表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

167/252

11

穿(うが)て」

 短く、世界を捻じ曲げる言葉を放つ。

 金髪の男は、舌打ちしながらエスタから距離を取った。

 地竜王の巫子は、その地位について日が浅い。竜王の御力を振るうことにようやく慣れてきたところだ。

 それを振りかざして戦うことには、更に慣れていない。

 遠ざけておけば、当面の脅威にはならないだろう。

 片手の剣で、アルマの攻撃を受け止める。

 エスタは、時折わざと後退し、アルマを巫子たちから引き離しにかかっていた。

 巫子たちは、流石に兵士たちの目の前で、全員でエスタに襲いかかりはしていない。個人的な感情はともかく、この青年一人ではそれほどの脅威ではないということと、もしも叩きのめすようなことでもすれば反感を買い、更なる大義名分を王国軍に与えかねないからだろう。

 彼らが民に加護を与える竜王の高位の巫子である以上、ぎりぎりまで譲れない体面というものがある。

 そのような体面などない相手、例えれば風竜王宮親衛隊のような者たちに囲まれれば、流石にエスタもこうのらりくらりとはやっていけないだろうが。

 しかし、風竜王宮の兵士たちは今のところ姿を見せていない。

「エスタ……。何で」

 剣を構え、こちらから視線を外さずに、アルマが小さく呟く。

「私の立場は、以前から変わっていませんよ。少々気弱になっているからといって、いい加減私に(すが)りつくのはやめて頂きたい。貴方はもう、私の仕えるお坊ちゃんではない」

 僅かに軽蔑した口調で告げると、少年は視線をきつくして唇を引き結んだ。


 つまらなそうに、小さな人間たちの争いを見下ろしていた地竜王が、ふいに顔を動かした。ほぼ背後、北西の方向へ視線を向ける。

『ふむ……?』

 吐息に紛れた言葉が届いたのはその巫子ぐらいのもので、そしてその当人は実際それに気を回すどころではなかったのだ。



 幾つかの作戦を考えながらも、決定的な決め手に欠けるために、イフテカールは未だ後方でぼんやりとしていた。

 周囲からの視線は彼に集中しているが、それを気にするほど神経は細やかではない。

 だが、突然、今まで感じたことのない感覚が全身を包む。

「……なに……?」

 信じられない気持ちで、指に嵌めている龍神を(かたど)った指輪を見つめた。

 ぞくりと、背筋が冷える。

 これは。これは、まさか。

 顔から血の気が引いていくのを自覚する。

 ほんの一瞬、現在の状況を全て考慮し、そして、とうとうイフテカールは行動に移った。



 アルマが、エスタの剣を避け、大きく後退る。

 その瞬間を見逃さずに放たれた矢が、(あやま)たず青年の右肩に突き立った。

「ぐ……」

 数歩よろめくが、何とか持ち堪える。

 体内に[竜王の祝福]が滲むのと同時、ざわり、と怖気が肌を這った。

 一ヶ月に満たぬほど前に、この風竜王の高位の巫子に蹂躙された名残は、未だ僅かながらも古傷のように残っている。

 鋭い視線をオーリに、そしてその後ろに立つ巫子たちに向けた。

 オーリは次の矢を番え、油断なくイフテカールを見据えている。他の者たちも、一切気を緩めてはいない。

 じわじわと圧され気味であるのは、流石に判っている。

 数十分とはいえ、敵陣へ一人乗りこみ、その間緊張を強いられ、武器を振るい続け、流石に疲労も蓄積してきている。

 ちらりと、イフテカールは自分を見捨てたのかもしれないな、と思いかけた辺りで。

「エスタ!」

 突然背後に転移してきた龍神の使徒が、彼の右腕を乱暴に掴み、引き寄せた。


「い……っ!?」

 完全に不意打ちされたエスタは、反射的にその手を振り払い、結果として更なる激痛に蹲った。

「エスタ……?」

 数メートル離れたところで、アルマが呆然として声をかける。

「ああもう一体何をしてるんですか貴方は! こんなところでぐずぐずしている暇はないんですよ!」

 イフテカールがここぞとばかりに苛立ちを全てぶつけるが、今のエスタはそれに反論すらできない。

 その怒声に我に返ったアルマが、鋭く息を吸う。

「イフテカール!」

 そして、絶叫しながら、だん、と地を蹴った。幸い、ここはクセロが戦槌を振るった地域を越えている。足元は充分に確かに、彼を支えた。

 大きく剣を振りかぶる。だが、イフテカールの頭上から振り下ろしかけた途中で、甲高い金属音を立てて、〈竜王殺し〉は弾かれた。

 今までに二度、世界に対する〈呪い〉を破壊し、エスタの魔術さえ破った剣が。

 体勢を立て直し、アルマは剣を突き出すような構えをとった。

「殺してやる……」

 低く、呻くような声に、イフテカールの足元で苦痛に耐えていたエスタですら僅かに顔を上げた。

「莫迦なことは控えなさい。〈魔王〉ですら、私を殺すことなどできなかったというのに」

 眉を寄せ、イフテカールは聞き分けのない子供に教え諭すかのように告げる。

「試してみればいい、下僕。アルマに、お前の牙がいつまで通用すると思っている?」

 グランが嘲るような口調で割って入った。普段は一切動じた素振りも見せない青年が、ぎろり、と周囲を一瞥(いちべつ)する。

 幼い巫子は、更に口を開く。

「ほら、どうした。そのような大口を叩いておいて、まさか尻尾を巻いて逃亡しようとしている訳ではないだろう、龍神の奴卑(ぬひ)よ?」

「……まさか、これは全て貴様の差し金か? グラナティス」

 イフテカールが憎悪の籠もった視線で、グランを、そして四竜王を睨み据える。

 しかし返事を待たず、無造作にエスタの首根っこを掴んだ。

 瞬間、彼らを包むように、黒いもやのようなものがどこからか湧き出る。

「なにを……!」

 驚愕の叫びを無視し、二人を包んだもやは数秒でぐるん、と球を描くように渦を巻き、収縮して消えた。


「逃げた……のか?」

 クセロが呆然として呟く。

 オリヴィニスが、忌々しげに舌打ちした。

 アルマは、ほんの目の前で起きた現象に、目を見開いて立ち竦んでいる。

 あの、黒いもやを透かして見えた、その奥の光景は。

「……王宮?」

「アルマ?」

 心配そうに、背後からペルルが声をかけてきた。

 だが、アルマはそれを気にする余裕もない。

 今、奴らはどうやって姿を消した?

 それを、彼は知っていた。彼の血と肉と魂が、それを確かに知っていた。

 身体の奥底から湧き出る言葉を、抗わずに口にする。

「……現れ出でよ、地獄の門よ!」

 アルマの意思に応え、轟音と共に、彼の目前に巨大な門扉が出現する。

「何だ、あれは!」

 遠方からでさえ視認することができる規模の魔術に、戦場がざわめく。

「〈魔王〉が求めに従いて、堅き門を開き、(かた)き道を(ひら)け。儚き標に向かいて、その許に我らが肉体と魂と精神を分かつことなく導き抜け。使命を果たせたならば、()くこの竜王の世より去り果てよ。我が従順なる門番よ、遂行せよ!」

『……お望みのままに……』

 どこかぼんやりとした声が、周囲に響いた。

 そして、不吉な軋みと共に、門扉が開く。

 その扉の向こう側を、ほんの一瞬だけ目にして、そして。

 〈魔王〉の(すえ)と竜王の高位の巫子たちは、次の瞬間に湧き出したもやに巻かれ、包まれ、そして引きずりこまれた。

 再び軋みをあげて門扉が閉じ、次の一瞬で溶けるようにその威容も消える。

 その頃には、世界を睥睨(へいげい)していた竜王たちの姿もその場から消え失せていた。

「……何が、あった……?」

 呆然とした呟きだけが、戦場に落ちた。




「……っ!」

 だん、と地面に身体を打ちつけて、エスタが鋭く息を飲む。

 隣へ視線を向けると、イフテカールもぺたりと座りこんでいた。

 彼が、こんなに余裕のない転移をするのは初めてだ。苛立たしげに、周囲を伺っている。

 二人は木々の間に設けられた東屋の中に出現していた。敷き詰められた石畳から、じわじわと冷たさが沁みてくる。

 空気が酷く冷えていて、小さく身震いした。

「どうしたんだ?」

 イフテカールの行動の全てが不審で、問いかける。

 青年はこちらを向き、僅かに溜め息をついた。

「……また、傷を受けたのですね。癒しながら話しますよ。時間がかかりそうだ」

「前ほど酷い傷じゃない」

 事実、何の力もない矢に少しばかり纏わりつかせただけの[祝福]だ。以前、純粋な、しかも凝縮されたそれを浴びせられた時に比べれば、大したものではない。

 だが、イフテカールは首を振る。

「貴方にかかる時間じゃありません。状況を把握する時間です」

 彼の言うことが、はっきりと自分に判ったためしはない。諦めて、エスタはゆっくりと上体を起こした。


「先ほど、戦場にいた時に、急に龍神の御力が威力を失ったのです」

 矢の突き立った部分の服の破れをナイフで広げながら、静かにイフテカールが話し始める。

「どういうことだ?」

「私は、貴方のように、自らの存在から魔力を引き出す訳ではない。どちらかと言えば、竜王から御力を賜っている、高位の巫子たちと考え方は近いのです。少々違いはありますが。封じられてはいるものの、私は龍神より、常に御力を賜っています」

 とはいえ、それは実は微々たるものだ。大抵は、機会を作り、その御力を大量にイフテカール自身へと溜めこんでいる。厳密に言えば、その溜めた量しか、彼は魔術を使えない。

 この使徒が、大きな魔術を連発できない理由は、そこにある。

 それが可能であれば、彼の目的はもっと簡単に、かつ速やかに遂行されていただろう。

 指先を傷口近くに触れさせ、内部の金属の形状を把握する。矢尻は量産品であったせいか、さほど大きくはない。何の警告もせず、イフテカールは一気に矢を引き抜いた。左肩を抑えている掌の下で、びくり、と筋肉が痙攣(けいれん)する。

 〈魔王〉の(すえ)として変異して以来、エスタはあまり苦痛を訴えることはしなくなった。まあ、あの、一晩で存在自体を作り変えられた経験を考えれば、この程度、大したことではないのかもしれない。他人に弱みを見せたくない、ということもあるだろう。

 だが、勿論全く苦痛を感じていないという訳ではないのだ。

 その痩せ我慢っぷりが、イフテカールにはどちらかと言えば好ましかった。告げればきっと嫌な顔をされるだろうから、その言葉はまだ取ってある。

「それで?」

 ふぅ、と吐息を漏らしながら、エスタが促す。

「ええ。その、龍神より賜る御力が、殆ど感じられなくなってしまったのです。……戦場からベラ・ラフマ様の元へ転移しようとしたのに、ここは王宮の外れです。今も、この先へ転移しようと試みていますが、全く移動できていません」

 傷口の上に当てた掌が、柔らかな熱を帯びる。苦痛が減ったのか、エスタの身体の緊張が解けてきた。

「そこ以外へは転移できるのか?」

 突然問われて、イフテカールは瞬いた。

「それは……。いや、一度やってみましょうか」

 数秒後、二人の姿は王宮の一室にあった。空き部屋で、暖炉に火は入っていない。だが、空気は明らかに外よりは暖かく、エスタはあからさまに身体の力を抜いた。

「ちょっと移動に時間がかかっているか?」

「それは、御力が途切れているからですね。転移程度だから、このくらいの遅れで済んでいますが」

 周囲を見回すエスタに、眉を寄せて返す。

 それでも、転移は成功した。ならば、イフテカールに蓄えられている魔力が完全に底を尽いた訳ではない。やはり、龍神の力の源が何らかの原因で脅かされているという可能性が高い。

 王都はまだ冷える。イフテカールは傍らの衣装室を開け、適当に分厚いマントを二枚取り出した。

「これから、できるだけ近くまで移動します。無理なら徒歩で行きましょう。気を抜かずにいてください」

 真っ直ぐに青年を見上げて、告げる。無言で、〈魔王〉の(すえ)は頷いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ