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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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166/252

10

 イフテカールの周囲を、男たちが取り囲んでいる。

「お救けを、イフテカール様!」

「このままでは竜王に皆殺しにされてしまう!」

「どうか龍神様の御力で、我らをお救いください!」

 王国軍に参加していた指揮官たちだ。

 最前線に出ていないことから、ここに残っているのはただの貴族でしかないことが察せられる。

「案ずることはありません。落ち着いて、各々の仕事に戻ってください」

 イフテカールが視線を竜王たちから離さないまま、可能な限り穏やかに諭すが、聞いているようでもない。

 溜め息をついて、エスタは躊躇いなく剣を抜いた。

 銀色の刀身を突きつけられて、流石に指揮官たちも怯む。

「邪魔だ。ぐだぐだ騒ぐな」

 青年に軽蔑しきった目で見下され、歯噛みする者もいた。だが、彼は今やレヴァンダル大公家の嫡子で、実質的な当主で、かつ何よりも〈魔王〉の(すえ)である。面と向かって対抗するには、彼らはイグニシア貴族として生きすぎた。

 ぼそぼそと不満を漏らしながら去っていく男たちを注視しながら、エスタは口を開く。

「どうだ?」

「それぞれの属性であれば、ああやって包含してしまうようですね。私が知る限り、竜王が敵対するために顕現したことはなかったのですが、こうなると四竜王が揃ってしまったのは厳しい。隙がない。しかも、地竜王は実体になっている」

「実体?」

 見たところ、天に座す三竜王も、地上に立つ地竜王も、どちらも確かな実感を以って存在しているようだが。

「人の世に介在できるかどうか、です。他の三竜王は判然としません。ですが、地竜王が介在できる以上、真偽を試そうとしても三竜王はそれに応じず、地竜王のみで全て対処するだけでしょう。聞き及んだところ、地竜王はかなり血気に逸っている」

 イフテカールは、一見冷静に分析しているが、その指先は小さく震えていた。

 竜王と直接対峙するのは、何百年と生きた彼とて、初めてなのだ。

 この世界を統べるものから多少なりと反応を得ようとすれば、攻撃する魔術の威力は膨大なものでなくてはならない。幾ら龍神の使徒とはいえ、荷が重いのか。

 思い出したように、エスタは抜いたままだった剣を納めた。

「確か、竜王は直接巫子の身を護るためには動かないのだったな?」

「え? ええ。まあ、私も昔ちょっと聞きかじっただけですが」

「では、私が出よう」


「エスタ!?」

 あっさりと馬を進めようとする青年の腕を取り、思わずイフテカールは引き止めた。

「どうした?」

「何を考えているんです! 以前、三竜王の巫子が揃っただけでも分が悪かったというのに。今や、一応、とりあえず、それなりに、名目上は地竜王の巫子も存在しているのですよ?」

「お前が奴らを嫌いなのは知っているが、随分だな」

 呆れ顔でエスタが呟く。

 実は嫌っている、どころではない。憎んでいると言っても足りない。だが、『高位の巫子』という存在は、とても殲滅(せんめつ)できるものではないから、準備が整うまで放置しているだけだ。三百年前に試みて、失敗したのだから。

「はぐらかさないで下さい。ここまで苦労してきたのに、貴方を失う訳にはいきません」

 イフテカールは、青年の利用価値を熟知している。まだまだ使える駒なのだ、彼は。

「判ってる。私ができるのは、時間稼ぎだ。精々、早いところ奴らを何とかできる手段を見つけてくれ」

 言葉の割には、全く気負うようでもなく、エスタは告げた。

 以前ならば、同じ行動を取るにしても、もっと強い意志が見えただろう。今の彼は、どこか危うい。

「……危険だと判断したら、無理矢理移動させますからね」

 眉を寄せ、龍神の使徒はそう言い渡した。



 数分間、動きはなかった。

 兵士たちは竜王と巫子たちの動向を伺い、互いに殺しあうことを忘れている。反乱軍は一応彼らが味方であることから、その場に踏みとどまっているが、王国軍の中には戦場から逃亡した者もかなりいるようだ。

「……こっちから行くか?」

 退屈したように、クセロが呟く。

 と、前方の人並みが揺れた。

 悠然とその間を進んできたのは、一頭の騎馬だった。

 乗っているのは、黒いマントを纏った黒い髪の青年だ。薄灰色の角が威嚇するようにこちらを向いている。

 かなり手前で馬を止め、僅かに驚いたような顔で、エスタはアルマを見た。

「……これは、貴方が?」

 そして、視線をちらりと地面へと向ける。そこは二、三メートルの幅を描くように、黒ずんだ血の跡と肉片とが散乱していた。正直、アルマもあまり近づきたくはない。

「ああ、それはおれだ」

 肩に戦槌を担ぎ、軽くクセロが告げる。

「なるほど。アルマが短期間でここまで野蛮になっていたのかと驚きましたよ」

「……初対面も同様だってのに、いきなり喧嘩売ってんのか?」

 安堵したような言葉に、地竜王の高位の巫子は僅かに首を傾げさせ、凶悪な視線で相手を睨め上げた。

 肩を竦め、エスタは馬から降りる。ぐい、と手綱を引いて向きを変えさせ、促すように身体を叩いた。騎馬はおとなしく来た道を戻っていく。

「何のつもりだ?」

「貴方が馬に乗っていないからですよ。それでは不公平でしょう。しかし、どうして徒歩なのです? 見つけるのに苦労したんですよ」

 単純に、騎馬と徒歩では視線の高さが一メートル以上違う。歩兵たちの集団に紛れていた、と言いたげだったが、どちらにせよ竜王の元に彼らがいることは判っていた筈だ。

 つまり、あからさまに自分の背が低いことを揶揄されて、アルマが苛立ちに眉を寄せる。

「挑発に乗るな。二人とも」

 グランが背後から諌めた。

 この幼い巫子は、こんな時でも冷静だ。

 ……だから、エスタと、彼をここへ送りこんだイフテカールの意図を懸命に読もうとする。

 そしてアルマとクセロ、ペルルは基本的にグランの命令に逆らわない。

 ならば、時間を稼ぐのは容易だ。

 エスタは、内心そう目論んでいたのだが。

 突如飛来した物体を、エスタは反射的に身を(よじ)ってかわす。

「……ちっ」

 オーリが低く舌打ちした。

 彼はずっと、弓に矢を番えてはいたものの、しばらく下ろしたままだった。それを一瞬で構え、その流れのままにエスタに向けて放ったのだ。

 二人の間に立ち、自らの角の側面を掠めるような矢の軌道を体感したアルマが、ゆっくりと振り向く。背には冷や汗が滲んでいた。

「あまり動かない方がいい、アルマ。君を討ち抜いて彼に矢を届かせるほど、私の弓は強くないんだ」

「とんでもなく物騒なことを言うんじゃねぇよ!」

 アルマを避けることよりも、エスタを害することだけを重視した言葉に、思わず少年が怒鳴りつける。

 そうだ。この青年がいた。

 全てを投げ捨てる覚悟で、エスタに殺意を向ける、巫子が。

 おそらく、この戦場の勝利ですら、彼にとっては二の次だ。

「お前から相手か? 風竜王の巫子」

 投げやりにエスタは告げると、片手を肩の高さまで上げた。指先を真っ直ぐにオーリへと向ける。

 次の瞬間、幾つもの石飛礫が指先の示す方へと放たれた。一つ一つが、大人の拳大ほどもある。

 それを視認できたかどうか、というタイミングで、地響きが起きる。数瞬遅れて、立て続けに金属音が響いた。

 エスタとオーリを結ぶ線上に、クセロが戦槌を叩きこんだのだ。高さ二メートルはある鉄柱となったその頭部に、石飛礫は全て阻まれた。

 じろり、とエスタは金髪の男を睨みつける。

「そう怖い眼で見るなって。しばらく前までは只人だった者同士じゃねぇか」

 にやり、と笑みを浮かべ、クセロが言い放つ。

 不快に眉を寄せ、エスタは呟いた。

「撫でろ」

 ひやり、と悪寒が走って、反射的にクセロは戦槌を置いたまま、一歩後退した。それは、下町の裏通りで生まれ育った彼の、本能的な感覚だった。

 すぐに、ざり、という音が響いて、つい数秒前まで手にしていた戦槌の柄が、こそげられるように抉れた。僅かに繋がっていた部分は、あまりの細さにすぐに折れ、地面へ落下する。

「うわ……」

 ぞっとした風に、クセロが呻く。

 だがその隙に、オーリは戦槌の頭部へと飛び乗っていた。高所から立て続けにエスタへと矢を放つ。この場所からなら、アルマを気にする必要もない。

 が、先ほどの魔術の範囲がまだ生きている。放たれた矢は、エスタに届きもしない地点で、やはりどこか摩り下ろされるような音を立てて、消滅した。

「エスタ!」

 アルマが、剣を手に走り寄る。地面に染みこみきっていない血溜まりに踏みこんだことで、水音を立てる度にブーツが穢れていく。

 ある一点に、〈魔王〉の剣が斬りこんだところで、エスタの張った魔術はぱん、と弾けて、消滅した。

 青年も剣を抜き、アルマの斬戟を軽く受ける。

 ちらり、とエスタは周囲に視線を向けた。

 風竜王、地竜王共に、巫子への攻撃に対して何の動きも見せはしない。

 これならば。

「……テナークスが死んだ。エスタ」

 青年のすぐ傍で、数ヶ月前まで最も親しかった少年が、深く傷ついた瞳で呟いた。


「そうですか」

 ぐい、とエスタが剣に力を籠める。

「それだけか!」

 かっとなって、アルマは叫んだ。

「ひょっとして、とは思っていましたよ。イフテカールが仕損じることは、あまりない」

「イフテカール……」

 憎悪に、アルマの表情が歪んだ。

 テナークスの遺体には、焼け焦げの一つもなかった。自然の、この世界の落雷を受けた訳ではないからだ。

 そんなことができるのは、龍神の使徒、イフテカールか、〈魔王〉の(すえ)、エスタのどちらかだった。

「お前は、それでも、あいつについていくのか?」

 吐き捨てるような言葉に、可能な限りの動きで肩を竦める。

「こうやって叛乱を起こした時点で、誰でも死ぬ可能性はある。その辺りを全く考えていないのなら、貴方は以前のまま、世間知らずのお坊ちゃんでしかない」

 ぎり、と歯を軋ませ、アルマは更に力を籠める。

 エスタはそれを受け流し、小さく後退した。結局、何を言っても竜王の巫子たちはアルマを傷つけることはしない。彼を自分と巫子たちの間に置いておけば、少しは楽だ。

「……まあ、私も、あの方には好意を持っておりましたよ。他の貴族たちと違って、清廉潔白で真っ直ぐな方でした。貴方の下にいるのが、あの方なら心配はないと思えるような」

 少しばかり思い出を語るような表情で、そう告げる。

 アルマの瞳が、揺れた。

 巫子たちの注意は、エスタより離れない。

 ただ一人、グランだけが、その周囲までも意識に入れている。彼は、イフテカールの動向を警戒しているのだろう。

 あの幼い巫子の気も引きたいところだが、そこまで欲張れない、とも思う。

 グラナティスは、本当に気を抜けない相手だ。

 後方に置いてきた龍神の使徒の一刻も早い行動開始を、エスタは祈った。



 眉を寄せ、イフテカールはじっと巨大な竜王たちを見つめていた。

 正直、竜王という存在がここまで人の世に関与するとは予想していなかった。

 と言っても、彼らが行動したことは、イフテカールの、龍神の誇示した力に対処したのみである。純粋に人々の行動に対して何かを行った訳ではない。

 しかし、それでも、この場に、竜王に敵対する者たちの前に顕現した、というだけで、影響力は凄まじい。

 この戦場に派遣された指揮官たちは、王家の命令に忠実である者たちばかりだ。そして、王家と龍神との係わり合いをある程度知り、それを容認している者でもある。

 だが、そんなもの、人間の小さな思惑など、竜王の前では塵に等しい。

 まして末端の兵士たちに至っては、どうか。

 このままでは、彼らはあっさりとイフテカールを見限るだろう。

 彼らを動かし続けるためには、龍神の強大さを印象づけなくてはならない。

 イフテカールは無意識に、その指に嵌められた龍神を象った指輪に触れた。指の腹で、ゆっくりと表面を撫でる。

 この地は、あの方のおわす場所から遥かに遠い。

 人知れず暗躍する程度の魔力の使用なら、全く問題はない。だが、こう立て続けに膨大な魔術を使っては、イフテカールの使える魔力など、すぐに底を尽くことだろう。

 敵方の、たかが人間ごときに雷撃を放ったことを、僅かに後悔する。

 それは魔力の残量が惜しい、というだけの理由であって、このような事態を引き起こした原因である、ということに思い至った訳ではないが。

 結局のところ、竜王と直接やりあうことなくこの場を切り抜け、かつ負けずにいようとすれば、やはり巫子を殺すしかないのだろう。

 火竜王、水竜王の巫子ならば、またすぐに他の者が代わるだろうが、次代の巫子がこの場に存在する訳ではない。

 まして風竜王、地竜王の巫子であれば、次代の者自体が存在しない。

 更に、高位の巫子、人の世と竜王を結ぶ者がいない場に、竜王は顕現しえない。

 そこまでは、確かな事実である。

 不確定要素があるとすれば、龍神の使徒である自分が行動することに、竜王たちがどこまで干渉してくるか、その度合いの問題だった。

 高位の巫子たちをここで殺すことによって、今まで組み立ててきた策が台無しになることは全く考慮に入れないとしても。

「まだ三人残っていますからね……。エスタに丸投げできれば楽なんですが」

 答えの出ない問いを考えあぐね、イフテカールは不人情な呟きを漏らした。


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