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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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168/252

12

「きゃ……!」

「うぉあっ!?」

「やだやだやだ!」

 口々に悲鳴を上げて、彼らは現世に戻ってきた。冷たい石畳の上に、力の抜けた身体を蹲らせる。

 すぐに身を起こしたのは、アルマだ。周囲を一瞥して、予想したものが見えないことに眉を寄せる。

「大丈夫か、ペルル、プリムラ」

 グランの囁きを耳にして、慌てて振り向いた。暗い中、ぼんやりとした姿形が見えるだけだ。

「大丈夫です。少し、眩暈(めまい)がするぐらいで」

「あたしも、大丈夫、です」

 二人の少女は気丈な声を返したが、かなり無理をしているようだ。

「どこだ、ここ……」

 闇の中、警戒するようなクセロの声が小さく漏れた。

「アルマ、灯りを。周りに人はいないけど、弱く作って」

 既に周囲を探っていたのだろう、オーリが指示を出した。

 呪文を使わず、アルマが床の上に小さな光球を作り出す。この場所は、空気が酷く冷えている。少しばかり、光珠から熱を発するようにしてみた。

 そこは、石作りの小さな小屋だった。壁はなく、細い柱だけで屋根を支えている。

 その場の全員、顔色が酷く悪い。まだしも平然としているのは、アルマとグランぐらいなものだ。

「酷ぇ二日酔みたいな気分だぜ……。一体、何があったんだ?」

 クセロが周囲を見回しながら、小声で尋ねる。

「アルマが、空間を転移したんだ。イフテカールを追ったんだろう」

 あっさりと、グランが説明する。

「あー。ごめん、大将。さっぱり判らん」

 困った表情で、クセロが呟いた。

先刻(さっき)、目の前でイフテカールが消えただろ」

 ぽつり、とアルマが口を挟んだ。

「ああ」

「あれに、見覚えがあるような気がしたんだ。いや、前にも見たんだけど、どうやればいいか知っている気がして。それで、思いついた呪文を唱えたら、こうなった」

「大雑把だなおい」

 呆れた風にクセロが呟く。

「呪文か。今までのものとは、ちょっと違った感じだったね」

 暖を取ろうとしているのだろう。光球へとにじりよりながら、オーリが言う。

「今までアルマが使っていた呪文は、僕と〈魔王〉とが作りあげたものだ。〈魔王〉はこの世界の(ことわり)がよく判っていなかったし、どう導けば上手く発動するか、二人がかりで殆ど手探りの作業だった。それは魔術の使い方の判らない子孫へ向けてのものだ。だから、アルマが熟練したら、呪文がなくても魔術が使えるようになっている」

 以前にも言ったことを、グランが詳しく説明する。

「だが、今回の魔術は、それとはまた桁が違う。アルマは、〈地獄〉へと干渉し、門を開いたのだ」

「〈地獄〉……ですか?」

 ペルルが、不思議そうな顔で尋ねる。その隣で、プリムラが僅かに怯えた表情をしていた。

「その名称は、〈魔王〉アルマナセルが呼んでいただけなのだがな。要は、奴の元いた世界のことだ。イフテカールもそうだが、この世界のある地点から他の地点へ一瞬で移動するには、一度〈地獄〉……、異界へ入らなくてはならない。そしてもう一度こちらの世界へ戻った時には移動が終わっている、ということらしい。他にもいろいろ制限があるとか言っていたが」

(しるべ)が必要なんだ。俺は、エスタのいる場所を狙って移動した。あいつと俺には、同じ血が流れているから」

 暗い声で、アルマが呟く。

 オーリが僅かに首を傾げた。

「この辺りにはいないようだけど」

「まあ、初めてのことだからな。移動が無事に済んだだけでも上出来だ」

 珍しく、グランが慰めるようなことを言う。

 実は、彼らが出現するほんの数十秒前まで、エスタはここにいたのだが、それを知るものはいない。

「けど、かかった時間は一瞬でもなかったんだろ。もう、夜になっちまってるじゃないか」

 クセロが周囲を見回しながら呟いた。周囲を木々に囲まれていることを差し引いても、昼間にしてはありえないほど暗い。

「そうでもない。ここは、イグニシアの王宮だ。僕らがいた、カタラクタのユーディキウム砦から見れば、遥か北西に位置する。多分、明け方近くではあるのだろうが、ここではまだ春は遠い。カタラクタよりも陽が昇るのは遅いだろう」

 グランの言葉の途中から、金髪の男は眉を寄せて考えこんだ。が、そのうちあっさりとその渋面を解く。諦めたらしい。

「さて、そろそろ動けそうか?」

 グランが、一同を眺め渡しながら尋ねる。

 見れば、皆の顔色が先ほどよりは回復してきている。頷いて、次々に立ち上がった。

「でも、イフテカールたちは見失ったんだよね。これからどうするつもりなんだ?」

 中身の少なくなった矢筒を背負い直し、オーリが訊く。

「問題ない。奴らの行き先は判っている」

 自信たっぷりに告げ、幼い巫子はまだところどころ雪の残る地面へと足を下ろした。




 暗闇の中、人気のない廊下を歩く。

 イフテカールが転移したのは、王宮の外れにある、元々あまり使われていない建物だった。彼は、こういった場所によく勝手に隠れ家を作っている。

 灯りはないが、エスタにはあまり苦にならない。普通の人間ならばそれこそ鼻を摘まれても判らないのだろうが、彼にはぼんやりと周囲の様子は見える。

 イフテカールがどうかは知らないが、少なくとも何の支障もないように足を運んでいる。

 やがて、二人は簡素な木製の扉に行き当たった。それを開けると、冷えた空気が、つん、と鼻を刺す。

 外には、王宮とは思えないほど荒れ果てた庭が広がっていた。その奥に、暗い夜空を更に闇で塗り潰すようなシルエットが(そび)え立っている。

 あれは、元火竜王宮だ。

 ざ、と枯れ草の間に足を踏み出す。目的地は、さほど遠くはない。


 建物の側面を回りこむ。

 ガラスは土埃で汚れ、壁には蔦が這っている。石造りの壁は、風雪にぼろぼろになりかけていた。

 だが、それは見せかけだ。間違っても誰も近づかないように張り巡らせた、何重もの防御の一つにすぎない。

 正面の大扉に手をかけて、イフテカールが眉を寄せた。

「……鍵が開いている」

 小さく呟く。

 扉の鍵など、この建物自体に設けた防御の魔術に比べれば、何の意味もない。

 だが、今は、その魔術そのものが効果を発揮していない。その上で、扉が破られているのだとすると。

「エスタ。充分警戒を」

 囁くように告げられて、無言でエスタは頷いた。片手を剣の柄へと添わせる。

 そして、ゆっくりと、扉を開いた。いきなりの攻撃がないことを確認し、そろそろと足を踏み入れた。

 そのまま、暗い礼拝堂の中を、奥へ進む。

 巨大な龍神の像の足元、それと判らないように作られた小さな扉が開いていた。

 その内側には埃ひとつないのを認めて、イフテカールが悲鳴にも似た声を漏らす。

「まさか……っ!」


「探し物かね?」


 上方から静かにかけられた声に、二人の青年は鋭く振り返った。

 礼拝堂は、大抵の竜王宮と同じように、数階分を吹き抜けとして設けてある。その壁面には、回廊とそれを繋ぐ階段が作られていた。

 その二階の回廊に、一人の男が立っていた。手摺の上に、小さなカンテラが置かれている。今まで気づかなかったのは、それに蓋をしていたからだろう。

 弱い灯りに照らされていたのは、五十代ほどの、黒髪の男だった。そう、とても、よく、知っている。

「……旦那様」

「レヴァンダル大公……」

 弱く、エスタが呼ぶ。イフテカールの声は、酷く苦々しげだ。

「もう、そう呼ばれる立場ではないな。二人とも。私はお前の主人ではないし……大公家の当主としては、実質引きおろされている」

 けろりとした口調で、そう告げる。

「ならば、何故、貴公がここへいるのです。貴公には蟄居(ちっきょ)の命が下されていた筈だ」

 険しい声で、イフテカールが詰問する。

「火竜王宮から呼び出されたのさ」

 全く要領を得ない言葉を吟味する。

 少なくとも、呼び出したのはここの、ではなく、城下の竜王宮だろう。

「ところで、先だって火竜王が顕現(けんげん)されたようだが、知っていたかね?」

 にやりと笑んで、アルマの父親は更に言葉を継ぐ。

 竜王が現世に顕現した、ということは、巫子であるならば感知できる事態ではある。カタラクタとイグニシア、という距離でどこまで可能なのかは判らないが。

「それが、一体何の理由になるのです」

 苛立たしげに、イフテカールが問う。

 彼は元々は冷静沈着で、至極気の長い男だ。数百年をかけて、恨みを熟成させていく、ような。しかし、ここ数時間で立て続けに起きた事態に、流石に気が立っている。

「火竜王が顕現されるような事態となると、何が起きたのか、選択肢は絞られる。つまり、高位の巫子グラナティスが身罷(みまか)られたか。又は、竜王御自らお出ましになられるような敵が目の前に現れたか。どちらにせよ、龍神の使徒、お前はそれに関わって、王都から遠く離れた場所にいたということだ」

「その隙に、ここへ入りこんだのですか。しかし、どうやって」

 レヴァンダル大公は、状況を隠すつもりはないようだ。聞き出すだけ聞き出そうと、イフテカールは率直に疑問を口に出す。

「おいおい。ここは、一応竜王宮だぞ。扉の鍵の管理ぐらい、火竜王宮がきちんとこなしている」

 ちゃり、と手の指先に引っ掛けた鍵束を、大公はこれ見よがしに突き出した。

 勿論、それはイフテカールが定期的に地味に取り替えている。竜王宮に知らせたことなどない。

 それを手に入れているということは、よほど腕のいい密偵がいるのだろう。

「随分と楽しげでいらっしゃる」

 眉を寄せ、龍神の使徒は呟いた。

「初対面だというのに嫌味を言うな。今日は、私の人生の中でも、最も重要な一日になるのだから。少々浮わついていても、大目に見て貰いたい」

 大げさに片手を広げる相手に、イフテカールは小さく鼻を鳴らした。

「貴方は、ここで一体何をしていたのです?」

 一心に睨み据える龍神の使徒に、大公は肩を竦める。そして分厚いマントの下から、ずっしりと重い物体を取り出し、無造作に手摺に乗せた。

 イフテカールが目を見開く。

 それは、黒い石でできていた。高さは三十センチほど。礼拝堂の奥にある、巨大な黒瑪瑙製の龍神の像のミニチュアのようだ。だが、こちらの方には、全身にぐるりと何本もの鎖が巻かれている。そのうち、ところどころが切断されていた。

「その穢れた手でその方に触れたのか貴様!」

 聞いたことのない怒声が響く。エスタは、驚愕して隣に立つ青年を見た。

 目を血走らせ、イフテカールは片手を大公へ突きつける。

 残りの魔力を全て使い切ってでも、この男を抹殺しなくてはならない。

「待て……!」

 慌ててエスタが制止するが、勿論止められるものではない。

 怒りに我を忘れたイフテカールの魔術は、下手をすれば竜王宮のみならず、王宮までも壊滅させかねない規模だった。

 が。


 愕然として、イフテカールは上階の男を見つめていた。

 彼の内部に蓄えられた魔力の残量はほぼ皆無になっているというのに、彼の魔術は世界に何の影響も与えていない。

「人が悪いな、エスタ。彼にちゃんと説明していなかったのか?」

 呆れたように、大公は元使用人を見下ろした。

「報告はしております。ただ、私たちには、貴方のことがよく判らなかった」

 短くエスタが弁明する。

 彼は大公と再会してからずっと、まともに視線を合わせていない。

 エスタが、以前、大公を殺害しに行った時の顛末は、確かに聞いていた。

 放つ魔術が(ことごと)く発動しなかった、と。

 それを失念していたのは、確かにイフテカールの失態である。だが、実際に自分で体感することで、彼は一つの可能性に思い至っていた。

「……まさか、貴方は、龍神の御力を無効化することができる、のか?」

 信じられない、という表情で、青年が呟いた。

「ほぅ。いきなりそこに気づくとはね。ああ、ほぼそれで正解だ」

 感心した口調で、大公は頷いた。

 その一点で全ての事象に説明がついて、イフテカールは歯を食い縛る。

「グラナティスが動き出したのは、アルマナセルが産まれたから、ではないのだな。貴方とアルマナセルが揃っていたから、あの巫子はこのような小賢しい真似を……」

 〈魔王〉アルマナセルがこの世界に出現してから、三百年。今までに、魔術を扱うことができる子孫が、全くいなかった訳ではない。

 だが、この代になるまで、グランは現状を取り壊そうとしなかった。

 ここにきて動き出したのは、大公の真の意義を隠し通し、こうしてイフテカールを抑えることができる、と判断したからこそだろう。

「人聞きの悪いことを。元々は、お前がカタラクタに侵攻を始めたからではないか?」

 しかしそれも、〈魔王〉アルマナセルの力を持つ、〈魔王〉アルマナセルと同じ名前の、〈魔王〉の(すえ)が今存在したこと、が大きい。

 そして、アルマナセルの名付親は、グランだ。

 あの幼い巫子は、何をどこまで策謀している?

 イフテカールは空回りする思考を強引に止めた。

 今は、何よりも優先すべきことがあるのだから。

「魔術が使えないなら、腕ずくで取り返すまでだ。……エスタ」

 名を呼ばれ、僅かに怯みながら、しかしエスタは一歩前進した。静かに、剣を抜く。

「以前に一度経験したことをまた繰り返すのかね?」

 大公が僅かに呆れた口調で呟く。

「彼は一人じゃない。私がいる」

 そのすぐ後ろに、イフテカールがつく。

「今すぐにその薄汚い手を我がきみから離すことだ。……私を、自らの手を汚すことのできないような貴族たちと一緒にしないで貰いたい」

 そして、その傷一つない右手を、無造作にごきり、と鳴らした。



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