、その場を支配する。

 溜め息を一つつき、グランは左手を軽く上げた。

 ここしばらくずっと嵌めていた白い手袋の指先を軽く噛み、そのまま手を引くことで外す。

 何故右手で外さないのか、という疑問は、露になったグランの指を見て、消え去った。

「グラン様!」

 ペルルが悲鳴にも似た声を上げる。

 その手は指先から掌の中ほどまでが赤黒く変色し、肌から滲み出た奇妙な液体がぬらり、と光を反射している。

 だらん、と垂れた指は、もう力が入らないかのようだ。

 逆に、外した手袋は生地が分厚く、更に内部に芯地が仕込まれているのか、ある程度の固さを保っているようだが。

「その、手は、まさか、あの奥方様の」

「似たようなものだな。僕はまだ死んではいないが。だから、感知できなかったとしても、貴女のせいではない」

 手袋を親指と掌の間に挟み、自嘲気味に、幼い巫子はペルルの言葉に返す。

 ほんの半月ほど前。

 イフテカールによって死から呼び戻された、スクリロス伯爵夫人の手を、グランとペルルとは診ていた。

 その状態と、グランとが同じだというのか。

「死などとんでもない。私が契約によって貴方に供したのは、永遠の生命(いのち)ですよ、グラナティス。尤も、永遠に生き続ける肉体、ではありませんでしたが」

 小さくイフテカールが笑う。

 その青年に首筋を掴まれているプリムラは、できることならその白い手に噛みついてやりたい、とでもいうような顔をしていた。

「彼の身体は、保っても大体五、六年でそうやって腐り果ててしまいますからね。火竜王宮の地下に、グラナティスの予備の肉体を常に培養しています。そして、肉体が保たなくなってきたら、彼の精神と魂とを新しい肉体に移すのですよ。一度たりとも死んではいないのだから、竜王は顕現されません。残った古い身体は、未だ生き続けている、高位の巫子の肉体だ。そして我がきみは、火竜王の高位の巫子の心臓から絞りだされる生き血を浴びることができる。……まあ最初の頃は、こうして何本かの鎖が切れてくれたのですが。その後はさほど効果が出なくて。やはり、他の竜王の巫子でも試してみるべきだと思っていたのですよ」

 得意げに説明を披露したイフテカールは、最後に物思わしげにつけ加えた。

「そんな、ことを……」

 平然としている青年に対するおぞましさに、怖気が止まらない。

「それで、次は私の心臓を所望するのですね」

 静かにペルルが言葉を挟んだ。

 はっとして、皆が彼女を見つめる。

 だが、少女は全く動じてはいなかった。

「ええ。グラナティスのように代わりの肉体を作ることはできませんから、おそらく貴女はそれで生命(いのち)を落とすことになるでしょうね」

 意図的にさらりと、イフテカールが告げる。

「乗っては駄目だ、ペルル」

 むっつりと、グランが命令する。

「プリムラがどうなっても構わない、とおっしゃるのですか?」

 僅かに怒りを滲ませて、ペルルが問いかける。

 グランは、まっすぐに姫巫女に視線を向けた。

「そうだ。プリムラは僕が使っている人間だ。必要とあれば、僕の命令で死ぬ。貴女の存在と代えられるものではない」

「貴方は……!」

「駄目です、ペルル様!」

 プリムラが再び声を上げる。

「判ってます。あたし、一年も前に、判ってて決めたんです。ペルル様がご無事でいてくださったら、それが一番大事なんです。だから」

 つぅ、とイフテカールの白い細い指が、プリムラの首筋を撫でた。

「これは勇敢なお嬢さんだ。だけど、あなたが、簡単に、一思いに、そして美しく死ねるなんてこと、まさか望めるとでも思っているのですか?」

 今まで、彼の敵が互いを思いあって投げつけあう言葉を、酷く楽しげに聞いていた青年は、甘い囁きに混ぜて更なる毒を少女に注ぐ。

 プリムラは、青褪めた顔色で、唇を引き結び、そして関節が白くなるほどに拳を握り締めている。

「黙れ、イフテカール」

 しかしそれ以上の言葉を遮ったのは。

「その子を離せ。代わりに、私がこの心臓を捧げよう」

 無造作に弓を床へ放り出した、風竜王の高位の巫子、オリヴィニスだった。


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