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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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14

 イフテカールが提案してきたのは、代表者による一騎打ちだった。

「ちょっと待てよ。そんなことで納得できるのか?」

 アルマが口を挟む。

 これは言わば、竜王と龍神の、互いの存在と世界の存亡をかけた戦いである。それが、たった二人の人間の手で終わらせるなど、規模が違いすぎはしないか。

「人間は、長い時間をかけ、そうやって争いを様式化することで、恨みや憎しみを昇華してきたのですよ、アルマナセル。決闘は、イグニシアの貴族文化の中でもさほど愚かではない制度だと思いますね」

 イフテカールは諭すように告げた。

「私の代理人には、エスタを。アルマナセルとは、同じ〈魔王〉の(すえ)で、同じく魔術を封じられていて、互いに個人的な確執を持っている。丁度いい。ああ、そちらは勿論、アルマナセルを出されるのでしょう? 竜王宮は、そのためにレヴァンダル家を飼っているのですからね」

 嘲るような口調と表情で、そう言い渡す。

「いいだろう」

 簡潔に、グランは了承した。

「ちょっと待ちなよ、それは……」

 流石に黙ってはいられないのか、オーリが声を荒げかける。

 が、軽く片手を上げ、グランがそれを制する。

「但し、アルマはあくまで火竜王宮の代理だ。他の竜王宮が奴を統括していない以上、竜王宮を全て纏めての代理にはなれない。そこは当然のことだ」

 続けて放たれた幼い巫子の言葉に、龍神の使徒は眉を寄せた。

「つまり、最大四人と決闘をこなさなくてはならない訳ですか」

 特にオーリなどは、自ら手を下そうとするだろう。

 事実、その意を汲んだのか、青年はぴたりと口を閉ざしている。

「まあ、いいでしょう。私が戦う訳でもないし」

「そうだな」

 軽口に低く返されて、イフテカールは鋭く傍の青年を見上げる。そしてその手を伸ばし、軽く肩に触れた。少し驚いた顔で、エスタは彼を見つめ返す。

「何か話しているか?」

 囁き声でグランは尋ねた。

「……いや。何も聞こえない。口も動いてないしね」

 訝しげな視線を外さないまま、オーリが囁き返す。

 やがて、ぽん、と軽く肩を叩いて、イフテカールは代理人を送り出した。

「俺の意思は確認もなしかよ……」

 ぶつぶつと呟きながら、アルマは足を踏み出す。

「エスタを倒せば、下僕に直接剣を向けられるぞ。励め」

「順番を変えてくれ」

 グランの檄に、肩を落とす。

 双方の陣営の丁度中間辺りで、アルマはエスタと向かい合った。青年は、剣を抜いたままだ。

 アルマが腰に()いた剣を手にして、前方へ掲げた。軽く、切っ先を触れ合わせる。

「……今までは、いつもお前が俺の代理だったな」

 ぽつり、とアルマが呟いた。

「剣を取るほどのことはさほどありませんでしたよ」

 沈んだ声で、エスタが返す。

「俺が気にしてないことでも、お前がいつも先に怒ってた」

 力なく、笑う。

「そうでしたね。あんなことは、本当は、取るに足りないことだったのに」

 ふいに、エスタの口調に違和感を覚える。

 半年前までのエスタは、ほんの僅か、アルマがないがしろにされたと感じただけで相手に食ってかかっていた。それを宥める方がむしろ苦労したほどだ。

 彼が自分の元から去った後では、それは、レヴァンダル大公家に対する、ひいては〈魔王〉アルマナセルに対する侮辱を我慢できなかった、ということだと理解できたが。

 そもそも、アルマが他の貴族からの仕打ちに大して怒らなかったのには、理由がある。

 まずは、貴族というものはそういう境遇が当たり前だと思っていたこと。

 これに関しては、ここ数ヶ月でそうではないと痛感し、実は少々気を悪くしてもよかったのか、と思わなくもなかったが。

 そして、当たり前であった上で、大したことではない、と思っていたことだ。

 アルマに対する陰口や、嫌がらせなど、実際にはさほどの脅威ではない。

 イグニシアの貴族たちが、レヴァンダル大公家自体に向ける意識や行動に比べれば、まるで。

 使用人でしかなかったエスタがそれを知らなかった、というのは別に不思議ではない。

 だが、今は。

「エスタ。お前、どうかしたのか?」

 眉を寄せ、尋ねてくるかつての主人に、エスタは薄く笑みを浮かべた。

「いえ。……始めましょうか」


 きん、と鋭い音を立て、互いに剣先を弾く。

 エスタが大きく一歩踏みこんだ。

 結局、アルマは実戦で剣を取ったことなど、殆どない。

 勿論稽古はつけていたが、貴族の子弟は、軍に入る訳でもなければ、そもそも自ら剣を振るうことは想定されていないのだ。

 そしてエスタは、レヴァンダル大公家に来るまで、そのようなものに触れたことはなかった。彼は商人の家で育っており、荒事とは無縁だったのだ。

 二人ともが経験は浅い。だが、ややエスタの剣の方が汚い手段をも用いりがちだ。

 しかし、彼にも問題があった。

 〈魔王〉の肉体に由来する筋力は、魔術と違い、レヴァンダル大公によって抑えつけられてはいない。

 その人並み外れた腕力を、〈竜王殺し〉はともかくとして、エスタが使う、無銘の、只人の使う剣には持ち堪えられない。

 加減をしなくては、〈竜王殺し〉に競り負けて折れてしまう可能性は高かった。

 だが、殊更大きく、エスタは剣を振り上げる。

 アルマが沈痛な瞳で、しかし着実にその一合一合を受けた。

 以前よりも、少しばかり目線が高くなったか。時折酷く大人びて見えるのは、角が伸びたからだけではあるまい。

 いや。以前から、彼は子供ではなかったのだ。

 あのようなものを、否応なく背負って生きていたのだから。



 数日前、エスタはレヴァンダル大公家の嫡子として認められた。

 ことは、酷く呆気なく進んだ。たった一日、カタラクタから王都へと戻り、議会の承認を得て、数枚の書類に署名をする。

 それだけで、彼はその地位に就いたのだ。

 勿論、この一日を迎える前に、それなりにイフテカールが下準備をしてきていたのだろう。

 それでも、ただ一人でこの野望を遂げようとすれば、彼の前にはどれほどの苦労が待ち受けていたことか。

 それが、実質的にイグニシア王室を牛耳るイフテカールにとっては、大した仕事ですらなかった。


 大公家の、〈魔王〉の存在をないがしろにするアルマや当主に失望し、自分がそれを背負うのだと、そう決意してここまできた。

 大公家という存在を保証するのは、竜王宮ではなく、王室である。

 故に、王室と決定的に対立してはならない。

 エスタはかつてそう考えた。今も、その考えが間違っているとは思わない。

 だが、王室とは、そしてそれに群がる貴族とは、どのようなものか。

 彼は、それを全くと言っていいほど知らなかったのだ。


 王立議会の場に現れたエスタを、議員たる貴族たちは無遠慮に見つめた。

 ひそひそと囁きあい、忍び笑いを漏らし、侮蔑に満ちた視線を向けられた。

 それでも、エスタはイフテカールの後ろ盾がある分、まだましであったに違いない。

 それ故に、嘲られる以上の人数から、あからさまに媚びた声をかけられたのだが。

 エスタの出自は、公的には不明となっている。だがレヴァンダル大公の隠し子、という訳でもない。

 ならば、彼は大公家と王室の間に大きく開いた溝を埋める存在となれるのではないか。

 今まで三百年に渡って積み重ねられた、貴族社会を一新するのではないか。

 その新しい世界で、新しい特権に関心がない貴族などはいないのだ。

 大公家の現状が間違っている、との思いは、裏返せば理想主義と潔癖症の表れだ。

 そんな青年であるエスタは、ほんの数日でうんざりするほど貴族の醜さというものを見せつけられた。


 大公やアルマナセルは、このようなものに生まれたときからどっぷり漬かっていたのだ。

 そして、この先は、エスタが、一人、その立場になる。

 それは、()むに足るだけの未来だ。

 新たなる大公子は、誰ともこの緩やかな失望を共有できない。

 孤独が、急速に彼の心を擦り減らしていく。

 だが、自分で決めて、進んだ道だ。今更、違えられると思うほど、エスタは世界を甘く見てはいなかった。

 改めてじわじわと湧き上がる、大公家の人々への敬意と思慕から目を逸らしながら。


「今更、だ……」

 小さく呟いた言葉が聞こえたか、アルマが不審な視線を向けてきた。

 彼は、あまり自分から打ちこんではこない。この期に及んで、未だエスタを切り捨てるのが嫌なのか。

 更に一歩、踏みこむ。

 形勢が押されているように見えるのか、巫子たちに焦燥感が見えてきた。

 だが、エスタは勝つ必要はない。

 この場に送り出される前、イフテカールから告げられた指示は、『時間を稼げ』と『目を惹きつけろ』だ。

 彼ら二人は、数ヶ月前に[直結]を果たしている。(しるべ)を介して互いに連絡を取り合うのではなく、肉体を標として意思を疎通させるやり方だ。

 魔術が効果を見せないこの状況でも、[直結]している相手には、声を出さなくても短い意図ならば通じる。

 その命令通り、エスタは動く。

 今更、他にどうしようもないのだ。この先、どうなろうとも。



 甲高い金属音が、響く。

 二階の回廊から、レヴァンダル大公はそれを見下ろしていた。

「アルマと斬りあっているのは、エスタといってね。うちに長くいた者なのだよ」

 ぼんやりと呟く。

「そうですの」

 ステラの返事にも、あまり注意を払っていない。

「以前は、まるで兄弟のように仲がよかった。あの二人が争いあうなど……」

 小さく溜め息をつく。

 このようなことを話して、聞き手がどういう反応を返すか、普段の彼ならば判っていた筈だ。

 そして、ステラがそれとは全く違う反応であることに対して、不審に思っただろう。

 流石にこの状況に、レヴァンダル大公としても内心平静ではいられなかったのか。

 だが、それが彼にとって致命的な失敗となった。


 どん、という鈍い衝撃に、僅かによろめく。

 脇腹が、一瞬にして燃えるような熱を発した。

 視線を向けると、にこやかな、儀礼的な微笑を浮かべた、王女の顔がある。

 その手が、大公の身体に押しつけられていた。

 しっかりと握られた、一振りの短剣と共に。



 予想しなかった衝突音が聞こえて、反射的に視線を向ける。

 二階から落下してきた何かが、踊り場に叩きつけられていた。

 長い、二本の腕が、その衝撃にバウンドする。

「……」

 しん、とした空間で、ただ立ち竦む。

 乱れた黒い髪が、段の上に散っている。

 鼻を突く、血の匂い。

 ステラは、貼りつけたような笑みを浮かべて、二階からそれを見下ろしていた。

「………………親父!」

「旦那様!」

 悲鳴のような声を上げ、身を翻した。階段を二段飛ばしで駆け上がる。

 踊り場に立ち、父親の姿を見下ろして、アルマが凍りつく。

 血を吐いたのだろう。顎から下が、真っ赤に染まっている。二階に続く階段にすら血が撥ねていて、周囲にも腹部あたりからの血溜りが広がりつつあった。

「親父! おい、親父!」

「旦那様……何故、こんな」

 エスタと、左右から挟むように跪く。何かを言いかけようとしてか、男の唇が動いた。が、唇の端から赤い泡があふれ出ただけだ。

「アルマ! 王女を止めろ!」

 グランの声が響くが、視線も向けられない。

 ステラは、龍神の石像を抱え、二階の回廊を礼拝堂の奥へと走っていた。

「……オーリ!」

 舌打ちして、幼い巫子は風竜王の高位の巫子を振り仰ぐ。

「駄目だ。足を止められたとしても、あそこから落とされればそれで済む」

 眉を寄せ、オーリが返す。

 彼に、王女を殺す覚悟がないことを見て取って、グランは再度視線を王女に向けた。

「我が竜王の……」

 が、請願を唱えかけたところで、ステラは手摺によじ登った。舞踏会などに着るものではないとはいえ、ドレスを着て、腰ほどの高さの手摺に。

 大空間を構成する礼拝堂は、二階までの階高も相当ある。ざっと、六、七メートルほどは。

 彼女は怯えも躊躇いも見せず、石像を固く胸に抱き、飛び降りた。

「ステラ……!」

 オーリの声にも全く反応を返さない。

 ぐしゃり、と嫌な音がして、ステラは足から床に激突した。



 うっすらと、目を開く。

 すぐ傍に、二人の身近な者たちの顔を見つけて、男は薄く笑んだ。

「……アルマ。エスタ」

「親父……」

「旦那、様」

 エスタは、もう、ぼろぼろと涙を零している。アルマは引きつったような顔で、大きく目を見開いてこちらを凝視していた。

「争う、な、とは言わん。仕方ないこと、も、ある……だろう」

 両手を、ぎこちなく二人に差し延べる。エスタが、その片手を力いっぱい、両の掌で包んだ。アルマは、ただ頬に添えられるままになっている。

「……いや、だ、親父……」

 声が遠い。瞼が落ちそうになるのを、懸命に開く。

「いい、ね。二人とも。幸せに、なりなさい」

 それだけを、伝えなくてはならない。

 大切な息子たちに。


「……退け、旦那!」

 怒声が、薄れ行く意識の隅にひっかかった。



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